198. 威厳を示す時

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 手の中で、虹の輝きを纏った液体が揺れている。

 レスター三世はそれを苦々しい顔で見つめた。

「この国で作った……ワイン……なのか?」

「ええ。魔の森を開拓して、葡萄を育てておりますわ」

 ミーシャは、涼しい顔で答えた。まるで、庭で花を育てているとでも言うような気軽さだ。

 レスター三世は(いぶか)しげな顔で枢機卿と目を合わせた。

 魔の森。

 その名を聞いたことのない者はいないだろう。

 大陸の中央に広がる、呪われた原生林。数千年の昔から、人間の立ち入りを拒み続けてきた禁断の地。A級(エース)の冒険者ですら、深部に入れば生きて帰れないと言われている。

 魔物が跋扈し、瘴気が満ち、常識の通じない異界。

 そんな場所で、葡萄を育てている?

 ワインを作っている?

 もちろん、地理的に言えば今、自分も魔の森の奥深くに居るのだが、作物を育てるとなると土の問題や気候の問題があり、難度は格段に高い。

 特に嗜好品であるワインを作るには条件は相当に悪そうだった。

「なかなかいい出来ですのよ」

「……ふん」

 レスター三世は、鼻で嗤った。

 ここまで圧倒されっぱなしではあった。技術では完敗だ。それは認めざるを得ない。

 しかし、文化は違う。

 文化だけは、一朝一夕では作れないのだ。

 特にワインは、そうだ。

 良いワインを作るには、良い土壌、良い気候、良い品種が必要だ。そして何より、何世代にもわたって受け継がれてきた技術と経験が必要だ。

 それは、数年や数十年で真似できるものではない。

 レスター三世は、ワインに関しては絶対の自信があった。

 王族として六十年。世界中のありとあらゆる名産地の銘酒を口にしてきたのだ。舌の肥えた貴族たちが唸るような名酒を、数え切れないほど味わってきた。

 その自分が認めるワインなど、この世にそう多くはない。

 素人が作ったワインなど、飲むまでもなく底が知れている。

 ましてや、魔の森で作ったなど。

 笑わせるな。

 歴史ある国の者として威厳を示す時が来た――――。

 レスター三世は意気揚々と自らグラスを受け取る。

「わしは世界のありとあらゆる名産地のワインを飲んできておるんじゃ」

 説教じみた口調で、レスター三世は言った。

「君は若いからワインというものを知らんのじゃろう。ワインというのはな、そう簡単なもんじゃないぞ?」

 それでもミーシャは何も言わず、ただ微笑んでいる。

 その笑顔が、どこか挑発的に見えた。

 ――いいじゃろう。この小娘に、ワインの何たるかを教えてやる。

 レスター三世は、気楽に一口――。

 ピタッ。

 レスター三世の動きが、止まった。

 口の中で、液体が転がっている。

 舌の上で、味が広がっている。

 そして――。

 目が、見開かれた。

 顔が、驚愕に染まっていく。

 ――なんじゃ、これは。

 信じられなかった。

 口の中に広がるのは、完璧な調和だった。

 酸味、甘味、渋味、苦味。それらが絶妙なバランスで溶け合い、一つの芸術を形成している。

 もう一口。

 グラスを傾ける手が、微かに震えている。

 二口目は、さらに深い味わいを連れてきた。

 最初に感じた華やかな香りの奥に、複雑な層が隠れている。熟したベリー、焼きたてのパン、ほのかなスパイス、そして大地の香り。

 それらが次々と現れては消え、舌の上で踊っている。

 そして何より――。

 雑味が、ない。

 一切の濁りがない、透き通るような味わい。

 レスター三世は六十年間、数え切れないほどのワインを飲んできた。しかし、こんなに澄んだワインは飲んだことがなかった。

 まるで、液体の宝石だ。

 まるで、味覚で聴く音楽だ。

 レスター三世は何も言わず、ゆっくりと目を閉じた。

 まるで、祈りを捧げるかのように。

「ど、どうでしたか……?」

 枢機卿が、恐る恐る声をかけた。

 レスター三世の様子がおかしいことに、気づいたのだろう。

 しかしレスター三世は答えなかった。

 答える言葉が、見つからないのだ。

 ただ、渋い顔で「お前も飲んでみろ」というジェスチャーをするばかりだった。

 枢機卿は、いぶかしげにグラスを受け取った。

 アリスXI(イレブン)が、新しいグラスを差し出していた。相変わらず完璧な笑顔で。

 枢機卿は、一口含んだ。

「こ、これは……!」

 枢機卿の目が、大きく見開かれた。

 その反応は、レスター三世と全く同じだった。

 慌てて、もう一口。

「お、おぉぉぉぉ……」

 枢機卿は目を閉じ、しばらくその至高の芸術の余韻にひたっていた。

 グラスを持つ手が、微かに震えている。

 唇が、わなないている。

 これは感動だ。純粋な感動が魂を揺さぶってくる。

「口いっぱいに広がる、このフレッシュな酸味……」

 枢機卿は、絞り出すような声で言った。

「そして鼻から抜ける、高貴で繊細な香り……。一体これは……何なのですか!?」

 枢機卿は、目を真ん丸に見開いてミーシャを見つめた。

 その表情には、驚愕と――そして、ある種の恐怖が浮かんでいた。



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 手の中で、虹の輝きを纏った液体が揺れている。
 レスター三世はそれを苦々しい顔で見つめた。
「この国で作った……ワイン……なのか?」
「ええ。魔の森を開拓して、葡萄を育てておりますわ」
 ミーシャは、涼しい顔で答えた。まるで、庭で花を育てているとでも言うような気軽さだ。
 レスター三世は|訝《いぶか》しげな顔で枢機卿と目を合わせた。
 魔の森。
 その名を聞いたことのない者はいないだろう。
 大陸の中央に広がる、呪われた原生林。数千年の昔から、人間の立ち入りを拒み続けてきた禁断の地。|A級《エース》の冒険者ですら、深部に入れば生きて帰れないと言われている。
 魔物が跋扈し、瘴気が満ち、常識の通じない異界。
 そんな場所で、葡萄を育てている?
 ワインを作っている?
 もちろん、地理的に言えば今、自分も魔の森の奥深くに居るのだが、作物を育てるとなると土の問題や気候の問題があり、難度は格段に高い。
 特に嗜好品であるワインを作るには条件は相当に悪そうだった。
「なかなかいい出来ですのよ」
「……ふん」
 レスター三世は、鼻で嗤った。
 ここまで圧倒されっぱなしではあった。技術では完敗だ。それは認めざるを得ない。
 しかし、文化は違う。
 文化だけは、一朝一夕では作れないのだ。
 特にワインは、そうだ。
 良いワインを作るには、良い土壌、良い気候、良い品種が必要だ。そして何より、何世代にもわたって受け継がれてきた技術と経験が必要だ。
 それは、数年や数十年で真似できるものではない。
 レスター三世は、ワインに関しては絶対の自信があった。
 王族として六十年。世界中のありとあらゆる名産地の銘酒を口にしてきたのだ。舌の肥えた貴族たちが唸るような名酒を、数え切れないほど味わってきた。
 その自分が認めるワインなど、この世にそう多くはない。
 素人が作ったワインなど、飲むまでもなく底が知れている。
 ましてや、魔の森で作ったなど。
 笑わせるな。
 歴史ある国の者として威厳を示す時が来た――――。
 レスター三世は意気揚々と自らグラスを受け取る。
「わしは世界のありとあらゆる名産地のワインを飲んできておるんじゃ」
 説教じみた口調で、レスター三世は言った。
「君は若いからワインというものを知らんのじゃろう。ワインというのはな、そう簡単なもんじゃないぞ?」
 それでもミーシャは何も言わず、ただ微笑んでいる。
 その笑顔が、どこか挑発的に見えた。
 ――いいじゃろう。この小娘に、ワインの何たるかを教えてやる。
 レスター三世は、気楽に一口――。
 ピタッ。
 レスター三世の動きが、止まった。
 口の中で、液体が転がっている。
 舌の上で、味が広がっている。
 そして――。
 目が、見開かれた。
 顔が、驚愕に染まっていく。
 ――なんじゃ、これは。
 信じられなかった。
 口の中に広がるのは、完璧な調和だった。
 酸味、甘味、渋味、苦味。それらが絶妙なバランスで溶け合い、一つの芸術を形成している。
 もう一口。
 グラスを傾ける手が、微かに震えている。
 二口目は、さらに深い味わいを連れてきた。
 最初に感じた華やかな香りの奥に、複雑な層が隠れている。熟したベリー、焼きたてのパン、ほのかなスパイス、そして大地の香り。
 それらが次々と現れては消え、舌の上で踊っている。
 そして何より――。
 雑味が、ない。
 一切の濁りがない、透き通るような味わい。
 レスター三世は六十年間、数え切れないほどのワインを飲んできた。しかし、こんなに澄んだワインは飲んだことがなかった。
 まるで、液体の宝石だ。
 まるで、味覚で聴く音楽だ。
 レスター三世は何も言わず、ゆっくりと目を閉じた。
 まるで、祈りを捧げるかのように。
「ど、どうでしたか……?」
 枢機卿が、恐る恐る声をかけた。
 レスター三世の様子がおかしいことに、気づいたのだろう。
 しかしレスター三世は答えなかった。
 答える言葉が、見つからないのだ。
 ただ、渋い顔で「お前も飲んでみろ」というジェスチャーをするばかりだった。
 枢機卿は、いぶかしげにグラスを受け取った。
 アリス|XI《イレブン》が、新しいグラスを差し出していた。相変わらず完璧な笑顔で。
 枢機卿は、一口含んだ。
「こ、これは……!」
 枢機卿の目が、大きく見開かれた。
 その反応は、レスター三世と全く同じだった。
 慌てて、もう一口。
「お、おぉぉぉぉ……」
 枢機卿は目を閉じ、しばらくその至高の芸術の余韻にひたっていた。
 グラスを持つ手が、微かに震えている。
 唇が、わなないている。
 これは感動だ。純粋な感動が魂を揺さぶってくる。
「口いっぱいに広がる、このフレッシュな酸味……」
 枢機卿は、絞り出すような声で言った。
「そして鼻から抜ける、高貴で繊細な香り……。一体これは……何なのですか!?」
 枢機卿は、目を真ん丸に見開いてミーシャを見つめた。
 その表情には、驚愕と――そして、ある種の恐怖が浮かんでいた。