15.欲望
ー/ー少女は差し出された手を一瞥すると、ふいと横を向いた。その横顔さえも美しく、アイザックは一瞬見惚れた。
『さっき一緒にいたのは、あなたの恋人でしょ? 残念だけど、恋人のいるような方とは踊りたくないの』
『…… 親が決めた婚約者なんて、一緒にいてもつまらないだけさ』
見惚れていたせいで返答が遅れ、そのうえ子どもに言うようなことじゃない話をしてしまった。彼女は長いまつげの下にある大きな瞳でアイザックを見返すと、不快そうに眉をひそめてみせた。
『退屈しのぎにちょっかいをかけられるのは慣れてるけど…… でも、嫌いよ』
少女はきっぱり言うとアイザックに背を向けた。
『うちの劇団に入らないか?』
去りゆく小さな背中に、気づけば声をかけていた。
こんこん、と部屋の扉を鳴らされアイザックは返事をして扉を開いた。
「子爵は?」
ギルバートがひょいと部屋の中をのぞきこんでくるのをたしなめながら「今はいない」と伝えると、彼は遠慮もせずに部屋に上がり込んだ。ため息を吐くアイザックをよそに、ギルバートはさっきまでアイザックが座っていた椅子にどかりと腰かけた。
「なんかさあ、モニカがめちゃくちゃ機嫌悪かったんだけど、ザック、あんたなんかした?」
「…………」
心当たりしかなくて、アイザックは思わず黙った。
「…… 例の話をした」
少しの沈黙のあとそう口にするとギルバートはへえ、と口にした。
「さっさと結婚すりゃあいいのに」
「おまえが一人前になったらな」
「そっちじゃなくて、モニカと」
突拍子もない提案をされて、アイザックは飲んでいた紅茶をむせそうになった。
「…… 馬鹿言うな」
「あんたが求婚したら喜ぶと思うけどね」
機嫌も直る、と言うギルバートは多分、自分の身の安全しか考えていないに違いない。現在行っている演目、『月夜に嘆く』でモニカと一番絡みが多いのはギルバートで、もっとも弊害を受けやすいと考えられるのは彼だから当然だが。
「…… しないよ。俺はあの子に芝居をさせてみたかっただけだ」
アイザックは立ち上がって窓の外に目をやった。向かいでギルバートが焦れたように立ち上がる。
「なあ、あんたが欲しかったのって本当に役者としてのモニカだけなの?」
アイザックはそっぽを向いたまま目を合わせない。じっと黙っている団長に、
「腰抜け」
とギルバートは吐き捨てるように言うと部屋をあとにした。
『だいたい、昔のことだって言うならお金のことだって水に流してくれたっていいじゃない。結局それって資金投資でしょう?』
中庭でモニカと言い合いになったのはつい昨日のことだ。彼女の言葉に「馬鹿なこと言うな」とたしなめてアイザックは眉間を押さえた。
『…… 言わなかったのは悪かったと思ってる。隠すつもりもなかったんだ。でもどのみち、俺は劇団がある程度大きくなったら辞めるつもりでいたし、彼女と結婚さえすれば君の言う通り資金投資として受け取っていいと言ってくれてるんだ。だから……』
『私はお金の話がしたいんじゃない』
モニカのはっきりとした口調に、アイザックは閉口した。
『お金なら興行を増やして少しずつでも返していけばいい。私が怒ってるのはあなたがその話を今の今まで黙ってたことよ』
『君たちにそんなことはさせられない。いいか、あの金は――』
『お金のことなんてどうでもいい。私はあなたとこれからも演技がしたいの』
まったくこちらの話を聞いてくれる気配のないモニカにアイザックはため息を吐いた。
『モニカ、頼むから聞き分けてくれ』
『もういい、そういうことなら私劇団を辞めるから』
『なに言ってるんだ』
一方的に話を断ち切ろうとしたモニカが先に茂みから外へ出て、姫と遭遇して―― それから一言も話していない。会ってすらいない。
―― あんたが欲しかったのって本当に役者としてのモニカだけなの?
ギルバートの言葉が頭の中で反響する。
壁の花、なんてありきたりな言葉じゃまったく足りないくらいの、美貌だけじゃない、彼女のまとう空気に魅了されて声をかけた。絶対にいい役者になるだろうという確信がそのときあって、それは間違いじゃなかった。
ただ綺麗なだけだった花のつぼみは、年を重ねるごとに、日を追うごとにどんどん匂いたつような、誰しもを魅了するような美しさをまとわせて。
摘み取るつもりなんてはじめからなかった。
どころか、ひとりだけのものにするだなんてまるでひどい大罪であるかのような気がして。
自分で土を変え、水を与えたくせに、いつのまにか触れるのが怖くなってしまった。
アイザックはごつんと窓に己の額をぶつけると、そのままぐっと目を閉じた。
祭事の準備から抜け出して、ユージーンは廊下の窓からミルドレッドの部屋がある棟を眺めた。
アンバー家は古くから王家に仕える名家だ。王配や王妃を輩出したことも何度かある。
対してホッジズは代々騎士団長を輩出してきた家柄で、長男以外は女子であれば嫁に、男子であれば養子に出すのが通例となっている。
―― 幼い頃、母は双子の兄であるフランシスにかかりきりであった。フランシスは体が弱く兄弟のはずの自分でさえ一緒に遊んだことはほとんどなかった。彼はそのまま、六つの頃にアンバー家の養子に出されてホッジズの屋敷からはいなくなった。
兄の体が弱くさえなければ、養子に出されるのは自分の方だった。どちらが自分にとって良かったのかはわからない。ホッジズに残って騎士にならなければミルドレッドのそばにはいられなかったが、アンバー家に養子に入っていたならミルドレッドの夫となる未来もあったのかもしれない。
と、そこまで考えてユージーンはぶんぶんと頭を振った。
(…… 俺は何を)
そばにいられるだけでいいはずだったのに、あの男の顔がちらつくたびにその考えが揺らぐ。
もう戻ろう、と踵を返そうとしたところで、廊下の角を曲がってきた姿と目が合う。自分と同じ背丈が、そこでぴたりと止まった。そして何事もなかったかのように再び歩き出して、ユージーンとすれ違おうとする。
「―― なんで戻ってきたんだ」
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