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第3話 嘆きの家

ー/ー



 夜闇は深く、影は濃く。冷たくなった空気が人々の体まで凍てつかせる。既に暦の上では春であるが、季節の進みはやや遅いようにも感じる。
 月は雲に隠れ、星の光はあまりに頼りなく。

 そんな夜道を、ヨリは行灯も持たずに進んでいく。相も変わらず迷いもなく、道の小石に足を取られる事もない。白地に、裾に藤を飾った女性のような着物を纏う彼こそが、夜道で会えば魔性に思えた。

「流石に冷えます、ヨリ様」

 やや後を行くキョウが厚手の羽織をヨリに着せかける。それを肩にかけたまま、ふとヨリは足を止めた。

 丁度、峠へと入る少し前。茶屋の主人の話では、この辺りで声が聞こえるそうなのだが。

「この辺りですよね?」
「そうですね」

 そうして辺りを見回した時だった。
 闇に紛れて風に乗り、ほんの僅かに女の声が聞こえた。それは誰かに助けを求める切迫したもので、「助けて」「誰か!」を繰り返している。

「……こちらですね」

 膝下辺りまで草が覆う道だが、確かに右の方へと入れる。足を向けるヨリの前にキョウが出て、道を分けるように踏みながら進んでいった。

 そうしてどのくらい分け入ったか。既に元の街道が見えない。空を覆い隠すように木々が枝を張り、より濃い影を落としている。
 その道を抜けた先に、僅かに開けた場所が見えた。

 それは、一軒の廃屋だった。屋根の一部は穴が開き、板壁の一部は剥がれ、戸はがたついて外れかけ、表に置いてある瓶には大きな亀裂が走っている。家の周りの草は高く、長年人など住んでいないのだと分かる。
 だがその中から、若い女の声がしていた。

「何か見えますか、キョウ」
「いえ、俺の目には。ヨリ様は?」
「……家の中に、老婆が一人。おそらくお前にも見えますよ」
「それって……」

 静かに伝えるヨリの言葉に、キョウは緊張したように身を強ばらせる。そうして慎重に、ヨリの前を進んだ。

 家の中は更に荒れていた。土間の釜はひっくり返り、上がり一間も物が散乱している。その荒れようは年月によるものとは到底思えない。何者かが暴れて物がひっくり返った。そう思わせるものだった。

 その暗がりの中、不気味な声がブツブツと何かを言っている。鈍く光る目が二つ、闇に浮かんだ。
 その瞬間、影が尋常ならざる早さで上へと流れた。心得のない者であれば闇が動いたように見えただろう。だが、キョウは片足を引いて刀の柄に手を添え、降る闇へ向かって一閃放った。
 金属のぶつかる硬い音が響く。やや上を鋭く見据えるキョウの前には、鉈を持った小柄な老女がいた。髪は白くざんばらで、手足は骨と皮になり、薄汚れた着物から見える胸元は肋が浮いている。
 肌は土気色で頬はこけ、目だけが爛々と光る老女の口元は赤黒く何かがこびりつき、黄ばんだガタガタの歯が覗く。

「見えますか?」
「はい」
「では、魔物ですね。可哀想に、恨みに捕らわれ我を忘れています。キョウ、少し抑えてください」
「畏まりました」

 魔物と対峙しているにも関わらず、ヨリの声はどこまでも穏やかなまま。そんな彼を庇うキョウも淡々と返し、刀を構える。
 老女は鉈を振り回してキョウへと迫る。あんな骨ばかりの体のどこからその速さが出るのか。体ごとぶつかる老女の一撃は体躯のいいキョウの刀を軋ませる。
 だが、キョウはどこまでも冷静だった。振り払った老女が体勢を整えるよりも前に一足飛びに前進し、下から上へと切り上げる。刀は鋭い切れ味で腕ごと老女の鉈を飛ばした。天井の梁に突き立った鉈、ぼとりと落ちた腕がそれでももがくように動く。
 その腕を、ゆったりとヨリが拾い上げた。

「キョウ、ご苦労様です」

 叫ぶ老女を、キョウはふん縛って腐りかけた床に押さえつけている。暴れ、白髪を振り乱す老女の前に立ったヨリが膝をつき、顔を綺麗な手で挟み込んで上向かせる。そうして鈍く光る目を覗き込んだ。

「では、見せて頂きましょうか。貴方の嘆きを」

 閉じていた両眼が、ゆっくりと開かれる。その目は人のものとは異なった。夜に浮かぶ月のように白銀に光る瞳に、縦に細い黒目。青白く、怪しく、そして見る者を魅せる輝きを放つ瞳に吸い込まれ、老女は僅かに静かになった。

 魔を覗く魔物の瞳。異端の語り部は哀れな老女の心を覗き込んだ。


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 夜闇は深く、影は濃く。冷たくなった空気が人々の体まで凍てつかせる。既に暦の上では春であるが、季節の進みはやや遅いようにも感じる。
 月は雲に隠れ、星の光はあまりに頼りなく。
 そんな夜道を、ヨリは行灯も持たずに進んでいく。相も変わらず迷いもなく、道の小石に足を取られる事もない。白地に、裾に藤を飾った女性のような着物を纏う彼こそが、夜道で会えば魔性に思えた。
「流石に冷えます、ヨリ様」
 やや後を行くキョウが厚手の羽織をヨリに着せかける。それを肩にかけたまま、ふとヨリは足を止めた。
 丁度、峠へと入る少し前。茶屋の主人の話では、この辺りで声が聞こえるそうなのだが。
「この辺りですよね?」
「そうですね」
 そうして辺りを見回した時だった。
 闇に紛れて風に乗り、ほんの僅かに女の声が聞こえた。それは誰かに助けを求める切迫したもので、「助けて」「誰か!」を繰り返している。
「……こちらですね」
 膝下辺りまで草が覆う道だが、確かに右の方へと入れる。足を向けるヨリの前にキョウが出て、道を分けるように踏みながら進んでいった。
 そうしてどのくらい分け入ったか。既に元の街道が見えない。空を覆い隠すように木々が枝を張り、より濃い影を落としている。
 その道を抜けた先に、僅かに開けた場所が見えた。
 それは、一軒の廃屋だった。屋根の一部は穴が開き、板壁の一部は剥がれ、戸はがたついて外れかけ、表に置いてある瓶には大きな亀裂が走っている。家の周りの草は高く、長年人など住んでいないのだと分かる。
 だがその中から、若い女の声がしていた。
「何か見えますか、キョウ」
「いえ、俺の目には。ヨリ様は?」
「……家の中に、老婆が一人。おそらくお前にも見えますよ」
「それって……」
 静かに伝えるヨリの言葉に、キョウは緊張したように身を強ばらせる。そうして慎重に、ヨリの前を進んだ。
 家の中は更に荒れていた。土間の釜はひっくり返り、上がり一間も物が散乱している。その荒れようは年月によるものとは到底思えない。何者かが暴れて物がひっくり返った。そう思わせるものだった。
 その暗がりの中、不気味な声がブツブツと何かを言っている。鈍く光る目が二つ、闇に浮かんだ。
 その瞬間、影が尋常ならざる早さで上へと流れた。心得のない者であれば闇が動いたように見えただろう。だが、キョウは片足を引いて刀の柄に手を添え、降る闇へ向かって一閃放った。
 金属のぶつかる硬い音が響く。やや上を鋭く見据えるキョウの前には、鉈を持った小柄な老女がいた。髪は白くざんばらで、手足は骨と皮になり、薄汚れた着物から見える胸元は肋が浮いている。
 肌は土気色で頬はこけ、目だけが爛々と光る老女の口元は赤黒く何かがこびりつき、黄ばんだガタガタの歯が覗く。
「見えますか?」
「はい」
「では、魔物ですね。可哀想に、恨みに捕らわれ我を忘れています。キョウ、少し抑えてください」
「畏まりました」
 魔物と対峙しているにも関わらず、ヨリの声はどこまでも穏やかなまま。そんな彼を庇うキョウも淡々と返し、刀を構える。
 老女は鉈を振り回してキョウへと迫る。あんな骨ばかりの体のどこからその速さが出るのか。体ごとぶつかる老女の一撃は体躯のいいキョウの刀を軋ませる。
 だが、キョウはどこまでも冷静だった。振り払った老女が体勢を整えるよりも前に一足飛びに前進し、下から上へと切り上げる。刀は鋭い切れ味で腕ごと老女の鉈を飛ばした。天井の梁に突き立った鉈、ぼとりと落ちた腕がそれでももがくように動く。
 その腕を、ゆったりとヨリが拾い上げた。
「キョウ、ご苦労様です」
 叫ぶ老女を、キョウはふん縛って腐りかけた床に押さえつけている。暴れ、白髪を振り乱す老女の前に立ったヨリが膝をつき、顔を綺麗な手で挟み込んで上向かせる。そうして鈍く光る目を覗き込んだ。
「では、見せて頂きましょうか。貴方の嘆きを」
 閉じていた両眼が、ゆっくりと開かれる。その目は人のものとは異なった。夜に浮かぶ月のように白銀に光る瞳に、縦に細い黒目。青白く、怪しく、そして見る者を魅せる輝きを放つ瞳に吸い込まれ、老女は僅かに静かになった。
 魔を覗く魔物の瞳。異端の語り部は哀れな老女の心を覗き込んだ。