12 無駄な問いかけ
ー/ー アパートの階段を上がると重低音が響いていた。住人の誰かが、ラムシュタインのヒット曲を大音量で流している。
クラウスは音源が自分の部屋だと気づいた。
そっとドアを開けた。フローリングの床に脱いだ靴が散らばり、見知らぬ人たちがソファでくつろいでいる。
一瞬、部屋をまちがえたかと思った。しかしテオドールもいる。確かに自分の家だ。でも兄に鍵は渡していないが……
リュックを置き、階下へ駈け降りて郵便受けを探った。両親が昔やっていたように、中に合鍵を貼り付けて隠していた。テオドールはそのことを知っている。
思わず廊下の天井を仰いだ。やられた。
「よお、クラウス」
兄が横の二人を示した。
「こいつらはドニーとエル。弟のクラウスだ」
ドニーは肌の色が濃く、ドレッドヘアを垂らした大柄な男。エルは痩せて前歯が欠けている。何なんだ、こいつらは。
「ここで何してるんだ」
テオドールはソファにかけてコートのポケットに両手を突っ込み、つまらなそうにテレビを眺めていた。
「友達を紹介したくて連れてきたのさ」
ライ麦パンが勝手に出されていた。切ったパンにヌテッラを塗りながら、エルが微笑む。
「俺らフランクフルトの駅前でつるんでるんだけどさ、きみの兄貴は凄いやつだよ。頭いいし、大学とか行ってたんだろ?」
テオドールはイギリスの名門大学院で情報セキュリティを専攻し、修士論文は高く評価されて最優秀論文賞に輝いた。
しかし本人はあまり言わないし、ここで言うべきことでもないだろう。
「そうだよ。音量を下げてくれ、苦情が来る」
ドニーはアニメに切り替えて『もこもこフレンズ』を見始めた。
エルがべたつく指を舐めて自転車のハンドルをつかんだ。
「かっこいいチャリだなあ。きみにぴったりだね」
クラウスは自転車を寝室にしまいたいのを我慢した。
「ありがとう。あっちで手を洗ってもいいよ」
いちおう客だし紅茶でも出すべきか。もう勝手に何か飲んでいるように見えるけど。
お茶を欲しがったのはエルだけで、あとの二人は断った。テオドールとドニーは落ち着きがない。奇妙な緊張が流れていた。
テレビでは『もこもこフレンズ』の兎のモモが木の実をなくして落ち込み、熊のポムが元気づけようと一緒にバンジージャンプしていた。紐が切れてモモが岩に激突し、鮮血が飛び散る。
ドニーは別の番組に切り替えた。刑事が宮殿のシャンデリアにつかまって機関銃を乱射していた。爆発と同時に派手なオープニングテーマがはじまる。
「脚本会議で何があったのか知りたいな。全員ラリってたんじゃないか?」
テオドールがそわそわした。「もう行くぞ」
「撃ちまくりゃいいと思ってる。脚本が死んでるからこういう演出になるんだ」
「ドニーは劇作家なんだ」
テオドールが弟に雑な説明をし、ドニーが自嘲した。
「今じゃこのざまよ」
「お前の人生のほうがドラマよりぶっ飛んでるな」
二人は同時に吹き出した。
クラウスはリュックから業務用ノートパソコンを出していた。レポートの締め切りが近いのだ。
「ヤク中でいるのがそんなに愉しいか?」
テオドールが顔を向けてきた。苛ついている。
「愉しくて悪いか? 興味もないくせに口出すなよ」
「そうじゃない。どうして抜け出さないのかと思ってるだけだ」
「またはじまったよ、正義のお説教が」
「やめろよ、こっちは真剣に話してるんだ」
テオドールはクラウスのノートパソコンを意味ありげに見やった。
「真剣にね。なら兄貴の末路でも書いとけよ、その完璧な報告書の最後にでもさ」
「そんな話はしてないだろ。何度言えばわかるんだ、お前に――」
「俺に何? 何してほしいんだ。社会奉仕活動でもして人の役に立てってか?」
「自分がどうなってるかわかってる?」
突然の言い争いに困惑した他の二人が顔を見合わせ、テオドールが勢いをつけてソファから立った。
「うるさいな、もう黙ってろよ」
クラウスは殴られるかもしれないと思った。やれるもんならやってみろ。引き下がったら今までの繰り返しだ。黙っていたからここまで悪化したのだ。
「いや、黙らない。自分をだめにしてるって自覚しろ。お前はもっていたものを全部捨てた。仕事も金も友達も、全部。みんな心配してるんだ。なのに誰の話も聞こうとしないで――」
「だから黙れって言ってんだよ!」
テオドールの手がノートパソコンを掴み、窓に向かって投げつけた。ガラスが割れ、業務用端末の黒い筐体が夜の闇に吸い込まれた。
三階の高さだ。いっとき置いて、下の歩道で砕け散るような音が響き渡った。
クラウスは動けず、割れた窓をただ見つめた。起きたことが現実だと告げるようにカーテンが揺れている。
ドニーは目を丸くし、エルは引きつった笑いを浮かべてヌテッラの瓶を握りしめている。
目の前の男は、世界の不思議を教えてくれたあの兄と本当に同じ人間だろうか。
クラウスの声はかすれていた。
「何やってるんだ、テオ」
意味のある問いではなかった。そもそもこの四年間、行動の理由を問われて答を拒否し続けている。
「お前に俺の何がわかるんだよ」
テオドールはふらりと傾いた。双眸の奥で蝶が舞っている。
クラウスは音源が自分の部屋だと気づいた。
そっとドアを開けた。フローリングの床に脱いだ靴が散らばり、見知らぬ人たちがソファでくつろいでいる。
一瞬、部屋をまちがえたかと思った。しかしテオドールもいる。確かに自分の家だ。でも兄に鍵は渡していないが……
リュックを置き、階下へ駈け降りて郵便受けを探った。両親が昔やっていたように、中に合鍵を貼り付けて隠していた。テオドールはそのことを知っている。
思わず廊下の天井を仰いだ。やられた。
「よお、クラウス」
兄が横の二人を示した。
「こいつらはドニーとエル。弟のクラウスだ」
ドニーは肌の色が濃く、ドレッドヘアを垂らした大柄な男。エルは痩せて前歯が欠けている。何なんだ、こいつらは。
「ここで何してるんだ」
テオドールはソファにかけてコートのポケットに両手を突っ込み、つまらなそうにテレビを眺めていた。
「友達を紹介したくて連れてきたのさ」
ライ麦パンが勝手に出されていた。切ったパンにヌテッラを塗りながら、エルが微笑む。
「俺らフランクフルトの駅前でつるんでるんだけどさ、きみの兄貴は凄いやつだよ。頭いいし、大学とか行ってたんだろ?」
テオドールはイギリスの名門大学院で情報セキュリティを専攻し、修士論文は高く評価されて最優秀論文賞に輝いた。
しかし本人はあまり言わないし、ここで言うべきことでもないだろう。
「そうだよ。音量を下げてくれ、苦情が来る」
ドニーはアニメに切り替えて『もこもこフレンズ』を見始めた。
エルがべたつく指を舐めて自転車のハンドルをつかんだ。
「かっこいいチャリだなあ。きみにぴったりだね」
クラウスは自転車を寝室にしまいたいのを我慢した。
「ありがとう。あっちで手を洗ってもいいよ」
いちおう客だし紅茶でも出すべきか。もう勝手に何か飲んでいるように見えるけど。
お茶を欲しがったのはエルだけで、あとの二人は断った。テオドールとドニーは落ち着きがない。奇妙な緊張が流れていた。
テレビでは『もこもこフレンズ』の兎のモモが木の実をなくして落ち込み、熊のポムが元気づけようと一緒にバンジージャンプしていた。紐が切れてモモが岩に激突し、鮮血が飛び散る。
ドニーは別の番組に切り替えた。刑事が宮殿のシャンデリアにつかまって機関銃を乱射していた。爆発と同時に派手なオープニングテーマがはじまる。
「脚本会議で何があったのか知りたいな。全員ラリってたんじゃないか?」
テオドールがそわそわした。「もう行くぞ」
「撃ちまくりゃいいと思ってる。脚本が死んでるからこういう演出になるんだ」
「ドニーは劇作家なんだ」
テオドールが弟に雑な説明をし、ドニーが自嘲した。
「今じゃこのざまよ」
「お前の人生のほうがドラマよりぶっ飛んでるな」
二人は同時に吹き出した。
クラウスはリュックから業務用ノートパソコンを出していた。レポートの締め切りが近いのだ。
「ヤク中でいるのがそんなに愉しいか?」
テオドールが顔を向けてきた。苛ついている。
「愉しくて悪いか? 興味もないくせに口出すなよ」
「そうじゃない。どうして抜け出さないのかと思ってるだけだ」
「またはじまったよ、正義のお説教が」
「やめろよ、こっちは真剣に話してるんだ」
テオドールはクラウスのノートパソコンを意味ありげに見やった。
「真剣にね。なら兄貴の末路でも書いとけよ、その完璧な報告書の最後にでもさ」
「そんな話はしてないだろ。何度言えばわかるんだ、お前に――」
「俺に何? 何してほしいんだ。社会奉仕活動でもして人の役に立てってか?」
「自分がどうなってるかわかってる?」
突然の言い争いに困惑した他の二人が顔を見合わせ、テオドールが勢いをつけてソファから立った。
「うるさいな、もう黙ってろよ」
クラウスは殴られるかもしれないと思った。やれるもんならやってみろ。引き下がったら今までの繰り返しだ。黙っていたからここまで悪化したのだ。
「いや、黙らない。自分をだめにしてるって自覚しろ。お前はもっていたものを全部捨てた。仕事も金も友達も、全部。みんな心配してるんだ。なのに誰の話も聞こうとしないで――」
「だから黙れって言ってんだよ!」
テオドールの手がノートパソコンを掴み、窓に向かって投げつけた。ガラスが割れ、業務用端末の黒い筐体が夜の闇に吸い込まれた。
三階の高さだ。いっとき置いて、下の歩道で砕け散るような音が響き渡った。
クラウスは動けず、割れた窓をただ見つめた。起きたことが現実だと告げるようにカーテンが揺れている。
ドニーは目を丸くし、エルは引きつった笑いを浮かべてヌテッラの瓶を握りしめている。
目の前の男は、世界の不思議を教えてくれたあの兄と本当に同じ人間だろうか。
クラウスの声はかすれていた。
「何やってるんだ、テオ」
意味のある問いではなかった。そもそもこの四年間、行動の理由を問われて答を拒否し続けている。
「お前に俺の何がわかるんだよ」
テオドールはふらりと傾いた。双眸の奥で蝶が舞っている。
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