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死なないで

ー/ー



 その晩。火垂る袋の群生地は暗かった。
 夏も終わりに近付いており、蛍の季節は終わったのだ。月明かりにぼんやりと照らされる其処では、花もほとんど萎れていて、その風景は味気ないものだった。
 その頃には、君はもう、僕の支えなしでは歩けぬほどに弱っていた。認知機能の低下により、意識は混濁し始めていた。それでも、『死』を感じさせるその風景を眺めながら、君はぽつりと口を開いた。
「今年の蛍……終わってしまったんだね」
「ああ……」
「蛍、自由になったのかなぁ?」
「…………」
 何とも、言葉を返すことが出来なかった。
『死』を自由と表現するのなら、そうかも知れない。つまりは、夏が過ぎて、蛍は自らを此処に縛り付ける火垂る袋から解放されて、自由になったのかも知れなかった。
 だが、君には『死』を自由であると思って欲しくなかった。
 君の身をこの世に縛り付けるもの。それは、しがらみに他ならないかも知れない。ただ、つらくて苦しいだけのものかも知れない。だけれども、僕はこれから先もずっと、君に生きていて欲しかった。『死』に逃げて欲しくなかった。そう……君の口から『死』を匂わせる言葉が出るのを拒否するほどには、僕は君のことを『妹』以上に大切な存在だと思っていた。
「死なないで……」
「えっ……」
 戸惑う様子の君を……枯れ枝のように痩せ細ってしまったその身体を、僕はこの腕でぎゅっと強く抱きしめた。
「死ぬのは、自由になることなんかじゃない。全てを失って……無になって。一人ぼっちになることなんだ。僕はお前を、一人ぼっちになんか、させない」
「…………」
 君の口から、何事も語られることはなかった。ただただ、僕の想いに応えるように……君を抱いたこの腕は、君の流す涙で濡れていた。
 僕達の前を、消えそうなほどに儚い一筋の光がすぅっと通った。それは、夏が終わったその時期にも生き残っていた一匹の蛍なのか……それとも、蛍の魂なのかは分からない。しかし、それは確かにこの世界に残り、夜の闇の中に自らの存在を刻み込んでいた。
 それは、自らの生命を削りながら絵を描き、この世に生きた証を刻む君の姿に重なった。だから、僕は一筋のその光に、涙が溢れるほどの愛しさを感じた。
 君が昏睡状態に陥って、最早、目を覚ますことがなくなったのは、その明け方のことであった。


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 その晩。火垂る袋の群生地は暗かった。
 夏も終わりに近付いており、蛍の季節は終わったのだ。月明かりにぼんやりと照らされる其処では、花もほとんど萎れていて、その風景は味気ないものだった。
 その頃には、君はもう、僕の支えなしでは歩けぬほどに弱っていた。認知機能の低下により、意識は混濁し始めていた。それでも、『死』を感じさせるその風景を眺めながら、君はぽつりと口を開いた。
「今年の蛍……終わってしまったんだね」
「ああ……」
「蛍、自由になったのかなぁ?」
「…………」
 何とも、言葉を返すことが出来なかった。
『死』を自由と表現するのなら、そうかも知れない。つまりは、夏が過ぎて、蛍は自らを此処に縛り付ける火垂る袋から解放されて、自由になったのかも知れなかった。
 だが、君には『死』を自由であると思って欲しくなかった。
 君の身をこの世に縛り付けるもの。それは、しがらみに他ならないかも知れない。ただ、つらくて苦しいだけのものかも知れない。だけれども、僕はこれから先もずっと、君に生きていて欲しかった。『死』に逃げて欲しくなかった。そう……君の口から『死』を匂わせる言葉が出るのを拒否するほどには、僕は君のことを『妹』以上に大切な存在だと思っていた。
「死なないで……」
「えっ……」
 戸惑う様子の君を……枯れ枝のように痩せ細ってしまったその身体を、僕はこの腕でぎゅっと強く抱きしめた。
「死ぬのは、自由になることなんかじゃない。全てを失って……無になって。一人ぼっちになることなんだ。僕はお前を、一人ぼっちになんか、させない」
「…………」
 君の口から、何事も語られることはなかった。ただただ、僕の想いに応えるように……君を抱いたこの腕は、君の流す涙で濡れていた。
 僕達の前を、消えそうなほどに儚い一筋の光がすぅっと通った。それは、夏が終わったその時期にも生き残っていた一匹の蛍なのか……それとも、蛍の魂なのかは分からない。しかし、それは確かにこの世界に残り、夜の闇の中に自らの存在を刻み込んでいた。
 それは、自らの生命を削りながら絵を描き、この世に生きた証を刻む君の姿に重なった。だから、僕は一筋のその光に、涙が溢れるほどの愛しさを感じた。
 君が昏睡状態に陥って、最早、目を覚ますことがなくなったのは、その明け方のことであった。