同級生を買う
ー/ー 異世界へやって来て、ちょうど100日が経過した朝のことだ。
奴隷市で好きだった女の友達(同級生)がお買い得商品として売り出されていた。
「有栖川……?」
「……か、影山?」
錆びた鉄格子の向こう側には、四ヶ月前まで同じ教室にいた有栖川アリスがいた。
しかし、教室で見ていた、あの凛とした制服姿の面影はない。
今の彼女が身に纏っているのは、およそ服と呼ぶには心許ない、泥に汚れた薄い布きれ一枚だった。
粗末な衣服の裾は短く切り揃えられ、膝上どころか太ももの付け根近くまでを無防備に晒している。剣道部で熱心に打ち込み、しなやかに鍛え上げられていた彼女の脚が、白々しく浮き彫りになっていた。
この世界の底辺に落ちた証――奴隷服だ。
「――っ」
俺の視線の熱を肌で感じたのか、有栖川は顔を強張らせ、慌てて布の端を下に引っ張った。
隠しきれない肌を必死に覆おうとする指先が震えている。耳たぶまで真っ赤に染めながら、屈辱に耐えるように太ももを合わせるその仕草は、皮肉にも彼女の女性としての肢体を強調し、見る者の嗜虐心を煽るような生々しさを放っていた。
抵抗を試みたところで、座り込んだ姿勢では、純白の下着が影も形もなく露わになっているというのに。
「へぇ……あの【剣聖】様も、随分と落ちぶれたもんだな。今はただの売り物かよ」
俺のような、戦闘能力皆無の【ポーション生成士】とはわけが違う。
召喚された際、彼女に与えられたギフトは最上位職の一つである【剣聖】だったはずだ。
あの傲慢な王国は、有栖川のような「使える」駒だけを手厚く囲い込み、俺のような「外れ」と見なした者には、雀の涙ほどの路銀を握らせて城外へ放り出した。
結果として、俺はこうして死線を潜り抜けながらも、誰に縛られることもない自由を手にしているわけだが。
「バカなこと言ってないで、助けてよ!」
虚勢を張ろうとする言葉が、喉の奥でひび割れている。
かつての彼女が持っていた、周囲を圧倒するような自信は微塵も感じられない。有栖川は血が滲むほどに唇を噛み締め、惨めさに耐えかねたように視線を地面へと落とした。
「なんで?」
「なんでって……そんなの、クラスメイトがこんなところで売られているんだから、当然じゃない!」
「ふーん。当然、ね。……でもお前、あの時は俺のことを助けてくれなかったよな?」
「……それは……っ」
あの時――俺が「無能」の烙印を押され、冷たい石畳の城門から追い出された日の光景が脳裏を過る。
言葉も通じず、魔物が徘徊する未知の世界へ一人で放り出されそうになった時、俺は必死に周囲のクラスメイトたちへ助けを求めた。
だが、返ってきたのは同情ですらなかった。ほとんどの連中は、厄介事に巻き込まれたくないと言わんばかりに目を逸らし、価値のない人間に手を差し伸べる無駄を切り捨てた。
「……あの時は、ごめん。あたしだって……精一杯だったの。自分のことだけで頭がいっぱいで、どうすればいいか……自分に何ができるかなんて、わからなくて……」
有栖川は深く頭を垂れ、青白い頬を羞恥で染めた。
プライドの高い彼女にとって、かつて見捨てた相手に頭を下げるという行為は、死ぬよりも屈辱的なことなのだろう。
……ふん。意外と素直に非を認めるんだな。
実際、当時の状況を冷静に考えれば、彼女の言い分も理解はできた。
いきなり異世界に放り込まれ、自分たちの生死すら不透明な極限状態で、他人の人生まで背負い込める人間なんてそうそういない。
あの絶望的な状況下で、唯一、周囲の冷たい視線を跳ね除けてまで俺たちを救おうと動いてくれた楪が、あまりにも聖女すぎただけなのだ。
「お前、顔色悪くないか? ちゃんと飯は食わせてもらってるのか?」
「ええ……食事は、一応……。……ゴホッ、ゴホゴホッ!」
返答を遮るように、激しい咳が彼女の体を揺らした。
格子を掴む細い指の隙間から、どす黒い塊のような鮮血が吐き出される。
さらに注視すれば、彼女の二の腕から首元にかけて、血管が浮き出たような禍々しい黒い痣が、地図のように広がっていた。
「……毒か? それも、かなり深刻なやつだろ」
「……もう、治らないって言われたわ。解毒の術も、薬も、何も効かないって」
「誰がそんな診断を下した」
「あの国の……連中よ。用済みになった途端、これよ……」
有栖川は呪詛を吐き捨てるように、ギリリと奥歯を鳴らした。
利用されるだけ利用され、呪毒に侵されて治らないと分かった途端、奴隷商へ売り払われたということか。
「……しゃーねぇな。少しそこで大人しくしてろ」
「……影山?」
俺は横目で、鉄格子の横に無造作に貼り付けられた、値札代わりの木札を確認した。
……金貨6枚、か。
この世界の貨幣価値を、俺の知る日本円の感覚に換算すると以下のようになる。
銅貨 =100円
小銀貨 =1,000円
銀貨 =10,000円
大銀貨 =50,000円
金貨 =100,000円
大金貨 =500,000円
白金貨 =1,000,000円
わずか金貨2枚を持たされて追放された身からすれば、金貨6枚――60万円という金額は、決して安くはない。
しかし、対象はあの有栖川アリスだ。ハーフ特有の彫りの深い美貌に加え、モデル顔負けのスタイル。学校でも常に羨望の的だった美少女であり、何より【剣聖】という最高位の職業特性を持っている。
普通に考えれば、その価値は数千万、あるいは億を超えてもおかしくない。
この破格の安さは、店の主人が彼女の正体を知らないからか、あるいは「もうすぐ死ぬ欠陥品」として、早々に在庫処分したいがための投げ売り価格ということだろう。
「お客さん、こちらの商品は金貨6枚になりますよ」
奴隷商の男は、脂ぎった顔に卑屈な笑みを浮かべて揉み手をし、檻の奥を指し示した。その視線の先、冷たい石床に膝をついているのは、かつてグランタリア王国で【聖】の称号を冠した女剣士、有栖川だった。
「高いな。見たところ、毒に侵されている。顔色も悪い。美人だが……長くはない。違うか?」
俺の言葉に、奴隷商の頬がぴくりと引き攣った。その背後で、有栖川が小さく肩を震わせる。不意に「美人」と称されたことに動揺したのか、死を待つばかりの青白い頬が、微かに朱を帯びていた。
「……っ、お客さん、この娘はあのグランタリア王国が異世界から特別な儀式で喚び出した『上物』ですよ。その背景だけでも、箔が付くってもんでしょうが」
「そんなものに価値はないな。死ねばただの肉塊、処理に困る生ゴミだ。それに、その毒が周囲に伝染しないという保証もどこにもない」
「そ、そんなことは――」
「ないと断言できるのか? 王国がわざわざ異世界から招いた貴重な戦力を、体よく手放した。その理由を考えれば、答えは明白だろう」
たたみかけると、男は言葉に詰まり、喉を鳴らした。やはり、こいつも薄々感づいているのだ。有栖川の五体を蝕んでいるのは、並の手段では浄化できない呪毒に近い何かだということに。
「私は、まだ戦えるわ!」
有栖川が縋るような声を上げたが、俺はそれを一瞥して切り捨てた。
「空気感染はせずとも、接触感染を否定する材料がない。店主、試しにこの女を抱いてみたか? 寝床を共にしたか?」
直截的な物言いに、有栖川は絶句して顔を伏せ、奴隷商は不快げに眉を寄せた。
「……商品にそんな真似はしない」
「なら、安全だとは言い切れないな。それとも何か、この店で買った奴隷を抱いて死んでも、『売った後のことは知ったことではない』と開き直るのか? 信用第一を謳う商人として、それは致命的なのではないか?」
沈黙が広がる。あと一押しだ。
「……それでも、この女は元剣聖だ。万全の状態なら金貨100枚……いや、500枚積んでも安いくらいだ!」
「それは『万全なら』の話だろう。先ほども激しく喀血していた。明日、冷たい骸に変わっていても不思議じゃない。……金貨1枚だ」
「ふざけるな! そんな二進も三進もいかない端金で売れるわけがないだろう!」
「そうか? 俺は仕事柄ポーションを扱っている。この手の毒に侵されて果てた者を、それこそ腐るほど見てきた。俺の経験則から言わせてもらえば、もって3日。それが彼女の命の期限だ」
もっともらしい理屈を並べたが、実際はただのハッタリだ。だが、死神の宣告のような俺の言葉は、在庫を抱える恐怖に駆られた商人の心臓を、的確に射抜いた。
「……っ」
奴隷商の額に、嫌な汗が浮かぶ。
「今なら、金貨1枚で確実に負債を切り離せる。どうする」
「……金貨3枚! これ以上は譲れん!」
俺は無言で首を横に振った。
「よく考えろ。リミットはあと3日だ。その間に、死に体同然の女を買い取る物好きが、俺以外に現れると思うか? もし現れなければ、金貨1枚どころか、これまで費やした飯代すら回収できず、完全な赤字になるぞ」
「ま、まだ死ぬと決まったわけじゃない……!」
男は往生際悪く唇を噛んだ。
俺は有栖川へ視線を投げ、目配せで『合わせろ』と短く伝えた。
「ああ……、く、……苦しい……」
有栖川が漏らした呻きは、お世辞にも上手いとは言えない大根役者のそれだった。しかし、極限の心理状態にある奴隷商には、それが死への秒読みが始まった合図に聞こえたらしい。
「わ、分かった。金貨1枚だ。持っていけ!」
「商談成立だ」
代金を支払い、譲渡の手続きを済ませる。主人と奴隷を繋ぐ契約魔法が発動し、彼女の肌に服従の証たる従属紋が刻まれた。これで彼女が俺の意思に背くことはできなくなる。
「ちょっ、ちょっと!?」
「大人しくしてろ」
「……っ」
俺は満足に立ち上がることもできない有栖川を横抱きにし、重い足取りで安宿へと向かった。
古びた客室に入り、彼女を寝台に下ろす。
「服、脱いでくれるか」
「か、影山……っ!?」
有栖川の顔が瞬時に沸騰したように赤く染まった。剥き出しの殺意を向けられても怯まなかった剣聖が、今は両手で胸元を必死に押さえ、ぎこちない動きで後ずさっている。
てっきり美人ハーフだから遊び慣れてると思ってたけど、このリアクションを見るに、意外とうぶなのかもしれない。
「勘違いするな。俺に無理やり女を犯す趣味はない」
「な、なら、どうして脱げなんて……そんなえっちなこと言うのよ!」
「えっちなって……あのなぁ、お前状況わかって――」
「裸は死んでも、彼氏にしか見せない!」
「はぁ……もう好きにしろ」
深い溜息が漏れた。クラスメイトという接点こそあれど、教室ではまともに言葉を交わしたことさえない間柄だ。金貨1枚という大金を叩いたのは事実だが、このあまりに噛み合わない問答に、俺の忍耐は早くも限界を迎えつつあった。
「つ、付き合ってよ!」
「は?」
唐突に投げかけられた言葉の意味を、脳が処理しきれなかった。
「あ、あんたがあたしの彼氏になってくれるって言うんなら……その、いいよ? 見ても」
呆気にとられる俺をよそに、有栖川は顔を背けながら、とんでもない提案を口にする。
「……で、どうするのよ?」
戸惑う俺を尻目に、彼女はなぜかモジモジと身を縒らせ、薄桃色に染まった頬をさらに紅潮させていく。無意識なのか、じりじりと距離を詰めてくる彼女の熱気に、俺は思わず後ずさった。
「つ、付き合うって……本気か?」
「何よ、あたしのこと嫌なわけ!? えっち目的であたしのこと買ったくせに、付き合うのは嫌ってどういうことよ。筋が通ってないじゃない!」
「いや、ちょっと待て! 大きな誤解がある!」
話の飛躍が過ぎる。このままでは、俺が私欲のために弱ったクラスメイトを買い叩いた、最低のクズ男として既成事実化されてしまう。
「待たない! 付き合うのか付き合わないのか、今ここでハッキリさせなさいよ!」
――ドンッ!
背中が冷たい壁に当たると同時に、彼女の細い腕が俺の顔の横に叩きつけられた。人生初となる「壁ドン」は、甘いシチュエーションなどではなく、逃げ場を完全に封じる檻のようだった。
「影山は、あたしとえっちなことしたいから、わざわざ金貨を払ってあたしのことを買ったんだよね? それって、あたしのこと『好き』ってことじゃないの?」
あまりに直球で、かつ致命的に歪んだ理論。
――正直に言えば、俺が密かに想いを寄せていたのは、お前の親友である楪だ。
だが、至近距離で見つめてくる彼女の潤んだ瞳と、逃げられない圧迫感を前に、そんな真実を吐露する勇気は湧かなかった。
「お、お前はどうなんだよ! 好きでもない男と付き合うなんて、お前は嫌じゃねぇのかよ」
「……影山のことは、その……まあ、ちょっと」
問い返すと、彼女はまた顔を赤らめ、上目遣いでこちらを伺うような仕草を見せた。
「その……いいなーって、思うことはあったよ」
「……は?」
想定外の告白に、思考が真っ白になる。
「影山、顔かわいいし。実は結構、女子の間で人気あったんだからね」
初耳どころか、寝耳に水だ。
しかし、この極限状態でそんな高度な嘘を吐く余裕が、今の彼女にあるとも思えない。女と付き合った経験など皆無の俺には、この状況を打開する術が見当たらなかった。
「……わかった、わかったから。とにかく治療だけはさせてくれ」
「ダメ! あたし【光劫清森幸福論】の信者なの!」
「な、なんだよ、それ……怪しすぎるだろ……」
「宗教。あたしの親、そこの教祖なんだから」
「……っ」
言葉を失った。美人で元剣聖、という輝かしい肩書きの裏に隠されていたのは、あまりに重すぎる「事故物件」の素顔だった。関わってはいけない。直感がそう警鐘を鳴らす。
「光劫清森幸福論の教えでは、婚姻相手にしか肌を見せちゃいけない決まりなの。絶対なの!」
「……いや、仮に付き合ったとしてだ。高校生でいきなり結婚とか、順序を飛ばしすぎだろう」
「はあ? 付き合ったら結婚するに決まってるじゃない。何言ってるの、あんた馬鹿なの?」
どちらが常識を逸脱しているのか、もはや議論するだけ無駄だった。
「――あたしと付き合って責任を取るか、あたしを見殺しにして金貨1枚をドブに捨てるか、選びなさいよ!」
「……っ、……わかりました。お、お願いします……」
異世界に転移して100日目。
俺は奴隷として売られていた同級生を買い取り――。
そして、逃げ場のない「運命」という名の、人生初の彼女ができた。
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