【1】②
ー/ー
「音楽や、……芸術が悪いとは全然思わないわ。人生の彩りとしては素敵よね。ママも小さい頃ピアノは習ってて、後悔はしてないし」
多分私に告げるつもりはなかったはずの、ママがほろりと零した本音。
「──ただ仁嶋夫人のような人とは関わってほしくないから、帆南ちゃんにはわざと普通のお稽古事向けの教室を選んだの。本格的に考えてる人が絶対来ないような」
私は小学生の時、あくまでも教養や嗜み程度でピアノを習ってはいた。中学受験の塾に行くようになったら、そちらのほうが楽しくなって結局ピアノは三年でやめちゃったわ。
ピアノ教師って、生徒には偉そうに命令しかしちゃいけないってルールでもあるの?
最初から趣味で、ここまであからさまには言わなくても「ただの手慰みでしかない」ってママが伝えてるのに。「本気でやりなさい! あなたならもっと上に行ける!」って、私はそんなこと求めてないって理解できないんだね。
まああれでも「ピアノ教師」の中ではマシな部類だとしたら、ママの心遣いには本当に感謝してるよ。
「帆南ちゃん、あの大学目指してるんでしょ? 女の子は理系でそんなにお勉強頑張るより、もうちょっと、ねぇ」
高校に行こうと家を出たところで顔を合わせた仁嶋家の母親が、嫌みっぽく声を掛けて来た。
「母のようになりたいので。社会の役に立つ、自分の力で生きて行ける人間になりたいんです。それは男女関係ないと思ってますし、親に『女の子だから』なんて一度も言われたことありません」
別に愛想笑いで済ませても良かったし、実際普段はそうしてた。実質無視と同じ。
だけど結局、相手を増長させただけだったんだよね。だからもう、ここで黙らせてやろうと思ったんだ。
「そ、れは、あたしは働いてもない主婦だけど。なんの役にも立ってないわけじゃないし──」
私はあんたのことなんか言ってないよ。思ってはいても。
「お前みたいな、他人に迷惑掛ける以外に能のないタダの主婦にだけはなりたくないのよ」
口にも表情にも出さない、私の意思ですらない妄想。
そんなものを勝手に読み取った気になって憤慨してるのは、役立たずの穀潰しだって自覚があるから?
このオバサンが、ごく普通の主婦なら何も感じない。というか、主婦ってだけならたくさんいるでしょ。このあたりだけでも。
私の通う中高の特進クラスには、母親も専門職って子が珍しくないとはいえ専業主婦も普通にいるわ。
家事や育児を「自分の仕事」として頑張ってる人を低く見る気なんてない。そこまで頭悪くないつもりよ。
周囲の住民は、休日には必ず、週に何度かは平日の夜にさえ垂れ流される仁嶋一家の騒音に耐えて過ごしてた。『家族合奏』という名の、彼らの自己満足以外の何物でもない音の攻撃に。
上品な人が多い土地柄だからか、直接文句を言う人はいなかったみたい。もしかしたらあの家族って、本当に他人に迷惑を掛けてるってわかってない可能性もあるんだ。
世の中いろんな人がいるから、自分たちの常識が世間の常識だと信じて疑わなかったのかもね。「素晴らしい演奏を聴かせてあげている」くらい思い上がってたりして?
まあ、あり得るか。仁嶋一家なら。
合格したとして、の話なのは言うまでもない。
私の目指す大学は、電車で一時間も掛からないくらい。十分近い部類じゃないかな。
それでも、受かったら大学の傍で一人暮らしさせてもらいたい、と私は考えていた。
その理由をよく知る両親も、おそらく反対はしないと確信してたから。
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多分私に告げるつもりはなかったはずの、ママがほろりと零した本音。
「──ただ|仁嶋夫人のような《ああいう》人とは関わってほしくないから、|帆南《ほなみ》ちゃんにはわざと普通のお稽古事向けの教室を選んだの。本格的に考えてる人が絶対来ないような」
私は小学生の時、あくまでも教養や嗜み程度でピアノを習ってはいた。中学受験の塾に行くようになったら、そちらのほうが楽しくなって結局ピアノは三年でやめちゃったわ。
ピアノ教師って、生徒には偉そうに命令しかしちゃいけないってルールでもあるの?
最初から趣味で、ここまであからさまには言わなくても「ただの手慰みでしかない」ってママが伝えてるのに。「本気でやりなさい! あなたならもっと上に行ける!」って、私はそんなこと求めてないって理解できないんだね。
まああれでも「ピアノ教師」の中ではマシな部類だとしたら、ママの心遣いには本当に感謝してるよ。
「帆南ちゃん、あの大学目指してるんでしょ? 女の子は理系でそんなにお勉強頑張るより、もうちょっと、ねぇ」
高校に行こうと家を出たところで顔を合わせた仁嶋家の母親が、嫌みっぽく声を掛けて来た。
「母のようになりたいので。《《社会の役に立つ》》、自分の力で生きて行ける人間になりたいんです。それは男女関係ないと思ってますし、親に『女の子だから』なんて一度も言われたことありません」
別に愛想笑いで済ませても良かったし、実際普段はそうしてた。実質無視と同じ。
だけど結局、|相手《この女》を増長させただけだったんだよね。だからもう、ここで黙らせてやろうと思ったんだ。
「そ、れは、あたしは働いてもない主婦だけど。なんの役にも立ってないわけじゃないし──」
私はあんたのことなんか言ってないよ。思ってはいても。
「お前みたいな、他人に迷惑掛ける以外に能のないタダの主婦にだけはなりたくないのよ」
口にも表情にも出さない、私の意思ですらない妄想。
そんなものを勝手に読み取った気になって憤慨してるのは、役立たずの穀潰しだって自覚があるから?
このオバサンが、ごく普通の主婦なら何も感じない。というか、主婦ってだけならたくさんいるでしょ。このあたりだけでも。
私の通う中高の特進クラスには、母親も専門職って子が珍しくないとはいえ専業主婦も普通にいるわ。
家事や育児を「自分の仕事」として頑張ってる人を低く見る気なんてない。そこまで頭悪くないつもりよ。
周囲の住民は、休日には必ず、週に何度かは平日の夜にさえ垂れ流される仁嶋一家の騒音に耐えて過ごしてた。『家族合奏』という名の、彼らの自己満足以外の何物でもない音の攻撃に。
上品な人が多い土地柄だからか、直接文句を言う人はいなかったみたい。もしかしたらあの家族って、本当に他人に迷惑を掛けてるってわかってない可能性もあるんだ。
世の中いろんな人がいるから、自分たちの常識が世間の常識だと信じて疑わなかったのかもね。「素晴らしい演奏を聴かせて《《あげて》》いる」くらい思い上がってたりして?
まあ、あり得るか。|仁嶋一家《あいつら》なら。
合格したとして、の話なのは言うまでもない。
私の目指す大学は、電車で一時間も掛からないくらい。十分近い部類じゃないかな。
それでも、受かったら大学の傍で一人暮らしさせてもらいたい、と私は考えていた。
その理由をよく知る両親も、おそらく反対はしないと確信してたから。