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11 姿のない同行者

ー/ー



 ララはまだ警察本部にいた。若手のトビー・エンゲル警部が廊下に出てきて、シェーファー上級警部を呼んだ。

「現場近くの店の映像が手に入りました」

 警察の地道な努力が功を奏し、捜査に役立つ映像が集まりはじめている。ララも後についてオフィスに入った。

「隣のビルに入っている薬局の防犯カメラです」

 紙コップと書類で散らかるデスクでノートパソコンが開かれ、〈オリーブの木陰〉の前の路上が映し出されていた。
 シルバーの車――もう何度も見たシュコダがカメラの前を横切る。しかし角度がわずかに足りず、車体は画面からはみ出して停まった。

「くそっ」とシェーファーが毒づいた。「もう少し手前で停まってくれればいいのに」

 エンゲル警部が人差し指を立てる。
「本番はこれからですよ」

 しばらく待つと、大柄なシルエットが車の前をまわって歩いていった。その先は〈オリーブの木陰〉だ。

「ヘンカーよ! あいつ、やっぱり店に来てたじゃない。犬捜しなんて大嘘」
「待って。何か聞こえた」

 ララが声を上げ、エンゲルが映像を少し戻した。

「これで最大ボリュームです」

 三人で耳を澄ませた。車が停まったあと、鈍い音があがる。

「車のドアが閉まる音ですね」
「二回よ。聞こえる?」

 ヘッドライトが消える数秒前、ばたんという音が再びあがる。

「一人だったというのも嘘ね。画面の外でもう一人降りてる」

 時刻が進み、ライトが再び道を照らした。車に人が戻ってきたようだ。四分後、シュコダは動き出して画面から消えた。

「発進まで間があるのはどうしてかな」

 ララは倉庫の血だらけの床を思い出していた。
「もう一人は怪我をしていたはず。あそこで起きたことはきっと想定外だったのよ」

 ヘンカーは証拠不十分で解放済みだ。シェーファーが署の駐車場に顎をしゃくった。
「呼び戻しましょうか?」

 ララは首を振った。
「物証が揃ってからのほうがいいと思う。気になるのは誰といたかね。泳がせれば接触するでしょう」
「通話の傍受を申請してみます」

 一同はしばらく意見を交わした。倉庫で負傷したのはヘンカーの連れである線がもっとも有力だった。
 三十分後、そのことを裏付けるような鑑識の報告が上がってきた。シュコダの助手席のドアハンドルから血痕が見つかったのだ。

 ◇

 ララは車載ラジオから流れる曲に合わせて指でリズムをとった。
 気分はよかった。鑑識は血液のDNAを検出している。分析には時間がかかるが、もし倉庫の血痕と一致すれば、まだ顔のない何者かがあの場にいたことの証拠になる。

 軽快なピアノ曲が終わると、夕方のニュースがはじまった。
 南イタリア出身のレストラン経営者の殺害で、メディアはさっそくマフィアの内部抗争の可能性を報じていた。

《……当局は国内のイタリア系犯罪組織への監視を強化していますが、合法ビジネスに紛れる現代のマフィアの実態把握は容易ではなく……。》

 ラジオのスイッチを切った。朝から十時間、頭はフル回転で捜査のことを考えている。ベッカライで買った燻製生ハムサンドを運転しながら食べたきりで、腹ぺこだ。

 今日はもう仕事を切り上げることにした。帰宅したらバスタブにお湯をはって疲れを癒そう。
 こんなときパートナーがいればいいのにと思った。ワインでも片手に、その日にあったことを語り合える相手。
 ブレナーがその相手になることは永遠にない。

 急に気持ちがふっきれてきた。先週〈ブロイニンガー〉で買った高級ランジェリーを思い出した。あれの代わりに新しい草刈り機でも買えばよかった。

 庁舎の地下駐車場に公用車のBMWを乗り入れたとき、列から出ようとしているフォルクスワーゲン・ポロが目に入った。ブレナーの車だ。

 そこへ近づく女――妻のマルティナ。
 ブレナーの驚いた表情からは、ここで妻に会うとは思っていなかったことが伺える。

 マルティナが夫の車の窓に何かを投げつけて叫んだ。
「これは何?」

 黒い布地が地面に落ちた。レースの縁が見え、ララは慄然とした。〈ブロイニンガー〉のベビードール。昨夜、彼の別宅に置いて帰ったものだ。

 次々に物が舞った。ピンクの歯ブラシ、シャンプーのボトル、メイク落とし、いつかの晩に忘れたネックレス。

 二人のどちらもララには気づいていない。けれどフロントガラスの向こうで繰り広げられる光景にハンドルを握る手が震えはじめた。

 マルティナは最後にヘアブラシを夫に投げつけた。甲高い声が地下駐車場に反響した。

「どこで見つけたと思う? あの家に行ったのよ! クソ男、汚らわしい裏切り者!」


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 ララはまだ警察本部にいた。若手のトビー・エンゲル警部が廊下に出てきて、シェーファー上級警部を呼んだ。
「現場近くの店の映像が手に入りました」
 警察の地道な努力が功を奏し、捜査に役立つ映像が集まりはじめている。ララも後についてオフィスに入った。
「隣のビルに入っている薬局の防犯カメラです」
 紙コップと書類で散らかるデスクでノートパソコンが開かれ、〈オリーブの木陰〉の前の路上が映し出されていた。
 シルバーの車――もう何度も見たシュコダがカメラの前を横切る。しかし角度がわずかに足りず、車体は画面からはみ出して停まった。
「くそっ」とシェーファーが毒づいた。「もう少し手前で停まってくれればいいのに」
 エンゲル警部が人差し指を立てる。
「本番はこれからですよ」
 しばらく待つと、大柄なシルエットが車の前をまわって歩いていった。その先は〈オリーブの木陰〉だ。
「ヘンカーよ! あいつ、やっぱり店に来てたじゃない。犬捜しなんて大嘘」
「待って。何か聞こえた」
 ララが声を上げ、エンゲルが映像を少し戻した。
「これで最大ボリュームです」
 三人で耳を澄ませた。車が停まったあと、鈍い音があがる。
「車のドアが閉まる音ですね」
「二回よ。聞こえる?」
 ヘッドライトが消える数秒前、ばたんという音が再びあがる。
「一人だったというのも嘘ね。画面の外でもう一人降りてる」
 時刻が進み、ライトが再び道を照らした。車に人が戻ってきたようだ。四分後、シュコダは動き出して画面から消えた。
「発進まで間があるのはどうしてかな」
 ララは倉庫の血だらけの床を思い出していた。
「もう一人は怪我をしていたはず。あそこで起きたことはきっと想定外だったのよ」
 ヘンカーは証拠不十分で解放済みだ。シェーファーが署の駐車場に顎をしゃくった。
「呼び戻しましょうか?」
 ララは首を振った。
「物証が揃ってからのほうがいいと思う。気になるのは誰といたかね。泳がせれば接触するでしょう」
「通話の傍受を申請してみます」
 一同はしばらく意見を交わした。倉庫で負傷したのはヘンカーの連れである線がもっとも有力だった。
 三十分後、そのことを裏付けるような鑑識の報告が上がってきた。シュコダの助手席のドアハンドルから血痕が見つかったのだ。
 ◇
 ララは車載ラジオから流れる曲に合わせて指でリズムをとった。
 気分はよかった。鑑識は血液のDNAを検出している。分析には時間がかかるが、もし倉庫の血痕と一致すれば、まだ顔のない何者かがあの場にいたことの証拠になる。
 軽快なピアノ曲が終わると、夕方のニュースがはじまった。
 南イタリア出身のレストラン経営者の殺害で、メディアはさっそくマフィアの内部抗争の可能性を報じていた。
《……当局は国内のイタリア系犯罪組織への監視を強化していますが、合法ビジネスに紛れる現代のマフィアの実態把握は容易ではなく……。》
 ラジオのスイッチを切った。朝から十時間、頭はフル回転で捜査のことを考えている。ベッカライで買った燻製生ハムサンドを運転しながら食べたきりで、腹ぺこだ。
 今日はもう仕事を切り上げることにした。帰宅したらバスタブにお湯をはって疲れを癒そう。
 こんなときパートナーがいればいいのにと思った。ワインでも片手に、その日にあったことを語り合える相手。
 ブレナーがその相手になることは永遠にない。
 急に気持ちがふっきれてきた。先週〈ブロイニンガー〉で買った高級ランジェリーを思い出した。あれの代わりに新しい草刈り機でも買えばよかった。
 庁舎の地下駐車場に公用車のBMWを乗り入れたとき、列から出ようとしているフォルクスワーゲン・ポロが目に入った。ブレナーの車だ。
 そこへ近づく女――妻のマルティナ。
 ブレナーの驚いた表情からは、ここで妻に会うとは思っていなかったことが伺える。
 マルティナが夫の車の窓に何かを投げつけて叫んだ。
「これは何?」
 黒い布地が地面に落ちた。レースの縁が見え、ララは慄然とした。〈ブロイニンガー〉のベビードール。昨夜、彼の別宅に置いて帰ったものだ。
 次々に物が舞った。ピンクの歯ブラシ、シャンプーのボトル、メイク落とし、いつかの晩に忘れたネックレス。
 二人のどちらもララには気づいていない。けれどフロントガラスの向こうで繰り広げられる光景にハンドルを握る手が震えはじめた。
 マルティナは最後にヘアブラシを夫に投げつけた。甲高い声が地下駐車場に反響した。
「どこで見つけたと思う? あの家に行ったのよ! クソ男、汚らわしい裏切り者!」