第8話 石敢當
ー/ー 最初に気づいたのは蒼だった。
大学からアパートへの帰り道、いつも通る丁字路の角に工事の囲いが立っていた。オレンジ色のカラーコーンが並んで、今朝は無かったブルーシートが掛かっていた。
覗いてみると、石敢當(いしがんとう)が根元から折れていた。
車にでも当てられたのか、石碑の上半分が転がって、刻まれた文字が半分地面に埋もれていた。「石敢」の文字だけが辛うじて読めた。残りは土の下だった。
蒼はしばらくそこに立っていた。
沖縄に来て三ヶ月、ナビと歩き回るうちに嫌でも覚えた。石敢當が何のためにあるのかも、なければどうなるかも。
直感が不味いな、と感じた。
自分でもその感覚が少し不思議だった。三ヶ月前なら「石碑が壊れた」で終わっていたのに。
アパートに帰ってナビに言うと、ナビは即座に立ち上がった。
「場所どこ?」
「大学の近くの丁字路。でも工事の囲いがあって——」
「夜になったら行こう」
「夜?」
「マジムンは夜の方が動きやすい。どうせ夜に出る」
ミカが台所から顔を出した。
「近隣で犬が昨日から吠え続けているとの情報があります。隣の棟の住人が話していました」
「ミカ、いつの間にそんな情報を?」
「台所の窓から聞こえます」
ナビが蒼を見て頷く。「決まり」
「……分かった」
「準備して行こう」
蒼はリュックを開けた。先週スーパーで買ったヒラウコーが入っていた。ナビが最初の戦闘で全部燃やし尽くしてから、補充するようになっていた。なんとなく、必要だと思って。
「これでいいか?」
ナビが覗いて確認した。「いい」
ミカが「夕食は先に済ませてから行ってください」と問いかけた。
「戦闘前に食事を取ることは重要です。神界でも推奨されています」
「……神界に戦闘前の食事管理まで報告してるのか」
「報告済みです」ミカが少し間を置いた。「それと——今夜は旧暦の十五日です」 「どういうこと?」
「一日と十五日は、ヒヌカンが神界と最も強く繋がる日です。今夜は少し違います」
「……つまり」
「もし必要になれば、お役に立てるかもしれません」ミカが続けて答える。「神界に報告済みです」
蒼はため息をついた。でも今回は悪くなかった。
夜の十一時。
三人で丁字路に向かった。
ミカも香炉から出た状態でついてきた。制服のまま夜道を歩いていた。深夜に女子高生を連れ歩いているように見えて、蒼は色々と心配だったが今更だった。
キジムナーたちも来た。
止めても来た。三体がぴょんぴょん跳ねながらついてきた。蒼の肩と頭とリュックに分散して乗っていた。夜道に出てから毛並みが逆立っていたが、逃げなかった。
「危ないから帰れ」
キュキュキュ!
「怒るな」
歩いていくと……工事の囲いが見えてきた。街灯の光が当たって折れた石敢當が見える。「石敢」の文字が光を反射していた。残りは地面の下だった。
「何が出るんだ?」ひそひそ声で蒼が聞いた。
「石敢當が防いでたやつ」ナビが普通の声量で答えた。
「キジムナーと一緒で直進しかできない。曲がれない。だから丁字路で行き止まりになる」
「つまり——」
「真っ直ぐしか来ない」
「それは楽だからなのか?」
「動きが速くなる」
単に楽とかではなかった。
* * *
気配が来たのは風上からだった。
温度が下がって来たようだ。夜なのにさらに冷え、蒼の首の後ろが粟立った。見えない。でも何かがいると分かった。ナビと過ごす時間が蒼の感覚の閾値を少しずつ変えていた。
「来た」
ナビの声が変わった。
平坦になった。感情が抜けた声。でもまだナビだった。半分だけ神がかっている——目の奥に光が灯っているのが街灯の下でも分かった。
ナビが懐からヒラウコーを一本取り出し地の摩擦で火をつける。オレンジの炎が揺れて、白い煙が立ち上った。
「蒼、右後ろ」
「え」
「死角だからそっち見てて」
蒼は反射的に右後ろを向いた。何も見えなかった。でも体が固まった。そこに何かいる。
「目を閉じないで」ナビが言った。「見えなくても、見てて」
ナビが言い終わる前に、衝撃が来た。最初は音だった。
真っ直ぐ来る!と、ナビは言った。その通りだった。工事の囲いが一直線に吹き飛ぶ。カラーコーンが跳んだ。ブルーシートが舞い上がった。蒼が咄嗟に腕で顔を庇う。
ナビはもう動いていた。
指先を嚙む。血を弾く。蒼とミカの間に、見えない壁が張られた。蒼には見えない。でも次の瞬間、空気が押し返される感触があった。何かが壁に当たった。
「下がらないで」ナビが言った。古語が混じり始めていた。「結界の外に出たら守れない」
「……分かった」
分かっていたが足が震えていた。
ナビがヒラウコーを構えた。煙が形を変えた。一本の白い刃。揺れているのに、切っ先だけは定まっていた。
マジムンが見えた……一瞬だけ、輪郭が見えた。人の形ではない。煙のような……でも煙より密度がある何か。直線状に蒼に向かっていた。
結界が張られているから一撃は大丈夫だと安心しきっていたナビは油断した。
結界は薄く張られていた。このままでは結界は破られ蒼に直撃してしまう。
(どうして……結界はちゃんと張った筈――)
ナビはヒラウコーの刃をマジムンの方向に急いで向けようとしたが間に合わない。
「蒼っ!」
衝撃と共に悲鳴が一帯に響いた。しかし。
蒼に直撃する筈のマジムンが悲鳴を上げて吹き飛ばされる様に聞こえた。
蒼の目と鼻の先。ヒラウコーの花の匂いが蒼の鼻孔をくすぐったが、その匂いの先はナビからでは無かった。
ヒラウコーを15本セットで両手に二つ。それぞれ火に纏わせたミカが蒼の横に立っていた。
「みーかぁ!」
「ナビさん。蒼さん。大丈夫です。神界への報告より先に、今やることがあります」
そうミカは構えた。沢山燃やされ松明の様になったヒラウコーの煙が刃に代わり両手の双剣に変化する。
「台所の神だからって、見くびらないで下さい。」
両手に構えた双剣が蒼には鋭く光った気がした。
「家の人たちを守るのが私の役目ですから」
そうミカが双剣で結界の厚みを増やした。
「———」
それを見て安心したナビが古い言葉で何かを言った。命令だった。蒼には意味が分からなかったが、空気が変わった。
「伏せて」
蒼が地面に伏せた直後、頭上を何かが通り過ぎる。風圧があった。髪が揺れた。
ナビのヒラウコーの剣がそれを追った。煙の刃が伸びた——鞭のように、空中を薙いだ。
断末魔のような音がした。人の声ではなかった。でも確かに何かが終わった音だった。
静寂。
蒼は地面に手をついて顔を上げた。
ナビが立っていた。ヒラウコーはまだ燃えて残りわずかだったが、煙の剣は霧散していた。
「……終わったか」
「終わった」
ナビの声が戻っていた。感情が戻ってきた声。でも疲弊しているのが分かった。立っているだけで精一杯の立ち方だった。ナビが消耗しているのは分かっていた。でも蒼がナビを見ていたのは、それだけが理由ではなかった気がした。それ以上は分析しなかった。する必要を、感じなかったが、ふと何かに気づき蒼は立ち上がってナビに近づいた。
大学からアパートへの帰り道、いつも通る丁字路の角に工事の囲いが立っていた。オレンジ色のカラーコーンが並んで、今朝は無かったブルーシートが掛かっていた。
覗いてみると、石敢當(いしがんとう)が根元から折れていた。
車にでも当てられたのか、石碑の上半分が転がって、刻まれた文字が半分地面に埋もれていた。「石敢」の文字だけが辛うじて読めた。残りは土の下だった。
蒼はしばらくそこに立っていた。
沖縄に来て三ヶ月、ナビと歩き回るうちに嫌でも覚えた。石敢當が何のためにあるのかも、なければどうなるかも。
直感が不味いな、と感じた。
自分でもその感覚が少し不思議だった。三ヶ月前なら「石碑が壊れた」で終わっていたのに。
アパートに帰ってナビに言うと、ナビは即座に立ち上がった。
「場所どこ?」
「大学の近くの丁字路。でも工事の囲いがあって——」
「夜になったら行こう」
「夜?」
「マジムンは夜の方が動きやすい。どうせ夜に出る」
ミカが台所から顔を出した。
「近隣で犬が昨日から吠え続けているとの情報があります。隣の棟の住人が話していました」
「ミカ、いつの間にそんな情報を?」
「台所の窓から聞こえます」
ナビが蒼を見て頷く。「決まり」
「……分かった」
「準備して行こう」
蒼はリュックを開けた。先週スーパーで買ったヒラウコーが入っていた。ナビが最初の戦闘で全部燃やし尽くしてから、補充するようになっていた。なんとなく、必要だと思って。
「これでいいか?」
ナビが覗いて確認した。「いい」
ミカが「夕食は先に済ませてから行ってください」と問いかけた。
「戦闘前に食事を取ることは重要です。神界でも推奨されています」
「……神界に戦闘前の食事管理まで報告してるのか」
「報告済みです」ミカが少し間を置いた。「それと——今夜は旧暦の十五日です」 「どういうこと?」
「一日と十五日は、ヒヌカンが神界と最も強く繋がる日です。今夜は少し違います」
「……つまり」
「もし必要になれば、お役に立てるかもしれません」ミカが続けて答える。「神界に報告済みです」
蒼はため息をついた。でも今回は悪くなかった。
夜の十一時。
三人で丁字路に向かった。
ミカも香炉から出た状態でついてきた。制服のまま夜道を歩いていた。深夜に女子高生を連れ歩いているように見えて、蒼は色々と心配だったが今更だった。
キジムナーたちも来た。
止めても来た。三体がぴょんぴょん跳ねながらついてきた。蒼の肩と頭とリュックに分散して乗っていた。夜道に出てから毛並みが逆立っていたが、逃げなかった。
「危ないから帰れ」
キュキュキュ!
「怒るな」
歩いていくと……工事の囲いが見えてきた。街灯の光が当たって折れた石敢當が見える。「石敢」の文字が光を反射していた。残りは地面の下だった。
「何が出るんだ?」ひそひそ声で蒼が聞いた。
「石敢當が防いでたやつ」ナビが普通の声量で答えた。
「キジムナーと一緒で直進しかできない。曲がれない。だから丁字路で行き止まりになる」
「つまり——」
「真っ直ぐしか来ない」
「それは楽だからなのか?」
「動きが速くなる」
単に楽とかではなかった。
* * *
気配が来たのは風上からだった。
温度が下がって来たようだ。夜なのにさらに冷え、蒼の首の後ろが粟立った。見えない。でも何かがいると分かった。ナビと過ごす時間が蒼の感覚の閾値を少しずつ変えていた。
「来た」
ナビの声が変わった。
平坦になった。感情が抜けた声。でもまだナビだった。半分だけ神がかっている——目の奥に光が灯っているのが街灯の下でも分かった。
ナビが懐からヒラウコーを一本取り出し地の摩擦で火をつける。オレンジの炎が揺れて、白い煙が立ち上った。
「蒼、右後ろ」
「え」
「死角だからそっち見てて」
蒼は反射的に右後ろを向いた。何も見えなかった。でも体が固まった。そこに何かいる。
「目を閉じないで」ナビが言った。「見えなくても、見てて」
ナビが言い終わる前に、衝撃が来た。最初は音だった。
真っ直ぐ来る!と、ナビは言った。その通りだった。工事の囲いが一直線に吹き飛ぶ。カラーコーンが跳んだ。ブルーシートが舞い上がった。蒼が咄嗟に腕で顔を庇う。
ナビはもう動いていた。
指先を嚙む。血を弾く。蒼とミカの間に、見えない壁が張られた。蒼には見えない。でも次の瞬間、空気が押し返される感触があった。何かが壁に当たった。
「下がらないで」ナビが言った。古語が混じり始めていた。「結界の外に出たら守れない」
「……分かった」
分かっていたが足が震えていた。
ナビがヒラウコーを構えた。煙が形を変えた。一本の白い刃。揺れているのに、切っ先だけは定まっていた。
マジムンが見えた……一瞬だけ、輪郭が見えた。人の形ではない。煙のような……でも煙より密度がある何か。直線状に蒼に向かっていた。
結界が張られているから一撃は大丈夫だと安心しきっていたナビは油断した。
結界は薄く張られていた。このままでは結界は破られ蒼に直撃してしまう。
(どうして……結界はちゃんと張った筈――)
ナビはヒラウコーの刃をマジムンの方向に急いで向けようとしたが間に合わない。
「蒼っ!」
衝撃と共に悲鳴が一帯に響いた。しかし。
蒼に直撃する筈のマジムンが悲鳴を上げて吹き飛ばされる様に聞こえた。
蒼の目と鼻の先。ヒラウコーの花の匂いが蒼の鼻孔をくすぐったが、その匂いの先はナビからでは無かった。
ヒラウコーを15本セットで両手に二つ。それぞれ火に纏わせたミカが蒼の横に立っていた。
「みーかぁ!」
「ナビさん。蒼さん。大丈夫です。神界への報告より先に、今やることがあります」
そうミカは構えた。沢山燃やされ松明の様になったヒラウコーの煙が刃に代わり両手の双剣に変化する。
「台所の神だからって、見くびらないで下さい。」
両手に構えた双剣が蒼には鋭く光った気がした。
「家の人たちを守るのが私の役目ですから」
そうミカが双剣で結界の厚みを増やした。
「———」
それを見て安心したナビが古い言葉で何かを言った。命令だった。蒼には意味が分からなかったが、空気が変わった。
「伏せて」
蒼が地面に伏せた直後、頭上を何かが通り過ぎる。風圧があった。髪が揺れた。
ナビのヒラウコーの剣がそれを追った。煙の刃が伸びた——鞭のように、空中を薙いだ。
断末魔のような音がした。人の声ではなかった。でも確かに何かが終わった音だった。
静寂。
蒼は地面に手をついて顔を上げた。
ナビが立っていた。ヒラウコーはまだ燃えて残りわずかだったが、煙の剣は霧散していた。
「……終わったか」
「終わった」
ナビの声が戻っていた。感情が戻ってきた声。でも疲弊しているのが分かった。立っているだけで精一杯の立ち方だった。ナビが消耗しているのは分かっていた。でも蒼がナビを見ていたのは、それだけが理由ではなかった気がした。それ以上は分析しなかった。する必要を、感じなかったが、ふと何かに気づき蒼は立ち上がってナビに近づいた。
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