02:槐の指輪
ー/ー 絵の具を流し込んだような、真っ青な空に、霞がかった雲が風に吹かれて移動する。村外れの丘にある大樹の根に腰掛けて、アリセルは息を吐き出した。陽光に煌めく木の葉を見上げていると、鬱々とした気分が、少しばかり晴れるような気がした。
塔に幽閉された前国王の嫡子、ルネ・サントレール。
彼の処遇を一言で言うならば「悲惨」だ。不潔極まりない場所に閉じこめられ、食事も十分に与えられていない。そればかりか、夥しい傷から察するに虐待も受けている。
昔、罪人には、人権などないと聞いた事がある。
確かにそうなのかも知れない。しかし、だからと言って、あの有様は明らかに常軌を逸していた。何度目か分からない溜息を吐くと、不意に肩を叩かれた。驚いて振り向くと、そこには見知った顔があった。
「なーんだ、ユーグか。びっくりした」
「なんだ、とはなんだよ」
ユーグは笑ってアリセルの隣に腰かける。引き締まった体躯に、鋭い眼差しをしたユーグは見かけこそ、とっつきにくい印象を与える。だが、アリセル達家族がこの村に引っ越してきたすぐ後に越して来た事もあって、今では一番の親友だ。
「家にいなかったから探したんだ」
「私を探した? あ、もしかしてお誕生日おめでとう、って言いに来てくれたの?」
一瞬、ムッとした表情になるユーグに、図星だったのだと知る。思わず破顔すると額を軽く小突かれた。
「折角祝ってやろうというのに、先に言われるなんて台無しだ。こういう時は察して黙っているものだぞ」
「ごめんね。でも困ったことに、つい口が滑っちゃうの」
「全然困っていないだろ」
ユーグとの気の置けない軽口が心地良い。幽閉された青年の、凄惨な光景を見た後には尚更だ。
「とにかく。少し遅れたけど、誕生日おめでとう。俺からの贈り物だ」
ユーグに右手をすっと掬いあげられる。流れるような動作で、右の中指に嵌められたのは、木製の指輪だった。アリセルは、自分の目の前に右手を広げる。ほんの少しだけサイズの大きい指輪は、光沢が出るまでに磨かれて、さざ波のような模様を刻む年輪が何とも美しかった。
「これ、ユーグが作ったの?」
「ああ、[ruby=エンジュ]槐[/ruby]の木を使って作ったんだ。すぐ割れるから苦労したよ」
「ユーグ、すごい。ありがとう!」
親友から貰った唯一無二の贈り物に、思わず抱き着こうとした所、手で制されてアリセルは固まる。気安く他人に、しかも男性に抱きついてはいけないと、ユーグ本人に言われてきたのを思い出したのだ。行き場のない手を取り繕おうと、口元に拳をあてて咳払いで誤魔化すと、ユーグは楽しそうに笑う。
「アリセルも少しは大人になったな」
「もう大人だもん」
「槐の木は、邪気除けになるって言われているんだ。まぁ、お前の馬鹿正直さには、こんなものなくても邪気も逃げ出すだろうけどな」
「何、ソレ。誉め言葉に聞こえないんだけど。でもとっても嬉しいから許してあげる」
左手で指輪に触れて、そっと胸に手をあてがう。指先から木の温もりが伝わってくるようだった。
のどかで明るい景色に、友からの贈り物に、強張っていた心が、柔らかくなるのを感じる。再度、胸の内でユーグに感謝を告げてからアリセルは顔をあげた。
「あのね、ユーグ。私ね、お父様の手伝いで看守をする事になったの」
「ああ、それ聞いたよ。村で噂になっていた。お前が「奴」の看守になったって」
「奴」と言った時、ユーグの表情は僅かに固くなった。そう言えば、とアリセルは思い出す。ユーグの家族は前国王によって処刑されたと聞いた。税である穀物を納める事ができなかったとか、確かそんなくだらない理由で、だ。
身内を殺された彼にとって、その血を引くルネは矢張り憎いだろう。親の罪は親のもので、子に非はないと言ったアリセルだが、その怨恨は理解できる。
「この前、ルネ様が幽閉されている塔へ行ったの。酷い有様だったわ。家畜のほうがよっぽどマシな扱いよ」
「そりゃ、国民を苦しめた王の子だ。とびっきりの罪人だから、何をされても文句は言えないだろ」
「ユーグもそう思う?」
問いかけるとユーグは肩を竦める。否定とも肯定とも取れない仕草だった。アリセルはその場に座り込み、膝を抱える。
およそ十年前に、民衆の前で首を落とされたサントレール王と妃のことは、うっすらと覚えている。当時幼かったアリセルは、父に肩車をされて、処刑の瞬間を見ていた。しかし国王夫婦が首を落とされた光景そのものよりも、民衆の熱狂の方が恐ろしくて、早く帰りたいと切実に願ったものだった。
腐敗された王政が一新され、新たにこの国を統治しているのは、民衆から選ばれた、エリック・ジルベールという名の男だ。とは言っても、国や政治についてアリセルに直接、影響がある訳でもなく、よく分からないというのが本音だった。
前の王政が、どれ程酷かったのか。今の国は昔よりも良くなっているのか。悪しき王の死によって、民は平和の園を手に入れたのだろうか。未だに貧困や略奪が横行していると耳にするが、それは本当なのだろうか。考えた所で分からない。
しかし、目の前にいるルネの存在は、アリセルにとって切に迫った現実だった。自分の力が及ぶ範囲で、変えることができる事は変えたいと思う。
「私は罪人の子だから、何をされても良いとは思わない」
「アリセルなら、そう考えると思った」
「私の事はお見通しって訳?」
「だってお前分かりやすいし」
「悪かったわね」
「不貞腐れるなって。ルネ・サントレールの面倒を見るんだろ。間違っていると思う所は正せば良いし、自分がやりたいようにやれば良いんじゃないか?」
「うん」
アリセルは伏せていた顔をあげた。ユーグの言葉はもっともだ。ルネに課せられた過去の惨状を嘆くよりも、これから出来ることをやろう。決意を秘めてユーグに頷いてみせた。
「ありがとう。お陰で気が晴れたわ」
「お役にたてて何よりです」
ユーグはふざけた調子で応じる。その様子に思わず笑ってから、アリセルは空を仰いだ。中指に嵌めた指輪の温もりが、そっと背を押してくれているようだった。
塔に幽閉された前国王の嫡子、ルネ・サントレール。
彼の処遇を一言で言うならば「悲惨」だ。不潔極まりない場所に閉じこめられ、食事も十分に与えられていない。そればかりか、夥しい傷から察するに虐待も受けている。
昔、罪人には、人権などないと聞いた事がある。
確かにそうなのかも知れない。しかし、だからと言って、あの有様は明らかに常軌を逸していた。何度目か分からない溜息を吐くと、不意に肩を叩かれた。驚いて振り向くと、そこには見知った顔があった。
「なーんだ、ユーグか。びっくりした」
「なんだ、とはなんだよ」
ユーグは笑ってアリセルの隣に腰かける。引き締まった体躯に、鋭い眼差しをしたユーグは見かけこそ、とっつきにくい印象を与える。だが、アリセル達家族がこの村に引っ越してきたすぐ後に越して来た事もあって、今では一番の親友だ。
「家にいなかったから探したんだ」
「私を探した? あ、もしかしてお誕生日おめでとう、って言いに来てくれたの?」
一瞬、ムッとした表情になるユーグに、図星だったのだと知る。思わず破顔すると額を軽く小突かれた。
「折角祝ってやろうというのに、先に言われるなんて台無しだ。こういう時は察して黙っているものだぞ」
「ごめんね。でも困ったことに、つい口が滑っちゃうの」
「全然困っていないだろ」
ユーグとの気の置けない軽口が心地良い。幽閉された青年の、凄惨な光景を見た後には尚更だ。
「とにかく。少し遅れたけど、誕生日おめでとう。俺からの贈り物だ」
ユーグに右手をすっと掬いあげられる。流れるような動作で、右の中指に嵌められたのは、木製の指輪だった。アリセルは、自分の目の前に右手を広げる。ほんの少しだけサイズの大きい指輪は、光沢が出るまでに磨かれて、さざ波のような模様を刻む年輪が何とも美しかった。
「これ、ユーグが作ったの?」
「ああ、[ruby=エンジュ]槐[/ruby]の木を使って作ったんだ。すぐ割れるから苦労したよ」
「ユーグ、すごい。ありがとう!」
親友から貰った唯一無二の贈り物に、思わず抱き着こうとした所、手で制されてアリセルは固まる。気安く他人に、しかも男性に抱きついてはいけないと、ユーグ本人に言われてきたのを思い出したのだ。行き場のない手を取り繕おうと、口元に拳をあてて咳払いで誤魔化すと、ユーグは楽しそうに笑う。
「アリセルも少しは大人になったな」
「もう大人だもん」
「槐の木は、邪気除けになるって言われているんだ。まぁ、お前の馬鹿正直さには、こんなものなくても邪気も逃げ出すだろうけどな」
「何、ソレ。誉め言葉に聞こえないんだけど。でもとっても嬉しいから許してあげる」
左手で指輪に触れて、そっと胸に手をあてがう。指先から木の温もりが伝わってくるようだった。
のどかで明るい景色に、友からの贈り物に、強張っていた心が、柔らかくなるのを感じる。再度、胸の内でユーグに感謝を告げてからアリセルは顔をあげた。
「あのね、ユーグ。私ね、お父様の手伝いで看守をする事になったの」
「ああ、それ聞いたよ。村で噂になっていた。お前が「奴」の看守になったって」
「奴」と言った時、ユーグの表情は僅かに固くなった。そう言えば、とアリセルは思い出す。ユーグの家族は前国王によって処刑されたと聞いた。税である穀物を納める事ができなかったとか、確かそんなくだらない理由で、だ。
身内を殺された彼にとって、その血を引くルネは矢張り憎いだろう。親の罪は親のもので、子に非はないと言ったアリセルだが、その怨恨は理解できる。
「この前、ルネ様が幽閉されている塔へ行ったの。酷い有様だったわ。家畜のほうがよっぽどマシな扱いよ」
「そりゃ、国民を苦しめた王の子だ。とびっきりの罪人だから、何をされても文句は言えないだろ」
「ユーグもそう思う?」
問いかけるとユーグは肩を竦める。否定とも肯定とも取れない仕草だった。アリセルはその場に座り込み、膝を抱える。
およそ十年前に、民衆の前で首を落とされたサントレール王と妃のことは、うっすらと覚えている。当時幼かったアリセルは、父に肩車をされて、処刑の瞬間を見ていた。しかし国王夫婦が首を落とされた光景そのものよりも、民衆の熱狂の方が恐ろしくて、早く帰りたいと切実に願ったものだった。
腐敗された王政が一新され、新たにこの国を統治しているのは、民衆から選ばれた、エリック・ジルベールという名の男だ。とは言っても、国や政治についてアリセルに直接、影響がある訳でもなく、よく分からないというのが本音だった。
前の王政が、どれ程酷かったのか。今の国は昔よりも良くなっているのか。悪しき王の死によって、民は平和の園を手に入れたのだろうか。未だに貧困や略奪が横行していると耳にするが、それは本当なのだろうか。考えた所で分からない。
しかし、目の前にいるルネの存在は、アリセルにとって切に迫った現実だった。自分の力が及ぶ範囲で、変えることができる事は変えたいと思う。
「私は罪人の子だから、何をされても良いとは思わない」
「アリセルなら、そう考えると思った」
「私の事はお見通しって訳?」
「だってお前分かりやすいし」
「悪かったわね」
「不貞腐れるなって。ルネ・サントレールの面倒を見るんだろ。間違っていると思う所は正せば良いし、自分がやりたいようにやれば良いんじゃないか?」
「うん」
アリセルは伏せていた顔をあげた。ユーグの言葉はもっともだ。ルネに課せられた過去の惨状を嘆くよりも、これから出来ることをやろう。決意を秘めてユーグに頷いてみせた。
「ありがとう。お陰で気が晴れたわ」
「お役にたてて何よりです」
ユーグはふざけた調子で応じる。その様子に思わず笑ってから、アリセルは空を仰いだ。中指に嵌めた指輪の温もりが、そっと背を押してくれているようだった。
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