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第1話『絶望(せきたん)の底で、少年は亀裂を見る』

ー/ー



 世界が、崩れた。

 爆音が鼓膜を殴りつけた瞬間、コールは反射的に腕を頭上に掲げていた。
 轟音。震動。そして、すべてを塗り潰す黒い闇。

 直後、凄まじい衝撃が両腕を襲う。
 ハチ――コールの両腕から肩甲骨を覆う、古びた掘削用外骨格アームが、落盤した巨大な岩塊を受け止めていた。

 火花が散り、金属が軋む悲鳴がコールの脳内に直接響く。油圧シリンダーが限界を超えて震え、熱を持ったオイルの臭いが立ち込めた。

(耐えろ……耐えてくれ、ハチ……!)

 全身の骨が軋み、肺が圧迫される。呼吸をするたびに、巻き上がった微細な粉塵が気管を焼き、肺の底が燃えるように痛い。

 数秒か、あるいは数分か。永遠にも思える拮抗の末、岩塊が安定し、震動が収まった。

 第42採掘区の崩落事故。それが、コールの日常が終わりを告げる号砲だった。


■ 消耗品たちの「価値」


 塵が晴れ、ランプの頼りない明かりが周囲を照らし出すまで、どれほどの時間が経っただろうか。

 コールは瓦礫の中から這い出し、泥水を吐き捨てて周囲を見回した。

「おい……生きてるやつは……っ」

 かすれた声で呼びかける。
 暗闇の向こうで、ランプの火が二つ、三つと揺れた。遠くから誰かの呻き声が聞こえる。

 立ち上がろうとしたコールの右膝に、稲妻のような激痛が走った。岩の角で深く切ったらしい。コールは歯を食いしばり、ハチの力を借りて強引に立ち上がった。

「……ひどい有様だな」

 ハチの左腕には深い亀裂が入っていた。装甲の継ぎ目は歪み、剥き出しになった油圧管から粘り気のあるフルードが滴っている。

 型番はModel-08。製造から何十年経っているのかさえ分からない骨董品だ。同僚たちからは「そんなポンコツ、いつ爆発してもおかしくねえ」と馬鹿にされているが、コールにはこれを手放す選択肢はなかった。

 これを動かしている時だけは、かつて考古学者だった親父の、あの大きな手の温もりを思い出せる気がしたからだ。

「おーい、生きてるやつは点呼だ! 作業を止めるな!」

 坑道の入り口から、野太く、不遜な声が響いた。
 駆けつけたのは救助隊ではない。この区画を管理する監督官だ。彼は瓦礫の下で動かなくなっている作業員を一瞥もせず、手に持った記録板を叩いた。

「監督官……! ガルが、あそこに埋まって……まだ、手が見えてます!」

 コールが叫ぶ。コールの隣で作業していた年上の同僚、ガル。さっきまで「地上に戻ったら美味い酒を飲もう」と笑っていた男の手が、瓦礫の隙間から力なく投げ出されていた。まだ、その肌には温かみが残っている。

 だが、監督官はガルの死体を見ようともせず、冷淡に言い放った。

「損失トン数は? 掘削機の被害状況は?」

 コールは耳を疑った。

「損失? 何を言って……ガルの救助が先だろ!」

「うるさい、罪人の子が。死体の回収など後回しだ。まず使える人間を選り分けろ。それと、損失した石炭の量を計算しろ」

 監督官は事務的にガルの手の上を歩き、岩盤の損傷具合を確認し始めた。

 コールは煤まじりの唾を地面に吐き捨て、拳を固く握りしめた。

 ここでは人間は石炭を掘り出すための「消耗品」に過ぎない。罪人の子として生まれた時から、自分たちの命は石炭一袋分の価値もないのだと、いやというほど教え込まれてきた。


■ 秘密の「絶望(せきたん)」


 事故から数時間後、休憩も与えられずコールは後処理の労働に駆り出されていた。

 瓦礫を運び、崩れた坑道を補強する。ハチの関節が悲鳴を上げるたび、コールの体力も削られていく。

 坑道の隅では、老いた作業員が激しく咳き込んでいた。彼が口元を押さえた手には、真っ黒な染みが滲んでいる。

 『煤煙病』。

 石炭の粉塵を吸い込み続け、肺が石炭そのものに置き換わっていく病だ。最終段階になれば、肺が真っ黒に変質し、最後は内臓を吐き出すようにして死ぬ。

 コールは視線を逸らした。
 あの老人の姿は、数年後の自分自身の姿そのものだった。

(……こんなところで終わってたまるか)

 周囲の目を盗み、コールはそっとハチの装甲の裏側を探った。

 そこには、今回の崩落で偶然露出した、最高品質の石炭――『黒ダイヤ』と呼ばれる輝きの強い欠片が隠されていた。

 コールは、これを監督官に報告しない。

 この炭鉱では、高品質な石炭を隠し持つことは「国家資源の横領」として極刑に相当する。だが、コールはこれまでも、命を削って少しずつ石炭を盗み、信頼できる闇商人に流してきた。

 すべては、逃走資金のためだ。
 この黒い絶望の底から抜け出し、親父が言っていた「本物の空」を見るために。
「地上は青いんだぞ」という、あの言葉を証明するために。

「おい、コール! 何を突っ立っている! 罪人の子が休む暇などあるか!」

 別の作業員が怒鳴り声を上げる。彼はコールの「罪人の子」という立場を利用し、自分のノルマまで押し付けようとしていた。

 コールは黙って従った。今は、波風を立てるべきではない。ハチを動かし、黙々と瓦礫を運ぶ。その重みは、彼が背負う未来への絶望そのもののように感じられた。


■ 奈落の入り口


 深夜。坑道の明かりが次々と消され、他の作業員たちが宿舎へと引き上げた後、コールは一人残されていた。

 事故現場の最終清掃。危険で誰もやりたがらない汚れ仕事は、いつもコールのような立場の者に押し付けられる。

 ランプ一つを手に、静まり返った第42採掘区の奥へ進む。

 巨大な重機が沈黙し、人の気配が消えた坑道は、まるで巨大な怪物の胎内のようだった。

 瓦礫を片付け、岩盤の状態を点検していくと――

「……なんだ、これ」

 目の前に、本来あるはずのない「空間」が現れた。

 落盤によって剥がれ落ちた壁の向こう側。地図にも、コールの記憶にもない巨大な亀裂が、奈落の口のように開いていた。

 コールは立ち止まり、その暗闇を見つめた。

 本来なら、すぐに報告すべき事案だ。未発見の深層坑道、それもこれほどの規模となれば、国家的な大発見であり、報奨金で地上への切符が手に入るかもしれない。

 だが。

 コールの足は、報告のために戻ることを拒否していた。

 亀裂の奥から、微かな風が吹いた。

 冷たく、それでいて胸が痛くなるほど瑞々しい――生まれて初めて嗅ぐ、「生命」の匂いだった。

「……はぁ……はぁ……」

 なぜか、動悸が激しくなる。
 恐怖か、あるいは未知への期待か。

 ランプの炎がわずかに揺れ、亀裂の縁を照らす。

 そこは、完全な静寂に支配されていた。
 機械の駆動音も、人々の罵声も、絶望の咳き込みも届かない。
 この世界樹炭鉱という牢獄で、初めて出会う「沈黙」だった。

 胸の奥が、締め付けられるように熱い。

 コールは親父が遺した言葉を思い出した。

「いいか、コール。世界樹は死んで石炭になったんじゃない。……ただ、眠っているだけなんだ」

 当時は狂人の戯言だと思っていたその言葉が、今、確信を持って脳裏に蘇る。

 コールはしばらくその場に立ち尽くした後、ゆっくりとランプを掲げ、さらに一歩、亀裂の奥へと足を踏み入れようとした。

 だが、止めた。

「……今日は、やめておく」

 理由は自分でも分からなかった。
 ただ、この場所に他人の足跡をつけさせたくなかった。この「灯り」のない暗闇を、誰にも汚されたくなかったのだ。

 コールはゆっくりと踵を返し、その場を離れた。
 自分が今、何を見つけたのか。それがどのような運命を呼び寄せるのか、今の彼には知る由もなかった。


 その夜。
 世界樹炭鉱の最深部、数億年の微睡みの果て。

 絶望(せきたん)を食らう灯りが、初めて瞳を開いた。

 それは少年の煤けた未来を、すべて焼き尽くし、塗り替えていくための産声。

 少年はまだ、知らない。
 自分が「地上」ではなく、さらに深い「奈落」へと救われる運命にあることを。


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 世界が、崩れた。
 爆音が鼓膜を殴りつけた瞬間、コールは反射的に腕を頭上に掲げていた。
 轟音。震動。そして、すべてを塗り潰す黒い闇。
 直後、凄まじい衝撃が両腕を襲う。
 ハチ――コールの両腕から肩甲骨を覆う、古びた掘削用外骨格アームが、落盤した巨大な岩塊を受け止めていた。
 火花が散り、金属が軋む悲鳴がコールの脳内に直接響く。油圧シリンダーが限界を超えて震え、熱を持ったオイルの臭いが立ち込めた。
(耐えろ……耐えてくれ、ハチ……!)
 全身の骨が軋み、肺が圧迫される。呼吸をするたびに、巻き上がった微細な粉塵が気管を焼き、肺の底が燃えるように痛い。
 数秒か、あるいは数分か。永遠にも思える拮抗の末、岩塊が安定し、震動が収まった。
 第42採掘区の崩落事故。それが、コールの日常が終わりを告げる号砲だった。
■ 消耗品たちの「価値」
 塵が晴れ、ランプの頼りない明かりが周囲を照らし出すまで、どれほどの時間が経っただろうか。
 コールは瓦礫の中から這い出し、泥水を吐き捨てて周囲を見回した。
「おい……生きてるやつは……っ」
 かすれた声で呼びかける。
 暗闇の向こうで、ランプの火が二つ、三つと揺れた。遠くから誰かの呻き声が聞こえる。
 立ち上がろうとしたコールの右膝に、稲妻のような激痛が走った。岩の角で深く切ったらしい。コールは歯を食いしばり、ハチの力を借りて強引に立ち上がった。
「……ひどい有様だな」
 ハチの左腕には深い亀裂が入っていた。装甲の継ぎ目は歪み、剥き出しになった油圧管から粘り気のあるフルードが滴っている。
 型番はModel-08。製造から何十年経っているのかさえ分からない骨董品だ。同僚たちからは「そんなポンコツ、いつ爆発してもおかしくねえ」と馬鹿にされているが、コールにはこれを手放す選択肢はなかった。
 これを動かしている時だけは、かつて考古学者だった親父の、あの大きな手の温もりを思い出せる気がしたからだ。
「おーい、生きてるやつは点呼だ! 作業を止めるな!」
 坑道の入り口から、野太く、不遜な声が響いた。
 駆けつけたのは救助隊ではない。この区画を管理する監督官だ。彼は瓦礫の下で動かなくなっている作業員を一瞥もせず、手に持った記録板を叩いた。
「監督官……! ガルが、あそこに埋まって……まだ、手が見えてます!」
 コールが叫ぶ。コールの隣で作業していた年上の同僚、ガル。さっきまで「地上に戻ったら美味い酒を飲もう」と笑っていた男の手が、瓦礫の隙間から力なく投げ出されていた。まだ、その肌には温かみが残っている。
 だが、監督官はガルの死体を見ようともせず、冷淡に言い放った。
「損失トン数は? 掘削機の被害状況は?」
 コールは耳を疑った。
「損失? 何を言って……ガルの救助が先だろ!」
「うるさい、罪人の子が。死体の回収など後回しだ。まず使える人間を選り分けろ。それと、損失した石炭の量を計算しろ」
 監督官は事務的にガルの手の上を歩き、岩盤の損傷具合を確認し始めた。
 コールは煤まじりの唾を地面に吐き捨て、拳を固く握りしめた。
 ここでは人間は石炭を掘り出すための「消耗品」に過ぎない。罪人の子として生まれた時から、自分たちの命は石炭一袋分の価値もないのだと、いやというほど教え込まれてきた。
■ 秘密の「絶望(せきたん)」
 事故から数時間後、休憩も与えられずコールは後処理の労働に駆り出されていた。
 瓦礫を運び、崩れた坑道を補強する。ハチの関節が悲鳴を上げるたび、コールの体力も削られていく。
 坑道の隅では、老いた作業員が激しく咳き込んでいた。彼が口元を押さえた手には、真っ黒な染みが滲んでいる。
 『煤煙病』。
 石炭の粉塵を吸い込み続け、肺が石炭そのものに置き換わっていく病だ。最終段階になれば、肺が真っ黒に変質し、最後は内臓を吐き出すようにして死ぬ。
 コールは視線を逸らした。
 あの老人の姿は、数年後の自分自身の姿そのものだった。
(……こんなところで終わってたまるか)
 周囲の目を盗み、コールはそっとハチの装甲の裏側を探った。
 そこには、今回の崩落で偶然露出した、最高品質の石炭――『黒ダイヤ』と呼ばれる輝きの強い欠片が隠されていた。
 コールは、これを監督官に報告しない。
 この炭鉱では、高品質な石炭を隠し持つことは「国家資源の横領」として極刑に相当する。だが、コールはこれまでも、命を削って少しずつ石炭を盗み、信頼できる闇商人に流してきた。
 すべては、逃走資金のためだ。
 この黒い絶望の底から抜け出し、親父が言っていた「本物の空」を見るために。
「地上は青いんだぞ」という、あの言葉を証明するために。
「おい、コール! 何を突っ立っている! 罪人の子が休む暇などあるか!」
 別の作業員が怒鳴り声を上げる。彼はコールの「罪人の子」という立場を利用し、自分のノルマまで押し付けようとしていた。
 コールは黙って従った。今は、波風を立てるべきではない。ハチを動かし、黙々と瓦礫を運ぶ。その重みは、彼が背負う未来への絶望そのもののように感じられた。
■ 奈落の入り口
 深夜。坑道の明かりが次々と消され、他の作業員たちが宿舎へと引き上げた後、コールは一人残されていた。
 事故現場の最終清掃。危険で誰もやりたがらない汚れ仕事は、いつもコールのような立場の者に押し付けられる。
 ランプ一つを手に、静まり返った第42採掘区の奥へ進む。
 巨大な重機が沈黙し、人の気配が消えた坑道は、まるで巨大な怪物の胎内のようだった。
 瓦礫を片付け、岩盤の状態を点検していくと――
「……なんだ、これ」
 目の前に、本来あるはずのない「空間」が現れた。
 落盤によって剥がれ落ちた壁の向こう側。地図にも、コールの記憶にもない巨大な亀裂が、奈落の口のように開いていた。
 コールは立ち止まり、その暗闇を見つめた。
 本来なら、すぐに報告すべき事案だ。未発見の深層坑道、それもこれほどの規模となれば、国家的な大発見であり、報奨金で地上への切符が手に入るかもしれない。
 だが。
 コールの足は、報告のために戻ることを拒否していた。
 亀裂の奥から、微かな風が吹いた。
 冷たく、それでいて胸が痛くなるほど瑞々しい――生まれて初めて嗅ぐ、「生命」の匂いだった。
「……はぁ……はぁ……」
 なぜか、動悸が激しくなる。
 恐怖か、あるいは未知への期待か。
 ランプの炎がわずかに揺れ、亀裂の縁を照らす。
 そこは、完全な静寂に支配されていた。
 機械の駆動音も、人々の罵声も、絶望の咳き込みも届かない。
 この世界樹炭鉱という牢獄で、初めて出会う「沈黙」だった。
 胸の奥が、締め付けられるように熱い。
 コールは親父が遺した言葉を思い出した。
「いいか、コール。世界樹は死んで石炭になったんじゃない。……ただ、眠っているだけなんだ」
 当時は狂人の戯言だと思っていたその言葉が、今、確信を持って脳裏に蘇る。
 コールはしばらくその場に立ち尽くした後、ゆっくりとランプを掲げ、さらに一歩、亀裂の奥へと足を踏み入れようとした。
 だが、止めた。
「……今日は、やめておく」
 理由は自分でも分からなかった。
 ただ、この場所に他人の足跡をつけさせたくなかった。この「灯り」のない暗闇を、誰にも汚されたくなかったのだ。
 コールはゆっくりと踵を返し、その場を離れた。
 自分が今、何を見つけたのか。それがどのような運命を呼び寄せるのか、今の彼には知る由もなかった。
 その夜。
 世界樹炭鉱の最深部、数億年の微睡みの果て。
 絶望(せきたん)を食らう灯りが、初めて瞳を開いた。
 それは少年の煤けた未来を、すべて焼き尽くし、塗り替えていくための産声。
 少年はまだ、知らない。
 自分が「地上」ではなく、さらに深い「奈落」へと救われる運命にあることを。