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第4話 母子の悲劇と救済の語り

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 昔々、この場所には母娘が二人きりで住んでいた。山菜を取って近くの村に売り歩く母娘を、村の者も快く迎えていた。働き者の母娘で、村で何かがあれば快く手を貸す。人当たりが良いこともあり、誰も邪険に思わなかったのだ。

 加えて、この家の娘は器量がよく働き者で、明るく親切であった。その為村の若者は娘を気に入り、嫁にと狙って茶に誘ったり花を贈ったり。
 だがこの娘は村長の息子と良い仲で、娘が十八になったら祝言をと、親同士も話が進んでいたのだ。

 そんな、ある日の夜だった。戌刻(21時)から亥刻(22時)へと移ろうという頃、戸を叩く者があった。
 母がそろりと戸を引くと、男が一人立っていた。

「すまないが、一晩の宿を頼めないだろうか? 峠を越えたはいいが足を痛めちまって」
「そらぁ、気の毒に」

 母は男を土間へと通し、もてなしてやった。娘もこれといって疑問に思う事もなかった。
 過去に何度も、この男のように峠を越えたが日が暮れて困った旅人や商人を泊めてやったことがある。皆お礼にと遠い町の話を聞かせてくれたり、食べ物を分けてくれたりした。
 親切な母娘はいつの間にか、人を疑うという心を忘れてしまっていたのだ。


 旅の男は丸腰で、これから出稼ぎに行くのだと言っていた。この村はもう数日行くと港町へと通じている。峠のすぐ麓とあって小さいながらも往来は多く、宿をとる者も多い。この男のように出稼ぎに出る若者も多く通る。
 母娘は男の話をしばし楽しみ、男に土間の一角を貸して眠りについた。

 が、草木も眠る深い時間、突如響いた悲鳴に母は飛び起きた。

「おっかぁ! 助けて、おっかぁ!」

 見れば男は娘に馬乗りになり、帯で手を縛り上げていた。乱暴な言葉と怒号、振り上げられる拳。綺麗な顔に痣をつくった娘が泣き叫んでいる。
 母はどうにかしようと立ち上がり、男に飛びかかった。が、男に敵うわけがない。乱暴に振り払われて床に転がった母へと男は向き直り、手に大きな鉈を持った。
 母は目を剥いた。長年藪を刈り、邪魔な木々を払い、薪を割ったそれが母の肩に埋まった。

「いやぁぁ! おっかぁぁ!」

 縛り上げられ動けない娘が叫ぶ。ドサリと崩れた母を放置し、男は娘の元へと戻っていく。

 憎い……憎い! 何故こんな事をするのだ。私が、娘が、何をしたというのだ!
 あぁ、憎い……憎い……ニクイ。殺シテクレル……コノ恨ミ、決シテ許スモノカ!!

◇◆◇

 ヨリはゆっくりと息を吸う。そして深く吐いた。

「さぞ、恨めしい思いだったでしょうね」

 静かな深い声に、老女は動きを止めた。恐ろしい魔物であるにも関わらず、ヨリの手は慈しみを持って老女に触れる。そしてにっこりと微笑んだ。

「物語には、終わりが必要ですね。貴方を救う終わりを与えましょう」

 スッと息を吸ったヨリは老女の前に座り、銀の目を閉じて声を発する。透き通るような声で、老女の記憶のその先を語り始めた。

「娘の元へと戻ろうとする男の足に、母は最後の力を振り絞ってしがみついた。娘を守る為、決して離してはならない。死んだとしてもこの腕だけは離すものか。
暴れる男に踏みつけられても、母は全身で男を捕らえた。
娘は必死に帯を解くと、一目散に駆け出した。脇目も振らず慣れた森の中を、愛しい男のいる村へと。普段から山歩きをしていた娘にとってここは庭のようなもの。不慣れな男が追いつく事などできなかった。
村へと辿り着いた娘は村長の家に逃げ込み、あったことを全て話した。村の男衆が集まり、松明を持って母娘の家へとなだれ込む。
男はまだ母娘の家の中にいた。事切れた母はそれでも男を離しはしなかったのだ。
男衆に捕まった男は引き立てられ、母を殺した重罪人として首を切られて晒されることとなり、娘を守った母は立派な墓を建ててもらい、手厚く供養された。
そして娘は村長の息子と無事に祝言を挙げ、末永く幸せに暮らしたということです」

 老女の目に、僅かに光るものがある。それを見届けて、ヨリは静かに頷いた。

 キョウの刀が老女の首を落とす。ゴトリと落ちた首はそれでも涙を流し、塵と消えるその瞬間まで静かであった。

「……救われますかね?」
「可哀想でも、人を食らって自我を失った者が人に戻る事はありません。せめて最後、飢えを忘れてくれたのならば」
「そう、ですよね」

 刀を握るキョウの手に力が加わる。ヨリはその手にそっと触れた。雪のように冷たい手を。


 その夜、二人はこの荒ら屋で一夜を明かした。外套を纏い、大きな体に背を預けるのは安心感があるはずだ。
 だが、その体には体温と呼べるものはない。どれだけ胸に耳をつけても、生きているはずの音はしない。
 ヨリの目には、生きている者の姿は映らない。白銀の目をそっと開け、眠るキョウを見る。そこには色鮮やかな彼の姿が映っていた。

 翌早朝、まだ空が白いうちに二人は廃屋を出た。昨日の様子では心配した団子屋の主人が近くまで様子を見にくるかもしれない。
 これ以上は、関わらないほうが互いの為だ。

「行きましょうか」
「はい」

 二人はそのまま峠へと足を向ける。目指すあてなどない、気ままな旅の再開であった。


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次のエピソードへ進む 第5話 咎人と用心棒


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 昔々、この場所には母娘が二人きりで住んでいた。山菜を取って近くの村に売り歩く母娘を、村の者も快く迎えていた。働き者の母娘で、村で何かがあれば快く手を貸す。人当たりが良いこともあり、誰も邪険に思わなかったのだ。
 加えて、この家の娘は器量がよく働き者で、明るく親切であった。その為村の若者は娘を気に入り、嫁にと狙って茶に誘ったり花を贈ったり。
 だがこの娘は村長の息子と良い仲で、娘が十八になったら祝言をと、親同士も話が進んでいたのだ。
 そんな、ある日の夜だった。戌刻《21時》から亥刻《22時》へと移ろうという頃、戸を叩く者があった。
 母がそろりと戸を引くと、男が一人立っていた。
「すまないが、一晩の宿を頼めないだろうか? 峠を越えたはいいが足を痛めちまって」
「そらぁ、気の毒に」
 母は男を土間へと通し、もてなしてやった。娘もこれといって疑問に思う事もなかった。
 過去に何度も、この男のように峠を越えたが日が暮れて困った旅人や商人を泊めてやったことがある。皆お礼にと遠い町の話を聞かせてくれたり、食べ物を分けてくれたりした。
 親切な母娘はいつの間にか、人を疑うという心を忘れてしまっていたのだ。
 旅の男は丸腰で、これから出稼ぎに行くのだと言っていた。この村はもう数日行くと港町へと通じている。峠のすぐ麓とあって小さいながらも往来は多く、宿をとる者も多い。この男のように出稼ぎに出る若者も多く通る。
 母娘は男の話をしばし楽しみ、男に土間の一角を貸して眠りについた。
 が、草木も眠る深い時間、突如響いた悲鳴に母は飛び起きた。
「おっかぁ! 助けて、おっかぁ!」
 見れば男は娘に馬乗りになり、帯で手を縛り上げていた。乱暴な言葉と怒号、振り上げられる拳。綺麗な顔に痣をつくった娘が泣き叫んでいる。
 母はどうにかしようと立ち上がり、男に飛びかかった。が、男に敵うわけがない。乱暴に振り払われて床に転がった母へと男は向き直り、手に大きな鉈を持った。
 母は目を剥いた。長年藪を刈り、邪魔な木々を払い、薪を割ったそれが母の肩に埋まった。
「いやぁぁ! おっかぁぁ!」
 縛り上げられ動けない娘が叫ぶ。ドサリと崩れた母を放置し、男は娘の元へと戻っていく。
 憎い……憎い! 何故こんな事をするのだ。私が、娘が、何をしたというのだ!
 あぁ、憎い……憎い……ニクイ。殺シテクレル……コノ恨ミ、決シテ許スモノカ!!
◇◆◇
 ヨリはゆっくりと息を吸う。そして深く吐いた。
「さぞ、恨めしい思いだったでしょうね」
 静かな深い声に、老女は動きを止めた。恐ろしい魔物であるにも関わらず、ヨリの手は慈しみを持って老女に触れる。そしてにっこりと微笑んだ。
「物語には、終わりが必要ですね。貴方を救う終わりを与えましょう」
 スッと息を吸ったヨリは老女の前に座り、銀の目を閉じて声を発する。透き通るような声で、老女の記憶のその先を語り始めた。
「娘の元へと戻ろうとする男の足に、母は最後の力を振り絞ってしがみついた。娘を守る為、決して離してはならない。死んだとしてもこの腕だけは離すものか。
暴れる男に踏みつけられても、母は全身で男を捕らえた。
娘は必死に帯を解くと、一目散に駆け出した。脇目も振らず慣れた森の中を、愛しい男のいる村へと。普段から山歩きをしていた娘にとってここは庭のようなもの。不慣れな男が追いつく事などできなかった。
村へと辿り着いた娘は村長の家に逃げ込み、あったことを全て話した。村の男衆が集まり、松明を持って母娘の家へとなだれ込む。
男はまだ母娘の家の中にいた。事切れた母はそれでも男を離しはしなかったのだ。
男衆に捕まった男は引き立てられ、母を殺した重罪人として首を切られて晒されることとなり、娘を守った母は立派な墓を建ててもらい、手厚く供養された。
そして娘は村長の息子と無事に祝言を挙げ、末永く幸せに暮らしたということです」
 老女の目に、僅かに光るものがある。それを見届けて、ヨリは静かに頷いた。
 キョウの刀が老女の首を落とす。ゴトリと落ちた首はそれでも涙を流し、塵と消えるその瞬間まで静かであった。
「……救われますかね?」
「可哀想でも、人を食らって自我を失った者が人に戻る事はありません。せめて最後、飢えを忘れてくれたのならば」
「そう、ですよね」
 刀を握るキョウの手に力が加わる。ヨリはその手にそっと触れた。雪のように冷たい手を。
 その夜、二人はこの荒ら屋で一夜を明かした。外套を纏い、大きな体に背を預けるのは安心感があるはずだ。
 だが、その体には体温と呼べるものはない。どれだけ胸に耳をつけても、生きているはずの音はしない。
 ヨリの目には、生きている者の姿は映らない。白銀の目をそっと開け、眠るキョウを見る。そこには色鮮やかな彼の姿が映っていた。
 翌早朝、まだ空が白いうちに二人は廃屋を出た。昨日の様子では心配した団子屋の主人が近くまで様子を見にくるかもしれない。
 これ以上は、関わらないほうが互いの為だ。
「行きましょうか」
「はい」
 二人はそのまま峠へと足を向ける。目指すあてなどない、気ままな旅の再開であった。