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第25話 共に来い

ー/ー



 (はるか)の独壇場となっていた応接室に、鈴心(すずね)の小さな身体が乱入した。
 彼女は青白い顔で息を弾ませながら、自らの携帯電話を皆に見えるように掲げて言う。
 
「私のこれは監視用として渡されたものです」
 
「!」
 
「今の会話、筒抜けだったかもしれません」
 
 誰に、とは言わなくてもその場の全員が理解していた。
 
 途端に緊張が走る。蕾生(らいお)は鈴心に初めて会った時に鳴ったサイレンを想像した。永も身構えて部屋の隅々まで注視する。
 突然、外で激しく雨が降り始めた。ザアザア降る音が全てをかき消すように部屋中を満たしていく。
 数分経ったが屋敷の周りも部屋の中も静けさに満ちていた。ただ雨の音を除いては。

 
  
「……何も起きねえな」
 
 蕾生が少し緊張を解いて言うと、永もそれに倣って一息吐いた。
 
「うん、この前みたいにサイレンでも鳴って、物騒な人が押し込んでくるかと思ったけど……」
 
「考え過ぎだったか?」
 
「どうかな。さすがに銀騎(しらき)詮充郎(せんじゅうろう)でもそれは短絡的だし、泳がせてるのかも」
 
 二人の会話の横で鈴心はまだ険しい表情を続けていた。そして三人とは別の理由で青ざめながら神妙な面持ちの者がいる。

「ねえ、すずちゃん」

 星弥(せいや)の声はこれまでとまるで違って低く、それなのに何故か部屋中に響く。
 
「それ、兄さんが中学生になる年齢になったからって、お祝いにくれた携帯電話だよね」
 
 更に言う声音は震えてもいた。だが、今の鈴心にはそれに気づく余裕がなかった。
 
「そうですが」
 
「贅沢品だから、お祖父様には内緒ねって兄さん言ってたよね?」
 
「ええ」
 
 鈴心の短い返答に、星弥は冷笑を交えて言う。
 
「つまり、すずちゃんは兄さんのことも信用してなかったってこと?」
 
「あ……」
 
 星弥の言わんとしていることにようやく気づいた鈴心は言葉を失った。星弥は明らかに落胆した表情で佇んでいる。
 
「……お兄様には良くしていただいているとは思っています。でも、あの人はお祖父様の言いなりですから」
 
「そう……」
 
 取り繕うことはせず、しかし幾ばくかの罪悪感を持って鈴心が答えると、星弥は悲しそうに頷いた。
 部屋に気まずい雰囲気が漂う。星弥は俯いて黙ったままで、鈴心も次の言葉が出なかった。

 
 
「──おい、鈴心」
 
 その沈黙を破ったのは蕾生だった。怒気のはらんだ声で鈴心を睨む。
 
「今の状況が緊急事態だったとしても、お前は銀騎に甘え過ぎだ」
 
 鈴心は蕾生の方を向いたけれども、自分の心の核心を突かれ顔を上げることができない。構わずに蕾生は続けた。
 
「お前のいる環境は、俺達には想像もつかない過酷なもんなんだろうけど、何も知らない銀騎に当たってんじゃねえ」
 
「……」
 
「これは、俺達三人の問題だ。お前が勝手に抱え込むのを永が許したか? 俺とお前は永の手足だ、余計なこと考えるのは頭に任せとけ」
 
 その言葉に一瞬だけ雷郷(らいごう)が重なった気がした。永が咄嗟に口を挟む。
 
「ライくん、もしかして何か思い出した?」
 
「いや、なんかそんな気がした」
 
「──ハハッ、さすがライくん。昔からリンに意見ができるのは対等な君だけだったよ」
 
 永は満足そうに笑った後、鈴心の方を向き優しく話しかけた。
 
「リン」
 
「はい……」
 
「まずは銀騎さんに謝ろうか?」
 
 永にそう言われると、鈴心は年相応の純真な表情を初めて見せる。そうして星弥に近づいて辿々しく話しかけた。
 
「星弥……ずっと黙っていて、すみませんでした」
 
 鈴心が軽く頭を下げるも、星弥はまだ俯いて黙っている。
 
「星弥? まだ怒ってますか?」
 
「うふふふ!」
 
 突如笑い出した彼女の態度に、永も蕾生も後ずさる程驚いた。
 
「すずちゃんは、つまり、わたしに甘えてたんだね?」
 
「え、いや、まあ、その……」
 
 少し屈んで上目遣いで言った後、戸惑っている鈴心に詰め寄って星弥は更に続ける。確認をとるように。
 
「すずちゃんは、わたしだから甘えられるんだよね?」
 
「そうだと思うぞ」
 
「ライ!!」
 
 挟んだ蕾生の言葉を鈴心は慌てて制したが、顔は朱に染まっていた。それを見た途端、星弥は物凄い勢いで鈴心に抱きついた。
 
「やーん、すずちゃんたらあ! もっと甘えていいんだよおお!」
 
 思いっきり抱きしめて、更にウリウリする星弥にされるがままの鈴心は今にも窒息しそうだった。それでも一切抵抗しない様は、二人の間に姉妹愛のようなものを感じられて、些か変態的ではあるが微笑ましくもある。

 
  
 銀騎(しらき)星弥(せいや)、本当に読めない女だ。と永は考える。
 
 本心はさておいて、自分がこの様に振る舞わないとこの場は収束しないことがわかって動いている。鈴心に向ける感情が異常であればあるほど、彼女の本質を見失う。きっとそれすらも承知の上で行動しているのだろう、というのは考え過ぎだろうか。
 
 おそらく彼女は自分も含めて、あらゆる事態を俯瞰しているのだろう。あらゆる場面場面で、そこまで自分の感情を一切排除できる人間はそういない。もしかしたら、一番敵に回してはいけないのは彼女かもしれない。ならば、是が非でも味方でいてもらわなければならない。


 
「せ、星弥、苦しい、です」
 
「わっ、ごめんね」
 
 鈴心の訴えにようやく腕を緩めた星弥は改めて鈴心に向き直る。
 
「すずちゃんが兄さんのことも疑ってるのはちょっと寂しいけど、わたしは兄さんのことは信じてる。お祖父様の言いなりだとしても、すずちゃんに酷いことはしないって」
 
「私もそう信じたい、です」
 
「うん!」
 
 満足気に笑う星弥に、安堵の表情を向ける鈴心。そんな二人の雰囲気に、ニヤニヤしながら永は聞いた。
 
「で、リン? この期に及んで、抜ける、なんて言わないよね?」
 
 すると鈴心はまた真剣な顔をして永に向き直る。
 
「ハル様、私がこのままここにいれば、少なくともいつもよりは長生きできるんですよ? なのに、今回もまた戦うんですか?」

 
   
 最終確認だ。
 過去に何度もこんなやり取りをしてきた。その度におれ達は前を向くしかない。


 
 永は真っ直ぐに姿勢を伸ばし、少しだけ天井を見つめた後、肩でスッと息を吸う。
 それから、蕾生と鈴心を見据えて落ち着いた声で決意を紡いだ。
 
「お前の犠牲の上に成り立つ命など無意味だ。おれは、お前もライも、おれ自身も救ってみせる」
 
 ライとリンが左右にいてくれれば何だってできる。(はなぶさ)治親(はるちか)はそれだけをよすがに長い時を生きてきた。

「だからリン。共に来い」
 
 永は鈴心に手を差し伸べる。その手の前に跪いて鈴心は短く答えた。
 
「……御意」
 
 永がにっこりと笑う。その姿は自信に満ちた主君然としていて、蕾生は誇らしい気持ちになった。
 
「たまに出るのは、英治親の口調なんだな」
 
「えー? やだあ、なんか恥ずかしいなあ!」
 
 蕾生の言葉にヘラヘラ照れる様はよく知る永のもので、蕾生もやっと安心することができた。
 
「さあ、これでやっとスタート地点だ」
 
「そうだな」
 
 永と蕾生の言葉に鈴心が黙って頷く。こんな空気感は初めてのはずなのに、いつも通りの様な気もしてなんだかくすぐったかった。

 
  
「あのー、まさかこれでわたしはお役御免じゃないよね?」
 
 めでたしめでたしの雰囲気を打ち破るように、星弥が手を挙げて言う。もちろんにっこりと笑って。
 
「え?」
 
 永が肩を少し震わせると、星弥は笑顔を崩さずに続けた。
 
「ここまで関わっておいてさよならなんて言われたら、ショックでお祖父様に泣きついちゃうかも?」
 
「えーっと……」
 
 にこやかな脅しに永がどう答えたものかと考えていると、横から鈴心が口を挟む。
 
「ハル様、星弥は知り過ぎました。かくなる上は味方にするか殺すかですが、たとえハル様の命令でも星弥を殺すことはできません。しかし、主の命に背くことは死を意味──」
 
「しないよ、そんな命令! わーかった、わかりました! 銀騎さんとは中立の同盟が既に結ばれてるから、今後もそれを継続する! それでいいよね!」
 
 まさか鈴心にまで脅されるとは思わなかった永は、それに好意を感じつつ、元からそのつもりだった考えをわざと今決めたかのように言った。
 
「うん。これからもいい距離感でよろしくね!」
 
 満足気に笑う星弥。それを見て蕾生も考えを述べる。
 
「まあ、いつもと違う人間が介入したら、なんか変わるかもな」
 
「いやあ……そういうのは……何というか、前例が結構──なんでもない! わかった! なんとかする!」
 
「さすが永。頼もしいぜ」
 
 なんだかごちゃごちゃ言ったことは蕾生は聞かなかったことにした。これが吉と出るか凶と出るか、それは永次第だ。
 たとえ凶になっても、自分が体を張って永を守ればいい。頑丈な身体はきっとこのためにあるのだと、蕾生は改めて思う。
 
「ハル様、お察しします」
 
 星弥の性格を知り尽くしている鈴心だけが、永のこれからに思いを馳せることができた。案の定、永はもうすでに疲れた顔をしている。
 なんだか雰囲気がコミカルにドタバタしてきた頃、突然部屋のドアをノックする音がして、四人は一斉に驚いた。


 
「──お嬢様、よろしいですか?」
 
「あ、はーい。なあに?」
 
 弾かれたように早足で扉まで歩いた星弥が鍵を開けると、控えめな態度で家政婦が顔を覗かせる。
 
「あの……皓矢(こうや)様がそろそろお戻りになるそうで、ご友人方にはお帰りいただくようにと奥様が……」
 
「え? じゃあ兄さんと夕食が食べられるの? すごい!」
 
 星弥の声がみるみる弾んでいく。鈴心は二人に小声で囁いた。
 
「ハル様、ライ。今日はここまでに願います。また日を改めて」
 
「そうだな」
 
 永も小声で承諾し、蕾生も頷く。それから永はとぼけた声音で星弥に話しかけた。
 
「銀騎さん、じゃあ僕らそろそろ帰るよ」
 
 それを聞くと、家政婦は何も言わずにそそくさと部屋から離れていった。
 
「あ、ごめんね?」
 
「ううん、また明日学校で」
 
 蕾生も一切開かなかった鞄を持った。
 
「じゃあ、また明日な」
 
「うん」
 
 そうして永と蕾生は屋敷を後にした。星弥と鈴心が揃って見送る。


 
 いつの間にか雨は止み、元の曇り空に戻っていた。
 霞のように煙る外気。激しい雨とともに舞った土埃の匂い。
 普通の雨上がりの風情だけれど、空はまだ明るくならず。

 蕾生は残していく仲間の姿を、案じずにはいられなかった。


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 |永《はるか》の独壇場となっていた応接室に、|鈴心《すずね》の小さな身体が乱入した。
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「ねえ、すずちゃん」
 |星弥《せいや》の声はこれまでとまるで違って低く、それなのに何故か部屋中に響く。
「それ、兄さんが中学生になる年齢になったからって、お祝いにくれた携帯電話だよね」
 更に言う声音は震えてもいた。だが、今の鈴心にはそれに気づく余裕がなかった。
「そうですが」
「贅沢品だから、お祖父様には内緒ねって兄さん言ってたよね?」
「ええ」
 鈴心の短い返答に、星弥は冷笑を交えて言う。
「つまり、すずちゃんは兄さんのことも信用してなかったってこと?」
「あ……」
 星弥の言わんとしていることにようやく気づいた鈴心は言葉を失った。星弥は明らかに落胆した表情で佇んでいる。
「……お兄様には良くしていただいているとは思っています。でも、あの人はお祖父様の言いなりですから」
「そう……」
 取り繕うことはせず、しかし幾ばくかの罪悪感を持って鈴心が答えると、星弥は悲しそうに頷いた。
 部屋に気まずい雰囲気が漂う。星弥は俯いて黙ったままで、鈴心も次の言葉が出なかった。
「──おい、鈴心」
 その沈黙を破ったのは蕾生だった。怒気のはらんだ声で鈴心を睨む。
「今の状況が緊急事態だったとしても、お前は銀騎に甘え過ぎだ」
 鈴心は蕾生の方を向いたけれども、自分の心の核心を突かれ顔を上げることができない。構わずに蕾生は続けた。
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「……」
「これは、俺達三人の問題だ。お前が勝手に抱え込むのを永が許したか? 俺とお前は永の手足だ、余計なこと考えるのは頭に任せとけ」
 その言葉に一瞬だけ|雷郷《らいごう》が重なった気がした。永が咄嗟に口を挟む。
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「いや、なんかそんな気がした」
「──ハハッ、さすがライくん。昔からリンに意見ができるのは対等な君だけだったよ」
 永は満足そうに笑った後、鈴心の方を向き優しく話しかけた。
「リン」
「はい……」
「まずは銀騎さんに謝ろうか?」
 永にそう言われると、鈴心は年相応の純真な表情を初めて見せる。そうして星弥に近づいて辿々しく話しかけた。
「星弥……ずっと黙っていて、すみませんでした」
 鈴心が軽く頭を下げるも、星弥はまだ俯いて黙っている。
「星弥? まだ怒ってますか?」
「うふふふ!」
 突如笑い出した彼女の態度に、永も蕾生も後ずさる程驚いた。
「すずちゃんは、つまり、わたしに甘えてたんだね?」
「え、いや、まあ、その……」
 少し屈んで上目遣いで言った後、戸惑っている鈴心に詰め寄って星弥は更に続ける。確認をとるように。
「すずちゃんは、わたしだから甘えられるんだよね?」
「そうだと思うぞ」
「ライ!!」
 挟んだ蕾生の言葉を鈴心は慌てて制したが、顔は朱に染まっていた。それを見た途端、星弥は物凄い勢いで鈴心に抱きついた。
「やーん、すずちゃんたらあ! もっと甘えていいんだよおお!」
 思いっきり抱きしめて、更にウリウリする星弥にされるがままの鈴心は今にも窒息しそうだった。それでも一切抵抗しない様は、二人の間に姉妹愛のようなものを感じられて、些か変態的ではあるが微笑ましくもある。
 |銀騎《しらき》|星弥《せいや》、本当に読めない女だ。と永は考える。
 本心はさておいて、自分がこの様に振る舞わないとこの場は収束しないことがわかって動いている。鈴心に向ける感情が異常であればあるほど、彼女の本質を見失う。きっとそれすらも承知の上で行動しているのだろう、というのは考え過ぎだろうか。
 おそらく彼女は自分も含めて、あらゆる事態を俯瞰しているのだろう。あらゆる場面場面で、そこまで自分の感情を一切排除できる人間はそういない。もしかしたら、一番敵に回してはいけないのは彼女かもしれない。ならば、是が非でも味方でいてもらわなければならない。
「せ、星弥、苦しい、です」
「わっ、ごめんね」
 鈴心の訴えにようやく腕を緩めた星弥は改めて鈴心に向き直る。
「すずちゃんが兄さんのことも疑ってるのはちょっと寂しいけど、わたしは兄さんのことは信じてる。お祖父様の言いなりだとしても、すずちゃんに酷いことはしないって」
「私もそう信じたい、です」
「うん!」
 満足気に笑う星弥に、安堵の表情を向ける鈴心。そんな二人の雰囲気に、ニヤニヤしながら永は聞いた。
「で、リン? この期に及んで、抜ける、なんて言わないよね?」
 すると鈴心はまた真剣な顔をして永に向き直る。
「ハル様、私がこのままここにいれば、少なくともいつもよりは長生きできるんですよ? なのに、今回もまた戦うんですか?」
 最終確認だ。
 過去に何度もこんなやり取りをしてきた。その度におれ達は前を向くしかない。
 永は真っ直ぐに姿勢を伸ばし、少しだけ天井を見つめた後、肩でスッと息を吸う。
 それから、蕾生と鈴心を見据えて落ち着いた声で決意を紡いだ。
「お前の犠牲の上に成り立つ命など無意味だ。おれは、お前もライも、おれ自身も救ってみせる」
 ライとリンが左右にいてくれれば何だってできる。|英《はなぶさ》|治親《はるちか》はそれだけをよすがに長い時を生きてきた。
「だからリン。共に来い」
 永は鈴心に手を差し伸べる。その手の前に跪いて鈴心は短く答えた。
「……御意」
 永がにっこりと笑う。その姿は自信に満ちた主君然としていて、蕾生は誇らしい気持ちになった。
「たまに出るのは、英治親の口調なんだな」
「えー? やだあ、なんか恥ずかしいなあ!」
 蕾生の言葉にヘラヘラ照れる様はよく知る永のもので、蕾生もやっと安心することができた。
「さあ、これでやっとスタート地点だ」
「そうだな」
 永と蕾生の言葉に鈴心が黙って頷く。こんな空気感は初めてのはずなのに、いつも通りの様な気もしてなんだかくすぐったかった。
「あのー、まさかこれでわたしはお役御免じゃないよね?」
 めでたしめでたしの雰囲気を打ち破るように、星弥が手を挙げて言う。もちろんにっこりと笑って。
「え?」
 永が肩を少し震わせると、星弥は笑顔を崩さずに続けた。
「ここまで関わっておいてさよならなんて言われたら、ショックでお祖父様に泣きついちゃうかも?」
「えーっと……」
 にこやかな脅しに永がどう答えたものかと考えていると、横から鈴心が口を挟む。
「ハル様、星弥は知り過ぎました。かくなる上は味方にするか殺すかですが、たとえハル様の命令でも星弥を殺すことはできません。しかし、主の命に背くことは死を意味──」
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 まさか鈴心にまで脅されるとは思わなかった永は、それに好意を感じつつ、元からそのつもりだった考えをわざと今決めたかのように言った。
「うん。これからもいい距離感でよろしくね!」
 満足気に笑う星弥。それを見て蕾生も考えを述べる。
「まあ、いつもと違う人間が介入したら、なんか変わるかもな」
「いやあ……そういうのは……何というか、前例が結構──なんでもない! わかった! なんとかする!」
「さすが永。頼もしいぜ」
 なんだかごちゃごちゃ言ったことは蕾生は聞かなかったことにした。これが吉と出るか凶と出るか、それは永次第だ。
 たとえ凶になっても、自分が体を張って永を守ればいい。頑丈な身体はきっとこのためにあるのだと、蕾生は改めて思う。
「ハル様、お察しします」
 星弥の性格を知り尽くしている鈴心だけが、永のこれからに思いを馳せることができた。案の定、永はもうすでに疲れた顔をしている。
 なんだか雰囲気がコミカルにドタバタしてきた頃、突然部屋のドアをノックする音がして、四人は一斉に驚いた。
「──お嬢様、よろしいですか?」
「あ、はーい。なあに?」
 弾かれたように早足で扉まで歩いた星弥が鍵を開けると、控えめな態度で家政婦が顔を覗かせる。
「あの……|皓矢《こうや》様がそろそろお戻りになるそうで、ご友人方にはお帰りいただくようにと奥様が……」
「え? じゃあ兄さんと夕食が食べられるの? すごい!」
 星弥の声がみるみる弾んでいく。鈴心は二人に小声で囁いた。
「ハル様、ライ。今日はここまでに願います。また日を改めて」
「そうだな」
 永も小声で承諾し、蕾生も頷く。それから永はとぼけた声音で星弥に話しかけた。
「銀騎さん、じゃあ僕らそろそろ帰るよ」
 それを聞くと、家政婦は何も言わずにそそくさと部屋から離れていった。
「あ、ごめんね?」
「ううん、また明日学校で」
 蕾生も一切開かなかった鞄を持った。
「じゃあ、また明日な」
「うん」
 そうして永と蕾生は屋敷を後にした。星弥と鈴心が揃って見送る。
 いつの間にか雨は止み、元の曇り空に戻っていた。
 霞のように煙る外気。激しい雨とともに舞った土埃の匂い。
 普通の雨上がりの風情だけれど、空はまだ明るくならず。
 蕾生は残していく仲間の姿を、案じずにはいられなかった。