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#7:王国が沸く日

ー/ー



 そして、時は瞬く間に流れた。

 接続者選抜戦(リンカーズセレクション)の開催当日。夜明けとともに、壮麗なファンファーレがベルノ王国の空へ放たれる。重厚でありながら高らかなその響きは、城壁を越え、石畳を伝い、街の隅々にまで染み渡っていった。

 それはもはや、ただの開幕の合図ではない。

 この国に生きる者にとって、その音は祝福であり、号砲であり、心の奥に眠る熱を無理やり引きずり起こす何かだった。耳にした瞬間、血が騒ぎ、名を上げたいという衝動が胸の内で膨らんでいく。長い年月をかけて繰り返されてきた祭典の熱が、民の気質そのものとして根づいているのだと、そう思えるほどだった。

(この音を聞くと、不思議と……私まで熱くなるんだよね)

 聖女見習いであるエレナでさえ、そう感じる。

 ならば、剣を握る者たちにとってはなおさらだろう。胸の高鳴りを自覚したエレナは、軽く首を振ってその余韻を追い払い、受付の列へと向き直った。

「はい。これで参加受付は完了です。どうか、力を存分に振るってくださいね」

 書類を返された屈強な戦士は、思わずといった様子で背筋を伸ばした。

「あ、ありがとうございます。エレナ様にそう言っていただけると、身が引き締まりますなぁ」

「ふふ。ええ、応援していますよ」

 やわらかな笑みで送り出しながら、エレナは心の中で小さく苦笑する。

(なんて言ってるけど……私の体は、参加する側なんだよね……)

 わずかに芽生えた後ろめたさは、しかし今さらどうこうできるものでもなかった。表では聖堂の務めを果たし、舞台に立つのはその内に宿るもう一人。二人で一つの現実を、今さら切り分けられるはずもない。

 そうして次々と参加者を送り出していると、不意に背後から穏やかな声がかかった。

「さて、エレナくん」

 振り向いた先に立っていたのは、ベルノ大聖堂の頂に座す人物――教皇だった。

「はい、教皇様」

「もう、あとは私とマリアンで何とかなるだろう。君には君の準備がある。行ってくるといい」

 その言葉に、エレナは一瞬だけ目を見開いた。

 教皇。

 この国において、国王と並ぶほどの権威を持つ大いなる信仰の象徴。その信仰心は深く、敬虔さにおいて並ぶ者はいない。エレナですら、その在り方には憧れに近いものを抱いている。

 けれど同時に、この人物は特別だった。

 エレナとエレン――二つの魂が一つの身体を共有している事実を知る、ほとんど唯一の存在でもある。

 だからこそ、その言葉の本当の意味は明白だった。

 行ってくるといい。

 すなわち、エレンと代わってきなさい――と。

「感謝いたします。今回もきっと、エレンがベルノ大聖堂に栄光をもたらしてくれるはずです」

 エレナがそう答えると、教皇は肩をすくめるように微笑んだ。

「……我々は本来、血も争いも唾棄する立場だ。だが、信仰というものは時に柔軟さを持たねばならない。私としても思うところがないわけではないが……」

 そこでわずかに声音を和らげる。

「エレンに負けたら承知しない、と伝えておいてくれるかい」

 茶目っ気を含んだその言葉とともに、教皇は片目をつぶった。

 厳格さだけでは、この場所は成り立たない。

 教義を守りながら、現実とも向き合う。その懐の深さがあるからこそ、ベルノ大聖堂は他国から羨望すら向けられる柔軟さを保っていられるのだろう。

「ええ。しっかりと伝えておきます」

 エレナがそう答えると、教皇は満足げに微笑んだ。その眼差しには、聖女見習いへ向ける温かさと、これから戦場へ送り出す相手への静かな期待が同居している。

『教皇め。わざとらしい演技を……。だがまあ、その信頼には応えなくてはな』

『そうだよ、エレン。私も応援してるからね』

『おうとも』

 内側で交わされる声は短い。けれど、その温度だけで十分だった。

 エレナはあらためて教皇へ深々と一礼する。そして裾を乱さぬよう静かに身を返すと、用意された控え室へと足を向けた。

 回廊の向こうからは、なおも選抜戦の熱気が流れ込んでくる。歓声、ざわめき、遠くで打ち鳴らされる鐘の音。そのすべてが今日という特別な日を告げていた。

 この先、舞台に立つのはエレンだ。

 けれど、その場へ向かうための一歩を踏み出しているのは、まぎれもなくエレナ自身だった。
 
 ✦ ━━━━━━━━━━━━━━ ✦
 
 そして今、ベルノ王国が誇る大闘技場――コロッセオの中央に、エレンは立っていた。

 幾重にも積み上げられた観客席は、人、人、人で埋め尽くされている。石造りの円形闘技場を取り囲む熱気は、もはや陽炎のように揺らめいて見えた。空へ向かって開かれた巨大な空間に、歓声と興奮が渦を巻く。見上げれば、旗が風を受けてはためいていた。王国の紋章。大聖堂の旗印。そして、選ばれた戦士たちを称える色鮮やかな意匠の数々。

 舞台は整っている。

 あとは、戦うだけだ。

「さぁさぁ皆さん!! 今年も最も熱くなる時期がやってきたぞぉ!! 準備はいいかぁ!?」

 魔道具で増幅された実況者の声が、闘技場全体を揺らす。

「おぉぉーーー!!」

 観客席から返ってきたのは、腹の底から絞り出したような大合唱だった。石壁を打って反響し、そのまま天へ突き抜けていく。

「まだまだぁ!! そんなんじゃ足りないぞぉ!!! 準備はいいかぁ!?」

「おおおおおおおっ!!!!」

 一度目より、明らかに大きい。

 空気が震え、床の砂までわずかに跳ねたように感じられる。実況者はその反応に満足そうに両腕を広げ、まるでこの熱そのものを煽って煮え立たせる指揮者のように笑みを深めた。

「さて! 今回初めて接続者選抜戦(リンカーズセレクション)に参加する者もいることだろう!! ここでルールを――」

 説明を始めかけた、その瞬間だった。

「そんなもんはいい! さっさと始めろぉ!!」

 観客席から飛んだ野次に、他の声が重なる。さらに、闘技場に残っていた参加者たちまで口々に乗っかった。

「早くやれ!!」
「待ちくたびれたぞ!」
「開幕戦だろうが!!」

 見事なまでの大合唱だった。

 実況者は一瞬だけ目を丸くし、それからけらけらと笑う。

「おっとぉ! これは予想外! いいだろう!! だが、これもルールだ! とはいえ、みんなの熱を奪うのも違う! だから短くいくぞ!」

 歓声がさらに高まる。

「ルールは三つ! 気絶! 場外! そして――エレナ様によって授けられた祝福の鎧の破壊だ!! この三つ、どれか一つでも満たしたら負けとなる! 覚えておいてくれよぉ!!」

「おおおおぉ!!!」

 この場にいる者たちの大半は、細かい規則など求めていない。欲しているのは、ただ一つ。強者と強者がぶつかり合う、その瞬間だけだ。

「よし!! それじゃあ早速第一試合といこう!! 第一回戦は――エレンとグレンだぁ!! それ以外の参加者は観客席に戻ってくれぇ!」

 その名が響いた途端、観客席の熱がさらに一段跳ね上がった。

 戦士たちや騎士たちが、ざわめきとともにぞろぞろと退いていく。砂を踏み、鎧を鳴らし、それぞれが次の出番を待つべく闘技場の外周へ散っていった。

 そうして中央に残されたのは二人だけ。

 エレンの正面に立っていたのは、燃え上がる焔をそのまま形にしたような青年だった。

 鮮やかな赤毛。ぎらつくほど真っ直ぐな瞳。肩幅の広い体躯を包む装備の隙間からは、鍛え上げられた筋肉が見て取れる。剣の柄へ軽く手をかけた姿に気負いはない。むしろ、待ちきれないと言わんばかりの熱が全身から立ち上っていた。

 グレン。

 ただそこに立っているだけで、火の気が一歩こちらへ踏み込んできたように感じる男だった。

 対するエレンは、静かにその姿を見据える。

 歓声はなおも止まない。観客たちは開幕戦からこの組み合わせを引き当てたことに沸き立ち、誰も彼もが身を乗り出していた。無理もない。片や属性を持たぬままS級にまで駆け上がった異端。片や炎を纏い、正面から敵を叩き潰すことに一切の迷いを持たない騎士。

 静と動。

 理と熱。

 開幕戦からぶつけるには、あまりにも見栄えのいい取り合わせだった。

 グレンがにやりと口元を吊り上げる。獲物を前にした獣のような笑みでありながら、どこか清々しさすら滲んでいた。

 エレンもまた、わずかに肩の力を抜く。

 初戦としては、悪くない。



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次のエピソードへ進む #8:炎の騎士グレン


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 そして、時は瞬く間に流れた。
 |接続者選抜戦《リンカーズセレクション》の開催当日。夜明けとともに、壮麗なファンファーレがベルノ王国の空へ放たれる。重厚でありながら高らかなその響きは、城壁を越え、石畳を伝い、街の隅々にまで染み渡っていった。
 それはもはや、ただの開幕の合図ではない。
 この国に生きる者にとって、その音は祝福であり、号砲であり、心の奥に眠る熱を無理やり引きずり起こす何かだった。耳にした瞬間、血が騒ぎ、名を上げたいという衝動が胸の内で膨らんでいく。長い年月をかけて繰り返されてきた祭典の熱が、民の気質そのものとして根づいているのだと、そう思えるほどだった。
(この音を聞くと、不思議と……私まで熱くなるんだよね)
 聖女見習いであるエレナでさえ、そう感じる。
 ならば、剣を握る者たちにとってはなおさらだろう。胸の高鳴りを自覚したエレナは、軽く首を振ってその余韻を追い払い、受付の列へと向き直った。
「はい。これで参加受付は完了です。どうか、力を存分に振るってくださいね」
 書類を返された屈強な戦士は、思わずといった様子で背筋を伸ばした。
「あ、ありがとうございます。エレナ様にそう言っていただけると、身が引き締まりますなぁ」
「ふふ。ええ、応援していますよ」
 やわらかな笑みで送り出しながら、エレナは心の中で小さく苦笑する。
(なんて言ってるけど……私の体は、参加する側なんだよね……)
 わずかに芽生えた後ろめたさは、しかし今さらどうこうできるものでもなかった。表では聖堂の務めを果たし、舞台に立つのはその内に宿るもう一人。二人で一つの現実を、今さら切り分けられるはずもない。
 そうして次々と参加者を送り出していると、不意に背後から穏やかな声がかかった。
「さて、エレナくん」
 振り向いた先に立っていたのは、ベルノ大聖堂の頂に座す人物――教皇だった。
「はい、教皇様」
「もう、あとは私とマリアンで何とかなるだろう。君には君の準備がある。行ってくるといい」
 その言葉に、エレナは一瞬だけ目を見開いた。
 教皇。
 この国において、国王と並ぶほどの権威を持つ大いなる信仰の象徴。その信仰心は深く、敬虔さにおいて並ぶ者はいない。エレナですら、その在り方には憧れに近いものを抱いている。
 けれど同時に、この人物は特別だった。
 エレナとエレン――二つの魂が一つの身体を共有している事実を知る、ほとんど唯一の存在でもある。
 だからこそ、その言葉の本当の意味は明白だった。
 行ってくるといい。
 すなわち、エレンと代わってきなさい――と。
「感謝いたします。今回もきっと、エレンがベルノ大聖堂に栄光をもたらしてくれるはずです」
 エレナがそう答えると、教皇は肩をすくめるように微笑んだ。
「……我々は本来、血も争いも唾棄する立場だ。だが、信仰というものは時に柔軟さを持たねばならない。私としても思うところがないわけではないが……」
 そこでわずかに声音を和らげる。
「エレンに負けたら承知しない、と伝えておいてくれるかい」
 茶目っ気を含んだその言葉とともに、教皇は片目をつぶった。
 厳格さだけでは、この場所は成り立たない。
 教義を守りながら、現実とも向き合う。その懐の深さがあるからこそ、ベルノ大聖堂は他国から羨望すら向けられる柔軟さを保っていられるのだろう。
「ええ。しっかりと伝えておきます」
 エレナがそう答えると、教皇は満足げに微笑んだ。その眼差しには、聖女見習いへ向ける温かさと、これから戦場へ送り出す相手への静かな期待が同居している。
『教皇め。わざとらしい演技を……。だがまあ、その信頼には応えなくてはな』
『そうだよ、エレン。私も応援してるからね』
『おうとも』
 内側で交わされる声は短い。けれど、その温度だけで十分だった。
 エレナはあらためて教皇へ深々と一礼する。そして裾を乱さぬよう静かに身を返すと、用意された控え室へと足を向けた。
 回廊の向こうからは、なおも選抜戦の熱気が流れ込んでくる。歓声、ざわめき、遠くで打ち鳴らされる鐘の音。そのすべてが今日という特別な日を告げていた。
 この先、舞台に立つのはエレンだ。
 けれど、その場へ向かうための一歩を踏み出しているのは、まぎれもなくエレナ自身だった。
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 そして今、ベルノ王国が誇る大闘技場――コロッセオの中央に、エレンは立っていた。
 幾重にも積み上げられた観客席は、人、人、人で埋め尽くされている。石造りの円形闘技場を取り囲む熱気は、もはや陽炎のように揺らめいて見えた。空へ向かって開かれた巨大な空間に、歓声と興奮が渦を巻く。見上げれば、旗が風を受けてはためいていた。王国の紋章。大聖堂の旗印。そして、選ばれた戦士たちを称える色鮮やかな意匠の数々。
 舞台は整っている。
 あとは、戦うだけだ。
「さぁさぁ皆さん!! 今年も最も熱くなる時期がやってきたぞぉ!! 準備はいいかぁ!?」
 魔道具で増幅された実況者の声が、闘技場全体を揺らす。
「おぉぉーーー!!」
 観客席から返ってきたのは、腹の底から絞り出したような大合唱だった。石壁を打って反響し、そのまま天へ突き抜けていく。
「まだまだぁ!! そんなんじゃ足りないぞぉ!!! 準備はいいかぁ!?」
「おおおおおおおっ!!!!」
 一度目より、明らかに大きい。
 空気が震え、床の砂までわずかに跳ねたように感じられる。実況者はその反応に満足そうに両腕を広げ、まるでこの熱そのものを煽って煮え立たせる指揮者のように笑みを深めた。
「さて! 今回初めて|接続者選抜戦《リンカーズセレクション》に参加する者もいることだろう!! ここでルールを――」
 説明を始めかけた、その瞬間だった。
「そんなもんはいい! さっさと始めろぉ!!」
 観客席から飛んだ野次に、他の声が重なる。さらに、闘技場に残っていた参加者たちまで口々に乗っかった。
「早くやれ!!」
「待ちくたびれたぞ!」
「開幕戦だろうが!!」
 見事なまでの大合唱だった。
 実況者は一瞬だけ目を丸くし、それからけらけらと笑う。
「おっとぉ! これは予想外! いいだろう!! だが、これもルールだ! とはいえ、みんなの熱を奪うのも違う! だから短くいくぞ!」
 歓声がさらに高まる。
「ルールは三つ! 気絶! 場外! そして――エレナ様によって授けられた祝福の鎧の破壊だ!! この三つ、どれか一つでも満たしたら負けとなる! 覚えておいてくれよぉ!!」
「おおおおぉ!!!」
 この場にいる者たちの大半は、細かい規則など求めていない。欲しているのは、ただ一つ。強者と強者がぶつかり合う、その瞬間だけだ。
「よし!! それじゃあ早速第一試合といこう!! 第一回戦は――エレンとグレンだぁ!! それ以外の参加者は観客席に戻ってくれぇ!」
 その名が響いた途端、観客席の熱がさらに一段跳ね上がった。
 戦士たちや騎士たちが、ざわめきとともにぞろぞろと退いていく。砂を踏み、鎧を鳴らし、それぞれが次の出番を待つべく闘技場の外周へ散っていった。
 そうして中央に残されたのは二人だけ。
 エレンの正面に立っていたのは、燃え上がる焔をそのまま形にしたような青年だった。
 鮮やかな赤毛。ぎらつくほど真っ直ぐな瞳。肩幅の広い体躯を包む装備の隙間からは、鍛え上げられた筋肉が見て取れる。剣の柄へ軽く手をかけた姿に気負いはない。むしろ、待ちきれないと言わんばかりの熱が全身から立ち上っていた。
 グレン。
 ただそこに立っているだけで、火の気が一歩こちらへ踏み込んできたように感じる男だった。
 対するエレンは、静かにその姿を見据える。
 歓声はなおも止まない。観客たちは開幕戦からこの組み合わせを引き当てたことに沸き立ち、誰も彼もが身を乗り出していた。無理もない。片や属性を持たぬままS級にまで駆け上がった異端。片や炎を纏い、正面から敵を叩き潰すことに一切の迷いを持たない騎士。
 静と動。
 理と熱。
 開幕戦からぶつけるには、あまりにも見栄えのいい取り合わせだった。
 グレンがにやりと口元を吊り上げる。獲物を前にした獣のような笑みでありながら、どこか清々しさすら滲んでいた。
 エレンもまた、わずかに肩の力を抜く。
 初戦としては、悪くない。