表示設定
表示設定
目次 目次




第66話 面の皮

ー/ー



 鬼があの羅城門の鬼だと仮定して、集団で当たらなければ恐らく戦うことすらままならない──玉砂利を踏みしめながら、御言はシミュレーションを描いていた。

 ──いや、無理だ。つい母屋の前で立ち止まってしまった御言に、通りすがる口を利いたこともない連中が口元に手を当て、何事かを呟いていく。内容までは聞こえないが、決して気持ちのいい言葉ではないだろう。負の噂ほど、広まるのが早いものだな、と御言は息を吐く。

 おそらく鬼は私達の意図を嗅ぎ取り行動に移すだろう。結界を練る術者のうち、誰か一人でも戦闘不能に陥れば術は完成しない。同じく、結界の内側に標的がいなければ無意味となる。鬼に気づかれたとしても確実に陣を発動させるためには、囮が必要だ。

 だが、羅城門の鬼と互角に渡り合えるような存在がいるだろうか。そう思いながら、自室の障子を開けると、そこには見知らぬ人がいた。

 そうではない。それは京極紋奈(あやな)だった。御言を身籠り、その名をつけ、この世に誕生させた──つまり実の母がそこにいた。

「……母さん?」

 御言は自信なさげに自身の母を呼んだ。一瞬別人に見えたのは、久方ぶりにその顔を見たからか。

「久しぶりやな。御言さん」

「……お久しぶりです。しかし急に、それもこんな夜更けに何用ですか?」

 障子を背にしたまま御言は問いた。右手をいつでも突き出せるように指先に力を込めながら。

「ちょうど本家に用があったさかい、ついでに御言さんの顔見たろう思てな。なんでそないにかしこまってるん?」

 京極家にはいくつもの掟がある。その一つは産まれた子どもを育てるのは、実の親とは別の京極家の者。それに倣って御言も赤子のときから梓に育てられてきた。

 それがおかしいと感じたことは一度もなかった。確かに当たり前のように血の繋がった親子が家族を形成しているが、生まれ落ちたときからその境遇にいれば、それが当たり前になる。梓がいてくれたことで実の母が近くにいないことに寂しさも悲しさも怒りも覚えたことはないが、ただ、たまに会う実の母は、滅多に会えないからこそ自分の母なんだと、特別に感じていたこともまた確かなことだった。

 だからこそ──その微妙な差異は違和感となって御言の眼には映る。

「かんにん。久しぶりやったさかい」

 自分に似た細面の顔は口を緩ませて笑った。御言は右手を僅かに上げる。

「そうか。やけど、びっくりした。しばらく見ーひんうちにこないな別嬪さんになっとって」

 疑念が確信へと変わり、御言は右手を体の前に突き出した。

「何の真似や……?」

「何者か知らないが、調べが浅い。京極紋奈は私と同じで滅多に表情を変えないし、私と気さくに話すこともない」

 そう言い放つと手に力を込めて御言は結界陣を発動させた。陣はそれを縛り上げ動きを封じる。

 その刹那。紋奈の身体が極端に縮んだ。正視していはずの瞳はぐるりと一回転し、急に生気が無くなったかのように上へ向く。口は歪み、端から泡が吹き出ている。畳の上に皮が重なるように落ちていく。

「浅いのは果たしてどちらかな」

 しまった。振り向き様に敵の得物を目の端に止め、部屋の奥へ跳ぶ。自身が今しがたいた場所に鈍い光を発する刃やいばが稲光のように走り、畳を斬った。見事に真っ二つに分かれた畳が宙を舞う。

(何者かわからないが、もう一度陣を)

「!」

 標的に向かって手を伸ばすも、そこには暗闇が広がるばかり。

「遅い!」

 身を屈めて走り寄るそれは妖しく口の端を歪ませて嗤った。凶刃が目の前に写し出される。おそらく、仕込み杖と呼ばれる種類の短刀。

「御言様!!」

 暗闇から現れた梓が、それに向かって飛び掛かる。間一髪のところで刃から逃れた御言は、躊躇うことなく梓ごと陣を張った。

「…………ちっ!」

 梓はすぐに起き上がり、陣から逃れたが、それはそのまま動けないでいた。

「お前、何者だ」

 隙を衝かれぬよう距離を取りながら御言は襲撃者を問い質ただす。

「私か? 私はぬらりひょん。お前たち人間から妖怪を解放するためにここへ来た」

 それは、にたりと嘲るように笑うと、黄色の瞳を猫のように細めた。

「妖怪を解放? 私ごときに捕まっていては解放などできまい」

「そうだな。まさか、京極御言がこんなに強力だったとは思わなかった」

 まだ余力があると見て、御言は梓に目配せし応援を要請した。その意味をすぐに理解した梓はそれを一瞥することもなく、早足で部屋を出て行った。その足音がどんどん遠くなる。

「行かせてよかったのか?」

「ああ、お前ごとき、私一人いれば十分だ」

 襲撃者はまた嫌らしい笑みを作ると目をカッと開き、御言を直視した。妙な圧迫感が御言を襲う。

「たじろがないか、さすがだ。私はぬらりひょん。私に恐怖を抱いたものは、どんなに攻撃をしたところで私を殺す行動を取ることができないのだが……どうやらお前はそうではないらしい。お前の母、京極紋奈と違ってな!」

 罠だ、とわかっていた。母の名を出すことで感情を揺さぶり、弱まった陣を抜けようとする。だが、頭ではわかっていても心がそれに追随するほど、御言はまだ自分を制することができていなかった。なぜならもうすでに相手の言葉に耳を傾けてしまっている。

「もう一つの私の力は、死んだ者に成りすます事。その者の皮を被れば、誰もが疑うことすらしなくなる。現にここへ潜り込むのもたやすいことだった。『妖怪封じ』の京極家が聞いて呆れる」

 御言は右手にさらに力を込めた。これは、間違いなく罠だ。母さんが、いや紋奈がどうなったのかは後で調べればいい。今、こいつを逃せばさらに災いが増す。違う。まだ、紋奈が死んだと決まったわけではない。

「京極御言よ。確かにお前は強い。目を見張るほどな。だが、惜しむらくはお前のその心の内はまだまだ甘い、ということだ。力めば力むほど、抜け出す隙も増えるというもの。そこに転がっている人間の成れの果て。それは、まさしく京極紋奈だ。殺してから余りにも時間が経ったものでな。中の肉はもう全て溶けてしまったわ。残念だな。その女、最後まで正体を暴けなんだ。未だに自分が愛する夫に殺されたと思っているだろうよ」

 まさか。いや、落ち着け、動揺するな。

 その思考とは真逆に心は一瞬想像していた。母が殺される瞬間を、そして、その前に父が目の前の妖怪に殺された瞬間を。

「はあっ!」

 結界陣を抜けたぬらりひょんは、そのまま後ろへ跳び障子の外へ逃げていった。――あの笑みを浮かべたまま。

「くっ、待て!」

 追いかけた先にはただ夜の闇が広がるばかりだった。


スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む 第67話 邂逅


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



 鬼があの羅城門の鬼だと仮定して、集団で当たらなければ恐らく戦うことすらままならない──玉砂利を踏みしめながら、御言はシミュレーションを描いていた。
 ──いや、無理だ。つい母屋の前で立ち止まってしまった御言に、通りすがる口を利いたこともない連中が口元に手を当て、何事かを呟いていく。内容までは聞こえないが、決して気持ちのいい言葉ではないだろう。負の噂ほど、広まるのが早いものだな、と御言は息を吐く。
 おそらく鬼は私達の意図を嗅ぎ取り行動に移すだろう。結界を練る術者のうち、誰か一人でも戦闘不能に陥れば術は完成しない。同じく、結界の内側に標的がいなければ無意味となる。鬼に気づかれたとしても確実に陣を発動させるためには、囮が必要だ。
 だが、羅城門の鬼と互角に渡り合えるような存在がいるだろうか。そう思いながら、自室の障子を開けると、そこには見知らぬ人がいた。
 そうではない。それは京極|紋奈《あやな》だった。御言を身籠り、その名をつけ、この世に誕生させた──つまり実の母がそこにいた。
「……母さん?」
 御言は自信なさげに自身の母を呼んだ。一瞬別人に見えたのは、久方ぶりにその顔を見たからか。
「久しぶりやな。御言さん」
「……お久しぶりです。しかし急に、それもこんな夜更けに何用ですか?」
 障子を背にしたまま御言は問いた。右手をいつでも突き出せるように指先に力を込めながら。
「ちょうど本家に用があったさかい、ついでに御言さんの顔見たろう思てな。なんでそないにかしこまってるん?」
 京極家にはいくつもの掟がある。その一つは産まれた子どもを育てるのは、実の親とは別の京極家の者。それに倣って御言も赤子のときから梓に育てられてきた。
 それがおかしいと感じたことは一度もなかった。確かに当たり前のように血の繋がった親子が家族を形成しているが、生まれ落ちたときからその境遇にいれば、それが当たり前になる。梓がいてくれたことで実の母が近くにいないことに寂しさも悲しさも怒りも覚えたことはないが、ただ、たまに会う実の母は、滅多に会えないからこそ自分の母なんだと、特別に感じていたこともまた確かなことだった。
 だからこそ──その微妙な差異は違和感となって御言の眼には映る。
「かんにん。久しぶりやったさかい」
 自分に似た細面の顔は口を緩ませて笑った。御言は右手を僅かに上げる。
「そうか。やけど、びっくりした。しばらく見ーひんうちにこないな別嬪さんになっとって」
 疑念が確信へと変わり、御言は右手を体の前に突き出した。
「何の真似や……?」
「何者か知らないが、調べが浅い。京極紋奈は私と同じで滅多に表情を変えないし、私と気さくに話すこともない」
 そう言い放つと手に力を込めて御言は結界陣を発動させた。陣はそれを縛り上げ動きを封じる。
 その刹那。紋奈の身体が極端に縮んだ。正視していはずの瞳はぐるりと一回転し、急に生気が無くなったかのように上へ向く。口は歪み、端から泡が吹き出ている。畳の上に皮が重なるように落ちていく。
「浅いのは果たしてどちらかな」
 しまった。振り向き様に敵の得物を目の端に止め、部屋の奥へ跳ぶ。自身が今しがたいた場所に鈍い光を発する刃やいばが稲光のように走り、畳を斬った。見事に真っ二つに分かれた畳が宙を舞う。
(何者かわからないが、もう一度陣を)
「!」
 標的に向かって手を伸ばすも、そこには暗闇が広がるばかり。
「遅い!」
 身を屈めて走り寄るそれは妖しく口の端を歪ませて嗤った。凶刃が目の前に写し出される。おそらく、仕込み杖と呼ばれる種類の短刀。
「御言様!!」
 暗闇から現れた梓が、それに向かって飛び掛かる。間一髪のところで刃から逃れた御言は、躊躇うことなく梓ごと陣を張った。
「…………ちっ!」
 梓はすぐに起き上がり、陣から逃れたが、それはそのまま動けないでいた。
「お前、何者だ」
 隙を衝かれぬよう距離を取りながら御言は襲撃者を問い質ただす。
「私か? 私はぬらりひょん。お前たち人間から妖怪を解放するためにここへ来た」
 それは、にたりと嘲るように笑うと、黄色の瞳を猫のように細めた。
「妖怪を解放? 私ごときに捕まっていては解放などできまい」
「そうだな。まさか、京極御言がこんなに強力だったとは思わなかった」
 まだ余力があると見て、御言は梓に目配せし応援を要請した。その意味をすぐに理解した梓はそれを一瞥することもなく、早足で部屋を出て行った。その足音がどんどん遠くなる。
「行かせてよかったのか?」
「ああ、お前ごとき、私一人いれば十分だ」
 襲撃者はまた嫌らしい笑みを作ると目をカッと開き、御言を直視した。妙な圧迫感が御言を襲う。
「たじろがないか、さすがだ。私はぬらりひょん。私に恐怖を抱いたものは、どんなに攻撃をしたところで私を殺す行動を取ることができないのだが……どうやらお前はそうではないらしい。お前の母、京極紋奈と違ってな!」
 罠だ、とわかっていた。母の名を出すことで感情を揺さぶり、弱まった陣を抜けようとする。だが、頭ではわかっていても心がそれに追随するほど、御言はまだ自分を制することができていなかった。なぜならもうすでに相手の言葉に耳を傾けてしまっている。
「もう一つの私の力は、死んだ者に成りすます事。その者の皮を被れば、誰もが疑うことすらしなくなる。現にここへ潜り込むのもたやすいことだった。『妖怪封じ』の京極家が聞いて呆れる」
 御言は右手にさらに力を込めた。これは、間違いなく罠だ。母さんが、いや紋奈がどうなったのかは後で調べればいい。今、こいつを逃せばさらに災いが増す。違う。まだ、紋奈が死んだと決まったわけではない。
「京極御言よ。確かにお前は強い。目を見張るほどな。だが、惜しむらくはお前のその心の内はまだまだ甘い、ということだ。力めば力むほど、抜け出す隙も増えるというもの。そこに転がっている人間の成れの果て。それは、まさしく京極紋奈だ。殺してから余りにも時間が経ったものでな。中の肉はもう全て溶けてしまったわ。残念だな。その女、最後まで正体を暴けなんだ。未だに自分が愛する夫に殺されたと思っているだろうよ」
 まさか。いや、落ち着け、動揺するな。
 その思考とは真逆に心は一瞬想像していた。母が殺される瞬間を、そして、その前に父が目の前の妖怪に殺された瞬間を。
「はあっ!」
 結界陣を抜けたぬらりひょんは、そのまま後ろへ跳び障子の外へ逃げていった。――あの笑みを浮かべたまま。
「くっ、待て!」
 追いかけた先にはただ夜の闇が広がるばかりだった。