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#4 巣の奥の親玉

ー/ー




「グルルルァァァッ!!」

「わらわらと、随分湧くものだな」

 グールたちが、じりじりと間合いを詰めてくる。腐肉を引きずる足が浅い水溜まりを踏むたび、ぬめった飛沫が壁の苔に散った。

 グール——知性は低い。だが群れで囲み、数の暴力で押し潰す。戦いに慣れない者なら、目をつけられた時点でほぼ詰みだ。

『本当にグールが……!』

「ああ、いたな。だが、居たということは——司令塔か、親玉がいる。エレナ、感じ取れるか?」

『……待ってね』

 エレナは戦いを好まない。剣を握る手は、いまもエレンに預けたままだ。

 けれど、腰を据えて意識を沈めたときの感知だけは、誰にも譲らない鋭さがある。二百年に一度と謳われる聖属性の適性は、刃を握らずとも別の形で世界を撫でる。

 だから、こういう時の役割は決まっていた。

 エレンが刃。エレナが目。

 もっとも、その分担を、グールたちが律儀に待ってくれるはずもない。

「ガァァッ!!」

 先頭の一体が、湿った床を蹴った。

 振り下ろされた爪を、エレンは受けない。剣で軽く弾く。硬質な音が、狭い水路に短く跳ねた。受け止めず、ぶつかった力を殺さぬまま身体をひねる。半歩——いや、それ以下。軸を撫でるようにずらしただけで、流れた衝撃はそのまま回転に変わる。

 翻る銀刃が、背後から迫っていた別の一体の腕へ、吸い込まれた。

 斬れた。

 肘でも、肩でもない。力が最も乗る二の腕の半ばを、寸分ずらさず断つ。

「ギャァァァァッ!?」

 悲鳴より早く、エレンはもう地を蹴っている。

「そらっ!!」

 跳躍。

 腕を失ってのけ反ったグールの首筋に、上から斜めに刃が落ちた。腐肉と骨をまとめて断ち、首と胴がずれる。着地に移る途中、二体目がようやく目の前の死を理解したらしい——が、理解した時点で、もう遅い。

 振り向きざま、一閃。

 首が、飛ぶ。

 三体目は、退こうとした。判断としては正しい。間違っていたのは、相手がエレンだったというその一点だけ。

 流れた勢いを殺さず、返した手首が突きを送る。切っ先はぶれず、腹の中心を深く穿った。

「グッ、ガ……ッ」

 くぐもった呻きが漏れ、巨体が膝から崩れた。

 わずか一呼吸。

 たったそれだけで、三匹のグールが床へ転がっている。狭い水路に、血の臭いが濃く混ざった。

 速さだけではない。

 どこを断てば動きが止まり、どこを貫けば崩れるのか——その全てを知り尽くした刃。

 残ったグールたちが、たじろぐ。低い唸りに、警戒の色が混ざりはじめていた。

『エレン、奥に……なにか嫌な気配がいるね。大きくて、異質で——うん、変な感じ』

 報告を受けた瞬間、エレンの目が細められた。

 水路のさらに奥。淀んだ空気の向こう、闇が一段濃く沈んでいる場所がある。そこだけ水音が鈍い。腐臭も、そこを中心に流れてくる。

「……なるほど。ただの巣ではないか」

『数は問題ないとして……エレン、大丈夫なの?』

「はっ。何を言い出すかと思えば——ふっ!!」

 言葉の途中で、地が蹴られた。

 跳躍ではない。射出だ。銀の軌跡が一歩で間合いを潰し、後ずさろうとしたグールの足の甲へ、踵が容赦なく落ちる。

 ぐしゃり、と。

 骨の砕ける音が、湿った天井に染み込むように響いた。

「ギィァァッ!?」

 グールが身を引こうとする。

 引けない。踏み潰された足を、エレンの靴底がそのまま縫い止めていた。一歩たりとも、動かさない。

「いくら群れによる優位があろうと——一体一体と私の間にこれほどの差があるのなら、その優位は無意味だ」

 恐怖に押し潰されたのか、グールは腰から崩れた。尻もちをついたその姿は、ついさっきまで牙を剥いていた魔物と、同じ個体には見えない。

 だが、エレンに躊躇はない。

 横薙ぎ。

 刃が閃き、首が落ちた。

 まだ温かい頭部が浅い水面を転がり、腐臭に血の匂いが重なる。エレンはそれを、無造作に拾い上げた。

「ほら。忘れ物だぞ」

 逃げかけていた二匹の前方へ、頭部が放られる。

 ぐしゃり——。

 二度目の、嫌な音。

 転がるそれに、グールたちの動きが、止まった。

 ほんの一瞬。

 だが、エレンには十分すぎる。

 異変を悟って振り返った時には、もう間合いの内側だった。

 一体目。胸元への蹴り。

 細身の体躯から放たれたとは思えない衝撃が巨体を浮かせ、そのまま石壁へ叩きつける。壁が鈍く震え、めり込むようにして崩れ落ちた。

 最後の一匹は、反応すら間に合わない。

 踏み込みと同時、下から顎を打ち抜く肘。骨の砕ける音と共に、首が不自然な角度に跳ね上がった。追って走った短い一閃が喉元を裂き、声もなく沈んでいく。

 立っているグールは、もういない。

 浅く濁った水の上に、死骸だけが散らばっている。つい数秒前まで群れだったものは、もう、ただの肉だった。

「よし。前へ進もう」

『相変わらず、鮮やかだね……』

「時間を無駄には出来ないからな」

 剣先の血を、軽く振り払う。

 エレンの視線は、すでに水路の奥へと向いていた。

 先ほどエレナが拾った、あの異質な気配。

 グールの群れを従える程度には、あまりに濃く、あまりに淀んでいる。

 水音が、遠のいていく。

 代わりに——奥の闇からは、何かが壁を擦るような重い気配だけが、じわじわと、滲み出てきていた。

 ✦ ━━━━━━━━━━━━━━ ✦

 さらに進んだ先で、エレンは足を止めた。

 濁った水が細く流れる音の、その向こう。

 瘴気のように重い気配が、ひとつ、暗がりに沈んでいる。

 壁の汚れも、天井から垂れる雫も、その周囲だけが妙に冷えて見えた。光の加減ではない。空気の温度そのものが、削げている。

「見つけた。間違いない、こいつだな。特徴も一致している」

 闇の中にいたそれは、たしかに異様だった。

 皮膚は、死肉の青白さを通り越して、幽鬼じみた白に染まっている。薄い肉の下で、無数の血管が浮き上がっていた。脈打つたび、どす黒い線がぬるりと蠢く。

 筋肉のつき方も、尋常ではない。

 通常のグールが痩せた飢餓の獣だとすれば——目の前の個体は、腐りながらなお肥大した、暴力そのものだった。

 大きい。

 ただ大きいだけではない。骨格そのものが違う。肩幅も、腕の長さも、通常種をふた回りどころか軽く凌駕する。背を丸めてなお、ただでさえ狭い水路を、さらに圧し縮めてしまうほどの巨体だった。

『なにあれ……!  本当にグールなの……?』

「特殊個体——にしては、姿形が違いすぎる。本来なら、特殊個体といっても色違いか、多少の体格差で収まる範囲だ。だが、あれは……」

 言葉の途中で、異形がぴくりと動いた。

「……?」

 ゆっくりと、首が回る。

 獣の粗暴さはなかった。ぎこちなさを残したまま、それでも、どこか妙に——人間じみている。

 ぎょろりと剥かれた白目が、闇を裂いて、エレンを捉えた。

 視線が、合う。

 その瞬間、水路の空気が、ひどく粘ついたものへ変わった。腐臭に混じって、もっと生々しい——血の温度を思わせる匂いが、濃くなる。

「……面白い」

 エレンは、それだけを呟いた。

 ためらいなく、剣が抜かれる。鞘走る鋼の音が、湿った空間に短く響いた。

 対する白いグールは、肩を震わせていた。

 膨れ上がった胸郭が、大きく上下する。喉の奥で、何かが煮えるような、低く濁った音が、ゆっくりと、ゆっくりと、溜まっていく。

 やがて、それは——爆ぜた。

「グォォォオオオオアアアアアアアアッ!!」

 咆哮、などという生易しいものではない。

 壁が震えた。水面が跳ねた。耳の奥を殴られたような衝撃が、空間そのものを揺さぶる。天井の継ぎ目から砂埃がぱらぱらと落ち、水路全体が、その雄叫びに軋んだ。


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次のエピソードへ進む #5 異形の弾力


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「グルルルァァァッ!!」
「わらわらと、随分湧くものだな」
 グールたちが、じりじりと間合いを詰めてくる。腐肉を引きずる足が浅い水溜まりを踏むたび、ぬめった飛沫が壁の苔に散った。
 グール——知性は低い。だが群れで囲み、数の暴力で押し潰す。戦いに慣れない者なら、目をつけられた時点でほぼ詰みだ。
『本当にグールが……!』
「ああ、いたな。だが、居たということは——司令塔か、親玉がいる。エレナ、感じ取れるか?」
『……待ってね』
 エレナは戦いを好まない。剣を握る手は、いまもエレンに預けたままだ。
 けれど、腰を据えて意識を沈めたときの感知だけは、誰にも譲らない鋭さがある。二百年に一度と謳われる聖属性の適性は、刃を握らずとも別の形で世界を撫でる。
 だから、こういう時の役割は決まっていた。
 エレンが刃。エレナが目。
 もっとも、その分担を、グールたちが律儀に待ってくれるはずもない。
「ガァァッ!!」
 先頭の一体が、湿った床を蹴った。
 振り下ろされた爪を、エレンは受けない。剣で軽く弾く。硬質な音が、狭い水路に短く跳ねた。受け止めず、ぶつかった力を殺さぬまま身体をひねる。半歩——いや、それ以下。軸を撫でるようにずらしただけで、流れた衝撃はそのまま回転に変わる。
 翻る銀刃が、背後から迫っていた別の一体の腕へ、吸い込まれた。
 斬れた。
 肘でも、肩でもない。力が最も乗る二の腕の半ばを、寸分ずらさず断つ。
「ギャァァァァッ!?」
 悲鳴より早く、エレンはもう地を蹴っている。
「そらっ!!」
 跳躍。
 腕を失ってのけ反ったグールの首筋に、上から斜めに刃が落ちた。腐肉と骨をまとめて断ち、首と胴がずれる。着地に移る途中、二体目がようやく目の前の死を理解したらしい——が、理解した時点で、もう遅い。
 振り向きざま、一閃。
 首が、飛ぶ。
 三体目は、退こうとした。判断としては正しい。間違っていたのは、相手がエレンだったというその一点だけ。
 流れた勢いを殺さず、返した手首が突きを送る。切っ先はぶれず、腹の中心を深く穿った。
「グッ、ガ……ッ」
 くぐもった呻きが漏れ、巨体が膝から崩れた。
 わずか一呼吸。
 たったそれだけで、三匹のグールが床へ転がっている。狭い水路に、血の臭いが濃く混ざった。
 速さだけではない。
 どこを断てば動きが止まり、どこを貫けば崩れるのか——その全てを知り尽くした刃。
 残ったグールたちが、たじろぐ。低い唸りに、警戒の色が混ざりはじめていた。
『エレン、奥に……なにか嫌な気配がいるね。大きくて、異質で——うん、変な感じ』
 報告を受けた瞬間、エレンの目が細められた。
 水路のさらに奥。淀んだ空気の向こう、闇が一段濃く沈んでいる場所がある。そこだけ水音が鈍い。腐臭も、そこを中心に流れてくる。
「……なるほど。ただの巣ではないか」
『数は問題ないとして……エレン、大丈夫なの?』
「はっ。何を言い出すかと思えば——ふっ!!」
 言葉の途中で、地が蹴られた。
 跳躍ではない。射出だ。銀の軌跡が一歩で間合いを潰し、後ずさろうとしたグールの足の甲へ、踵が容赦なく落ちる。
 ぐしゃり、と。
 骨の砕ける音が、湿った天井に染み込むように響いた。
「ギィァァッ!?」
 グールが身を引こうとする。
 引けない。踏み潰された足を、エレンの靴底がそのまま縫い止めていた。一歩たりとも、動かさない。
「いくら群れによる優位があろうと——一体一体と私の間にこれほどの差があるのなら、その優位は無意味だ」
 恐怖に押し潰されたのか、グールは腰から崩れた。尻もちをついたその姿は、ついさっきまで牙を剥いていた魔物と、同じ個体には見えない。
 だが、エレンに躊躇はない。
 横薙ぎ。
 刃が閃き、首が落ちた。
 まだ温かい頭部が浅い水面を転がり、腐臭に血の匂いが重なる。エレンはそれを、無造作に拾い上げた。
「ほら。忘れ物だぞ」
 逃げかけていた二匹の前方へ、頭部が放られる。
 ぐしゃり——。
 二度目の、嫌な音。
 転がるそれに、グールたちの動きが、止まった。
 ほんの一瞬。
 だが、エレンには十分すぎる。
 異変を悟って振り返った時には、もう間合いの内側だった。
 一体目。胸元への蹴り。
 細身の体躯から放たれたとは思えない衝撃が巨体を浮かせ、そのまま石壁へ叩きつける。壁が鈍く震え、めり込むようにして崩れ落ちた。
 最後の一匹は、反応すら間に合わない。
 踏み込みと同時、下から顎を打ち抜く肘。骨の砕ける音と共に、首が不自然な角度に跳ね上がった。追って走った短い一閃が喉元を裂き、声もなく沈んでいく。
 立っているグールは、もういない。
 浅く濁った水の上に、死骸だけが散らばっている。つい数秒前まで群れだったものは、もう、ただの肉だった。
「よし。前へ進もう」
『相変わらず、鮮やかだね……』
「時間を無駄には出来ないからな」
 剣先の血を、軽く振り払う。
 エレンの視線は、すでに水路の奥へと向いていた。
 先ほどエレナが拾った、あの異質な気配。
 グールの群れを従える程度には、あまりに濃く、あまりに淀んでいる。
 水音が、遠のいていく。
 代わりに——奥の闇からは、何かが壁を擦るような重い気配だけが、じわじわと、滲み出てきていた。
 ✦ ━━━━━━━━━━━━━━ ✦
 さらに進んだ先で、エレンは足を止めた。
 濁った水が細く流れる音の、その向こう。
 瘴気のように重い気配が、ひとつ、暗がりに沈んでいる。
 壁の汚れも、天井から垂れる雫も、その周囲だけが妙に冷えて見えた。光の加減ではない。空気の温度そのものが、削げている。
「見つけた。間違いない、こいつだな。特徴も一致している」
 闇の中にいたそれは、たしかに異様だった。
 皮膚は、死肉の青白さを通り越して、幽鬼じみた白に染まっている。薄い肉の下で、無数の血管が浮き上がっていた。脈打つたび、どす黒い線がぬるりと蠢く。
 筋肉のつき方も、尋常ではない。
 通常のグールが痩せた飢餓の獣だとすれば——目の前の個体は、腐りながらなお肥大した、暴力そのものだった。
 大きい。
 ただ大きいだけではない。骨格そのものが違う。肩幅も、腕の長さも、通常種をふた回りどころか軽く凌駕する。背を丸めてなお、ただでさえ狭い水路を、さらに圧し縮めてしまうほどの巨体だった。
『なにあれ……!  本当にグールなの……?』
「特殊個体——にしては、姿形が違いすぎる。本来なら、特殊個体といっても色違いか、多少の体格差で収まる範囲だ。だが、あれは……」
 言葉の途中で、異形がぴくりと動いた。
「……?」
 ゆっくりと、首が回る。
 獣の粗暴さはなかった。ぎこちなさを残したまま、それでも、どこか妙に——人間じみている。
 ぎょろりと剥かれた白目が、闇を裂いて、エレンを捉えた。
 視線が、合う。
 その瞬間、水路の空気が、ひどく粘ついたものへ変わった。腐臭に混じって、もっと生々しい——血の温度を思わせる匂いが、濃くなる。
「……面白い」
 エレンは、それだけを呟いた。
 ためらいなく、剣が抜かれる。鞘走る鋼の音が、湿った空間に短く響いた。
 対する白いグールは、肩を震わせていた。
 膨れ上がった胸郭が、大きく上下する。喉の奥で、何かが煮えるような、低く濁った音が、ゆっくりと、ゆっくりと、溜まっていく。
 やがて、それは——爆ぜた。
「グォォォオオオオアアアアアアアアッ!!」
 咆哮、などという生易しいものではない。
 壁が震えた。水面が跳ねた。耳の奥を殴られたような衝撃が、空間そのものを揺さぶる。天井の継ぎ目から砂埃がぱらぱらと落ち、水路全体が、その雄叫びに軋んだ。