第10話 じいちゃんから電話
ー/ー異変に気づいたのは夕方だった。
大学から帰ってきた蒼がアパートのドアを開けると、ナビがリビングの真ん中に居た。ナビが正座をしているのを蒼は見たことがなかった。いつもは床に寝転がっているか、ソファに横向きで丸くなっているかのどちらかだった。
「ナビ?」
目を閉じたまま。蒼の問いにも答えなかった。
声が聞こえていないのか、無視しているのか分からなかった。でも呼吸はしていた。規則正しく、深く、息をしていた。
ミカが台所から顔を出した。
「二時間前からあの状態です」
「何してるんだ?」
「分かりません。でも邪魔しない方がいいと思います」
蒼はナビの前にしゃがんだ。
目を閉じたナビの顔は、神がかりの時と似ていたが違った。神がかりの時は体に力が入っている。今は完全に脱力していた。
それでいて、何処か……何かと繋がっている顔だった。
「ナビは……どこに行ってるんだ」
ミカが「別の世界ではないかと思います」と言った。
「別の世界?」
「ユタは複数の世界に意識を飛ばせると聞いたことがあります。詳しくは私の管轄外ですが」
蒼はナビの隣に座って待つことにした。
キジムナーたちが蒼の周りに集まってきた。三体とも静かだった。キュルキュル鳴かなかった。ナビの状態が普通じゃないことを分かっているらしかった。
* * *
三十分後、ゆっくりと、深いところから浮かんでくるように。ナビが目を開けた。
「……ただいま」
「おかえり。どこ行ってたんだ」
「別のナビのところ」
「別のナビ?」
ナビが背筋を伸ばした。凝り固まった体をほぐすように、肩を回した。
「ユタには繋がりがある」ナビが言った。「別の世界の同じ魂と話せる。私の場合は別の世界にもナビがいるから、そのナビと話す」
「別の世界……」蒼が繰り返した。「平行世界みたいなことか」
「そういう言い方をするんだね、今の時代は」ナビが少し考えた。「近いかもしれない。違う流れを辿った世界。そこにも私がいる」
「そのナビもユタなのか」
「うん。封印されていた」ナビが言った。「だから色々知ってる。私が石の中にいた間のことも」
蒼はナビを見た。
「石が割れたこと、も?」
ナビがこちらを向いた。
「うん。それを聞きに行ってた」
* * *
ナビが徐に話し始めた。
「蒼のおじぃの神社の石が割れたのは、ニュースで知ってたよね」
「テレビで見た。温度差による劣化って——」
「違う」ナビがきっぱり言った。「別のナビから聞いた。あれは自然に割れたんじゃない」
蒼は少し黙った。
「誰かが割ったのか」
「割ったというより——引き裂いた」ナビが膝の上で手を組んだ。「外から力をかけたんじゃなくて、内側から。結界そのものを腐らせて、内側から崩した」
「内側から」
「時間をかけて、少しずつ。気づかれないように」
「じいちゃんは気づかなかったのか」
「気づきにくいやり方だったから」ナビが言った。
「南の結界——私の石が割れたのも、同じやり方だった可能性がある」
蒼はふと、考えた。
「同時に……ということは」
「誰かが両方を狙った」
部屋が静かになった。
キジムナーたちが一斉に毛並みを逆立てた。三体同時に。それからぴょんぴょんと蒼の周りを跳ねて、落ち着かない様子で鳴いた。
キュルキュルキュルキュル。
「お前らも分かるのか」
キュルキュル。キュロロ……
ミカが台所から出てきた。
「神界への報告を一時保留にしていいですか」
「なんで」
「この話は、慎重に扱う必要があると思います」
珍しかった。ミカが神界への報告を止めようとするのは初めてだった。
「……分かった。保留にしてくれ」
ミカが小さくうなずいた。
「別のナビは、誰が仕掛けたか知ってるのか」蒼がナビに聞いた。
「知らない。でも——」ナビが少し間を置いた。「陰と陽の結界が同時に崩れたことで、列島の気が乱れ始めてるのは確かだって言ってた。それは別の世界でも起きてることだから」
「別の世界でも」
「別の世界では結界が崩れた後に、色々なことが起きた。マジムンが増えた。御嶽の気が乱れた。人間の感情が不安定になった」
「こっちでも起きることか」
「たぶん。もう少しずつ始まってると思う」
蒼はさっきの石敢當のマジムンを思い出した。あれも関係しているのかもしれなかった。
「別のナビは、どうやって解決したんだ」
ナビが少し笑った。
「別の蒼と一緒に、なんとかしたって」
「別の俺が!?」
「うん。別の世界にも蒼がいる。そっちの蒼も、私の石が割れた時にその場にいたんだって」
蒼はしばらく黙った。
「偶然じゃないんだな、やっぱり」
「どの世界でも、蒼は御嶽にいた」ナビが言った。
「どの世界でも、石が割れた時にそこにいた」
「……それは」
蒼が何か言いかけた時、ポケットから着信音が鳴った。 画面を見た。「じいちゃん」と表示されていた。 嬉しかった。反射的にそう思った。でもすぐに別のことを考えた。 じいちゃんが電話をかけてくる時は、いつも理由がある。近況を聞く時でも、用件が先に来る。それがじいちゃんだった。今日、このタイミングで電話が来た。ナビから「どの世界でも蒼は御嶽にいた」という話を聞いた直後に。 偶然じゃないかもしれない、と思った。 少し間を置いてから、取った。
「もしもし」
「蒼か」
大学から帰ってきた蒼がアパートのドアを開けると、ナビがリビングの真ん中に居た。ナビが正座をしているのを蒼は見たことがなかった。いつもは床に寝転がっているか、ソファに横向きで丸くなっているかのどちらかだった。
「ナビ?」
目を閉じたまま。蒼の問いにも答えなかった。
声が聞こえていないのか、無視しているのか分からなかった。でも呼吸はしていた。規則正しく、深く、息をしていた。
ミカが台所から顔を出した。
「二時間前からあの状態です」
「何してるんだ?」
「分かりません。でも邪魔しない方がいいと思います」
蒼はナビの前にしゃがんだ。
目を閉じたナビの顔は、神がかりの時と似ていたが違った。神がかりの時は体に力が入っている。今は完全に脱力していた。
それでいて、何処か……何かと繋がっている顔だった。
「ナビは……どこに行ってるんだ」
ミカが「別の世界ではないかと思います」と言った。
「別の世界?」
「ユタは複数の世界に意識を飛ばせると聞いたことがあります。詳しくは私の管轄外ですが」
蒼はナビの隣に座って待つことにした。
キジムナーたちが蒼の周りに集まってきた。三体とも静かだった。キュルキュル鳴かなかった。ナビの状態が普通じゃないことを分かっているらしかった。
* * *
三十分後、ゆっくりと、深いところから浮かんでくるように。ナビが目を開けた。
「……ただいま」
「おかえり。どこ行ってたんだ」
「別のナビのところ」
「別のナビ?」
ナビが背筋を伸ばした。凝り固まった体をほぐすように、肩を回した。
「ユタには繋がりがある」ナビが言った。「別の世界の同じ魂と話せる。私の場合は別の世界にもナビがいるから、そのナビと話す」
「別の世界……」蒼が繰り返した。「平行世界みたいなことか」
「そういう言い方をするんだね、今の時代は」ナビが少し考えた。「近いかもしれない。違う流れを辿った世界。そこにも私がいる」
「そのナビもユタなのか」
「うん。封印されていた」ナビが言った。「だから色々知ってる。私が石の中にいた間のことも」
蒼はナビを見た。
「石が割れたこと、も?」
ナビがこちらを向いた。
「うん。それを聞きに行ってた」
* * *
ナビが徐に話し始めた。
「蒼のおじぃの神社の石が割れたのは、ニュースで知ってたよね」
「テレビで見た。温度差による劣化って——」
「違う」ナビがきっぱり言った。「別のナビから聞いた。あれは自然に割れたんじゃない」
蒼は少し黙った。
「誰かが割ったのか」
「割ったというより——引き裂いた」ナビが膝の上で手を組んだ。「外から力をかけたんじゃなくて、内側から。結界そのものを腐らせて、内側から崩した」
「内側から」
「時間をかけて、少しずつ。気づかれないように」
「じいちゃんは気づかなかったのか」
「気づきにくいやり方だったから」ナビが言った。
「南の結界——私の石が割れたのも、同じやり方だった可能性がある」
蒼はふと、考えた。
「同時に……ということは」
「誰かが両方を狙った」
部屋が静かになった。
キジムナーたちが一斉に毛並みを逆立てた。三体同時に。それからぴょんぴょんと蒼の周りを跳ねて、落ち着かない様子で鳴いた。
キュルキュルキュルキュル。
「お前らも分かるのか」
キュルキュル。キュロロ……
ミカが台所から出てきた。
「神界への報告を一時保留にしていいですか」
「なんで」
「この話は、慎重に扱う必要があると思います」
珍しかった。ミカが神界への報告を止めようとするのは初めてだった。
「……分かった。保留にしてくれ」
ミカが小さくうなずいた。
「別のナビは、誰が仕掛けたか知ってるのか」蒼がナビに聞いた。
「知らない。でも——」ナビが少し間を置いた。「陰と陽の結界が同時に崩れたことで、列島の気が乱れ始めてるのは確かだって言ってた。それは別の世界でも起きてることだから」
「別の世界でも」
「別の世界では結界が崩れた後に、色々なことが起きた。マジムンが増えた。御嶽の気が乱れた。人間の感情が不安定になった」
「こっちでも起きることか」
「たぶん。もう少しずつ始まってると思う」
蒼はさっきの石敢當のマジムンを思い出した。あれも関係しているのかもしれなかった。
「別のナビは、どうやって解決したんだ」
ナビが少し笑った。
「別の蒼と一緒に、なんとかしたって」
「別の俺が!?」
「うん。別の世界にも蒼がいる。そっちの蒼も、私の石が割れた時にその場にいたんだって」
蒼はしばらく黙った。
「偶然じゃないんだな、やっぱり」
「どの世界でも、蒼は御嶽にいた」ナビが言った。
「どの世界でも、石が割れた時にそこにいた」
「……それは」
蒼が何か言いかけた時、ポケットから着信音が鳴った。 画面を見た。「じいちゃん」と表示されていた。 嬉しかった。反射的にそう思った。でもすぐに別のことを考えた。 じいちゃんが電話をかけてくる時は、いつも理由がある。近況を聞く時でも、用件が先に来る。それがじいちゃんだった。今日、このタイミングで電話が来た。ナビから「どの世界でも蒼は御嶽にいた」という話を聞いた直後に。 偶然じゃないかもしれない、と思った。 少し間を置いてから、取った。
「もしもし」
「蒼か」
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