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周回

ー/ー



兄がもうそろそろ家に着くらしい。
そう聞いた小春は足早に天井裏へ向かう。
兄の勇樹は小春の5つ上で、もうすでに職に就き2年が経過していた。定期的に実家へ帰ってきてはいるが今回は夏休みということで、一週間ほど滞在する予定だ。
天井裏は、二階の一番奥の部屋から上ることができる。もともとその部屋には祖母が住んでいたのだが、数年前に永眠し、現在は仏壇が置かれるだけの部屋になっている。小春はその部屋の押し入れを開け、右の方に掛かっている梯子と扉を開くためのフックをとると、手際よくそれらを使用可能な状態にした。
梯子を上ると、二条半ほどの床に座り込む。数メートル奥にある小さな窓から差し込んでいる光は充満している埃を照らし、昼間の星を映し出していた。小春は手と膝をついてもう少し奥へと進むと、目的の物が目に留まった。どこからともなく発生した埃を大量にかぶり、中途半端な日光に焼かれ続け色が変わってしまった、黄みっぽくてざらざらした崩壊寸前の段ボール。
「あんた、気をつけなさいよ。」という母親の声に小春は「はーい。」と生返事をする。
利き手で撫でるように段ボールの全身を掃うと、手のしわに埃がたまり、その灰色が指紋を浮き彫りにした。カビやハウスダストの匂いが鼻に届き小春は思わず顔をしかめる。反対の手で埃を落とそうとしたが、結局両手に広がって被害が大きくなっただけだった。
あきらめた小春は段ボールを小脇に抱え、リビングへ戻った。そのとき丁度兄が帰宅したらしくインターフォンが鳴って玄関の扉が開いた音がした。
母は玄関へ向かい、勇樹とあいさつを交わすと「暑かったでしょう。お茶そこにあるから飲みなさい。」と言って、勇樹から荷物を取り上げリビングへ運び始めた。
勇樹は荷物を母に任せて洗面所へ向かうと手洗いうがいを済ませ、しばらくしてからようやくリビングへ戻ってきた。
「ただいま。」
前会ったときよりも少し髪が短く清潔感のある見た目になっている、と小春は思った。変わらず眉毛が少し変な恰好をしているが以前のように無頓着ではなくなっているようだった。洗面所で制汗シートを使ったのか、ほんのりとミントの香りを漂わせている。
「なに見てんの。俺、顔に何かついてる?」
小春が見過ぎたせいで勇樹が不安をにじませる。聞こえなかったかのように小春はその言葉を無視した。
「おかえり。暑かっただろう。冷凍庫にアイスがあるから食べると良い。」
一通り落ち着きを取り戻した空気を察したのか、ソファでくつろいでいた父がようやく勇樹に話しかける。「いいの。じゃあ貰う。」と言って勇樹は冷凍庫を開けにキッチンへ向かう。
父ののんびりとした性格は勇樹が受け継いだ。二人とも普段からあまり怒らず、生まれてからずっと一緒に住んでいても、未だに掴みどころのない人間だ。行動も少々のんびりとしたところがあるようにも思う。母はそののんびりさが癪に障ることがあるらしく、定期的に二人が怒られているところを目撃する。
勇樹は冷凍庫からみかん味のアイスを持ってくると、食卓テーブルに着いた。その様子を最後まで見届けた小春が勇樹の対面に座る。机に肘をついて斜めになった顔で勇樹を見あげる形になった。
「そのアイス、みかんよりリンゴの方がおいしいよ。」
「みかんの気分だから。」
勇樹に意見を一蹴されたが、小春はまんざらでもなかった。久々に自分が妹であったことを実感する。粗雑な対応を受けたことをむしろ嬉しく思った。
シャリシャリと氷菓子の咀嚼音が部屋に響く。一家全員がその音を聞いて、「夏だな。」と思った。
しばらく全員がその音に耳をすませていた。煩わしいと思っていた蝉の声も、風鈴の音も今は追憶のきっかけの一つである。一人増えただけの空間だというのに、耳から入ってくる情報が何倍にも増え、懐かしさを感じさせた。
しばらくしてから、いくつもの音にクーラーの室外機の音が混ざり始め、不快感を覚えた小春が沈黙を切った。
「さっき天井裏から持ってきたよ、ゲーム機。」
「お、まじで。」
「まじまじ。兄ちゃんが帰ったときしか使わないから、いっぱい埃かぶってた。ほら見てよ、手が真っ黒。」
小春は「ばあ」と言いながら、自分の両手のひらを勇樹に突き出した。アイスを食べて充足感に満ちていた勇樹の顔が少し歪む。
「うわ、汚ね。手洗って来いよ。」
おどけて見せたつもりだったが思いのほか反応が悪く、小春は不服そうな顔をして勇樹を睨んだが、食事中に汚れたものを見せたのが間違いだったと気づき内省した。そのまま席を立って洗面所へ向かったが、きちんと綺麗にしてこいと念を送られている気分だった。
手を洗ってリビングに戻ると、怪訝そうな顔をしてこちらを見ている勇樹と目が合った。小春は自慢するように両手を突き出して、手がきれいになったことを証明する。一通りじっくりと手のひらを観察した後、満足そうな顔をした勇樹が残りのアイスをかっ込みながら「今日はパズルゲームだな。」と言った。
小春は勇樹にパズルゲームで勝てたことがない。一度だけ物凄い量のハンデを付けて勝てたことがあったが、むしろ煽られているようで気分の悪い勝利だった。それから、ゲームは同じレベルで戦える相手でないと面白くないと考え、少しだけ特訓のようなことをしていた。今日はついに念願の夢が叶うかもしれない。まだ叶っていない夢を現実のように受け止め小春は胸が躍っていた。
「パズルゲームね。オッケー。ちなみに、私特訓したから勝てちゃうよ。」
「ははは。じゃあ特訓の成果を見せてもらおうか。」
食べ終わったアイスの棒を口に咥えたまま、勇樹が段ボールからゲーム機を取り出し、三色のコードをテレビにつなぐ。以前よりもずっと慣れた手つきでセッティングをしている様子を見て、小春が少しだけさみしさを感じたのは内緒にすることにした。
コントローラーの充電が十分にあることを確認し、ゲーム機の電源を入れる。そのままパズルゲームを起動すると成人をとうに迎えた兄妹は童心の赴くままに、コントローラーを握って対戦を始めた。
勇樹は子供の頃を思い出した。まだ幼かった小春が無理やりゲームに参加し、負けるとピーピー泣いて、母に抱きついた。母の困った顔と父の笑った顔を今でも鮮明に思い出すことができる。
もうあの頃の泣き叫ぶ妹はいない。
今はただ、この時間が終わらないでほしいと心から願っていた。
二人がどれくらいの時間ゲームをしていたかはわからない。途中で二、三度母に声をかけられたがゲームに夢中で適当な相槌を打って聞き流した。3時間くらい経ったと思われる頃、外を見てみるとさっきまで天頂にいたはずの太陽がいなくなり、代わりに深い青色の空にオレンジ色の衛星がぽつりと光を灯していた。
「もうそろそろ終わりにしないと。私、兄ちゃんに一回勝てたから満足だよ。」
「強くなったね。俺も対策しないと。」
「明日は格闘ゲームをしたい。最近新キャラが追加されたんだ。」
「格ゲーか。最近やってないな。負けるかもなあ。」
熱を帯びたコントローラーを握りながら二人は会話を続ける。
聞こえなくなった蝉の声が、彼らの時間が幼年の日々に比べて確実に幾分も早く進んでいることを教えていた。


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兄がもうそろそろ家に着くらしい。そう聞いた小春は足早に天井裏へ向かう。
兄の勇樹は小春の5つ上で、もうすでに職に就き2年が経過していた。定期的に実家へ帰ってきてはいるが今回は夏休みということで、一週間ほど滞在する予定だ。
天井裏は、二階の一番奥の部屋から上ることができる。もともとその部屋には祖母が住んでいたのだが、数年前に永眠し、現在は仏壇が置かれるだけの部屋になっている。小春はその部屋の押し入れを開け、右の方に掛かっている梯子と扉を開くためのフックをとると、手際よくそれらを使用可能な状態にした。
梯子を上ると、二条半ほどの床に座り込む。数メートル奥にある小さな窓から差し込んでいる光は充満している埃を照らし、昼間の星を映し出していた。小春は手と膝をついてもう少し奥へと進むと、目的の物が目に留まった。どこからともなく発生した埃を大量にかぶり、中途半端な日光に焼かれ続け色が変わってしまった、黄みっぽくてざらざらした崩壊寸前の段ボール。
「あんた、気をつけなさいよ。」という母親の声に小春は「はーい。」と生返事をする。
利き手で撫でるように段ボールの全身を掃うと、手のしわに埃がたまり、その灰色が指紋を浮き彫りにした。カビやハウスダストの匂いが鼻に届き小春は思わず顔をしかめる。反対の手で埃を落とそうとしたが、結局両手に広がって被害が大きくなっただけだった。
あきらめた小春は段ボールを小脇に抱え、リビングへ戻った。そのとき丁度兄が帰宅したらしくインターフォンが鳴って玄関の扉が開いた音がした。
母は玄関へ向かい、勇樹とあいさつを交わすと「暑かったでしょう。お茶そこにあるから飲みなさい。」と言って、勇樹から荷物を取り上げリビングへ運び始めた。
勇樹は荷物を母に任せて洗面所へ向かうと手洗いうがいを済ませ、しばらくしてからようやくリビングへ戻ってきた。
「ただいま。」
前会ったときよりも少し髪が短く清潔感のある見た目になっている、と小春は思った。変わらず眉毛が少し変な恰好をしているが以前のように無頓着ではなくなっているようだった。洗面所で制汗シートを使ったのか、ほんのりとミントの香りを漂わせている。
「なに見てんの。俺、顔に何かついてる?」
小春が見過ぎたせいで勇樹が不安をにじませる。聞こえなかったかのように小春はその言葉を無視した。
「おかえり。暑かっただろう。冷凍庫にアイスがあるから食べると良い。」
一通り落ち着きを取り戻した空気を察したのか、ソファでくつろいでいた父がようやく勇樹に話しかける。「いいの。じゃあ貰う。」と言って勇樹は冷凍庫を開けにキッチンへ向かう。
父ののんびりとした性格は勇樹が受け継いだ。二人とも普段からあまり怒らず、生まれてからずっと一緒に住んでいても、未だに掴みどころのない人間だ。行動も少々のんびりとしたところがあるようにも思う。母はそののんびりさが癪に障ることがあるらしく、定期的に二人が怒られているところを目撃する。
勇樹は冷凍庫からみかん味のアイスを持ってくると、食卓テーブルに着いた。その様子を最後まで見届けた小春が勇樹の対面に座る。机に肘をついて斜めになった顔で勇樹を見あげる形になった。
「そのアイス、みかんよりリンゴの方がおいしいよ。」
「みかんの気分だから。」
勇樹に意見を一蹴されたが、小春はまんざらでもなかった。久々に自分が妹であったことを実感する。粗雑な対応を受けたことをむしろ嬉しく思った。
シャリシャリと氷菓子の咀嚼音が部屋に響く。一家全員がその音を聞いて、「夏だな。」と思った。
しばらく全員がその音に耳をすませていた。煩わしいと思っていた蝉の声も、風鈴の音も今は追憶のきっかけの一つである。一人増えただけの空間だというのに、耳から入ってくる情報が何倍にも増え、懐かしさを感じさせた。
しばらくしてから、いくつもの音にクーラーの室外機の音が混ざり始め、不快感を覚えた小春が沈黙を切った。
「さっき天井裏から持ってきたよ、ゲーム機。」
「お、まじで。」
「まじまじ。兄ちゃんが帰ったときしか使わないから、いっぱい埃かぶってた。ほら見てよ、手が真っ黒。」
小春は「ばあ」と言いながら、自分の両手のひらを勇樹に突き出した。アイスを食べて充足感に満ちていた勇樹の顔が少し歪む。
「うわ、汚ね。手洗って来いよ。」
おどけて見せたつもりだったが思いのほか反応が悪く、小春は不服そうな顔をして勇樹を睨んだが、食事中に汚れたものを見せたのが間違いだったと気づき内省した。そのまま席を立って洗面所へ向かったが、きちんと綺麗にしてこいと念を送られている気分だった。
手を洗ってリビングに戻ると、怪訝そうな顔をしてこちらを見ている勇樹と目が合った。小春は自慢するように両手を突き出して、手がきれいになったことを証明する。一通りじっくりと手のひらを観察した後、満足そうな顔をした勇樹が残りのアイスをかっ込みながら「今日はパズルゲームだな。」と言った。
小春は勇樹にパズルゲームで勝てたことがない。一度だけ物凄い量のハンデを付けて勝てたことがあったが、むしろ煽られているようで気分の悪い勝利だった。それから、ゲームは同じレベルで戦える相手でないと面白くないと考え、少しだけ特訓のようなことをしていた。今日はついに念願の夢が叶うかもしれない。まだ叶っていない夢を現実のように受け止め小春は胸が躍っていた。
「パズルゲームね。オッケー。ちなみに、私特訓したから勝てちゃうよ。」
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食べ終わったアイスの棒を口に咥えたまま、勇樹が段ボールからゲーム機を取り出し、三色のコードをテレビにつなぐ。以前よりもずっと慣れた手つきでセッティングをしている様子を見て、小春が少しだけさみしさを感じたのは内緒にすることにした。
コントローラーの充電が十分にあることを確認し、ゲーム機の電源を入れる。そのままパズルゲームを起動すると成人をとうに迎えた兄妹は童心の赴くままに、コントローラーを握って対戦を始めた。
勇樹は子供の頃を思い出した。まだ幼かった小春が無理やりゲームに参加し、負けるとピーピー泣いて、母に抱きついた。母の困った顔と父の笑った顔を今でも鮮明に思い出すことができる。
もうあの頃の泣き叫ぶ妹はいない。
今はただ、この時間が終わらないでほしいと心から願っていた。
二人がどれくらいの時間ゲームをしていたかはわからない。途中で二、三度母に声をかけられたがゲームに夢中で適当な相槌を打って聞き流した。3時間くらい経ったと思われる頃、外を見てみるとさっきまで天頂にいたはずの太陽がいなくなり、代わりに深い青色の空にオレンジ色の衛星がぽつりと光を灯していた。
「もうそろそろ終わりにしないと。私、兄ちゃんに一回勝てたから満足だよ。」
「強くなったね。俺も対策しないと。」
「明日は格闘ゲームをしたい。最近新キャラが追加されたんだ。」
「格ゲーか。最近やってないな。負けるかもなあ。」
熱を帯びたコントローラーを握りながら二人は会話を続ける。
聞こえなくなった蝉の声が、彼らの時間が幼年の日々に比べて確実に幾分も早く進んでいることを教えていた。