#6 属性の外側
ー/ー「本当にありがとうございました……!!」
ギルドの受付嬢は、カウンター越しに深々と頭を下げた。声音には安堵と恐縮が入り混じっていて、上げた肩がわずかに震えている。まるで、自分たちの見立てがどれほど危ういものだったのか、今になってようやく実感したようだった。
「いえ。お礼は、無事に討伐を果たしたエレンにお願いします。きっと、喜びますから」
エレナがやわらかく返すと、受付嬢は慌てたように顔を上げ、それでもすぐには表情を整えきれなかった。
「それはもちろんです……! ですが、その……私どもとしては、まさか本当にあれほどの特異個体のグールが存在するとは夢にも思わず……。しかも、街の中で発見されるなんて……」
「……そうでしょうね。私もエレンから聞いた時は、すぐには信じられませんでした。しかも、かなり強力な個体だったと報告を受けています」
エレナの言葉に、受付嬢は小さく息を呑んだのち、机上に用意していた書類へ視線を落とした。
「……ええ。ですので、まずは解剖結果を共有させていただきます。昨夜、エレン様が討伐したグールですが……その血液から、極めて特異な細胞が確認されました」
「特異な細胞、ですか?」
「はい。解析の結果、あの個体には――我々が持つ属性の力が、通じない可能性があったのです」
その一言に、エレナの碧眼がわずかに揺れた。
属性。
万象神がこの世へと撒き散らした魂の粒子であり、人が世界の理へ触れるための鍵。一人につきひとつだけ宿るその力は、炎、水、雷、風、氷、土、鉄、影、そして聖――この世に満ちる現象そのものを引き起こす源でもあった。
そして、その力と接続した人間は、この大陸エクリプシアにおいて《接続者》と呼ばれている。
「属性が……通じない?」
思わず問い返した声は、かすかに低い。
「でも確かに……エレンも言っていました。切ったことのないような弾力があった、と」
『ああ。あれはなかなかに切りごたえがあった』
不意に内側から届いた声音は、いつも通り落ち着いているのに、その内容だけはまるで獲物の感想でも述べるようだった。
エレナはほんの少しだけ目を細める。緊迫した報告の最中でなければ、もう少し呆れた返しもできたのだろうが、今はそれどころではない。
属性が効かないグール。
それが意味するものの重さは、受付嬢の青ざめた顔が何より雄弁に物語っていた。普通の討伐報告では済まない。昨夜エレンが斬り伏せたのは、ただの魔物ではなく、この街の常識そのものを脅かしかねない異物だったのだ。
「……ともかく、解剖結果はもう――」
エレナが言いかけると、受付嬢はすぐに頷いた。こうした報告だけは滞らせていないらしい。
「もちろん、騎士団にも王立マギア研究所にも共有済みです。騎士団の方は、属性だけでなく剣技や槍術にも秀でた方々が多いものですから、“腕が鳴る”といった反応でしたが……研究所の方は……」
そこで一度、彼女は言葉を切った。
反応は、容易に想像がつく。
彼らは科学を用いて、接続者に宿るマギアを解析し、属性の可能性を探り続けている集団だ。属性は彼らにとって研究対象であると同時に、この世界における大きな優位でもある。その前提を揺るがす魔物が現れたとなれば、穏やかでいられるはずがなかった。
「とても慌てたでしょうね」
エレナが静かに言うと、受付嬢は疲れきったような顔で息をついた。
「それはもう、凄まじい形相でしたよ。副所長さんなど完全に取り乱していまして……。今も所長と緊急会議の真っ最中だそうです」
「なるほど……」
短い相槌のあと、場にひとときの沈黙が落ちた。
受付嬢はこめかみを押さえ、小さく肩を落とす。
「はぁ……頭痛がします。本当に、エレン様が討伐してくださって助かりました……」
『感謝はいいが、エレナ。わかっているな?』
『もちろんだよ、エレン』
内側で交わされる声音は短い。それでも、何を求められているのかは十分すぎるほど伝わっていた。
今回の件は、結果として最悪を免れたに過ぎない。たまたまエレンがいた。たまたま対処できた。それで終わらせていい話ではない。
だからこそ、ここで言葉を残させる必要がある。
「今回は、私自身も認識が甘かったと判断せざるを得ません。民の安全のためにも、より一層精進してまいります」
エレナが真っ直ぐに告げると、受付嬢は目を丸くしたあと、慌てて首を横に振った。
「そ、そんな……! エレナ様に動いていただいてしまったのですから、それを言うべきは私たちの方です。今後は十分に注意いたします……!」
その返答に、エレナはやわらかく微笑む。
これでいい。
責任の所在を責めたいわけではない。ただ、次に同じ見落としが起きないよう、ギルド側に危機感を根づかせる。それが今この場で必要なことだった。さすがに、こうした事態が何度も続くとは考えにくい。だが、一度起きた以上、二度目がないとは言い切れない。
受付嬢もまた、その重さを理解したのか、先ほどまでの恐縮だけではない、引き締まった色を表情に宿していた。
そんな空気を切り替えるように、ふと思い出したように彼女が顔を上げる。
「そういえばエレナ様、もうすぐあの時期が来ますよ!」
「ふふ、ええ。もちろん理解しておりますよ。接続者選抜戦……ですね」
その名を口にした途端、どこか張り詰めていた場の空気が少しだけ明るさを取り戻した。
周囲を見渡せば、ギルドの壁や掲示板には既に大きなポスターが何枚も貼られている。鮮やかな意匠で飾られたそれは、否応なく人目を引いた。
接続者選抜戦。
国を挙げて開催される、ベルノ王国最大級の催し。優勝者には莫大な報酬と名誉、そして次代を担う接続者としての栄誉が与えられる。そのため、この国に生きる者であれば、一度は憧れ、一度は目指す舞台でもあった。
「ええ! 今回もエレン様は出場されるんですよね?」
「はい。こういう催しに参加しない理由がない、なんて言っていましたよ。私が少し呆れたら、逆に叱られてしまいました」
エレナが苦笑混じりに返すと、受付嬢の顔がぱっと華やぐ。
けれど、その事実は傍から見ればやはり異質だった。
エレンには属性がない。彼はエレナの肉体に宿る、後から加わった魂だ。ゆえに、彼自身は接続者ではなく、エレナの持つ聖属性を自在に振るうこともできない。
本来、接続者選抜戦はその名の通り、属性を扱う者だけが立てる舞台だ。資格そのものが、属性との接続を前提としている。
それでもなお、エレンだけは例外だった。
属性を持たぬまま、純粋な戦闘技術と実績だけでギルド最高位のS級へと上り詰めた存在。だからこそ彼には、毎年特別に招待状が届く。
それは制度の綻びではない。例外を認めざるを得ないほど、彼の強さが明白だという証明だった。
「早くエレン様の戦いが見たいです……!」
期待を隠しきれない声に、エレナは少しだけ目を細める。
「ええ。本人も張り切っていますから、ぜひ楽しみにしていてくださいね」
内側では、当の本人が満更でもなさそうに気配を揺らしていた。
街を騒がせた特異個体の一件は、まだ尾を引くだろう。騎士団も、研究所も、しばらくは慌ただしく動くはずだ。
それでも王都の時は止まらない。人々の視線は次の熱へ向かい、闘技場には新たな喧騒が満ちていく。
近づいていた。
エレンが剣を振るい、国中の視線を一身に集める季節が。
ギルドの受付嬢は、カウンター越しに深々と頭を下げた。声音には安堵と恐縮が入り混じっていて、上げた肩がわずかに震えている。まるで、自分たちの見立てがどれほど危ういものだったのか、今になってようやく実感したようだった。
「いえ。お礼は、無事に討伐を果たしたエレンにお願いします。きっと、喜びますから」
エレナがやわらかく返すと、受付嬢は慌てたように顔を上げ、それでもすぐには表情を整えきれなかった。
「それはもちろんです……! ですが、その……私どもとしては、まさか本当にあれほどの特異個体のグールが存在するとは夢にも思わず……。しかも、街の中で発見されるなんて……」
「……そうでしょうね。私もエレンから聞いた時は、すぐには信じられませんでした。しかも、かなり強力な個体だったと報告を受けています」
エレナの言葉に、受付嬢は小さく息を呑んだのち、机上に用意していた書類へ視線を落とした。
「……ええ。ですので、まずは解剖結果を共有させていただきます。昨夜、エレン様が討伐したグールですが……その血液から、極めて特異な細胞が確認されました」
「特異な細胞、ですか?」
「はい。解析の結果、あの個体には――我々が持つ属性の力が、通じない可能性があったのです」
その一言に、エレナの碧眼がわずかに揺れた。
属性。
万象神がこの世へと撒き散らした魂の粒子であり、人が世界の理へ触れるための鍵。一人につきひとつだけ宿るその力は、炎、水、雷、風、氷、土、鉄、影、そして聖――この世に満ちる現象そのものを引き起こす源でもあった。
そして、その力と接続した人間は、この大陸エクリプシアにおいて《接続者》と呼ばれている。
「属性が……通じない?」
思わず問い返した声は、かすかに低い。
「でも確かに……エレンも言っていました。切ったことのないような弾力があった、と」
『ああ。あれはなかなかに切りごたえがあった』
不意に内側から届いた声音は、いつも通り落ち着いているのに、その内容だけはまるで獲物の感想でも述べるようだった。
エレナはほんの少しだけ目を細める。緊迫した報告の最中でなければ、もう少し呆れた返しもできたのだろうが、今はそれどころではない。
属性が効かないグール。
それが意味するものの重さは、受付嬢の青ざめた顔が何より雄弁に物語っていた。普通の討伐報告では済まない。昨夜エレンが斬り伏せたのは、ただの魔物ではなく、この街の常識そのものを脅かしかねない異物だったのだ。
「……ともかく、解剖結果はもう――」
エレナが言いかけると、受付嬢はすぐに頷いた。こうした報告だけは滞らせていないらしい。
「もちろん、騎士団にも王立マギア研究所にも共有済みです。騎士団の方は、属性だけでなく剣技や槍術にも秀でた方々が多いものですから、“腕が鳴る”といった反応でしたが……研究所の方は……」
そこで一度、彼女は言葉を切った。
反応は、容易に想像がつく。
彼らは科学を用いて、接続者に宿るマギアを解析し、属性の可能性を探り続けている集団だ。属性は彼らにとって研究対象であると同時に、この世界における大きな優位でもある。その前提を揺るがす魔物が現れたとなれば、穏やかでいられるはずがなかった。
「とても慌てたでしょうね」
エレナが静かに言うと、受付嬢は疲れきったような顔で息をついた。
「それはもう、凄まじい形相でしたよ。副所長さんなど完全に取り乱していまして……。今も所長と緊急会議の真っ最中だそうです」
「なるほど……」
短い相槌のあと、場にひとときの沈黙が落ちた。
受付嬢はこめかみを押さえ、小さく肩を落とす。
「はぁ……頭痛がします。本当に、エレン様が討伐してくださって助かりました……」
『感謝はいいが、エレナ。わかっているな?』
『もちろんだよ、エレン』
内側で交わされる声音は短い。それでも、何を求められているのかは十分すぎるほど伝わっていた。
今回の件は、結果として最悪を免れたに過ぎない。たまたまエレンがいた。たまたま対処できた。それで終わらせていい話ではない。
だからこそ、ここで言葉を残させる必要がある。
「今回は、私自身も認識が甘かったと判断せざるを得ません。民の安全のためにも、より一層精進してまいります」
エレナが真っ直ぐに告げると、受付嬢は目を丸くしたあと、慌てて首を横に振った。
「そ、そんな……! エレナ様に動いていただいてしまったのですから、それを言うべきは私たちの方です。今後は十分に注意いたします……!」
その返答に、エレナはやわらかく微笑む。
これでいい。
責任の所在を責めたいわけではない。ただ、次に同じ見落としが起きないよう、ギルド側に危機感を根づかせる。それが今この場で必要なことだった。さすがに、こうした事態が何度も続くとは考えにくい。だが、一度起きた以上、二度目がないとは言い切れない。
受付嬢もまた、その重さを理解したのか、先ほどまでの恐縮だけではない、引き締まった色を表情に宿していた。
そんな空気を切り替えるように、ふと思い出したように彼女が顔を上げる。
「そういえばエレナ様、もうすぐあの時期が来ますよ!」
「ふふ、ええ。もちろん理解しておりますよ。接続者選抜戦……ですね」
その名を口にした途端、どこか張り詰めていた場の空気が少しだけ明るさを取り戻した。
周囲を見渡せば、ギルドの壁や掲示板には既に大きなポスターが何枚も貼られている。鮮やかな意匠で飾られたそれは、否応なく人目を引いた。
接続者選抜戦。
国を挙げて開催される、ベルノ王国最大級の催し。優勝者には莫大な報酬と名誉、そして次代を担う接続者としての栄誉が与えられる。そのため、この国に生きる者であれば、一度は憧れ、一度は目指す舞台でもあった。
「ええ! 今回もエレン様は出場されるんですよね?」
「はい。こういう催しに参加しない理由がない、なんて言っていましたよ。私が少し呆れたら、逆に叱られてしまいました」
エレナが苦笑混じりに返すと、受付嬢の顔がぱっと華やぐ。
けれど、その事実は傍から見ればやはり異質だった。
エレンには属性がない。彼はエレナの肉体に宿る、後から加わった魂だ。ゆえに、彼自身は接続者ではなく、エレナの持つ聖属性を自在に振るうこともできない。
本来、接続者選抜戦はその名の通り、属性を扱う者だけが立てる舞台だ。資格そのものが、属性との接続を前提としている。
それでもなお、エレンだけは例外だった。
属性を持たぬまま、純粋な戦闘技術と実績だけでギルド最高位のS級へと上り詰めた存在。だからこそ彼には、毎年特別に招待状が届く。
それは制度の綻びではない。例外を認めざるを得ないほど、彼の強さが明白だという証明だった。
「早くエレン様の戦いが見たいです……!」
期待を隠しきれない声に、エレナは少しだけ目を細める。
「ええ。本人も張り切っていますから、ぜひ楽しみにしていてくださいね」
内側では、当の本人が満更でもなさそうに気配を揺らしていた。
街を騒がせた特異個体の一件は、まだ尾を引くだろう。騎士団も、研究所も、しばらくは慌ただしく動くはずだ。
それでも王都の時は止まらない。人々の視線は次の熱へ向かい、闘技場には新たな喧騒が満ちていく。
近づいていた。
エレンが剣を振るい、国中の視線を一身に集める季節が。
みんなのリアクション
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