第9話 石敢當 2

ー/ー



「あっ、指!」
「え?」
「血、出てる。ちゃんと手当てしないと」
「大丈夫さぁこれくらい——」

「座れ」

ナビは珍しく素直に、その場にしゃがんだ。蒼がリュックを漁った。絆創膏が出てきた。ナビの指先に巻いた。ナビは黙ってされるがままにしていた。

キジムナーたちが蒼の周りに集まってきた。戦闘中は逃げていたのに、終わった途端に戻ってきた。キュルキュル鳴いていた。

「逃げてたくせに」

キュキュキュ。

「怒るな。心配してたんだ」

キュルキュル。

ナビが「ごめんって言ってる」と訳した。
「謝らなくていい」と蒼が言ったら、また肩の上でキュルキュル鳴いた。


ヒラウコーの双剣を解いていたミカが折れた石敢當を見下ろす。

「これは誰かが直さないといけませんね」
「工事の人が直すだろ」蒼が答える。
「石敢當の効力は、正しく設置された時に発生します。工事の方は石碑としか認識していないので、向きや位置が変わる可能性があります」

「……それは困るな」
「大変困ります」

ナビが地面に座ったまま、燃え尽きたヒラウコーを見た。全て灰になっていた。

「蒼」
「なに」
「予備、あった?」

蒼はリュックから新しいヒラウコーを出した。ナビの手に乗せるとナビが少し目を細めた。

「ありがとう」
「常備してる」
「なんで?蒼はあまり使わんでしょ?」
「なんとなく」

本当はナビが倒れた時のために、ナビが使い切った時のために、意識して入れるようになっていた。でもそれを言う気にはなれなかった。
ナビはヒラウコーを手の中で転がした。それから蒼を見た。
何か言いかけて、やめた。

「ありがとう」

もう一度言った。さっきより少し、声が柔らかかった。

「でも、ミカも戦えるなんてビックリした」
「ナビさんが近くに居たので霊力が自然と上がったのかもしれません」

蒼さんが無事で良かったです。と、ミカも嬉しそうだった。
帰り道。ナビが蒼の隣を歩いた。いつもより少し近い距離で。蒼は気づいていたが何も言わなかった。言わなかったのは、言ったら離れると思ったからだ。その理由が何なのか、夜になってもまだ分からなかった。
言わなかった理由を、蒼は自分に問いかけた。答えが二つあった。

一つは——指摘したら、ナビが離れると思ったし、もう一つは——指摘する必要を感じなかったから。
どちらが本当かは分からなかった。たぶん両方だった。

三ヶ月前の自分なら、知らない人間がこの距離で歩いていたら少し体を離していただろう。でも今はそうしなかった。それが習慣なのか、それとも別の何かなのか、蒼にはまだ整理できなかった。
整理しなくていいか、とも思った。
ナビが隣にいた。それで今夜は十分だった。
ミカも後ろを歩いていた。二人の姿に何か問いかけようとしたが言わないことにした。
二人の姿が微笑ましくてミカは思わず微笑んでいた。

「ナビさんの体温が下がっています」二人の後ろからミカが言った。「帰ったらすぐ温かいものを」
「お茶、入れてくれるか」
「入れます」ミカが言った。「蒼さんも膝が擦り傷です。帰ったら消毒してください。神界に報告します」
「膝の擦り傷を神界に報告しないでくれ」
「家人の健康状態は全て報告します」

キジムナーたちが蒼の肩と頭で跳ねながら鳴いていた。キュルキュルキュルキュル。夜道なのに賑やかだった。

ナビが少し先を向いたまま、ぽつりと言った。

「蒼って、ちゃんと戦うんだね」
「何もしてないけどな。見てただけだ」
「見てただけじゃない」ナビが言った。「伏せてって言う前に伏せてた」
「体が勝手に」
「それでいい」ナビが言った。「体が分かってればいいさ」

蒼は少し黙った。

「最初の戦闘の時から、体は動いてたな」
「うん」
「あの時も気配は分かった。なんで俺に分かるんだろうな?」 ナビが少し間を置いた。 「いつか分かるよ」
「それだけか」
「今は、それだけ」

答えになっていなかった。でも蒼はそれ以上聞かなかった。
代わりに、少し考えた。 右後ろが冷たかった。石敢當の戦いでも、最初の御嶽でも、温度が変わった。 フィールドワークでも同じことをしていた。珊瑚の白化を見る時、水温の変化を皮膚で感じる時、空気の密度が変わった時。ノートに記録をつけながら、いつも変化を最初に感じていた。

「……変化を見てきたからかもしれない」
「何が?」
「俺が気配を感じる理由」蒼が言った。「生態調査で、ずっと変化を記録してきたから。その感覚が、霊的なものにも反応してるのかもしれない」

ナビが少し蒼を見た。

「そうかもしれない」ナビが言った。でも何かを知っているような、知っていないような、どちらとも言えない顔だった。「そうかもしれないねー」

繰り返したのが気になったが蒼はそれ以上追わなかった。 自分で出した仮説が正しいかどうか、まだ分からなかった。答えになっていなかったが蒼はそれ以上聞かなかった。

夜風が海の方から来ていた。潮の匂いがした。

* * *

ミカが台所に向かいながら「お茶を入れます」と言った。
「ミカが入れるのか」
「練習しました」
「いつの間に?」
「キジムナーに教わりました」

キジムナーたちが得意そうにキュルキュル鳴いた。
ミカがさんぴん茶を出しながら、ナビの髪を一度だけ見た。

「ナビさん……髪が乱れています」
「戦ってたからしょうがないさー」
「分かっています」

 ミカがナビの後ろに立って「直します」 と髪を直し始めたがナビは特に抵抗しなかった。されるがままにミカが髪形を直してくれた。耳上の髪を後ろでまとめるハーフアップで最後はお団子にまとめてくれた簡単なものだったがナビに似合っていた。
髪を鏡で見せてくれたナビは「でーじかわいいさー!かーなぁありがとう!」と嬉しそうだった。
笑顔のナビを蒼は横目で見ていた。 何を見ているのか、自分でも分からなかった。それ以上は考えなかった。
さんぴん茶を三人で飲んだ。ミカが入れた茶は、普通においしかった。

「上手いじゃん」
「ありがとうございます」ミカが言った。「神界に報告します」
「お茶の感想まで報告するのか」
「家人が喜んでいることは全て報告します」
「喜んでるかどうかは——」
「喜んでるよ」ナビが横から頷いたので蒼は黙った。

キジムナーが肩の上でキュルキュル鳴いた。

「……喜んでるそうだ。報告してくれ」

ミカが小さく手を合わせた。

* * *

翌日、蒼は安里さんに石敢當のことを話した。

安里さんは「あー、やっぱりねー」と言って、知り合いの石職人に電話してくれた。
三日後、正しい向きで、正しい位置に、新しい石敢當が立った。
ミカが「適切です」と頷きナビはその前でしばらく手を合わせていた。
蒼は隣で一緒に手を合わせた。何に祈ればいいか分からなかったが、手を合わせることは覚えた。
キジムナーたちが石敢當の周りでぴょんぴょん跳ねながら嬉しそうにキュルキュル鳴いた。

蒼はそれを見て、悪くない。と思った。



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「あっ、指!」
「え?」
「血、出てる。ちゃんと手当てしないと」
「大丈夫さぁこれくらい——」
「座れ」
ナビは珍しく素直に、その場にしゃがんだ。蒼がリュックを漁った。絆創膏が出てきた。ナビの指先に巻いた。ナビは黙ってされるがままにしていた。
キジムナーたちが蒼の周りに集まってきた。戦闘中は逃げていたのに、終わった途端に戻ってきた。キュルキュル鳴いていた。
「逃げてたくせに」
キュキュキュ。
「怒るな。心配してたんだ」
キュルキュル。
ナビが「ごめんって言ってる」と訳した。
「謝らなくていい」と蒼が言ったら、また肩の上でキュルキュル鳴いた。
ヒラウコーの双剣を解いていたミカが折れた石敢當を見下ろす。
「これは誰かが直さないといけませんね」
「工事の人が直すだろ」蒼が答える。
「石敢當の効力は、正しく設置された時に発生します。工事の方は石碑としか認識していないので、向きや位置が変わる可能性があります」
「……それは困るな」
「大変困ります」
ナビが地面に座ったまま、燃え尽きたヒラウコーを見た。全て灰になっていた。
「蒼」
「なに」
「予備、あった?」
蒼はリュックから新しいヒラウコーを出した。ナビの手に乗せるとナビが少し目を細めた。
「ありがとう」
「常備してる」
「なんで?蒼はあまり使わんでしょ?」
「なんとなく」
本当はナビが倒れた時のために、ナビが使い切った時のために、意識して入れるようになっていた。でもそれを言う気にはなれなかった。
ナビはヒラウコーを手の中で転がした。それから蒼を見た。
何か言いかけて、やめた。
「ありがとう」
もう一度言った。さっきより少し、声が柔らかかった。
「でも、ミカも戦えるなんてビックリした」
「ナビさんが近くに居たので霊力が自然と上がったのかもしれません」
蒼さんが無事で良かったです。と、ミカも嬉しそうだった。
帰り道。ナビが蒼の隣を歩いた。いつもより少し近い距離で。蒼は気づいていたが何も言わなかった。言わなかったのは、言ったら離れると思ったからだ。その理由が何なのか、夜になってもまだ分からなかった。
言わなかった理由を、蒼は自分に問いかけた。答えが二つあった。
一つは——指摘したら、ナビが離れると思ったし、もう一つは——指摘する必要を感じなかったから。
どちらが本当かは分からなかった。たぶん両方だった。
三ヶ月前の自分なら、知らない人間がこの距離で歩いていたら少し体を離していただろう。でも今はそうしなかった。それが習慣なのか、それとも別の何かなのか、蒼にはまだ整理できなかった。
整理しなくていいか、とも思った。
ナビが隣にいた。それで今夜は十分だった。
ミカも後ろを歩いていた。二人の姿に何か問いかけようとしたが言わないことにした。
二人の姿が微笑ましくてミカは思わず微笑んでいた。
「ナビさんの体温が下がっています」二人の後ろからミカが言った。「帰ったらすぐ温かいものを」
「お茶、入れてくれるか」
「入れます」ミカが言った。「蒼さんも膝が擦り傷です。帰ったら消毒してください。神界に報告します」
「膝の擦り傷を神界に報告しないでくれ」
「家人の健康状態は全て報告します」
キジムナーたちが蒼の肩と頭で跳ねながら鳴いていた。キュルキュルキュルキュル。夜道なのに賑やかだった。
ナビが少し先を向いたまま、ぽつりと言った。
「蒼って、ちゃんと戦うんだね」
「何もしてないけどな。見てただけだ」
「見てただけじゃない」ナビが言った。「伏せてって言う前に伏せてた」
「体が勝手に」
「それでいい」ナビが言った。「体が分かってればいいさ」
蒼は少し黙った。
「最初の戦闘の時から、体は動いてたな」
「うん」
「あの時も気配は分かった。なんで俺に分かるんだろうな?」 ナビが少し間を置いた。 「いつか分かるよ」
「それだけか」
「今は、それだけ」
答えになっていなかった。でも蒼はそれ以上聞かなかった。
代わりに、少し考えた。 右後ろが冷たかった。石敢當の戦いでも、最初の御嶽でも、温度が変わった。 フィールドワークでも同じことをしていた。珊瑚の白化を見る時、水温の変化を皮膚で感じる時、空気の密度が変わった時。ノートに記録をつけながら、いつも変化を最初に感じていた。
「……変化を見てきたからかもしれない」
「何が?」
「俺が気配を感じる理由」蒼が言った。「生態調査で、ずっと変化を記録してきたから。その感覚が、霊的なものにも反応してるのかもしれない」
ナビが少し蒼を見た。
「そうかもしれない」ナビが言った。でも何かを知っているような、知っていないような、どちらとも言えない顔だった。「そうかもしれないねー」
繰り返したのが気になったが蒼はそれ以上追わなかった。 自分で出した仮説が正しいかどうか、まだ分からなかった。答えになっていなかったが蒼はそれ以上聞かなかった。
夜風が海の方から来ていた。潮の匂いがした。
* * *
ミカが台所に向かいながら「お茶を入れます」と言った。
「ミカが入れるのか」
「練習しました」
「いつの間に?」
「キジムナーに教わりました」
キジムナーたちが得意そうにキュルキュル鳴いた。
ミカがさんぴん茶を出しながら、ナビの髪を一度だけ見た。
「ナビさん……髪が乱れています」
「戦ってたからしょうがないさー」
「分かっています」
 ミカがナビの後ろに立って「直します」 と髪を直し始めたがナビは特に抵抗しなかった。されるがままにミカが髪形を直してくれた。耳上の髪を後ろでまとめるハーフアップで最後はお団子にまとめてくれた簡単なものだったがナビに似合っていた。
髪を鏡で見せてくれたナビは「でーじかわいいさー!かーなぁありがとう!」と嬉しそうだった。
笑顔のナビを蒼は横目で見ていた。 何を見ているのか、自分でも分からなかった。それ以上は考えなかった。
さんぴん茶を三人で飲んだ。ミカが入れた茶は、普通においしかった。
「上手いじゃん」
「ありがとうございます」ミカが言った。「神界に報告します」
「お茶の感想まで報告するのか」
「家人が喜んでいることは全て報告します」
「喜んでるかどうかは——」
「喜んでるよ」ナビが横から頷いたので蒼は黙った。
キジムナーが肩の上でキュルキュル鳴いた。
「……喜んでるそうだ。報告してくれ」
ミカが小さく手を合わせた。
* * *
翌日、蒼は安里さんに石敢當のことを話した。
安里さんは「あー、やっぱりねー」と言って、知り合いの石職人に電話してくれた。
三日後、正しい向きで、正しい位置に、新しい石敢當が立った。
ミカが「適切です」と頷きナビはその前でしばらく手を合わせていた。
蒼は隣で一緒に手を合わせた。何に祈ればいいか分からなかったが、手を合わせることは覚えた。
キジムナーたちが石敢當の周りでぴょんぴょん跳ねながら嬉しそうにキュルキュル鳴いた。
蒼はそれを見て、悪くない。と思った。