表示設定
表示設定
目次 目次




14.隠し事

ー/ー




 口ごもるユージーンに、ミルドレッドは「もういい」と言って立ち上がった。そのまま踵を返そうとすると、ユージーンが我に返ったようにはっとして姫の腕をつかんだ。思いのほか強い力で、ミルドレッドは反動で少しよろめいた。

「な……」
「どこへ行く気ですか」

 何、と問う前にユージーンの低い声が降ってきて、ミルドレッドはその雰囲気に圧倒される。

「―― っど、どこだっていいでしょ」
「あいつのところ?」

 ミルドレッドはぞくりと背を震わせた。彼の瞳は、冷たいなんてものじゃなかった。哀しみにも、怒りにも似て、そしてどこか寂しげで、でもそれらのどれでもないような。ミルドレッドの知らない温度がそこにあって、怖くなると同時になんとなく、そこから離れてはいけないような、このままユージーンのそばにいてやらねばならないような、そんな気持ちにさせられた。

「こんなことを言う権利が俺にないのは重々承知していますけど、あれを選ぶのだけはやめてください」

 選ぶ? どこから何を?
 ユージーンはなにかずっと、ミルドレッドの知らないなにかを恐れているようだった。そこでふと、聖都での出来事を思い出す。あの時もたしか、こんな目をしていたのだった。

「…… ゆ……」

 ユージーンの肩に触れようとしたその時、近くの茂みががさりと動いた。ミルドレッドとユージーンがそろってびくりと肩をすくませるが、ミルドレッドからはそばの植え込みが妨げになってよく見えない。

「あら、お邪魔だったわね」

 聞いたことがある声だ。

「それとも、ここは城内ではそういった場所として知られているのかしら? だったらごめんなさい」

 艶やかで繊細な、けれど芯の通った声。

「モニカ」

 現れた人物の正体がわかると、ミルドレッドは彼女の前に姿を現した。いち観客として姿を現すのは気が引けるが、今のような場では自分のためにも相手のためにも、ただの貴族として相対することに決めている。
 モニカ・オルコット嬢は前に会った時のような衣装や簡素なスカートではなく、貴族が身にまとうようなアフタヌーンドレスを着て、髪もおそらく侍女の手でしっかりと結い上げられていて美しかった。

「まあ、ミルドレッドさまでしたのね」

 モニカは少し驚いたように言うと、ちらりとユージーンを見て、彼だけに聞こえるような小声で「なるほどね」とささやいた。
 突然顔を赤くしたユージーンにミルドレッドは首をかしげた。
 と、たった今モニカが出てきた茂みがもう一度鳴る。

「―― あ」

 体格の良い、モニカより一回りほど年上に見える男は、〈グラス・ホッパー座〉の団長をしているアイザック・リーヴズだ。

「モニカ、君―― っと」

 アイザックは王女の存在に気づくと言葉を止め、ミルドレッドに向き直った。

「これは、姫様…… その、お見苦しいところを」
「あら、そんなのお互い様じゃなくて?」

 モニカは頬に手をあてると、ミルドレッドに向かって歩み寄ってきた。

「ミルドレッドさま、聞いてくださいます? このひと、大事なことはなにも教えてくれないくせに、やれ隠すつもりはなかっただの、昔のことだとか―― 挙句の果てにはあれもだめ、これもだめだのと言って、束縛しようとするんですのよ。いくら団長といえど、自分勝手すぎると思いません?」

 どこかで聞いたような話だ。ミルドレッドは横目で己の騎士を睨んだ。ユージーンは気まずそうに目を逸らす。

「そうね…… そうかもね」

 ミルドレッドの冷えた声に関係のないアイザックまでもが肩を震わせる。そのそばでモニカは「まあ、同意していただけて嬉しいですわ」とおおげさに喜んでみせた。

「なんだかミルドレッドさまとは話が合いそう。ねえ、向こうでお話しません? こんな朴念仁といるよりずっと有意義な時間が過ごせそうだわ」

 腕をとられて歩き出されては、進まないわけにいかない。とはいえ、このまま様子のおかしいユージーンと話し続けるのも考えものだ。しかし放っておくのも心配なので、振り返って目配せすると察したらしく、静かについてくる。一方、劇団長のアイザックはついてくる気配がない。



 モニカはミルドレッドの腕を引いて中庭の奥まで入ると、薔薇の植え込みの前で立ち止まった。

「あらためて、この前は助けていただいてありがとうございました。ミルドレッドさま」

 ミルドレッドが首を傾げるとモニカは「ほら、聖都で」と口にした。ミルドレッドはああ、と思い出したように言いながら、視界の端でユージーンがいるのを確認した。女性二人の会話を聞くのは気が引けているのか、少し離れたところで聞いている。

「でもね、本当のところ、少しくらい傷をつけられたのならよかったのにとも思いますのよ。よりによって姫様に助けていただいて、失礼を承知で申し上げますけれど」

 モニカは演技をしている時以外の彼女にしては珍しい、自嘲めいた笑みを浮かべた。少なくとも対貴族用でないその表情に、ミルドレッドはどう反応すべきかわからない。

「私、長女なんですのよ。…… ご存知でしょうけど、おまけに一人娘。将来は婿養子を取らなきゃいけなくって。…… 怪我のひとつでもしたら貰い手がなくなって結婚しなくてよくなるかもなんて思ったのよね」

 彼女はそんなわけないのにね、とモニカは今度はいたずらっぽく笑うと、くるりと身をひるがえした。明るいクリーム色のドレスの裾がひらめいて、木々の隙間から漏れる光で透けているのが綺麗だった。

「それをザックに―― うちの団長に言ったら、怒られてしまって。私もちょうどいらいらしていたものだから、つい。…… 付き合いも長いせいで、変に気を許してしまって、兄のように思っているところもあるんです」
「…… 私も」

 後ろに控える男に聞こえないよう小声で言うと、モニカはくすりと笑った。

「彼はとてもいい騎士だって噂で聞きますけど、違うのかしら?」

 靴の爪先と爪先を合わせ互いにしか聞こえないような小さな声でたずねられる問いかけを、ミルドレッドは首を振って否定した。

「いい騎士よ。きっと、すごくいい騎士だわ。でも、彼がいい騎士であればあるほど、私はとても寂しくなるの」
「同じだわ」

 途中でモニカの方へと伸ばした手を、モニカがそっと握りながら言った。

「心配されるとすごく嬉しいけど、子ども扱いされたくなくていらいらして、でも自分に構ってくれないと悲しくなってしまうの」

 勝手ね、と彼女がうつむきがちになると、頬にまつげの影が落ちた。これでは舞台の上でなくても、数々の男性がとりこになってしまうに違いない。
 昼時を知らせる鐘が鳴った。
 モニカはぱっとミルドレッドから手を離すと、城の方へと爪先を向けた。そしてユージーンのそばまで来るとおもむろにミルドレッドを振り向く。

「きっと、ミルドレッドさまも私も、そのひとのことがすごく好きなのね」

 そう言うと、彼女は去って行ってしまった。さてどうしようかと思っていると、そばに立っていたユージーンと目が合う。

「…… なんの…… いえ、なんでもないです」

 なにか言いたげだった騎士は言葉の途中で諦めて首を振った。

「部屋に戻られますか?」
「…… そうする」

 騎士の問いかけにミルドレッドは頷いて、城に戻った。
 ―― なんの話、ってたったひとこと、それさえ聞いてくれたら。

(私は全部話すのに)

 ミルドレッドはそんなことを思いながら、ユージーンの前を歩いていった。





 アイザック・リーヴズには婚約者がいる。生まれる前だか直後だか、ともかくその頃に決められた相手で、会う機会はほとんどない。ただ、長男でないとはいえアイザックももう二十八で、結婚適齢期はとうに過ぎている。少し待ってほしいと言い続けてもう五年は経つ。

(せめてあと二年)

 ギルバートは今年十六になったばかりだ。役者としても、団長を任せるにしてもまだ未熟すぎる。モニカも演技はかなり上達したが、劇団を任せられるほどではないし、さっき言い合いになってしまったせいで気まずい。

 モニカと初めて出会ったのは七年前、モニカが十一歳の時だった。十二の頃から続けていた演劇を、親や兄からもういい歳なんだからと言われて、家に居場所がなくなり始めた頃でもあった。

 城で月に一度行われている舞踏会に引きずられて行った際、驚くほど綺麗な少女がいて思わず足を止めた。ただ綺麗だというだけでなく、その子はふてくされたような顔で広い会場の壁際に立っていて、それが余計に人の目を引いた。
 それは多分、炉端にひとつだけぽつんと咲いた花に、思わず手を伸ばしたいと思うような、そういう衝動だったのかもしれない。

『美しいお嬢さん、一曲踊っていただけますか』



スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む 15.欲望


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…




 口ごもるユージーンに、ミルドレッドは「もういい」と言って立ち上がった。そのまま踵を返そうとすると、ユージーンが我に返ったようにはっとして姫の腕をつかんだ。思いのほか強い力で、ミルドレッドは反動で少しよろめいた。
「な……」
「どこへ行く気ですか」
 何、と問う前にユージーンの低い声が降ってきて、ミルドレッドはその雰囲気に圧倒される。
「―― っど、どこだっていいでしょ」
「あいつのところ?」
 ミルドレッドはぞくりと背を震わせた。彼の瞳は、冷たいなんてものじゃなかった。哀しみにも、怒りにも似て、そしてどこか寂しげで、でもそれらのどれでもないような。ミルドレッドの知らない温度がそこにあって、怖くなると同時になんとなく、そこから離れてはいけないような、このままユージーンのそばにいてやらねばならないような、そんな気持ちにさせられた。
「こんなことを言う権利が俺にないのは重々承知していますけど、あれを選ぶのだけはやめてください」
 選ぶ? どこから何を?
 ユージーンはなにかずっと、ミルドレッドの知らないなにかを恐れているようだった。そこでふと、聖都での出来事を思い出す。あの時もたしか、こんな目をしていたのだった。
「…… ゆ……」
 ユージーンの肩に触れようとしたその時、近くの茂みががさりと動いた。ミルドレッドとユージーンがそろってびくりと肩をすくませるが、ミルドレッドからはそばの植え込みが妨げになってよく見えない。
「あら、お邪魔だったわね」
 聞いたことがある声だ。
「それとも、ここは城内ではそういった場所として知られているのかしら? だったらごめんなさい」
 艶やかで繊細な、けれど芯の通った声。
「モニカ」
 現れた人物の正体がわかると、ミルドレッドは彼女の前に姿を現した。いち観客として姿を現すのは気が引けるが、今のような場では自分のためにも相手のためにも、ただの貴族として相対することに決めている。
 モニカ・オルコット嬢は前に会った時のような衣装や簡素なスカートではなく、貴族が身にまとうようなアフタヌーンドレスを着て、髪もおそらく侍女の手でしっかりと結い上げられていて美しかった。
「まあ、ミルドレッドさまでしたのね」
 モニカは少し驚いたように言うと、ちらりとユージーンを見て、彼だけに聞こえるような小声で「なるほどね」とささやいた。
 突然顔を赤くしたユージーンにミルドレッドは首をかしげた。
 と、たった今モニカが出てきた茂みがもう一度鳴る。
「―― あ」
 体格の良い、モニカより一回りほど年上に見える男は、〈グラス・ホッパー座〉の団長をしているアイザック・リーヴズだ。
「モニカ、君―― っと」
 アイザックは王女の存在に気づくと言葉を止め、ミルドレッドに向き直った。
「これは、姫様…… その、お見苦しいところを」
「あら、そんなのお互い様じゃなくて?」
 モニカは頬に手をあてると、ミルドレッドに向かって歩み寄ってきた。
「ミルドレッドさま、聞いてくださいます? このひと、大事なことはなにも教えてくれないくせに、やれ隠すつもりはなかっただの、昔のことだとか―― 挙句の果てにはあれもだめ、これもだめだのと言って、束縛しようとするんですのよ。いくら団長といえど、自分勝手すぎると思いません?」
 どこかで聞いたような話だ。ミルドレッドは横目で己の騎士を睨んだ。ユージーンは気まずそうに目を逸らす。
「そうね…… そうかもね」
 ミルドレッドの冷えた声に関係のないアイザックまでもが肩を震わせる。そのそばでモニカは「まあ、同意していただけて嬉しいですわ」とおおげさに喜んでみせた。
「なんだかミルドレッドさまとは話が合いそう。ねえ、向こうでお話しません? こんな朴念仁といるよりずっと有意義な時間が過ごせそうだわ」
 腕をとられて歩き出されては、進まないわけにいかない。とはいえ、このまま様子のおかしいユージーンと話し続けるのも考えものだ。しかし放っておくのも心配なので、振り返って目配せすると察したらしく、静かについてくる。一方、劇団長のアイザックはついてくる気配がない。
 モニカはミルドレッドの腕を引いて中庭の奥まで入ると、薔薇の植え込みの前で立ち止まった。
「あらためて、この前は助けていただいてありがとうございました。ミルドレッドさま」
 ミルドレッドが首を傾げるとモニカは「ほら、聖都で」と口にした。ミルドレッドはああ、と思い出したように言いながら、視界の端でユージーンがいるのを確認した。女性二人の会話を聞くのは気が引けているのか、少し離れたところで聞いている。
「でもね、本当のところ、少しくらい傷をつけられたのならよかったのにとも思いますのよ。よりによって姫様に助けていただいて、失礼を承知で申し上げますけれど」
 モニカは演技をしている時以外の彼女にしては珍しい、自嘲めいた笑みを浮かべた。少なくとも対貴族用でないその表情に、ミルドレッドはどう反応すべきかわからない。
「私、長女なんですのよ。…… ご存知でしょうけど、おまけに一人娘。将来は婿養子を取らなきゃいけなくって。…… 怪我のひとつでもしたら貰い手がなくなって結婚しなくてよくなるかもなんて思ったのよね」
 彼女はそんなわけないのにね、とモニカは今度はいたずらっぽく笑うと、くるりと身をひるがえした。明るいクリーム色のドレスの裾がひらめいて、木々の隙間から漏れる光で透けているのが綺麗だった。
「それをザックに―― うちの団長に言ったら、怒られてしまって。私もちょうどいらいらしていたものだから、つい。…… 付き合いも長いせいで、変に気を許してしまって、兄のように思っているところもあるんです」
「…… 私も」
 後ろに控える男に聞こえないよう小声で言うと、モニカはくすりと笑った。
「彼はとてもいい騎士だって噂で聞きますけど、違うのかしら?」
 靴の爪先と爪先を合わせ互いにしか聞こえないような小さな声でたずねられる問いかけを、ミルドレッドは首を振って否定した。
「いい騎士よ。きっと、すごくいい騎士だわ。でも、彼がいい騎士であればあるほど、私はとても寂しくなるの」
「同じだわ」
 途中でモニカの方へと伸ばした手を、モニカがそっと握りながら言った。
「心配されるとすごく嬉しいけど、子ども扱いされたくなくていらいらして、でも自分に構ってくれないと悲しくなってしまうの」
 勝手ね、と彼女がうつむきがちになると、頬にまつげの影が落ちた。これでは舞台の上でなくても、数々の男性がとりこになってしまうに違いない。
 昼時を知らせる鐘が鳴った。
 モニカはぱっとミルドレッドから手を離すと、城の方へと爪先を向けた。そしてユージーンのそばまで来るとおもむろにミルドレッドを振り向く。
「きっと、ミルドレッドさまも私も、そのひとのことがすごく好きなのね」
 そう言うと、彼女は去って行ってしまった。さてどうしようかと思っていると、そばに立っていたユージーンと目が合う。
「…… なんの…… いえ、なんでもないです」
 なにか言いたげだった騎士は言葉の途中で諦めて首を振った。
「部屋に戻られますか?」
「…… そうする」
 騎士の問いかけにミルドレッドは頷いて、城に戻った。
 ―― なんの話、ってたったひとこと、それさえ聞いてくれたら。
(私は全部話すのに)
 ミルドレッドはそんなことを思いながら、ユージーンの前を歩いていった。
 アイザック・リーヴズには婚約者がいる。生まれる前だか直後だか、ともかくその頃に決められた相手で、会う機会はほとんどない。ただ、長男でないとはいえアイザックももう二十八で、結婚適齢期はとうに過ぎている。少し待ってほしいと言い続けてもう五年は経つ。
(せめてあと二年)
 ギルバートは今年十六になったばかりだ。役者としても、団長を任せるにしてもまだ未熟すぎる。モニカも演技はかなり上達したが、劇団を任せられるほどではないし、さっき言い合いになってしまったせいで気まずい。
 モニカと初めて出会ったのは七年前、モニカが十一歳の時だった。十二の頃から続けていた演劇を、親や兄からもういい歳なんだからと言われて、家に居場所がなくなり始めた頃でもあった。
 城で月に一度行われている舞踏会に引きずられて行った際、驚くほど綺麗な少女がいて思わず足を止めた。ただ綺麗だというだけでなく、その子はふてくされたような顔で広い会場の壁際に立っていて、それが余計に人の目を引いた。
 それは多分、炉端にひとつだけぽつんと咲いた花に、思わず手を伸ばしたいと思うような、そういう衝動だったのかもしれない。
『美しいお嬢さん、一曲踊っていただけますか』