すべてが終わり、さすがに見て見ぬ振りを貫けなかったらしい近隣住民の通報により海斗は捕縛された。
錯乱状態だったのか、意識自体がなかったのか。
事件後の海斗の記憶に残るのは「美杏は無事保護された」という朗報に加え「左脚は切断するしかない」との宣告を受けたことぐらいだ。
そして現状、海斗が歩行どころか生活全般にまったく困らないのは、相当な権能を持つらしいこの男が手配してくれた精巧な義足のおかげである。
父を手に掛けて妹を助け出したことで、海斗はもう何も思い残すことはなく罪を償う気でいた。
それなのに何故か拘留もされずに、必要以上にも思える手厚い医療が施された。挙句、荒唐無稽な企ての主要人物として選定された、らしい。
この「機械の脚」を活かせ、と目の前の男が畳み掛けて来た。
人間の左脚が機械なのではない、逆に左脚だけを人間風に繕う時間がなかったのだという設定を使えと。
「これも司法取引ってやつなのか?」
「そう思ってくれても構わないよ。君に考えてほしいのは、『何が美杏にとって有益か』だけだ」
皮肉を込めた海斗の台詞にも、数々の修羅場を潜り抜けてきたのだろう相手は微塵も動じなかった。
「……私にも娘がいた」
口を噤んだままでいる海斗に、彼が唐突に語り出す。
「いた、って?」
サラリと過去形で口にした相手に、思わず訊き返していた。
「七歳の時に誘拐されたんだ。私に要求を飲ませるためにね。結果的には生かして帰す気は最初からなかったようだ。その日のうちに殺されたのはわかっている」
「だから……?」
海斗の呟きは黙殺される。
──七歳。現在の美杏とほぼ同じ。
何故こんな職務に忠実で冷徹そうな男が、たかが一人の少女を気に掛けるのか。
美杏に利用価値があるからか。
だったら父とどう違うというのか、とずっと棘のように引っ掛かっていた疑問が解けた気がした。
口先だけかもしれない、という疑念も拭えない。
海斗、……まだ十八の取るに足りない相手ならこの程度で懐柔できると甘く見たための計算ではないと誰が言える?
けれど、男の貼り付けた仮面のような無表情の裏の苦渋が微かに透けて見えた気がした。
信じてみようか。
少なくとも、この男の案に乗れば美杏の傍らにいて気配りすることはできる。万が一この男が「敵」なら、その時に動いても遅くはない筈だ。
どちらにしても、美杏が権力にとって「利用価値のある存在」と見做なされているのはまず間違いなかった。
それならこちらも利用してやろう。妹の身近にいられるこの機会を逃してはならない。
「……わかった」
「交渉成立だね。では、訓練を受けてもらおう」
アンドロイドに扮するための。
不安を隠しきれていないのだろう海斗に、美杏なら納得させられる、と男は持論を述べた。
機械工学や医学に関しても、彼女はおそらく同年代の子どもとは比べ物にならない、しかし所詮は半端な知識を有している。本人ではなく教えた側の能力の問題で。
だからこそ逆に、「そういうこともある」と丸め込めるというのだ。
それが事実なら哀れに思う。何も知らない、……余計なことだけ知るからこそ騙される美杏が。
マスターは本来、男性に向けられる呼称だ。
人工知能ならばどう判断するのか、と訓練担当と意見を交わした結果、「マスター」で通すことになったのだ。
こんな些細なことさえ疎かにはできない。
そう。この計画は、何があろうとも美杏の前で失敗することがあってはならなかった。
父親を殺した男が兄だなどと、妹の人生にとって枷にしかならない。
それでもせめて、すぐ近くにいて守りたかった。そのためには他に方法などない。
兄だと名乗る日は、永遠に来なくても。