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#9:柔と剛

ー/ー



「もう油断はしねぇ!!」

 吠えるように言い放ち、グレンが再び踏み込んだ。

 今度は先ほどまでと違う。ただ真っ直ぐ突っ込むのではない。炎を纏ったまま大きく弧を描き、砂を巻き上げながら間合いをずらしてくる。赤い軌跡が闘技場に焼きついたように残り、その中心を灼熱の刃が奔った。

 エレンは最初の一撃を、わずかに剣先を滑らせるだけで撥いた。

 金属の甲高い音が弾ける。真正面から受けたように見えて、実際には芯を外されている。グレンの刃は勢いを殺しきれないまま脇を走り抜けた。

「まだまだァ!!」

 そこからの切り返しは速かった。

 グレンは無理やり腰を捻り、踏み込んだ足を軸にそのまま方向転換する。炎が尾を引き、二撃目がほとんど間を置かずに襲いかかった。だが、それすらもエレンは軽くいなす。刃と刃が触れたのはほんの一瞬。にもかかわらず、グレンの剣だけが勝手に軌道を逸らされていく。

 連撃の手応えが噛み合わない。

 その違和感が、とうとうグレンの顔に浮かんだ。

「なんだ……!? まるで紙みてーに……!」

 重いはずの剣が、手応えを持てないまま流される。ぶつけている感覚はあるのに、そこに壁がない。厚い鉄板に阻まれているのではなく、薄い紙を何枚も差し込まれて、気づけば力の向きだけ変えられているような感触だった。

 グレンは歯を食いしばる。

 ならば、と踏み込みをさらに強めた。足裏で床を抉る勢いで加速し、炎の出力を上げる。熱気が膨れ上がり、周囲の空気が歪んだ。次の一撃は、先ほどまでより一段深い。

「何度やっても同じだ」

 エレンの声音は、熱風の中でも妙に澄んでいた。

「お前の剣は、出力と勢いに任せた力技に過ぎない」

 グレンの横薙ぎが放たれる。

 身体ごと持っていくような一閃。炎を纏って突っ込むその姿は、確かに獣じみている。理性より先に破壊を押し通す、炎の突撃。速度も威力も、申し分ない。

『は、はやいよ!』

『速いだけだ』

 内側で上がったエレナの声に、エレンは短く返す。

 そして自らも踏み込んだ。

「よく見えなかったようだから、もう一度見せてやろう」

 グレンの腕が伸び切る、その直前だった。

 エレンは刃を合わせない。剣ごと受けるのではなく、一歩だけ内へ入り込み、横薙ぎの起点になっている右腕へ手を伸ばした。押さえたのは肘。正確には、肘が開ききる前のほんのわずかな角度だった。

 添えるような手つきにしか見えない。

 だが、それで十分だった。

 グレンの剣筋は強い。強いがゆえに、振り抜くためには肩、肘、手首が順にほどけていく必要がある。その連なりの途中を止められれば、先へ流れるはずだった力は行き場を失う。しかも、グレン自身の勢いまでは消えない。前へ出る脚、回る腰、振り抜こうとする上半身。そのすべてが、止まり損ねた腕を軸に一気に崩れた。

「はぁっ!!」

 短く気合を乗せ、エレンは身体を開く。

 引いたのではない。押したのでもない。前へ流れた質量に、わずかに角度を与えただけだ。それだけで、グレンの巨体は自ら地面へ突っ込んでいく。

 次の瞬間、鈍い激突音が闘技場を揺らした。

「がっ……!!」

 今度の叩きつけは先ほどより重い。勢いを乗せたまま崩された分、衝突の威力も跳ね上がっていた。石床にひびが走り、舞台の一部が乾いた悲鳴のような音を立てる。砂塵がぶわりと巻き上がり、遅れて観客席からどよめきが広がった。

 エレンはその横で静かに立っている。

 呼吸一つ乱れていない。紅い瞳だけが、足元に沈んだグレンをまっすぐ見下ろしていた。

 力で押し負けたのではない。

 そのことが、今度は誰の目にも分かった。
 
「お前、私の技を見てきたんだろう? 何を見ていた?」

 エレンは、床に手をついたまま顔を上げるグレンを見下ろした。紅い瞳に宿るのは嘲りではない。ただ、確かめるような静かな光だけだ。

「私は、力だけで戦っていたか?」

「投げたり、弾いたり……それだって力のはずだ! そうじゃないのか!?」

 食い下がる声音は真っ直ぐだった。

 だが、その返答を聞いた瞬間、エレンは胸中で小さく息を吐く。

(なるほどな。もはや完全に前提が違う)

 グレンは、エレンの技を見てきたと言った。けれど見ていたのは、結果だけだ。弾かれた、投げられた、崩された――その全てを、単純に“力負け”だと捉えている。

(私が捌く全てを力と見ていたか。それでは、私の技術に対抗できるはずもない)

「私は何も、力だけで戦っているのではない」

「……? どういうことだ?」

「それを見せてやる」

 エレンは剣先をわずかに持ち上げた。

「お前の最大の一撃を、私に向けてみろ」

 その言葉に、グレンの表情がぴくりと揺れる。

『なにか策があるの?』

『策などない』

 内側で問うエレナに、エレンは即座に返した。

『私はあいつに技術を伝えるだけだ。剛ではなく、柔――分かりやすく見せなければな』

 グレンはゆっくりと立ち上がった。口元を手の甲で拭い、そのまま剣を握り直す。炎の気配が、先ほどまでとは少し違って見えた。怒りだけではない。意地と、悔しさと、それでも折れきらない闘志が混ざっている。

「……! バカにしやがって!」

 低く唸るように言ってから、グレンは声を張り上げた。

「後悔……すんなよォ!!!!」

 剣が掲げられる。

 次の瞬間、刀身から凄まじい炎が渦を巻いた。赤熱した火柱が刃を包み込み、その輪郭を飲み込むほどに膨れ上がる。熱気が観客席にまで届いたのか、前列からどよめきが走った。

 その姿は、まさしく騎士そのものだった。

 正面から敵を打ち破るためだけに磨かれた力。理屈より、誇りより、何よりも一撃の重さにすべてを込める戦い方。グレンという男の在り方が、そのまま剣に宿っている。

 振り下ろしてくる――そう見えた直後、グレンは大きく踏み切った。

 跳躍。

 炎を引きずるようにして、真上からエレンへ襲いかかる。

「これが!! オレの!! 紅蓮剣だぁぁ!!」

(自らの名を冠するか)

 エレンはその炎を見上げた。

(余程、自信のある技なのだろう。確かに……威力だけなら立派なものだ。だが)

 エレンもまた、跳んだ。

 真正面から迎え撃つのではない。斬り結ぶためでもない。炎を纏った剣が振り下ろされる、その軌道へと自分から飛び込みながら、狙いを定めるのは刃ではなく――その下にある手元。

次の瞬間、エレンの剣が、まるで狙い澄ました矢のように、グレンの剣の柄頭に叩きつけられた。 

「は?」

 間の抜けた声だった。

 だが、それも無理はない。グレン自身、何をされたのか一瞬理解できていなかった。渾身の一撃を受け止められるでも、斬り払われるでもなく、手元の一点だけを正確に打ち抜かれたのだ。

 柄頭を撃たれた衝撃は、そのまま握りへ返る。

 握り込んでいた指が弾かれ、剣が手のひらからすっぽ抜けた。

 宙へ放り出された刀身は、行き場を失った魔力をまとったまま、残り火を散らして回転する。炎の渦は形を保てず空中でほどけ、それでもなお刃には危険な熱が残っていた。

 次いで響いたのは、硬質な音だった。

 高く、鋭く。

 グレンの身に纏われた祝福の防具へ、跳ね上がった剣がぶつかった音。

 その一音で、闘技場の熱狂が不意に止まった。



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次のエピソードへ進む #10:熱に浮かされて


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「もう油断はしねぇ!!」
 吠えるように言い放ち、グレンが再び踏み込んだ。
 今度は先ほどまでと違う。ただ真っ直ぐ突っ込むのではない。炎を纏ったまま大きく弧を描き、砂を巻き上げながら間合いをずらしてくる。赤い軌跡が闘技場に焼きついたように残り、その中心を灼熱の刃が奔った。
 エレンは最初の一撃を、わずかに剣先を滑らせるだけで撥いた。
 金属の甲高い音が弾ける。真正面から受けたように見えて、実際には芯を外されている。グレンの刃は勢いを殺しきれないまま脇を走り抜けた。
「まだまだァ!!」
 そこからの切り返しは速かった。
 グレンは無理やり腰を捻り、踏み込んだ足を軸にそのまま方向転換する。炎が尾を引き、二撃目がほとんど間を置かずに襲いかかった。だが、それすらもエレンは軽くいなす。刃と刃が触れたのはほんの一瞬。にもかかわらず、グレンの剣だけが勝手に軌道を逸らされていく。
 連撃の手応えが噛み合わない。
 その違和感が、とうとうグレンの顔に浮かんだ。
「なんだ……!? まるで紙みてーに……!」
 重いはずの剣が、手応えを持てないまま流される。ぶつけている感覚はあるのに、そこに壁がない。厚い鉄板に阻まれているのではなく、薄い紙を何枚も差し込まれて、気づけば力の向きだけ変えられているような感触だった。
 グレンは歯を食いしばる。
 ならば、と踏み込みをさらに強めた。足裏で床を抉る勢いで加速し、炎の出力を上げる。熱気が膨れ上がり、周囲の空気が歪んだ。次の一撃は、先ほどまでより一段深い。
「何度やっても同じだ」
 エレンの声音は、熱風の中でも妙に澄んでいた。
「お前の剣は、出力と勢いに任せた力技に過ぎない」
 グレンの横薙ぎが放たれる。
 身体ごと持っていくような一閃。炎を纏って突っ込むその姿は、確かに獣じみている。理性より先に破壊を押し通す、炎の突撃。速度も威力も、申し分ない。
『は、はやいよ!』
『速いだけだ』
 内側で上がったエレナの声に、エレンは短く返す。
 そして自らも踏み込んだ。
「よく見えなかったようだから、もう一度見せてやろう」
 グレンの腕が伸び切る、その直前だった。
 エレンは刃を合わせない。剣ごと受けるのではなく、一歩だけ内へ入り込み、横薙ぎの起点になっている右腕へ手を伸ばした。押さえたのは肘。正確には、肘が開ききる前のほんのわずかな角度だった。
 添えるような手つきにしか見えない。
 だが、それで十分だった。
 グレンの剣筋は強い。強いがゆえに、振り抜くためには肩、肘、手首が順にほどけていく必要がある。その連なりの途中を止められれば、先へ流れるはずだった力は行き場を失う。しかも、グレン自身の勢いまでは消えない。前へ出る脚、回る腰、振り抜こうとする上半身。そのすべてが、止まり損ねた腕を軸に一気に崩れた。
「はぁっ!!」
 短く気合を乗せ、エレンは身体を開く。
 引いたのではない。押したのでもない。前へ流れた質量に、わずかに角度を与えただけだ。それだけで、グレンの巨体は自ら地面へ突っ込んでいく。
 次の瞬間、鈍い激突音が闘技場を揺らした。
「がっ……!!」
 今度の叩きつけは先ほどより重い。勢いを乗せたまま崩された分、衝突の威力も跳ね上がっていた。石床にひびが走り、舞台の一部が乾いた悲鳴のような音を立てる。砂塵がぶわりと巻き上がり、遅れて観客席からどよめきが広がった。
 エレンはその横で静かに立っている。
 呼吸一つ乱れていない。紅い瞳だけが、足元に沈んだグレンをまっすぐ見下ろしていた。
 力で押し負けたのではない。
 そのことが、今度は誰の目にも分かった。
「お前、私の技を見てきたんだろう? 何を見ていた?」
 エレンは、床に手をついたまま顔を上げるグレンを見下ろした。紅い瞳に宿るのは嘲りではない。ただ、確かめるような静かな光だけだ。
「私は、力だけで戦っていたか?」
「投げたり、弾いたり……それだって力のはずだ! そうじゃないのか!?」
 食い下がる声音は真っ直ぐだった。
 だが、その返答を聞いた瞬間、エレンは胸中で小さく息を吐く。
(なるほどな。もはや完全に前提が違う)
 グレンは、エレンの技を見てきたと言った。けれど見ていたのは、結果だけだ。弾かれた、投げられた、崩された――その全てを、単純に“力負け”だと捉えている。
(私が捌く全てを力と見ていたか。それでは、私の技術に対抗できるはずもない)
「私は何も、力だけで戦っているのではない」
「……? どういうことだ?」
「それを見せてやる」
 エレンは剣先をわずかに持ち上げた。
「お前の最大の一撃を、私に向けてみろ」
 その言葉に、グレンの表情がぴくりと揺れる。
『なにか策があるの?』
『策などない』
 内側で問うエレナに、エレンは即座に返した。
『私はあいつに技術を伝えるだけだ。剛ではなく、柔――分かりやすく見せなければな』
 グレンはゆっくりと立ち上がった。口元を手の甲で拭い、そのまま剣を握り直す。炎の気配が、先ほどまでとは少し違って見えた。怒りだけではない。意地と、悔しさと、それでも折れきらない闘志が混ざっている。
「……! バカにしやがって!」
 低く唸るように言ってから、グレンは声を張り上げた。
「後悔……すんなよォ!!!!」
 剣が掲げられる。
 次の瞬間、刀身から凄まじい炎が渦を巻いた。赤熱した火柱が刃を包み込み、その輪郭を飲み込むほどに膨れ上がる。熱気が観客席にまで届いたのか、前列からどよめきが走った。
 その姿は、まさしく騎士そのものだった。
 正面から敵を打ち破るためだけに磨かれた力。理屈より、誇りより、何よりも一撃の重さにすべてを込める戦い方。グレンという男の在り方が、そのまま剣に宿っている。
 振り下ろしてくる――そう見えた直後、グレンは大きく踏み切った。
 跳躍。
 炎を引きずるようにして、真上からエレンへ襲いかかる。
「これが!! オレの!! 紅蓮剣だぁぁ!!」
(自らの名を冠するか)
 エレンはその炎を見上げた。
(余程、自信のある技なのだろう。確かに……威力だけなら立派なものだ。だが)
 エレンもまた、跳んだ。
 真正面から迎え撃つのではない。斬り結ぶためでもない。炎を纏った剣が振り下ろされる、その軌道へと自分から飛び込みながら、狙いを定めるのは刃ではなく――その下にある手元。
次の瞬間、エレンの剣が、まるで狙い澄ました矢のように、グレンの剣の柄頭に叩きつけられた。 
「は?」
 間の抜けた声だった。
 だが、それも無理はない。グレン自身、何をされたのか一瞬理解できていなかった。渾身の一撃を受け止められるでも、斬り払われるでもなく、手元の一点だけを正確に打ち抜かれたのだ。
 柄頭を撃たれた衝撃は、そのまま握りへ返る。
 握り込んでいた指が弾かれ、剣が手のひらからすっぽ抜けた。
 宙へ放り出された刀身は、行き場を失った魔力をまとったまま、残り火を散らして回転する。炎の渦は形を保てず空中でほどけ、それでもなお刃には危険な熱が残っていた。
 次いで響いたのは、硬質な音だった。
 高く、鋭く。
 グレンの身に纏われた祝福の防具へ、跳ね上がった剣がぶつかった音。
 その一音で、闘技場の熱狂が不意に止まった。