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67.白き空間、虚無に染まりて

ー/ー



 歩いていると思っていた。

 送り出され、境界を『破壊』して、進んでいる……そう思っていた。

 あるようで、無い。無いようである……全身の感覚がおかしくなる。
『神からの干渉の破壊』……自身にかけてあるそれは、未だに解いていない……それなのに、惑わそうとしてくる過干渉の空間……ある筈の無い懐かしい感覚に触れられ、捕らわれる。

「あぁ……――」

 ゼンの指を、小さな手が握っていた。

『――――……妹の……――よ』

 小さな小さな命がそこにあった。あの頃はまだ、母の声は自分にも優しく、心を温めてくれていた。

 ゼンの理解を追い抜き、何度も頭の中にノイズが走る。

 飛び飛びに蘇る。

 暖色で彩られていた幼き頃の思い出の一場面一場面が、徐々にくすんで色を失っていく。

 両親の争う声、自分に向けられる熱は、重く痛い物だけに変わり……ずっと泣いている小さな女の子にそれを与えないように庇い守る。

 そんな日々は、白と黒と赤だけが映えていた。

『なに、それ』
『わ!な、内緒!まだ内緒!』
『……バレねぇようにしとけよ』
『うん……』

 世間体……それだけの理由でふたりは学校には、通わせてもらっていた。義務教育まで……その後は――。

 現代社会における、裏の世界。華やかな表舞台で、心から笑う同世代の人間たちとすれ違うこともなくなっていく。

 何人目の男なのか。本当の父親だったのか。それすら分からなくなる程、瀬屑善はあるべき姿を失い、言われるがまま働き、そこで息をしているだけになった。

 そうしているのは、すべて妹の為。

 金周りはそこら辺の会社員の何倍も良かった。だから、妹だけは……離れさせ、隠して、生かしてやれていた。

「そう、思っていた」

 会えるのはひと月に1回あるかどうか。その時は、3ヶ月ぶりに隠れ家のアパートに足を運んだ。

『は……?』
『……』

 何日、窓を閉め切っていたのだろう。

 咽るほどに籠もった、男女の体液が混ざったすえた臭い。その後に感じたツンと鼻に刺さるアンモニア臭は、布団に横たわり動かない……妹の垂れ流した糞尿の臭い。

「そうだ……もう、この時点で、未来はなくなってしまった」

 体はまだ、温かい。死んだのは、その心。
 虚ろな目に、自分が映っているのがわかる。確かに見ていた。

『――……です……時間はかかるかも知れませんが……できる限り、寄り添って』
『……』

 瀬屑善は逃げ出した。
 遠くの病院で妹を入院させ、医師の指示通り、片時も離れずに。少しずつ、変化を見せた……改善であれば、どんなに良かっただろう。

『妊娠されています』

 まだ……14歳だった。

 もちろん、産ませる訳がない。本能で優しく愛おしくその腹をさすっていようと……妹を壊したどこの誰だかわからない男の子供なぞ……もし産まれてきていたとしても、この手で殺すだろう。

『……どこ、いった?』

 手術前日の夕方、うたた寝をしてしまった瀬屑善は、ベッドからいなくなっている妹を探し回った。

『なに……してんだ』
『……』

 ……屋上への扉の鍵が何故か開いていた。

『お兄ちゃん』
『……っ!』
『あのね、私は……もう、大丈夫……』

 あの日から言葉を失っていた妹の声。どんなに聞きたかったか……自分を呼んでくれたこと……それだけがただ嬉しかった。

『だから、お兄ちゃん……笑って?』
『バカ言うなよ……俺はお前がいないと……』
『ううん…………お兄ちゃんは、笑えるよ』

 はっきりと語りながら、意味が分からないことを口にする妹が、少し不気味に見えてしまっていた。

『神様がね……教えてくれたの……だから……いくの……』
『お……い……まて!危ない!』
『先に行ってるね?お兄ちゃん……私の思い描いた世界……いつかそこで……楽しく過ごして』
『未来っ!!!』

 夕闇に溶けるように、妹……未来は消えた。

 ノイズが走る。

 体がそこにあり、息をし、触れる事ができたその光景を……ゼンが繰り返し見続けていた悪夢を今あるその身に体感させたその光景を洗うに勢いよく流れ、真っ白な強い光に視界が支配され、目を開けていられなくなった。

 キツイ耳鳴りが襲った後、足が地についているのがわかった。

「満足かよ」

 ゆっくりと目を開きながら、

「また、焦らすのか?」

 真っ白なその空間に向かって……あの時と同じように叫び、呼ぶ。

「違いますよ」

 あの日以来聞くことのなかった、男女が混ざった不快な声色が応えた。

「会いに来てくれたことの喜びを噛み締めていたのです……ゼン……会いたかったですよ、我が同志……」
「はっ!まだんなこと言ってんのか?相変わらず神らしくねぇ気持ち悪いヤツだな」

 神と対峙するシチュエーションは、見知らぬOLがいないだけで、あの日と同じ。

「疲れてはいませんか?なにか飲み物でも……これなど、いかがですか?」

 コン……ゴロン……コロコロ……

 気に入って飲んでいた、ハーフェンで購入した酒の瓶がゼンの足元で転がった。

「媚でも売ってるつもりか?生憎、お前と飲みたい酒なんかどこにもねぇよ」
「……それはとても悲しい……残念です」

 表情など変えず、声色さえも変えず……悲しさなど伝わらない神の声。

「誰を通して俺を垣間見てたんだか……まぁいい。おい、お前にまだその気があるなら答えろ」
「その気……あぁ……同志……ですか?」
「不快極まりねぇがな」

 少し……神が笑ったように思えたが、構わず続けるゼン。

「未来はどこだ」

 神にそそのかされ、神に呼ばれ、その魂を預けた未来の行方。悪夢を体験させられたからではない……ゼンが本当に、求めていたもの。

「そんなもの、ありません」
「そんなもの、だ?」

 空間に亀裂が走る。

「ええ……私に必要だったのは、あなたを呼び寄せるための世界の構造の創造と構築……未来はその為の材料に過ぎませんでしたから」

 剥がれ落ちる空間の先は虚無……黒く歪み漏れ出し、白く輝かしい空間を侵食していく。

「ああ……待ってゼン……癇に障ったのでしたら謝ります……だから、聞いてください」
「未来が本当にいないのなら、こんなクソみたいに退屈な世界に未来を変えたお前を……待つ必要も意味もねえ……俺がやってきた事が、正解だっただけで、もう十分だ」

 世界の『創造神』に逆らう人間の構図だとすれば、あまりにも不可解だろう。だが今、セクズ・ゼンは『破壊神』として、目の前の存在を蝕み『破壊』しようとしている。

「ああ、でもな……感謝はできることはあるかもな」
「な、なんですか?教えてください……それを聞ければ……聞かせてもらえるのなら……っ!」

 割れた空間を修復して、時間を稼いでいた神は、その作業を止め、ゼンに迫り、言葉を待っている。

「未来の遺言を成せたことだな」

 ピタリと静止する。

「それが?感謝?」
「それ以外はねぇだろ、どう考えても」
「すべて未来……なにもかも……未来……なのですね……」
「あ」

 なにか思い出したのか、神の顔に触れる、ゼン。その手の温もりに、悦になり喘ぐ神。

「あ……あぁ……っ」
「形をなさず、世界に溶けてたお前が『見える』形を取って、俺のこの手で『破壊』させてくれること……最高に興奮させてくれる」
「ああ……私も……私もです……ゼン……」
「そうかよ、なら良かったなぁ?やっと『同志』になれたってか?」

 やっと触れることができた事に神は震え、やっと始末できる事に、ゼンは笑った。

 無表情の神の口角がパキッと音を立てて上がり、妖しく微笑む。その顔、体……銃で風穴を空けられるように細かくなり、『目の前にいる神の持つ全ての力を破壊』しながら粉々にしていく。

 血など流れない、神だから。
 痛みなど感じない、神だから。

「こんなにも簡単なのにな」

 虚無が迫る中、わずかに残る神の破片を残さず視界に捉え、『破壊』していく。

「得たものの方が重たくのしかかるのは……俺がこれを選んだことの報いか?未来……?」

 ゼンの立つ場所だけ、白く残っている。ここにいられるのも、後わずか。

「戻るか。ま、待ってはいないだろうがな」

 来た時と同じように境界を『破壊』して、虚無に飲まれる白い空間から移動するゼン……その耳に、最後に聞こえてかたのは、神の声……らしきもの。

『愛し――……ゼ――』

 ノイズでかき消され、虚無に飲まれたその声は……はっきりとゼンには、伝わりはしなかった。


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 送り出され、境界を『破壊』して、進んでいる……そう思っていた。
 あるようで、無い。無いようである……全身の感覚がおかしくなる。
『神からの干渉の破壊』……自身にかけてあるそれは、未だに解いていない……それなのに、惑わそうとしてくる過干渉の空間……ある筈の無い懐かしい感覚に触れられ、捕らわれる。
「あぁ……――」
 ゼンの指を、小さな手が握っていた。
『――――……妹の……――よ』
 小さな小さな命がそこにあった。あの頃はまだ、母の声は自分にも優しく、心を温めてくれていた。
 ゼンの理解を追い抜き、何度も頭の中にノイズが走る。
 飛び飛びに蘇る。
 暖色で彩られていた幼き頃の思い出の一場面一場面が、徐々にくすんで色を失っていく。
 両親の争う声、自分に向けられる熱は、重く痛い物だけに変わり……ずっと泣いている小さな女の子にそれを与えないように庇い守る。
 そんな日々は、白と黒と赤だけが映えていた。
『なに、それ』
『わ!な、内緒!まだ内緒!』
『……バレねぇようにしとけよ』
『うん……』
 世間体……それだけの理由でふたりは学校には、通わせてもらっていた。義務教育まで……その後は――。
 現代社会における、裏の世界。華やかな表舞台で、心から笑う同世代の人間たちとすれ違うこともなくなっていく。
 何人目の男なのか。本当の父親だったのか。それすら分からなくなる程、瀬屑善はあるべき姿を失い、言われるがまま働き、そこで息をしているだけになった。
 そうしているのは、すべて妹の為。
 金周りはそこら辺の会社員の何倍も良かった。だから、妹だけは……離れさせ、隠して、生かしてやれていた。
「そう、思っていた」
 会えるのはひと月に1回あるかどうか。その時は、3ヶ月ぶりに隠れ家のアパートに足を運んだ。
『は……?』
『……』
 何日、窓を閉め切っていたのだろう。
 咽るほどに籠もった、男女の体液が混ざったすえた臭い。その後に感じたツンと鼻に刺さるアンモニア臭は、布団に横たわり動かない……妹の垂れ流した糞尿の臭い。
「そうだ……もう、この時点で、未来はなくなってしまった」
 体はまだ、温かい。死んだのは、その心。
 虚ろな目に、自分が映っているのがわかる。確かに見ていた。
『――……です……時間はかかるかも知れませんが……できる限り、寄り添って』
『……』
 瀬屑善は逃げ出した。
 遠くの病院で妹を入院させ、医師の指示通り、片時も離れずに。少しずつ、変化を見せた……改善であれば、どんなに良かっただろう。
『妊娠されています』
 まだ……14歳だった。
 もちろん、産ませる訳がない。本能で優しく愛おしくその腹をさすっていようと……妹を壊したどこの誰だかわからない男の子供なぞ……もし産まれてきていたとしても、この手で殺すだろう。
『……どこ、いった?』
 手術前日の夕方、うたた寝をしてしまった瀬屑善は、ベッドからいなくなっている妹を探し回った。
『なに……してんだ』
『……』
 ……屋上への扉の鍵が何故か開いていた。
『お兄ちゃん』
『……っ!』
『あのね、私は……もう、大丈夫……』
 あの日から言葉を失っていた妹の声。どんなに聞きたかったか……自分を呼んでくれたこと……それだけがただ嬉しかった。
『だから、お兄ちゃん……笑って?』
『バカ言うなよ……俺はお前がいないと……』
『ううん…………お兄ちゃんは、笑えるよ』
 はっきりと語りながら、意味が分からないことを口にする妹が、少し不気味に見えてしまっていた。
『神様がね……教えてくれたの……だから……いくの……』
『お……い……まて!危ない!』
『先に行ってるね?お兄ちゃん……私の思い描いた世界……いつかそこで……楽しく過ごして』
『未来っ!!!』
 夕闇に溶けるように、妹……未来は消えた。
 ノイズが走る。
 体がそこにあり、息をし、触れる事ができたその光景を……ゼンが繰り返し見続けていた悪夢を今あるその身に体感させたその光景を洗うに勢いよく流れ、真っ白な強い光に視界が支配され、目を開けていられなくなった。
 キツイ耳鳴りが襲った後、足が地についているのがわかった。
「満足かよ」
 ゆっくりと目を開きながら、
「また、焦らすのか?」
 真っ白なその空間に向かって……あの時と同じように叫び、呼ぶ。
「違いますよ」
 あの日以来聞くことのなかった、男女が混ざった不快な声色が応えた。
「会いに来てくれたことの喜びを噛み締めていたのです……ゼン……会いたかったですよ、我が同志……」
「はっ!まだんなこと言ってんのか?相変わらず神らしくねぇ気持ち悪いヤツだな」
 神と対峙するシチュエーションは、見知らぬOLがいないだけで、あの日と同じ。
「疲れてはいませんか?なにか飲み物でも……これなど、いかがですか?」
 コン……ゴロン……コロコロ……
 気に入って飲んでいた、ハーフェンで購入した酒の瓶がゼンの足元で転がった。
「媚でも売ってるつもりか?生憎、お前と飲みたい酒なんかどこにもねぇよ」
「……それはとても悲しい……残念です」
 表情など変えず、声色さえも変えず……悲しさなど伝わらない神の声。
「誰を通して俺を垣間見てたんだか……まぁいい。おい、お前にまだその気があるなら答えろ」
「その気……あぁ……同志……ですか?」
「不快極まりねぇがな」
 少し……神が笑ったように思えたが、構わず続けるゼン。
「未来はどこだ」
 神にそそのかされ、神に呼ばれ、その魂を預けた未来の行方。悪夢を体験させられたからではない……ゼンが本当に、求めていたもの。
「そんなもの、ありません」
「そんなもの、だ?」
 空間に亀裂が走る。
「ええ……私に必要だったのは、あなたを呼び寄せるための世界の構造の創造と構築……未来はその為の材料に過ぎませんでしたから」
 剥がれ落ちる空間の先は虚無……黒く歪み漏れ出し、白く輝かしい空間を侵食していく。
「ああ……待ってゼン……癇に障ったのでしたら謝ります……だから、聞いてください」
「未来が本当にいないのなら、こんなクソみたいに退屈な世界に未来を変えたお前を……待つ必要も意味もねえ……俺がやってきた事が、正解だっただけで、もう十分だ」
 世界の『創造神』に逆らう人間の構図だとすれば、あまりにも不可解だろう。だが今、セクズ・ゼンは『破壊神』として、目の前の存在を蝕み『破壊』しようとしている。
「ああ、でもな……感謝はできることはあるかもな」
「な、なんですか?教えてください……それを聞ければ……聞かせてもらえるのなら……っ!」
 割れた空間を修復して、時間を稼いでいた神は、その作業を止め、ゼンに迫り、言葉を待っている。
「未来の遺言を成せたことだな」
 ピタリと静止する。
「それが?感謝?」
「それ以外はねぇだろ、どう考えても」
「すべて未来……なにもかも……未来……なのですね……」
「あ」
 なにか思い出したのか、神の顔に触れる、ゼン。その手の温もりに、悦になり喘ぐ神。
「あ……あぁ……っ」
「形をなさず、世界に溶けてたお前が『見える』形を取って、俺のこの手で『破壊』させてくれること……最高に興奮させてくれる」
「ああ……私も……私もです……ゼン……」
「そうかよ、なら良かったなぁ?やっと『同志』になれたってか?」
 やっと触れることができた事に神は震え、やっと始末できる事に、ゼンは笑った。
 無表情の神の口角がパキッと音を立てて上がり、妖しく微笑む。その顔、体……銃で風穴を空けられるように細かくなり、『目の前にいる神の持つ全ての力を破壊』しながら粉々にしていく。
 血など流れない、神だから。
 痛みなど感じない、神だから。
「こんなにも簡単なのにな」
 虚無が迫る中、わずかに残る神の破片を残さず視界に捉え、『破壊』していく。
「得たものの方が重たくのしかかるのは……俺がこれを選んだことの報いか?未来……?」
 ゼンの立つ場所だけ、白く残っている。ここにいられるのも、後わずか。
「戻るか。ま、待ってはいないだろうがな」
 来た時と同じように境界を『破壊』して、虚無に飲まれる白い空間から移動するゼン……その耳に、最後に聞こえてかたのは、神の声……らしきもの。
『愛し――……ゼ――』
 ノイズでかき消され、虚無に飲まれたその声は……はっきりとゼンには、伝わりはしなかった。