表示設定
表示設定
目次 目次




2 隠れる者

ー/ー



フランクフルト警察本部
二十四年後(現在)――

 白いドレスシャツは襟元が赤黒く染まっていた。男は壁にもたれるように崩れ落ちたようだ。

「頭部の殴打が死因とみられています」

 第十一課のカリン・シェーファー上級警部が写真をホワイトボードに提示した。タイルの床に直径約二十センチの血だまり。年代物の真鍮の燭台が転がっている。

 連邦刑事庁(BKA)組織犯罪対策部のララ・ヴァイスは現場周辺の地図を見やった。

「マフィアが隠れ蓑にしている疑いのある界隈ね。観光客に人気があるけど、個人経営のレストランやバーが多い」

 シェーファーがうなずいた。大きな目と野性味のあるウェーブヘアが印象的だ。

「ええ、組織犯罪がらみを疑っています。協力をお願いする理由はもう一つ、これです。事務机の下に落ちていました」

 黒いスマートフォンの写真。

「『エレボス』です」

 エレボス(Erebos)――ギリシャ神話に登場する闇の神。その名を冠した『エレボスフォン』は普通のスマートフォンではない。

 ◇

 ララは上司で部門長のミヒャエル・ブレナーと警察本部を出た。

「うちが介入するほどの案件じゃない」
 車に乗り込み、ブレナーが意見を述べた。

「刑事警察(かれら)に任せておけばいい。マフィアの関与が濃厚なわけでもないだろう」
「エレボスを持っていたのに?」

 ララは反論した。エレボスは世界中の犯罪組織に浸透し、闇ルートでしか手に入らない。

「普通のレストラン経営者が持つスマホじゃないわ。解析はコスタンティーニに投げる」

 部下で鑑識官のクラウス・コスタンティーニは若いが優秀で、この案件にうってつけだ。
 ララは闘う気になっていた。協力要請にはできるだけ応えたい。マフィアが絡む殺人なら、チームが始まって以来の大きな事件になる。

「課を立ち上げるとき、判断は私に任せると言わなかった?」
「そうだけどね……」

 携帯電話が鳴り、ブレナーは言葉を切って応答した。

「もしもし……昨日はごめん。緊急対応で本部に泊まり込みで……」

 妻のマルティナだ。通話を終わらせ、スマホをポケットに戻して溜め息をつく。

「最近、マルティナが勘ぐってるみたいなんだ」
「同僚に口裏合わせしてもらうのね、本部に泊まったことにしたいなら」

 言葉に含まれる棘を感じたか、ブレナーは黙った。
 ヴィースバーデンに戻るまで三十分ほど気まずい沈黙が続いた。
 連邦刑事庁の庁舎に着き、地下駐車場にBMWを入れてエンジンを切ろうとしたとき、ブレナーが突然ララの手を握った。
 驚いて見やると、苦渋を含んだような目とぶつかる。

「きみと一緒になりたいのは本気だ。マルティナとはもう終わっている。きちんと話すつもりだ」

 同じ言葉を半年のあいだに何度か聞いたが実行されたことはない。ララは黙って手を引き抜いた。

「ララ……」

 振り返らずに庁舎の入口に向かったとき、コートのポケットの中でスマートフォンの通知音が鳴った。
 業務アドレスにメールが届いている。差出人に心当たりはなく、文面は短い。

______________
件名: (件名なし)
差出人: [email protected]
宛先: [email protected]
日付: 20XX年10月7日 11:30

彼はあんたを捨てる
______________


スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む 3 捜す者


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



フランクフルト警察本部
二十四年後(現在)――
 白いドレスシャツは襟元が赤黒く染まっていた。男は壁にもたれるように崩れ落ちたようだ。
「頭部の殴打が死因とみられています」
 第十一課のカリン・シェーファー上級警部が写真をホワイトボードに提示した。タイルの床に直径約二十センチの血だまり。年代物の真鍮の燭台が転がっている。
 連邦刑事庁(BKA)組織犯罪対策部のララ・ヴァイスは現場周辺の地図を見やった。
「マフィアが隠れ蓑にしている疑いのある界隈ね。観光客に人気があるけど、個人経営のレストランやバーが多い」
 シェーファーがうなずいた。大きな目と野性味のあるウェーブヘアが印象的だ。
「ええ、組織犯罪がらみを疑っています。協力をお願いする理由はもう一つ、これです。事務机の下に落ちていました」
 黒いスマートフォンの写真。
「『エレボス』です」
 |エレボス《Erebos》――ギリシャ神話に登場する闇の神。その名を冠した『エレボスフォン』は普通のスマートフォンではない。
 ◇
 ララは上司で部門長のミヒャエル・ブレナーと警察本部を出た。
「うちが介入するほどの案件じゃない」
 車に乗り込み、ブレナーが意見を述べた。
「刑事警察《かれら》に任せておけばいい。マフィアの関与が濃厚なわけでもないだろう」
「エレボスを持っていたのに?」
 ララは反論した。エレボスは世界中の犯罪組織に浸透し、闇ルートでしか手に入らない。
「普通のレストラン経営者が持つスマホじゃないわ。解析はコスタンティーニに投げる」
 部下で鑑識官のクラウス・コスタンティーニは若いが優秀で、この案件にうってつけだ。
 ララは闘う気になっていた。協力要請にはできるだけ応えたい。マフィアが絡む殺人なら、チームが始まって以来の大きな事件になる。
「課を立ち上げるとき、判断は私に任せると言わなかった?」
「そうだけどね……」
 携帯電話が鳴り、ブレナーは言葉を切って応答した。
「もしもし……昨日はごめん。緊急対応で本部に泊まり込みで……」
 妻のマルティナだ。通話を終わらせ、スマホをポケットに戻して溜め息をつく。
「最近、マルティナが勘ぐってるみたいなんだ」
「同僚に口裏合わせしてもらうのね、本部に泊まったことにしたいなら」
 言葉に含まれる棘を感じたか、ブレナーは黙った。
 ヴィースバーデンに戻るまで三十分ほど気まずい沈黙が続いた。
 連邦刑事庁の庁舎に着き、地下駐車場にBMWを入れてエンジンを切ろうとしたとき、ブレナーが突然ララの手を握った。
 驚いて見やると、苦渋を含んだような目とぶつかる。
「きみと一緒になりたいのは本気だ。マルティナとはもう終わっている。きちんと話すつもりだ」
 同じ言葉を半年のあいだに何度か聞いたが実行されたことはない。ララは黙って手を引き抜いた。
「ララ……」
 振り返らずに庁舎の入口に向かったとき、コートのポケットの中でスマートフォンの通知音が鳴った。
 業務アドレスにメールが届いている。差出人に心当たりはなく、文面は短い。
______________
件名: (件名なし)
差出人: [email protected]
宛先: [email protected]
日付: 20XX年10月7日 11:30
彼はあんたを捨てる
______________