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第65話 羅生門の鬼

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 暗がりの中にレトロな橙色の灯りが気に入ったデスクライトをつけると、数秒後、淡い光が浮かび上がった。

 夜闇との輪郭線がわからなくなるこの光が御言は好きだった。影を消してしまうほどの明かりは眩しすぎる。闇と交わり、いつでも陰と陽の間を行き来できるような、そんな空間に身を寄せることでようやく心を落ち着かせることができた。

 布団を敷く前に日課の読書を進めようと本棚に向かう。ミステリーから恋愛物、SF、ファンタジーと雑多なジャンルが並べられた中で、御言は特に伝奇物に関心が向くことが多かった。仕事柄と言ってしまえばそうなのだが、あやかしと呼ばれる者たちの実際とは異なる描かれ方、あるいは人間との対立や共存など様々なドラマが、自身の置かれている現実から一時別の世界へ運ばせてくれる。それがよかった。

 視線を左から右、上から下に順々に動かすなか、パッと目についたタイトルの本があった。 『正しい妖怪との付き合い方』。本を手に取り、人間と妖怪が片手を合わせる表紙を見ると、その本を選んだ自分の心理に気づき、思わず笑みが零れた。

 小説の世界で描かれるような人間と妖怪が手と手を取り合う──なんてことは絶対に起こらないと思っていた。妖怪は人間の天敵で、その種類によっては捕食者でもある。ゆえに妖怪と人が交わることなど起こり得ない、と。けれどあの赤橋で出会った鬼に対し、なんて自然に心を開いていたことか。怜強は、凝り固まっていた私の世界観を一瞬で壊してしまった。

「……いや、違うな」

 壊したのではない。共有したのだ、きっと。だから、殺すことに手が震え、いなくなることに恐怖したのだ。

 怜強に向かって突き出したその手をしげしげと眺める。と、障子の外に人の気配がした。

「梓、か」

「左様です。御言様、夜分に恐れ入りますが、失礼します」

 御言が本棚に手に取った本を戻すとほぼ同時に、音も立てずに障子が開けられた。

 浮かび上がった少し皺の刻まれた細い目が優しく挨拶すると、きっと引き締まった。

「御言様。ご当主がお呼びです。すぐに離れに来てほしいと」

「当主なら先ほど話したが……件の鬼が見つかったのか?」

「何も言われてはおりません。ただ、御言様を呼ぶようにと」

 なんだ? 一抹の不安がよぎるが御言はすぐに首肯した。

「わかった。すぐに離れへ行く」

 代々歴史の裏に名を連ねてきた京極家は、一部で「妖怪御殿」、「京極御殿」などと呼ばれる地元でも有名な大屋敷を所有していた。一族とその関係者を住まわせる住居であると同時に、修行や戦闘訓練にも使える道場や中庭、妖怪と遭遇した一般人を匿う治療施設など任務を遂行する本拠地でもある。その屋敷から数メートル離れた木々に囲まれた場所に、歴代の当主が住まう「離れ」がある。

 玉砂利の上で草履を脱ぎ、木板に足を乗せる御言に両側から声が掛けられた。

「こんな夜中に呼び出しとは、何やらかしとるんですか? 御言さん」

 楓と柊。日本人形のようという形容詞がぴたりと当てはまる、おかっぱ頭の一卵性双生児だ。

「私にも心当たりはありません。お二人こそ何か聞いているのでは?」

 二人して黒襦袢の袖口で口元を隠し、クスクスと笑う。

「なんも聞いてません。教えてくれるわけあらへん。なんの冗談です?」

 相変わらず敵対心丸出しで口撃してくる二人に気づかれないようにそっと息を漏らすと、御言はそのまま正面の戸口を右手の甲で軽く叩いた。

「入れ」

 中から精巧な声が返ってきた。促されるままに戸を引き、足を踏み入れる。

 広い畳床の中央に座した老人──京極一振は、御言を見るなり組んでいた腕を外し、左手を下に向けた。座れという意味だ。

「急に呼ばれた用件、何かわかるか?」

 足を後ろに引いて座る御言に、一振は唐突に質問を浴びせた。

「良からぬ噂を聞いた。お前がどこぞの男と逢い引きしているのではないか──と」

「いいえ。そのような事実はありません」

 即座に返答したものの、その内心は揺れ動いていた。誰がそんな噂を? 見られていた? いや、それなら噂とは言わないはず。それならなぜ逢い引きなどと。

「では聞くが、昨日の依頼のあと幾分か帰りが遅かったようだが」

 そういうことか。依頼人と妖怪の被害に遭った被害者は一度その記憶がなくなるまで、京極家に置かれる。一族の誰かが昨日の依頼人らを連れてきたあと、私が帰宅するまでの時間を、わざわざ計算した者がいる。

 該当する人物を頭の中に浮かべたが、多過ぎて絞り切れなかった。

「どなたがわざわざお調べになったのかわかりませんが、寄り道をしてはいけませんか?」

「本当に寄り道をしたのか?」

 一振は僅かな変化すら見抜こうとするかの如くじっと御言の顔を見つめた。

「ええ。寄り道をしただけです」

 それは、嘘ではなかった。依頼人の家から屋敷に帰る道すがら怜強と遭遇してしばし話し込んだだけで、それら全体の行為を寄り道と括るのであれば、間違いなく寄り道と言える。だからこそ、御言は何の躊躇いも動揺もなく面と向かってさらりと言ってのけることができた。

 一振は伸びた白髭を撫でると「よし」と膝を叩いた。

「お前の言、信じよう」

「ありがとうございます」

 低頭姿勢で礼を述べると、御言は少し乱れた黒髪を直した。

「用件はそれだけでしょうか。そうであるなら、もう夜も更けて来た頃。お暇させていただきます」

「いや、待て」

 立ち上がろうとした御言を片手を振って制すると、一振は作務衣の袖の中に腕を通し、また腕を組んだ。

「これまで市内で目撃された情報を整理してみたんだが、この鬼は只の鬼ではない可能性が出てきた」

 勿体ぶったその物言いに御言は無意識のうちに顔を近付けていた。

「この長きに渡る日本の歴史において様々な鬼が人間の対峙者として現れてきた。そのうち、『羅城門の鬼』の存在をお前も知っているだろう」

 羅城門の鬼──この京においてかつての平安京の羅城門に巣食っていた鬼。最強の鬼と称される酒呑童子を討伐した源頼光の四天王の一人、渡辺綱がその腕を切り落とした強大な鬼。

「──まさか、羅城門の鬼が件の鬼とでも?」

 一振は認めたくないとでも言うように口を真一文字に結んで頷いた。

「再び姿を現したと。 確かに『時節を待ちて、取り返すべし』と言い残して消えたと伝えられていますが、なぜ今になって現れたというのですか?」

「落ち着け御言。次期当主ともあろうものが乱れてはならない」

 詰め寄るように姿勢を崩していた自分に気づき、御言は背筋を伸ばした。

「これはあくまでも可能性の話だ。だが、鬼の正体が本当に羅城門の鬼だとするならば、我が京極家最大の試練になるやもしれん」

 久しく感じることのなかった背筋が凍りつくような感覚が御言を襲っていた。ことが本当だとすれば、とてもじゃないが自分一人では何ともできない。いや、京極家の総力を上げてもあるいは──。

「まだこのことはお前以外には誰にも伝えておらん。力のない者は恐怖に呑まれるだけ。余計な混乱を招かぬよう、お前も今は胸の内に秘めておけ」

「話は終わりましたか?」

 戸を閉めた途端に再び両側から声が掛かった。からかうような嘲るような質の音色は、しかし、今の御言の心には届かなかった。

「はい、終わりました。それでは失礼致します」

 悟られぬようにいつもの体を装い、目には見えない頭の中で件の鬼への策を巡らせる。

「あら、そないに急がへんでも、それとも急がなあかんことでも言われたんですか?」

 背に受けたその言葉を流すように無視して、御言は離れを後にした。


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 暗がりの中にレトロな橙色の灯りが気に入ったデスクライトをつけると、数秒後、淡い光が浮かび上がった。
 夜闇との輪郭線がわからなくなるこの光が御言は好きだった。影を消してしまうほどの明かりは眩しすぎる。闇と交わり、いつでも陰と陽の間を行き来できるような、そんな空間に身を寄せることでようやく心を落ち着かせることができた。
 布団を敷く前に日課の読書を進めようと本棚に向かう。ミステリーから恋愛物、SF、ファンタジーと雑多なジャンルが並べられた中で、御言は特に伝奇物に関心が向くことが多かった。仕事柄と言ってしまえばそうなのだが、あやかしと呼ばれる者たちの実際とは異なる描かれ方、あるいは人間との対立や共存など様々なドラマが、自身の置かれている現実から一時別の世界へ運ばせてくれる。それがよかった。
 視線を左から右、上から下に順々に動かすなか、パッと目についたタイトルの本があった。 『正しい妖怪との付き合い方』。本を手に取り、人間と妖怪が片手を合わせる表紙を見ると、その本を選んだ自分の心理に気づき、思わず笑みが零れた。
 小説の世界で描かれるような人間と妖怪が手と手を取り合う──なんてことは絶対に起こらないと思っていた。妖怪は人間の天敵で、その種類によっては捕食者でもある。ゆえに妖怪と人が交わることなど起こり得ない、と。けれどあの赤橋で出会った鬼に対し、なんて自然に心を開いていたことか。怜強は、凝り固まっていた私の世界観を一瞬で壊してしまった。
「……いや、違うな」
 壊したのではない。共有したのだ、きっと。だから、殺すことに手が震え、いなくなることに恐怖したのだ。
 怜強に向かって突き出したその手をしげしげと眺める。と、障子の外に人の気配がした。
「梓、か」
「左様です。御言様、夜分に恐れ入りますが、失礼します」
 御言が本棚に手に取った本を戻すとほぼ同時に、音も立てずに障子が開けられた。
 浮かび上がった少し皺の刻まれた細い目が優しく挨拶すると、きっと引き締まった。
「御言様。ご当主がお呼びです。すぐに離れに来てほしいと」
「当主なら先ほど話したが……件の鬼が見つかったのか?」
「何も言われてはおりません。ただ、御言様を呼ぶようにと」
 なんだ? 一抹の不安がよぎるが御言はすぐに首肯した。
「わかった。すぐに離れへ行く」
 代々歴史の裏に名を連ねてきた京極家は、一部で「妖怪御殿」、「京極御殿」などと呼ばれる地元でも有名な大屋敷を所有していた。一族とその関係者を住まわせる住居であると同時に、修行や戦闘訓練にも使える道場や中庭、妖怪と遭遇した一般人を匿う治療施設など任務を遂行する本拠地でもある。その屋敷から数メートル離れた木々に囲まれた場所に、歴代の当主が住まう「離れ」がある。
 玉砂利の上で草履を脱ぎ、木板に足を乗せる御言に両側から声が掛けられた。
「こんな夜中に呼び出しとは、何やらかしとるんですか? 御言さん」
 楓と柊。日本人形のようという形容詞がぴたりと当てはまる、おかっぱ頭の一卵性双生児だ。
「私にも心当たりはありません。お二人こそ何か聞いているのでは?」
 二人して黒襦袢の袖口で口元を隠し、クスクスと笑う。
「なんも聞いてません。教えてくれるわけあらへん。なんの冗談です?」
 相変わらず敵対心丸出しで口撃してくる二人に気づかれないようにそっと息を漏らすと、御言はそのまま正面の戸口を右手の甲で軽く叩いた。
「入れ」
 中から精巧な声が返ってきた。促されるままに戸を引き、足を踏み入れる。
 広い畳床の中央に座した老人──京極一振は、御言を見るなり組んでいた腕を外し、左手を下に向けた。座れという意味だ。
「急に呼ばれた用件、何かわかるか?」
 足を後ろに引いて座る御言に、一振は唐突に質問を浴びせた。
「良からぬ噂を聞いた。お前がどこぞの男と逢い引きしているのではないか──と」
「いいえ。そのような事実はありません」
 即座に返答したものの、その内心は揺れ動いていた。誰がそんな噂を? 見られていた? いや、それなら噂とは言わないはず。それならなぜ逢い引きなどと。
「では聞くが、昨日の依頼のあと幾分か帰りが遅かったようだが」
 そういうことか。依頼人と妖怪の被害に遭った被害者は一度その記憶がなくなるまで、京極家に置かれる。一族の誰かが昨日の依頼人らを連れてきたあと、私が帰宅するまでの時間を、わざわざ計算した者がいる。
 該当する人物を頭の中に浮かべたが、多過ぎて絞り切れなかった。
「どなたがわざわざお調べになったのかわかりませんが、寄り道をしてはいけませんか?」
「本当に寄り道をしたのか?」
 一振は僅かな変化すら見抜こうとするかの如くじっと御言の顔を見つめた。
「ええ。寄り道をしただけです」
 それは、嘘ではなかった。依頼人の家から屋敷に帰る道すがら怜強と遭遇してしばし話し込んだだけで、それら全体の行為を寄り道と括るのであれば、間違いなく寄り道と言える。だからこそ、御言は何の躊躇いも動揺もなく面と向かってさらりと言ってのけることができた。
 一振は伸びた白髭を撫でると「よし」と膝を叩いた。
「お前の言、信じよう」
「ありがとうございます」
 低頭姿勢で礼を述べると、御言は少し乱れた黒髪を直した。
「用件はそれだけでしょうか。そうであるなら、もう夜も更けて来た頃。お暇させていただきます」
「いや、待て」
 立ち上がろうとした御言を片手を振って制すると、一振は作務衣の袖の中に腕を通し、また腕を組んだ。
「これまで市内で目撃された情報を整理してみたんだが、この鬼は只の鬼ではない可能性が出てきた」
 勿体ぶったその物言いに御言は無意識のうちに顔を近付けていた。
「この長きに渡る日本の歴史において様々な鬼が人間の対峙者として現れてきた。そのうち、『羅城門の鬼』の存在をお前も知っているだろう」
 羅城門の鬼──この京においてかつての平安京の羅城門に巣食っていた鬼。最強の鬼と称される酒呑童子を討伐した源頼光の四天王の一人、渡辺綱がその腕を切り落とした強大な鬼。
「──まさか、羅城門の鬼が件の鬼とでも?」
 一振は認めたくないとでも言うように口を真一文字に結んで頷いた。
「再び姿を現したと。 確かに『時節を待ちて、取り返すべし』と言い残して消えたと伝えられていますが、なぜ今になって現れたというのですか?」
「落ち着け御言。次期当主ともあろうものが乱れてはならない」
 詰め寄るように姿勢を崩していた自分に気づき、御言は背筋を伸ばした。
「これはあくまでも可能性の話だ。だが、鬼の正体が本当に羅城門の鬼だとするならば、我が京極家最大の試練になるやもしれん」
 久しく感じることのなかった背筋が凍りつくような感覚が御言を襲っていた。ことが本当だとすれば、とてもじゃないが自分一人では何ともできない。いや、京極家の総力を上げてもあるいは──。
「まだこのことはお前以外には誰にも伝えておらん。力のない者は恐怖に呑まれるだけ。余計な混乱を招かぬよう、お前も今は胸の内に秘めておけ」
「話は終わりましたか?」
 戸を閉めた途端に再び両側から声が掛かった。からかうような嘲るような質の音色は、しかし、今の御言の心には届かなかった。
「はい、終わりました。それでは失礼致します」
 悟られぬようにいつもの体を装い、目には見えない頭の中で件の鬼への策を巡らせる。
「あら、そないに急がへんでも、それとも急がなあかんことでも言われたんですか?」
 背に受けたその言葉を流すように無視して、御言は離れを後にした。