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1 光の中を

ー/ー



レーゲンスブルク近郊の森 二十四年前――


 鬼が数をかぞえている。

 いち……に……さん……。

 草原の向こうからテオドールが弟を呼んだ。
「ぐずぐずすんなよ、クラウジー」

 クラウスは兄のほうに駆けていった。十数えたら鬼が探しにくる。はやく隠れなきゃいけない。

「あまり遠くに行っちゃだめよ」

 ママの声だ。森は迷子になるし、子供には危ない場所もある。
 テオドールはこのまえ手を怪我した。血がたくさん出て、わあわあ泣いていた。クラウスにだけは「たいしたことねえよ」と言ったけど。

 よん……ご……。

 テオドールは隠れるのがすごく上手い。それだけじゃない。何でも知ってる。

 大きな石を引っくり返して、隠れている蛇やダンゴムシを見せてくれた。嘴がオレンジ色の小鳥を指さして「あれはクロウタドリの雄だ」と言ったり、草の葉で笛を作ったりした。

 何でもできる。いつも手を引っぱって世界を見せてくれる。
 森は広いけれど、クラウスは怖くなかった。兄がいるから。
 一緒なら、どこまでも深く入り込んでいける。

 ろく……なな……。

 鬼役の子の声が遠くなった。

「ねえ、鬼来る?」

 テオドールは横目でニヤッとした。
「まだ数えてるだろ」

 はち……。

 クラウスは一から十まで言える。八のあとは九で、次が十だ。

「もうすぐ来ちゃう!」
「大丈夫だよ」

 きゅう……。

 足元で緑色の小さなものが動いた。トカゲだ! しゃがんで掴もうとすると石の隙間に逃げ込んだ。すばしこい。

 じゅう!

 クラウスはトカゲを追うのをやめた。

「テオ?」

 テオドールの姿が消えていた。

 どこにいったんだろう。左右を見まわして道を駆け戻り、木の後ろを覗いた。いない。テオがいない。クラウスは一人ぼっちになっていた。

 鳥たちがさえずり、枝のあいだから青空が見える。けれど辺りはやけに静かだ。苔だらけの岩、蔦が絡まる木、ふかふかの落ち葉。森があたかも迷宮になったように、どれも同じに見える。さっきトカゲがいた石はもう見分けがつかない。

 風がざあっと葉を揺らした。もういちど大声で呼んだ。

「テオ!」

 耳の奥で心臓がどくどく鳴っている。

 ……クラウジー。

 囁くような声が耳に届いた。クラウスはぱっと顔を上げた。

「テオ、どこ?」

 ……ここだよ。

 どちらを向いても緑ばかり。声はするのに姿がない。
 わかった。テオドールはもう隠れているんだ。
 見えないけど、近くにいる。
 テオはクラウスを置いていなくなったりしない。ちゃんといてくれる、すぐそばに。

……クラウジー、こっちだ。

 木洩れ日が地面に(まだら)模様を描いている。
 声に誘われるように、足が前に出た。
 クラウスは気づくと歩き出していた。
 木の根につまずきながら、落ち葉を踏みしめて。
 名前を呼んで、森の奥に向かって。
 声のするほうへ。

 光の中をまっすぐ、兄を捜して。


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レーゲンスブルク近郊の森 二十四年前――
 鬼が数をかぞえている。
 いち……に……さん……。
 草原の向こうからテオドールが弟を呼んだ。
「ぐずぐずすんなよ、クラウジー」
 クラウスは兄のほうに駆けていった。十数えたら鬼が探しにくる。はやく隠れなきゃいけない。
「あまり遠くに行っちゃだめよ」
 ママの声だ。森は迷子になるし、子供には危ない場所もある。
 テオドールはこのまえ手を怪我した。血がたくさん出て、わあわあ泣いていた。クラウスにだけは「たいしたことねえよ」と言ったけど。
 よん……ご……。
 テオドールは隠れるのがすごく上手い。それだけじゃない。何でも知ってる。
 大きな石を引っくり返して、隠れている蛇やダンゴムシを見せてくれた。嘴がオレンジ色の小鳥を指さして「あれはクロウタドリの雄だ」と言ったり、草の葉で笛を作ったりした。
 何でもできる。いつも手を引っぱって世界を見せてくれる。
 森は広いけれど、クラウスは怖くなかった。兄がいるから。
 一緒なら、どこまでも深く入り込んでいける。
 ろく……なな……。
 鬼役の子の声が遠くなった。
「ねえ、鬼来る?」
 テオドールは横目でニヤッとした。
「まだ数えてるだろ」
 はち……。
 クラウスは一から十まで言える。八のあとは九で、次が十だ。
「もうすぐ来ちゃう!」
「大丈夫だよ」
 きゅう……。
 足元で緑色の小さなものが動いた。トカゲだ! しゃがんで掴もうとすると石の隙間に逃げ込んだ。すばしこい。
 じゅう!
 クラウスはトカゲを追うのをやめた。
「テオ?」
 テオドールの姿が消えていた。
 どこにいったんだろう。左右を見まわして道を駆け戻り、木の後ろを覗いた。いない。テオがいない。クラウスは一人ぼっちになっていた。
 鳥たちがさえずり、枝のあいだから青空が見える。けれど辺りはやけに静かだ。苔だらけの岩、蔦が絡まる木、ふかふかの落ち葉。森があたかも迷宮になったように、どれも同じに見える。さっきトカゲがいた石はもう見分けがつかない。
 風がざあっと葉を揺らした。もういちど大声で呼んだ。
「テオ!」
 耳の奥で心臓がどくどく鳴っている。
 ……クラウジー。
 囁くような声が耳に届いた。クラウスはぱっと顔を上げた。
「テオ、どこ?」
 ……ここだよ。
 どちらを向いても緑ばかり。声はするのに姿がない。
 わかった。テオドールはもう隠れているんだ。
 見えないけど、近くにいる。
 テオはクラウスを置いていなくなったりしない。ちゃんといてくれる、すぐそばに。
……クラウジー、こっちだ。
 木洩れ日が地面に斑《まだら》模様を描いている。
 声に誘われるように、足が前に出た。
 クラウスは気づくと歩き出していた。
 木の根につまずきながら、落ち葉を踏みしめて。
 名前を呼んで、森の奥に向かって。
 声のするほうへ。
 光の中をまっすぐ、兄を捜して。