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#10:熱に浮かされて

ー/ー



「しょ、勝者は、エレンンンンンンンンゥ!!」

 実況者の声が闘技場いっぱいに響いた直後、堰を切ったような歓声が湧き上がった。石造りの観客席が震えるほどの熱が、一気に場を満たしていく。その中心で、グレンはしばらく動けなかった。

 尻もちをついたまま、ただ目の前の少女を見上げている。敗北を告げられたことすら、まだ半分ほどしか実感できていないようだった。

 エレンはそんな彼を静かに見下ろし、それからごく自然な所作で手を差し伸べた。

「わかったか? 私が何をしていたのか」

 差し出された手と、その先の顔を、グレンは交互に見る。やがて大きな手がその手を掴む。

「……力じゃなかったんだな。アンタは、オレの力を利用していたんだ」

「そうだ」

 エレンは短く頷く。引き上げられたグレンの身体はまだ熱を帯びていたが、その熱の向きは先ほどまでとは違っていた。ただぶつけるための炎ではない。理解へ向かって燃え始めた火だった。

「お前は力だけなら、並の接続者より遥かに上だ。だからこそ、そこを突かれた」

 そこで一拍置き、エレンはわずかに視線を和らげる。

「だが、まあ……悪くはなかった。私に憧れたと言っていたが、その言葉だけは素直に受け取っておくよ」

「……っ!」

 グレンの目が見開かれる。次の瞬間には、悔しさも痛みも押しのけるように、顔いっぱいに笑みが広がっていた。

「アンタは俺にさらなる道を見せてくれた! これは見るだけじゃわからねぇ……! この実体験は、オレをさらに強くしてくれる!」

「……熱苦しいやつだ」

 呆れたように返しながらも、エレンの口元にはごく浅い笑みが浮かんでいた。

 まっすぐで、不器用で、けれど一度受け取ったものをそのまま熱に変えられる男。そういう気質は決して嫌いではない。むしろ、自分の前に立つ者としては好ましい部類に入る。力だけで終わらず、その先を見ようとするなら、なおさらだ。

「またオレと戦ってくれよ! 今度はもっとアンタを追い詰めるぜ!」

「楽しみにしている」

 今度の返答には、先ほどよりもわずかに温度があった。

 グレンは大きく笑い、拳を握って見せる。敗者の姿にしては妙に晴れやかで、その様子に観客席のあちこちからさらに歓声が飛んだ。

 エレンはそれを背に受けながら、身を翻す。騒ぎ立つ闘技場の熱気が遠ざかるにつれ、身体の内側から柔らかな声が届いた。

『すごく、素直な人だったね』

『そうだな。あいつはもっと伸びる』

 歩みを止めないまま、エレンは淡々と続ける。

『あの力に技術まで加わるとなると、油断はできない』

『危機感を感じるまでではないの?』

 わざとらしく探るような響きに、エレンは半眼になった。姿こそ見えずとも、その声音だけでエレナが少し楽しんでいるのは分かる。

『私は君の身体を背負っている』

 その返答に、揺らぎはなかった。

『誰が来ようとも、負けるつもりは毛頭ない』
 
 『ふふ、そうだね』
 
 ✦ ━━━━━━━━━━━━━━ ✦
 
 控え室へ戻り、身体の主導権がエレナへと返ってきた頃には、張り詰めていた熱も少しずつ引き始めていた。

 ひとまず椅子に腰を下ろしたものの、背中から肩にかけて、じわりと重さが残っている。傷んでいるわけではない。ただ、芯のあたりに鈍い疲労が沈んでいた。あれだけの戦いをあの身でこなしたのだ。自分が直接剣を振るっていなくても、その負荷だけは確かに身体へ刻まれている。

『さぁ、一回戦も終わり、私たちの用事ももうこのコロッセオにはない。さっさと戻るとしよう』

 落ち着き払った声が内側から響く。エレナはそこでようやく顔を上げた。

『えっ? 他の人の決闘を見ていかないの?』

『見てしまっては楽しみが減るではないか。初見にてその場で技を受ける。そうすることで私の感覚は研ぎ澄まされていく。それに……』

 言いかけたまま、エレンがわずかに間を置く。

『忘れたのか? 君はこの後、大事な予定があるはずだが?』

『え?』

 一瞬、本当に心当たりがなかったらしい。きょとんと目を瞬かせたあと、エレナは首を傾げる。

 その反応に、エレンの呆れがありありと滲んだ。

『……聖堂の集会だ』

『あ゙っ』

 空気を裂くような声が漏れた。

 次の瞬間には、エレナの顔色がみるみる変わる。さっきまで決闘の熱に引っ張られていた意識が、一気に現実へ引き戻されたのだろう。

『……はぁ。やれやれ』

『あ、あ、ありがとう!! すっかり熱に浮かされて抜け落ちてたよ!!』

 勢いよく立ち上がった拍子に椅子が小さく軋む。疲れが消えたわけではないはずなのに、それを押しのけるほど慌てているのが見て取れた。

 エレンはそんな彼女の様子に、半ば呆れ、半ば諦めたような調子で続ける。

『急げよ、聖女様。君が抱える崇高な信者を待たせる訳にはいかないからな』

『そういう言い方しないでっ!』

 返しながらも、エレナの手はもう止まっていなかった。控え室の扉へ向かい、裾を整え、忘れ物がないかだけを素早く確かめる。

 そして次の瞬間には、慌ただしい足音を残して部屋を飛び出していた。

 ほんの少し前まで闘技場の中心で熱狂の渦に包まれていた少女は、今や遅刻を恐れる聖女見習いそのものだった。


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「しょ、勝者は、エレンンンンンンンンゥ!!」
 実況者の声が闘技場いっぱいに響いた直後、堰を切ったような歓声が湧き上がった。石造りの観客席が震えるほどの熱が、一気に場を満たしていく。その中心で、グレンはしばらく動けなかった。
 尻もちをついたまま、ただ目の前の少女を見上げている。敗北を告げられたことすら、まだ半分ほどしか実感できていないようだった。
 エレンはそんな彼を静かに見下ろし、それからごく自然な所作で手を差し伸べた。
「わかったか? 私が何をしていたのか」
 差し出された手と、その先の顔を、グレンは交互に見る。やがて大きな手がその手を掴む。
「……力じゃなかったんだな。アンタは、オレの力を利用していたんだ」
「そうだ」
 エレンは短く頷く。引き上げられたグレンの身体はまだ熱を帯びていたが、その熱の向きは先ほどまでとは違っていた。ただぶつけるための炎ではない。理解へ向かって燃え始めた火だった。
「お前は力だけなら、並の接続者より遥かに上だ。だからこそ、そこを突かれた」
 そこで一拍置き、エレンはわずかに視線を和らげる。
「だが、まあ……悪くはなかった。私に憧れたと言っていたが、その言葉だけは素直に受け取っておくよ」
「……っ!」
 グレンの目が見開かれる。次の瞬間には、悔しさも痛みも押しのけるように、顔いっぱいに笑みが広がっていた。
「アンタは俺にさらなる道を見せてくれた! これは見るだけじゃわからねぇ……! この実体験は、オレをさらに強くしてくれる!」
「……熱苦しいやつだ」
 呆れたように返しながらも、エレンの口元にはごく浅い笑みが浮かんでいた。
 まっすぐで、不器用で、けれど一度受け取ったものをそのまま熱に変えられる男。そういう気質は決して嫌いではない。むしろ、自分の前に立つ者としては好ましい部類に入る。力だけで終わらず、その先を見ようとするなら、なおさらだ。
「またオレと戦ってくれよ! 今度はもっとアンタを追い詰めるぜ!」
「楽しみにしている」
 今度の返答には、先ほどよりもわずかに温度があった。
 グレンは大きく笑い、拳を握って見せる。敗者の姿にしては妙に晴れやかで、その様子に観客席のあちこちからさらに歓声が飛んだ。
 エレンはそれを背に受けながら、身を翻す。騒ぎ立つ闘技場の熱気が遠ざかるにつれ、身体の内側から柔らかな声が届いた。
『すごく、素直な人だったね』
『そうだな。あいつはもっと伸びる』
 歩みを止めないまま、エレンは淡々と続ける。
『あの力に技術まで加わるとなると、油断はできない』
『危機感を感じるまでではないの?』
 わざとらしく探るような響きに、エレンは半眼になった。姿こそ見えずとも、その声音だけでエレナが少し楽しんでいるのは分かる。
『私は君の身体を背負っている』
 その返答に、揺らぎはなかった。
『誰が来ようとも、負けるつもりは毛頭ない』
 『ふふ、そうだね』
 ✦ ━━━━━━━━━━━━━━ ✦
 控え室へ戻り、身体の主導権がエレナへと返ってきた頃には、張り詰めていた熱も少しずつ引き始めていた。
 ひとまず椅子に腰を下ろしたものの、背中から肩にかけて、じわりと重さが残っている。傷んでいるわけではない。ただ、芯のあたりに鈍い疲労が沈んでいた。あれだけの戦いをあの身でこなしたのだ。自分が直接剣を振るっていなくても、その負荷だけは確かに身体へ刻まれている。
『さぁ、一回戦も終わり、私たちの用事ももうこのコロッセオにはない。さっさと戻るとしよう』
 落ち着き払った声が内側から響く。エレナはそこでようやく顔を上げた。
『えっ? 他の人の決闘を見ていかないの?』
『見てしまっては楽しみが減るではないか。初見にてその場で技を受ける。そうすることで私の感覚は研ぎ澄まされていく。それに……』
 言いかけたまま、エレンがわずかに間を置く。
『忘れたのか? 君はこの後、大事な予定があるはずだが?』
『え?』
 一瞬、本当に心当たりがなかったらしい。きょとんと目を瞬かせたあと、エレナは首を傾げる。
 その反応に、エレンの呆れがありありと滲んだ。
『……聖堂の集会だ』
『あ゙っ』
 空気を裂くような声が漏れた。
 次の瞬間には、エレナの顔色がみるみる変わる。さっきまで決闘の熱に引っ張られていた意識が、一気に現実へ引き戻されたのだろう。
『……はぁ。やれやれ』
『あ、あ、ありがとう!! すっかり熱に浮かされて抜け落ちてたよ!!』
 勢いよく立ち上がった拍子に椅子が小さく軋む。疲れが消えたわけではないはずなのに、それを押しのけるほど慌てているのが見て取れた。
 エレンはそんな彼女の様子に、半ば呆れ、半ば諦めたような調子で続ける。
『急げよ、聖女様。君が抱える崇高な信者を待たせる訳にはいかないからな』
『そういう言い方しないでっ!』
 返しながらも、エレナの手はもう止まっていなかった。控え室の扉へ向かい、裾を整え、忘れ物がないかだけを素早く確かめる。
 そして次の瞬間には、慌ただしい足音を残して部屋を飛び出していた。
 ほんの少し前まで闘技場の中心で熱狂の渦に包まれていた少女は、今や遅刻を恐れる聖女見習いそのものだった。