【1】①
ー/ー
ああ、また始まった。
しっかり窓を閉めているにも関わらず、遠慮なく流れ込んでくる音の洪水。複数楽器の演奏だ。
でたらめな音じゃなく一応は曲を奏でてはいるんだから、まあ「演奏」なんでしょ。本人たちにとっては。
私だってピアノやヴァイオリン、ギターでもなんでも、音楽そのものを忌避してるわけじゃないわ。でも音楽をやる人、とはできるかぎり関わりたくないとは思ってる。
十七年の人生経験上、関わる価値のある人間なんていなかったから。この「音」の元を筆頭にね。
自分が望んで聴くなら、むしろピアノ曲は好きなくらいよ。心穏やかになれる。あるいは楽しく高揚した気分になれる。
だけど、こちらの意向を無視してただ流れ込んでくる、強引に押し付けられる「音楽」なんて騒音に過ぎない。
技量は問題じゃないの。
たとえ上手くても、聞きたくもないのに強要されるのは音の暴力でしかないのよ。
受験勉強を強制的に中断させられて、私は切れた集中力を何とか繋ぐため水分を取ろうとキッチンへ向かった。
隣に住む仁嶋って家族は、自称音楽一家、ってやつだ。
音大を出たのが唯一の自慢らしいピアノを弾く母親、専門じゃないけどヴァイオリンを鳴らす父親。
息子二人にも小さい頃からその二つをやらせてた、というか正確にはやらせたかったけど中途半端に終わったみたいね。結局、どちらも音大には進んでいない。ごく普通の私立大文系学部に通ってるそうよ。
それに対する感想は、特になにもない。「ああ、そうなんですね」ってだけ。中堅大学でも本人の実力と志望に合ってるなら、他人が口出すことじゃないもの。バカにする気なんて一切ないし、正直しようと思うほどの興味もないのよ。
「クラシックはお金がかかるから。お金がないとできないから」
それが仁嶋家の母親の口癖だったんだって。自分の家が裕福だったという自慢なんでしょ。
これは以前、近所のおばさまが話してたのを耳にしたの。「音楽って大変らしいですね」って感じの話題で。
自慢話を聞かされてる人たちの方が間違いなく経済的な余裕があるのに、にこにこ黙って相手してもらって悦に入ってたの?
皆さん決して指摘なんてしないから気づかなかったのかしら。
最近はあの母親も一切口にしないものね。
息子二人の「音楽の英才教育」を中断せざるを得なかったのは、才能の問題よりも単純にお金が続かなかったからだと周り中は察してる。
「お金のかかるクラシック」で、門外漢の私でさえ二流未満だと知っている音大で四年も遊ばせてくれた実家に頼ればいいのに。
お金ならあるんでしょ? 自分で散々言ってたんでしょ? どうしてそうしないのぉ?
──そこそこ羽振りの良かった母親の実家が、事業の失敗で食べて行くのが精一杯にまで落ちぶれたから、よね?
一般的には高級住宅地って呼ばれてるらしいこの街で、仁嶋家がひと目でわかるくらい土地も構えも他の家より狭くて小さいのも、見栄で無理したからなんだって?
嫌われてると、裏側だけでも噂って光の速さで回るんだってこの年齢で知っちゃったわ。学校ならともかく、いい大人の世界でも。
所謂井戸端会議をしていても、この街に住む奥さまたちの会話は基本的に悪口には行かない。
良いことでなければ当たり障りのない話しか持ち出さない彼女たちが、私の知る限り遠回しにでも嫌悪を示すのは仁嶋家に対してだけだった。
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しっかり窓を閉めているにも関わらず、遠慮なく流れ込んでくる音の洪水。複数楽器の演奏だ。
でたらめな音じゃなく一応は曲を奏でてはいるんだから、まあ「演奏」なんでしょ。本人たちにとっては。
私だってピアノやヴァイオリン、ギターでもなんでも、音楽そのものを忌避してるわけじゃないわ。でも音楽をやる人、とはできるかぎり関わりたくないとは思ってる。
十七年の人生経験上、関わる価値のある人間なんていなかったから。この「音」の元を筆頭にね。
自分が望んで聴くなら、むしろピアノ曲は好きなくらいよ。心穏やかになれる。あるいは楽しく高揚した気分になれる。
だけど、こちらの意向を無視してただ流れ込んでくる、強引に押し付けられる「音楽」なんて騒音に過ぎない。
技量は問題じゃないの。
たとえ上手くても、聞きたくもないのに強要されるのは音の暴力でしかないのよ。
受験勉強を強制的に中断させられて、私は切れた集中力を何とか繋ぐため水分を取ろうとキッチンへ向かった。
隣に住む|仁嶋《にしま》って家族は、自称音楽一家、ってやつだ。
音大を出たのが唯一の自慢らしいピアノを弾く母親、専門じゃないけどヴァイオリンを鳴らす父親。
息子二人にも小さい頃からその二つをやらせてた、というか正確にはやらせたかったけど中途半端に終わったみたいね。結局、どちらも音大には進んでいない。ごく普通の私立大文系学部に通ってるそうよ。
それに対する感想は、特になにもない。「ああ、そうなんですね」ってだけ。中堅大学でも本人の実力と志望に合ってるなら、他人が口出すことじゃないもの。バカにする気なんて一切ないし、正直しようと思うほどの興味もないのよ。
「クラシックはお金がかかるから。お金がないとできないから」
それが仁嶋家の母親の口癖だったんだって。自分の家が裕福だったという自慢なんでしょ。
これは以前、近所のおばさまが話してたのを耳にしたの。「音楽って大変らしいですね」って感じの話題で。
自慢話を聞かされてる人たちの方が間違いなく経済的な余裕があるのに、にこにこ黙って相手してもらって悦に入ってたの?
皆さん決して指摘なんてしないから気づかなかったのかしら。
最近はあの母親も一切口にしないものね。
息子二人の「音楽の英才教育」を中断せざるを得なかったのは、才能の問題よりも単純にお金が続かなかったからだと周り中は察してる。
「お金のかかるクラシック」で、門外漢の私でさえ二流《《未満》》だと知っている音大で四年も遊ばせてくれた実家に頼ればいいのに。
お金ならあるんでしょ? 自分で散々言ってたんでしょ? どうしてそうしないのぉ?
──そこそこ羽振りの良かった母親の実家が、事業の失敗で食べて行くのが精一杯にまで落ちぶれたから、よね?
一般的には高級住宅地って呼ばれてるらしいこの街で、仁嶋家がひと目でわかるくらい土地も構えも他の家より狭くて小さいのも、見栄で無理したからなんだって?
嫌われてると、裏側だけでも噂って光の速さで回るんだってこの年齢で知っちゃったわ。学校ならともかく、いい大人の世界でも。
所謂井戸端会議をしていても、この街に住む奥さまたちの会話は基本的に悪口には行かない。
良いことでなければ当たり障りのない話しか持ち出さない彼女たちが、私の知る限り遠回しにでも嫌悪を示すのは仁嶋家に対してだけだった。