4 平穏な暮らし
ー/ー 殺された男は名をルイジ・オリーヴァといった。八年前にドイツに移住し、フランクフルトで本格南イタリア料理店を開業。妻と四歳の娘の三人家族。
ララはシェーファー上級警部を伴って自宅を訪ねた。
妻のアニータは夫より年下の三十五歳、波打つような黒髪の女だった。頬に殴られたとおぼしき痣がある。
廊下の奥に幼い女の子が姿を現した。玄関にいる二人の刑事を見て、がっかりした顔になる。
「パパかと思ったのに」
同年代の子供より華奢で顔色が悪い。
「エズメ、お部屋にいなさい」
女の子はベッドに戻った。母親が電動吸入器のマスクを手に取ると慣れた様子で鼻と口にあてがい、タブレットで『もこもこフレンズ』を見はじめる。
アニータは廊下に出て子供部屋のドアを閉めた。
「遺伝性の肺疾患です」
居間のテーブルには何種類もの薬の箱。この家では医療が生活とともにあるようだ。
サイドボードに家族写真が並んでいる。トルコ系らしき若者がエズメと一緒に写っている一枚があった。
「店で働いているケマルです。よく遊んでくれるので、エズメが彼を大好きなんです」
「ご主人の遺体を見つけたのも、その従業員の方ですね」
「ええ」
声に警戒の色があった。重大犯罪を捜査する連邦刑事庁が家に来た理由をはかりかねているのだろう。
「夫は何か大きな犯罪に巻き込まれて死んだ。そうなんですね?」
シェーファーはやや離れて立っている。ララは質問の主導権を委ねてくれたことがありがたかった。
「まだ確かなことは言えません。最近、ご主人に変わったことは?」
「苛々していました。すぐ怒り出すんです。あの日も店を閉めたあとワインを飲みはじめて……」
床に目を落とす。
「私は先に帰りました。口論したくなかったし、友達がエズメを預かってくれていたので」
「ご友人の名前を教えて下さい」
アニータは連絡先を言った。
「夫は深夜過ぎても戻らなくて、電話にも出ませんでした。心配でしたが、頭が痛くて薬を飲んでソファで眠ってしまったんです。朝になって警察の人が来ました。ルイジが店で死んでいたと言われて……もう何も考えられなくなって……」
「お察しします」
ララはいったん言葉を切った。
「失礼ですが、ご主人に暴力を受けていましたか?」
「暴力というほどでは」
目をそらし、色の変わった左の頬をそむける。
「怒鳴って物を投げることはありましたけど……叩かれたのは数えるくらいです。怒らせた私が悪かったんです。ルイジは毎晩疲れていたし……」
夫は店内に飾ってあった燭台で頭を何度も殴られていた。感情の爆発による過剰攻撃の典型だ。
妻のアリバイを確認しないと。
家庭内殺人と組織絡みの殺人、両方を視野に入れることにした。
「他人とのトラブルもありましたか?」
「いいえ。昔はあんな人じゃなかったんです。でも近年は店の経営が厳しくて、しばらく前からお酒を飲むようになって」
現場で見つかったスマートフォンについて、彼女はすでに警察の事情聴取で夫のものだと証言している。
ララは慎重に切り出した。
「床に落ちていた例のスマホは暗号化端末です。裏社会の人間が、殺人計画や密輸について秘密裏にやりとりするための端末なんです。ご主人は犯罪組織に関与した疑いがあります」
「犯罪組織? 何を言っているんですか」
「ご存知のことがあれば——」
「私の父は警察官です」
焦げ茶の目がララを睨み据える。
「夫はもちろん、家族の誰も犯罪組織とは関係がありません。私たちはただのレストラン経営者です。故郷を離れて必死で頑張ってきたんです。なのにマフィア呼ばわり? ひどいじゃないですか」
エズメが居間に入ってきた。母親にタブレットを見せて、動かなくなったと訴える。『もこもこフレンズ』のオールド・オークが熊のポムを眠りから覚まそうと殴打を浴びせるシーンで画面が固まっていた。
アニータの表情がやわらいだ。
「どうしちゃったのかしら。見てみようね」
タブレットを膝に乗せて娘に微笑みかけ、ふと目を上げて刑事たちを見る。
「私たちはただ平穏に暮らしたいだけです」
ララはシェーファー上級警部を伴って自宅を訪ねた。
妻のアニータは夫より年下の三十五歳、波打つような黒髪の女だった。頬に殴られたとおぼしき痣がある。
廊下の奥に幼い女の子が姿を現した。玄関にいる二人の刑事を見て、がっかりした顔になる。
「パパかと思ったのに」
同年代の子供より華奢で顔色が悪い。
「エズメ、お部屋にいなさい」
女の子はベッドに戻った。母親が電動吸入器のマスクを手に取ると慣れた様子で鼻と口にあてがい、タブレットで『もこもこフレンズ』を見はじめる。
アニータは廊下に出て子供部屋のドアを閉めた。
「遺伝性の肺疾患です」
居間のテーブルには何種類もの薬の箱。この家では医療が生活とともにあるようだ。
サイドボードに家族写真が並んでいる。トルコ系らしき若者がエズメと一緒に写っている一枚があった。
「店で働いているケマルです。よく遊んでくれるので、エズメが彼を大好きなんです」
「ご主人の遺体を見つけたのも、その従業員の方ですね」
「ええ」
声に警戒の色があった。重大犯罪を捜査する連邦刑事庁が家に来た理由をはかりかねているのだろう。
「夫は何か大きな犯罪に巻き込まれて死んだ。そうなんですね?」
シェーファーはやや離れて立っている。ララは質問の主導権を委ねてくれたことがありがたかった。
「まだ確かなことは言えません。最近、ご主人に変わったことは?」
「苛々していました。すぐ怒り出すんです。あの日も店を閉めたあとワインを飲みはじめて……」
床に目を落とす。
「私は先に帰りました。口論したくなかったし、友達がエズメを預かってくれていたので」
「ご友人の名前を教えて下さい」
アニータは連絡先を言った。
「夫は深夜過ぎても戻らなくて、電話にも出ませんでした。心配でしたが、頭が痛くて薬を飲んでソファで眠ってしまったんです。朝になって警察の人が来ました。ルイジが店で死んでいたと言われて……もう何も考えられなくなって……」
「お察しします」
ララはいったん言葉を切った。
「失礼ですが、ご主人に暴力を受けていましたか?」
「暴力というほどでは」
目をそらし、色の変わった左の頬をそむける。
「怒鳴って物を投げることはありましたけど……叩かれたのは数えるくらいです。怒らせた私が悪かったんです。ルイジは毎晩疲れていたし……」
夫は店内に飾ってあった燭台で頭を何度も殴られていた。感情の爆発による過剰攻撃の典型だ。
妻のアリバイを確認しないと。
家庭内殺人と組織絡みの殺人、両方を視野に入れることにした。
「他人とのトラブルもありましたか?」
「いいえ。昔はあんな人じゃなかったんです。でも近年は店の経営が厳しくて、しばらく前からお酒を飲むようになって」
現場で見つかったスマートフォンについて、彼女はすでに警察の事情聴取で夫のものだと証言している。
ララは慎重に切り出した。
「床に落ちていた例のスマホは暗号化端末です。裏社会の人間が、殺人計画や密輸について秘密裏にやりとりするための端末なんです。ご主人は犯罪組織に関与した疑いがあります」
「犯罪組織? 何を言っているんですか」
「ご存知のことがあれば——」
「私の父は警察官です」
焦げ茶の目がララを睨み据える。
「夫はもちろん、家族の誰も犯罪組織とは関係がありません。私たちはただのレストラン経営者です。故郷を離れて必死で頑張ってきたんです。なのにマフィア呼ばわり? ひどいじゃないですか」
エズメが居間に入ってきた。母親にタブレットを見せて、動かなくなったと訴える。『もこもこフレンズ』のオールド・オークが熊のポムを眠りから覚まそうと殴打を浴びせるシーンで画面が固まっていた。
アニータの表情がやわらいだ。
「どうしちゃったのかしら。見てみようね」
タブレットを膝に乗せて娘に微笑みかけ、ふと目を上げて刑事たちを見る。
「私たちはただ平穏に暮らしたいだけです」
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