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7 再接続

ー/ー



 クラウスはデスクの照明を消した。他に誰もいなかったので天井灯も消し、解析ラボを出た。
 自分のオフィスに戻ると、共有モニタにネットワーク監視システムTHEMIS(テミス)の警告が出ていた。

■■■■■■
△不正アクセス試行を検知
△優先度:中
■■■■■■

 官庁のネットワークへの攻撃は日常的だ。THEMIS(テミス)は欧州の捜査機関が共同開発した検知システムで、外部からの侵入や偵察行為をリアルタイムで監視する。

 不正アクセス試行――何者かが連邦刑事庁のシステムを覗こうとしている。
 クラウスは詳細画面を開いた。すると画面が真っ黒になった。

――通信が切断されました。再接続中……

 ここ数日、通信が不安定だ。
 インシデント対応は庁内のセキュリティ対策チームが行う。念のため画面を保存し、不正アクセスを報告しておいた。

 業務を終えてエレベーターで地階に降り、駐輪場から愛車のシンデルハウアー・ルートヴィヒ八世を出してサドルに跨がる。

 コンクリートとガラスの庁舎ビルが背後に遠ざかると、穏やかな夜の街並みがひろがった。車道はやや閑散とし、街灯が並木を淡いオレンジ色に染めている。

 家はミッテ地区にある築五十年の煉瓦造り。自転車を担いで埃っぽい階段を登り、アパートメントのある三階に辿り着いたところでクラウスはぎょっとした。

 フードを目深にかぶった男がいた。長い足を投げ出し、意識がないかのようにドアにもたれている。

 ホームレスか、ヤク中か。

 ルートヴィヒを壁に立てかけ、クラウスは男を眺めた。
 誰かが玄関前に捨てていった粗大ゴミみたいだ。暗い色のチェスターコートは上質だが薄汚れている。顎が胸につくほど頭を垂れているので顔は見えなかった。

「すみません」

 声をかけても動く気配がない。ナイフを向けられたりしたら嫌なので、少し距離をとったまま足で軽くつついた。死んでるんじゃないだろうな。

「どいてください」

 ふと、すり切れたコートの袖からのぞく左手の甲に目が行った。見覚えのある一筋の傷。
 男が怠そうに頭をもたげた。

「入れてくれないのか、クラウジー?」

 クラウスをそう呼ぶ人間は一人しかいない。三歳上の兄、テオドールだ。

「テオ?」

 しかし目を疑った。げっそり痩せ、最後に会った二年前の冬とは別人のようだ。

 クラウスは肩を貸して部屋のドアを開けた。広いリビングの床を街明かりが仄かに照らしている。同居人を募集することもあるが今は誰もいない。
 入るなり、テオドールは壁に背をあずけて立ったまま眠りはじめた。

「テオ、具合が悪いのか?」
「俺はこのとおり元気だよ」

 肌は蒼白く、何日もまともに寝ていない顔だ。短い金髪は脂じみて額に張り付いている。

「千ユーロ貸してくれ」
「どうして?」
「仕事が決まりそうなんだ。身なりをきちんとしないと」
「何の仕事だ」

 長身がふらっと傾いた。

「そんなのどうでもいい。貸してくれるのかくれないのか? 返すからさ」
「貸せない」
「なんでだよ! お前いい身分じゃないか。俺にくっついて歩いてたクソガキが今は連邦刑事庁(BKA)の鑑識官だもんな。稼いでんだろ?」
「お前はどうせ薬物に使うからだ。今は何をやってる?」
「頼む、五百でもいいんだ。せっかくここまで来たのに、兄貴を助けろよ。修士論文を手伝ってやっただろ」

 クラウスが情報セキュリティの道に進んだのは兄の影響だ。

「ああ、研究に示唆をくれたよな」
「いいから五百ユーロよこせ。お願いだ、クラウジー。やばいんだよ」

 蝋みたいに白い顔にうっすら汗をかき、テオドールは手の古傷を掻きむしった。

 幼い頃、レーゲンスブルクの森で遊んでいて転んだときの傷だ。落ちていたガラスの破片で切り裂いたのだ。
 兄の叫び声をクラウスはまだ覚えている。他の子が集まり、大人を呼びに行った。近くの病院で縫った。神経断裂まではしなかったが、小指にわずかな障害が残った。

 傷跡は二十四年たった今も白く盛り上がってはっきりと見える。クラウスは心を決めた。

「貸せない。お前は治療しなきゃだめだ。話はそれからだ」
「偉そうに」

 兄の顔から懇願の色が消えた。異様に瞳孔のひらいた青い目がぎらりと光る。

「わかってるよ、お前は俺に関わりたくないんだ。人生の汚点だもんな。連邦公務員にふさわしくない兄貴だもんな」
「テオ、待て」

 テオドールはコートの裾を翻して出て行った。戸を叩きつけて。


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 クラウスはデスクの照明を消した。他に誰もいなかったので天井灯も消し、解析ラボを出た。
 自分のオフィスに戻ると、共有モニタにネットワーク監視システム|THEMIS《テミス》の警告が出ていた。
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△不正アクセス試行を検知
△優先度:中
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 官庁のネットワークへの攻撃は日常的だ。|THEMIS《テミス》は欧州の捜査機関が共同開発した検知システムで、外部からの侵入や偵察行為をリアルタイムで監視する。
 不正アクセス試行――何者かが連邦刑事庁のシステムを覗こうとしている。
 クラウスは詳細画面を開いた。すると画面が真っ黒になった。
――通信が切断されました。再接続中……
 ここ数日、通信が不安定だ。
 インシデント対応は庁内のセキュリティ対策チームが行う。念のため画面を保存し、不正アクセスを報告しておいた。
 業務を終えてエレベーターで地階に降り、駐輪場から愛車のシンデルハウアー・ルートヴィヒ八世を出してサドルに跨がる。
 コンクリートとガラスの庁舎ビルが背後に遠ざかると、穏やかな夜の街並みがひろがった。車道はやや閑散とし、街灯が並木を淡いオレンジ色に染めている。
 家はミッテ地区にある築五十年の煉瓦造り。自転車を担いで埃っぽい階段を登り、アパートメントのある三階に辿り着いたところでクラウスはぎょっとした。
 フードを目深にかぶった男がいた。長い足を投げ出し、意識がないかのようにドアにもたれている。
 ホームレスか、ヤク中か。
 ルートヴィヒを壁に立てかけ、クラウスは男を眺めた。
 誰かが玄関前に捨てていった粗大ゴミみたいだ。暗い色のチェスターコートは上質だが薄汚れている。顎が胸につくほど頭を垂れているので顔は見えなかった。
「すみません」
 声をかけても動く気配がない。ナイフを向けられたりしたら嫌なので、少し距離をとったまま足で軽くつついた。死んでるんじゃないだろうな。
「どいてください」
 ふと、すり切れたコートの袖からのぞく左手の甲に目が行った。見覚えのある一筋の傷。
 男が怠そうに頭をもたげた。
「入れてくれないのか、クラウジー?」
 クラウスをそう呼ぶ人間は一人しかいない。三歳上の兄、テオドールだ。
「テオ?」
 しかし目を疑った。げっそり痩せ、最後に会った二年前の冬とは別人のようだ。
 クラウスは肩を貸して部屋のドアを開けた。広いリビングの床を街明かりが仄かに照らしている。同居人を募集することもあるが今は誰もいない。
 入るなり、テオドールは壁に背をあずけて立ったまま眠りはじめた。
「テオ、具合が悪いのか?」
「俺はこのとおり元気だよ」
 肌は蒼白く、何日もまともに寝ていない顔だ。短い金髪は脂じみて額に張り付いている。
「千ユーロ貸してくれ」
「どうして?」
「仕事が決まりそうなんだ。身なりをきちんとしないと」
「何の仕事だ」
 長身がふらっと傾いた。
「そんなのどうでもいい。貸してくれるのかくれないのか? 返すからさ」
「貸せない」
「なんでだよ! お前いい身分じゃないか。俺にくっついて歩いてたクソガキが今は連邦刑事庁《BKA》の鑑識官だもんな。稼いでんだろ?」
「お前はどうせ薬物に使うからだ。今は何をやってる?」
「頼む、五百でもいいんだ。せっかくここまで来たのに、兄貴を助けろよ。修士論文を手伝ってやっただろ」
 クラウスが情報セキュリティの道に進んだのは兄の影響だ。
「ああ、研究に示唆をくれたよな」
「いいから五百ユーロよこせ。お願いだ、クラウジー。やばいんだよ」
 蝋みたいに白い顔にうっすら汗をかき、テオドールは手の古傷を掻きむしった。
 幼い頃、レーゲンスブルクの森で遊んでいて転んだときの傷だ。落ちていたガラスの破片で切り裂いたのだ。
 兄の叫び声をクラウスはまだ覚えている。他の子が集まり、大人を呼びに行った。近くの病院で縫った。神経断裂まではしなかったが、小指にわずかな障害が残った。
 傷跡は二十四年たった今も白く盛り上がってはっきりと見える。クラウスは心を決めた。
「貸せない。お前は治療しなきゃだめだ。話はそれからだ」
「偉そうに」
 兄の顔から懇願の色が消えた。異様に瞳孔のひらいた青い目がぎらりと光る。
「わかってるよ、お前は俺に関わりたくないんだ。人生の汚点だもんな。連邦公務員にふさわしくない兄貴だもんな」
「テオ、待て」
 テオドールはコートの裾を翻して出て行った。戸を叩きつけて。