17.鏡
ー/ー祭事の一日目は夜から始まる。とはいえ、当日のミルドレッドの朝は早い。ひととおり予行練習を済ませたあと、昼からは数時間かけて衣装に着替えないといけない。
ユージーンはというと、父であるホッジズ騎士団長についていることになるので、ミルドレッドのそばにはいない。
―― この先もし、ベンジャミンの方が王になったとして、そうなればユージーンはベンジャミンの側近になる可能性が高いわけだから、ユージーンがそばにいない環境にもいい加減慣れないといけない。いかに遠い未来の話でも、その日は多分来るのだ。
予行練習が終わって部屋に戻る途中、廊下の反対側から歩いてくる男の姿を目にして、ミルドレッドは声をかけた。
「フラン」
「これは姫様、ごきげんうるわしゅうございます」
初めて会った時とは打って変わった丁寧なあいさつにミルドレッドは苦笑した。
「もっと気軽に話してくれていいのに」
ミルドレッドが言うと、フランシスは「そういうわけにもまいりません」と困ったように笑った。そしてやや声の調子を落として
「もっとも、気軽に話せる間柄として受け入れてくださるのなら話は別ですが」
と言った。首を傾げるミルドレッドへ「申し訳ありません、私も準備がございますので、これで」と言いながら姫の手を取ると、甲へと軽く口づけをするふりをしてから去って行った。
ああいうことをされたのは初めてだ。
ユージーンを含め、城にいる者たちはこんなこと絶対にしないし、舞踏会やら園遊会やらで会う貴族たちもミルドレッドのことをまだ子ども扱いしているから、なんだか新鮮だった。
「姫様、フランシス様と仲がよろしいんですか?」
部屋に戻って衣装に着替えるための準備をしていると、ひとりの若い侍女が侍従頭の目を盗んで聞いてきた。その後ろではまた数人の侍女がわくわくとした表情で何事か耳打ちしあっていて、さっきのフランシスの行動は確実に火種となったことを知る。
「このまえ聖都に行った時に、たまたま会ったの。それだけ」
ありもしない噂を広められてはフランシスも、そしてミルドレッド自身も迷惑である。そっけなく答えると彼女は「えー、そうなんですかぁ」といかにもつまらなそうな声を出した。
「でも、フランシス様もお体さえ丈夫だったら、今姫様のそばにいるのもユージーンじゃなかったかもしれないんですよね」
「え?」
髪を梳きながら別の侍女が言った言葉に、ミルドレッドは思わず振り返る。
「あの人、どこか悪いの?」
ミルドレッドが何も知らない様子なのを察して、侍女ははっと口をつぐんだ。
「申し訳ありません、私、余計なこと――」
「いいから、教えて」
侍従頭が帰ってくるととがめられてしまうと思って急いで聞き出すと、その剣幕に押されたのか彼女はおずおずと話し出す。
「姫様がまだ、あちらの屋敷にお住まいだった頃の話です。ホッジズ団長には二人子どもがいたんですけど、片方は体がかなり弱くて、とても騎士にはなれまいということだったので、アンバー家の養子に。…… それくらいしか私は存じ上げません」
なにかがふっと腑に落ちた。
あのふたりの間に流れる空気も、フランシスに会った時のユージーンのあの表情も。
ユージーンのあの、怯えたようですらあった表情のわけを、自分はまだなにも知らない。
ミルドレッドは、さっきフランシスに口づけられた手の甲を見た。
(本当はわかってる)
ユージーンがなにも話してくれなかったのは、自分が幼いせいだ。いつもわがままばかりで、困らせるか怒らせるかしかなくて。主人というよりは、手のかかる年下の幼馴染くらいにしか思われてないんだろう。
もっと、ベンジャミンみたいに賢くて、父のように威厳があって、フェリシアのような落ち着きがあれば、ユージーンをひとりで悩ませることもきっとなかったのかもしれない。
そうしたら、ユージーンともっと対等な関係でいられたのかもしれない。
侍女たちの手によって完成していく神の遣いの姿を、ミルドレッドは鏡越しにじっと見つめた。化粧もひらひらした衣装も、舞踏会や園遊会のたびに着せられるが自分には似合っているとは到底思えなくて、完成するたび振り返って「どう? 変じゃない?」とユージーンに問いかけるのが常だった。
ミルドレッドは立ち上がった。
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