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6話 ボールプール

ー/ー



 廊下の手洗い場で順番に洗っていきトイレを済ませると、時刻は十二時前になっている。昼食の時間となりおやつを食べた食堂に向かう。
 療育園には厨房があり、お昼ご飯を作ってくれる厨房スタッフの安藤さんが昼食を作って待ってくれている。
 小林先生みたいに温かくて優しくて、子供達に「食堂のおばあちゃん」と親しまれるほどに割烹着が似合う六十前の女性だ。

「いただきまーす」
「はい。しっかりモグモグしてねー」
 全員が席に着き手をパチンと合わせて声を出すと、返ってくるいつもの朗らかな声とマスク越しでも分かる柔らかな笑顔。
 付き添いのお母さんや私達職員も一食四百円で食事を頼め、栄養がしっかりしているのに安いこの値段に殆どの職員が頼んでいる。私も安藤さんのご飯に魅了された一人で、今日も広がるホカホカな食事と心を落ち着かせてくれるご飯の香りに思わず口元が緩んでいく。
 だけどポツポツとお弁当箱を広げている子も居て、食中毒対策に冷蔵庫で預かっていたのを安藤さんがレンジで温めてお膳代わりに持ってきてくれる。
 その中身はさまざまで、小さなおにぎりだけ、パスタだけというお弁当があり、凛ちゃんは白米だけでそこに味付けはないらしい。
 手の平サイズの小さなお弁当箱に入った白米をスプーンで掬う姿から、一見するとおかずを忘れてしまったのかとヒヤヒヤするが。白米以外食べられないからこそ、このようなお弁当を持参している。

 そう言うと我儘だと思われそうだけど、そうではない。 
 これは感覚過敏の一つで、食感が合わず食べられないという特性によるもの。
 個人差があるが、硬い食べ物が口にグサっと刺さるように痛く感じたり、柔らかい食べ物の食感がグニャとして気持ち悪く感じたり。また凛ちゃんのように色味が付いている物が食べられず、甘みや塩味を強く感じる人もいるらしい。
 凛ちゃんは味のない白米しか食べられず、パスタやパンなどを試したらしいけど食感が合わないのか、怒ってひっくり返してしまったとお母さんが以前話されていた。
 だからこそ、白米とお茶と水で生活しているらしい。
 体が小さくて、栄養状態もあまり良くなくて、どこか活気がない。
 だけど食べてくれず、無味無臭の栄養剤を水に混ぜて飲んでもらおうとしたこともあったらしいけど、僅かに溶け切っていない粉末を怖がり水をひっくり返してしまった。
 しかも嫌な記憶は残るもので二日ほど水を飲まなくなってしまい、病院で水分補給の為に点滴をしてもらおうとしても、状況が分からずパニックを起こす。
 予防接種みたいな僅かな我慢とは違い、点滴は数時間かかる。その間に凛ちゃんがじっとしていられず、結局眠剤を使用して乗り切ったとお母さんは笑って話していた。
 凛ちゃんの強いこだわりに、医師は様子を見るしかないと判断を下した。
 だから無理強いはしないと決めている。

 勿論、心のノックをするのは忘れずに「唐揚げ、美味しいな」、「ブロッコリー、凛ちゃんもいらないかな?」と軽く声をかける。
 すると一瞬クリクリの目をこちらを向けるも、すぐに白米をスプーンで掬う姿から興味がないようで、だからこちらもこれ以上は声をかけない。

「ごちそうさまでした」
 手を合わせて、お膳を安藤さんに返した子から午後の活動であるボールプールに参加出来る。
 本来ならみんなで行動にした方が良いけど食べるペースは個人差が大きく、また食後はゆっくりしたいと思う子も居る為、ここは時間ではなく子供のペースに合わせると決めている。
 凛ちゃんは少食であまり食にも関心がないので食事ペースはゆっくりで、手の平に入るほどの小さなお弁当をリスのような可愛いお口でもぐもぐと食べていく。


 三十分ほど時間をかけてお昼ご飯を食べ終わると、活動再開となる。
 階段をゆっくり降りて廊下を歩き、朝居たプレイルームに戻ると部屋の左端に設置してあるのは大きなボールプール。
 六畳ほどのスペースに作られた子供達の憩い場は、八人が遊ぶに充分な広さ。
 その中にはボールに埋もれてキャハハハと大笑いしている子、控えめにちょこんと座り恥ずかしそうに微笑む子、そんな姿を傍観しつつチョロチョロ周辺を動き回りやってみようかと考えるような表情をする子。
 ここでも大きく個性が出ていて、ボールプールに使用されている様々なボール玉のようで、みんな可愛らしい。

 だけどこれもただ遊んでいるわけではなく、感覚遊びの一つ。
 それだけでなく、飛び込んで入ってはいけない。人にボールを投げてはいけない。などを園庭遊び同様に事前に約束し、守るという社会性を身につける目的もある。

「凛ちゃん。楽しいよ!」
 私は他の子達の邪魔にならないように端の方でプラスチックで出来たボールが潰れないようにそっと入り、弾ける声で話しかける。
 だけど凛ちゃんはこちらをチラリと見たけどその結んだ口を開くこともボールプールに入ることもなく、一つづつボールを取り出し赤色を横一列に黙々と並べていく。
 うん、これで良い。
 何も出来ていないように見えるけど、凛ちゃんは活動に参加している。
 感覚遊びは手だけでも充分な刺激になっていて、ボールを柔らかいと認識し、白、青、緑、黄、と色がある中で赤だけを選び、並べている。
 そこで「赤色、可愛いね」。「上手に並べているね」。「いくつあるか数えてみよう」。と、真正面でしゃがみ声をかけていく。
 大切なのは凛ちゃんが自主的にしたことに対して、こちらが反応すること。こちらが一方的に働きかけても、先程私がボールプールに入って楽しいよと声をかけた時みたいに、頭には入ってこないからだ。

「あか」
「いち、に、さん……」
 だけど並べたボールに関しては反応があり、言葉を出しながら小さな指を指してくる。
 これは私の言葉を理解しているわけではなく、「おうむ返し」というただの復唱。だけどそれを繰り返すことにより、凛ちゃんがおそらく好きであろう色は赤という名前であり、数を数える時は1、2、3と言うことを学んでいく。
 とにかく興味のあることから一つ一つを伝えていく。
 それが凛ちゃんと、私達を繋げてくれるツールなのだから。


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 廊下の手洗い場で順番に洗っていきトイレを済ませると、時刻は十二時前になっている。昼食の時間となりおやつを食べた食堂に向かう。
 療育園には厨房があり、お昼ご飯を作ってくれる厨房スタッフの安藤さんが昼食を作って待ってくれている。
 小林先生みたいに温かくて優しくて、子供達に「食堂のおばあちゃん」と親しまれるほどに割烹着が似合う六十前の女性だ。
「いただきまーす」
「はい。しっかりモグモグしてねー」
 全員が席に着き手をパチンと合わせて声を出すと、返ってくるいつもの朗らかな声とマスク越しでも分かる柔らかな笑顔。
 付き添いのお母さんや私達職員も一食四百円で食事を頼め、栄養がしっかりしているのに安いこの値段に殆どの職員が頼んでいる。私も安藤さんのご飯に魅了された一人で、今日も広がるホカホカな食事と心を落ち着かせてくれるご飯の香りに思わず口元が緩んでいく。
 だけどポツポツとお弁当箱を広げている子も居て、食中毒対策に冷蔵庫で預かっていたのを安藤さんがレンジで温めてお膳代わりに持ってきてくれる。
 その中身はさまざまで、小さなおにぎりだけ、パスタだけというお弁当があり、凛ちゃんは白米だけでそこに味付けはないらしい。
 手の平サイズの小さなお弁当箱に入った白米をスプーンで掬う姿から、一見するとおかずを忘れてしまったのかとヒヤヒヤするが。白米以外食べられないからこそ、このようなお弁当を持参している。
 そう言うと我儘だと思われそうだけど、そうではない。 
 これは感覚過敏の一つで、食感が合わず食べられないという特性によるもの。
 個人差があるが、硬い食べ物が口にグサっと刺さるように痛く感じたり、柔らかい食べ物の食感がグニャとして気持ち悪く感じたり。また凛ちゃんのように色味が付いている物が食べられず、甘みや塩味を強く感じる人もいるらしい。
 凛ちゃんは味のない白米しか食べられず、パスタやパンなどを試したらしいけど食感が合わないのか、怒ってひっくり返してしまったとお母さんが以前話されていた。
 だからこそ、白米とお茶と水で生活しているらしい。
 体が小さくて、栄養状態もあまり良くなくて、どこか活気がない。
 だけど食べてくれず、無味無臭の栄養剤を水に混ぜて飲んでもらおうとしたこともあったらしいけど、僅かに溶け切っていない粉末を怖がり水をひっくり返してしまった。
 しかも嫌な記憶は残るもので二日ほど水を飲まなくなってしまい、病院で水分補給の為に点滴をしてもらおうとしても、状況が分からずパニックを起こす。
 予防接種みたいな僅かな我慢とは違い、点滴は数時間かかる。その間に凛ちゃんがじっとしていられず、結局眠剤を使用して乗り切ったとお母さんは笑って話していた。
 凛ちゃんの強いこだわりに、医師は様子を見るしかないと判断を下した。
 だから無理強いはしないと決めている。
 勿論、心のノックをするのは忘れずに「唐揚げ、美味しいな」、「ブロッコリー、凛ちゃんもいらないかな?」と軽く声をかける。
 すると一瞬クリクリの目をこちらを向けるも、すぐに白米をスプーンで掬う姿から興味がないようで、だからこちらもこれ以上は声をかけない。
「ごちそうさまでした」
 手を合わせて、お膳を安藤さんに返した子から午後の活動であるボールプールに参加出来る。
 本来ならみんなで行動にした方が良いけど食べるペースは個人差が大きく、また食後はゆっくりしたいと思う子も居る為、ここは時間ではなく子供のペースに合わせると決めている。
 凛ちゃんは少食であまり食にも関心がないので食事ペースはゆっくりで、手の平に入るほどの小さなお弁当をリスのような可愛いお口でもぐもぐと食べていく。
 三十分ほど時間をかけてお昼ご飯を食べ終わると、活動再開となる。
 階段をゆっくり降りて廊下を歩き、朝居たプレイルームに戻ると部屋の左端に設置してあるのは大きなボールプール。
 六畳ほどのスペースに作られた子供達の憩い場は、八人が遊ぶに充分な広さ。
 その中にはボールに埋もれてキャハハハと大笑いしている子、控えめにちょこんと座り恥ずかしそうに微笑む子、そんな姿を傍観しつつチョロチョロ周辺を動き回りやってみようかと考えるような表情をする子。
 ここでも大きく個性が出ていて、ボールプールに使用されている様々なボール玉のようで、みんな可愛らしい。
 だけどこれもただ遊んでいるわけではなく、感覚遊びの一つ。
 それだけでなく、飛び込んで入ってはいけない。人にボールを投げてはいけない。などを園庭遊び同様に事前に約束し、守るという社会性を身につける目的もある。
「凛ちゃん。楽しいよ!」
 私は他の子達の邪魔にならないように端の方でプラスチックで出来たボールが潰れないようにそっと入り、弾ける声で話しかける。
 だけど凛ちゃんはこちらをチラリと見たけどその結んだ口を開くこともボールプールに入ることもなく、一つづつボールを取り出し赤色を横一列に黙々と並べていく。
 うん、これで良い。
 何も出来ていないように見えるけど、凛ちゃんは活動に参加している。
 感覚遊びは手だけでも充分な刺激になっていて、ボールを柔らかいと認識し、白、青、緑、黄、と色がある中で赤だけを選び、並べている。
 そこで「赤色、可愛いね」。「上手に並べているね」。「いくつあるか数えてみよう」。と、真正面でしゃがみ声をかけていく。
 大切なのは凛ちゃんが自主的にしたことに対して、こちらが反応すること。こちらが一方的に働きかけても、先程私がボールプールに入って楽しいよと声をかけた時みたいに、頭には入ってこないからだ。
「あか」
「いち、に、さん……」
 だけど並べたボールに関しては反応があり、言葉を出しながら小さな指を指してくる。
 これは私の言葉を理解しているわけではなく、「おうむ返し」というただの復唱。だけどそれを繰り返すことにより、凛ちゃんがおそらく好きであろう色は赤という名前であり、数を数える時は1、2、3と言うことを学んでいく。
 とにかく興味のあることから一つ一つを伝えていく。
 それが凛ちゃんと、私達を繋げてくれるツールなのだから。