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【7】②

ー/ー



    ◇  ◇  ◇
 母が来て、慌ただしく帰って行ったあと。
 部活の練習に行く以外、航は他に誰かと遊ぶ予定などもないのかと申し訳なく感じるほどに、瑛璃との時間を作ってくれていた。
 悪いと思っている気持ちも事実だ。
 しかし、わかってはいてもつい甘えてしまう。今だけなのだから。何も気づかない、裏読みできない鈍い子だと呆れられても構わなかった。
 夕方、ノックの音に声を返しながらドアまで歩き開けると、両手にアイスクリームを持った航が立っていた。
 髪が濡れているのは、部活の練習で汗をかいたため帰宅してシャワーを浴びたのだろう。それが彼の習慣だ。
「俺の部屋で一緒に食わない?」
 笑顔の誘いに迷わず首肯して、瑛璃は彼の部屋へ共に向かった。
「瑛璃ちゃん、いつもストロベリーだったよね? もしチョコのがよかったら俺はどっちでもいいよ?」
「いいの。これはストロベリーが一番好き」
 ベッドの下の床に二人並んで腰を下ろし、話しながらフレーバー違いの冷菓をそれぞれスプーンで掬って口に運ぶ。
 食べ終えて空いたカップを彼の分も纏めて机の上に置き、瑛璃は元通り航の隣に座り直した。
「俺、叔母さんが、……瑛璃ちゃんがあんな、お父さんにひどい目に合ってるなんて全然知らなかった。知ってても何もできないけど、俺は……!」
 会話が途切れた間隙を突くように、航が声を絞り出す。
「私はパパに、……父、に叩かれたことはないの。いっつもママが助けてくれてた。パパが部屋に入って来たら『出て行け』って目配せしてくれたり、だから──」
 瑛璃はむしろ、心傷めてくれる彼に申し訳ない思いが強かった。
 それ以上に己が耐え難く卑怯な人間だと感じてしまう。
 実際、瑛璃に物理的な被害が及んだことはあまりない。
 なにか投げつけられるにしても、殴られるにしても。
 母が必ず盾になってくれていたからだ。
 瑛璃は母を犠牲にしてのうのうと暮らしていた。
 今なら少しはわかる気がする。悩んでいたのは確かでも、母に比べれば瑛璃の苦痛など取るに足りないものだったのではないか。
 瑛璃さえいなければ、母はいつでも逃げられた筈だ。離婚まで行かなくとも、一時的に家を出て父と距離を取ることは難しくない。ひとりなら。
 それでも彼女は、絶えず瑛璃のことを考えてくれていた。
「だから! そういうのがもうおかしいだろ! その分叔母さんがやられてたんだよな!? あ、瑛璃ちゃんの身代わりになったとかどうこうじゃない。それは気にすることじゃない!」
 従兄には、瑛璃が口籠った理由も伝わっているようだ。
「そんな、女の人、奥さんとか子どもに暴力振るうなんてサイテーだ! 生きてる価値ねえ!」
「わ、たるく……」
 ずっと誰かにそう言って欲しかったのかもしれない。
 母も瑛璃も何も悪くない。耐え忍ぶ必要などどこにもないのだと。
 しかし、他人の前では父の家族に対する振る舞いを暴露しても、話半分にさえ聞いてもらえなかっただろう。
 瑛璃なら「大人はいろいろあって大変なのよ。あなたは悪く取るかもしれないけど、親は子どものこと考えてるの」などと窘められるのが関の山だ。
 母の場合、さらに状況は厳しかったのではないか。むしろ我儘で片付けられてしまいかねない。
「優しくていい旦那さんじゃない〜」
「贅沢よね。あなたバリバリ働いてて、家のこときちんとできてないんでしょ? そりゃあ旦那さんも不満あるわよ」
 実際に小学生の頃だったろうか、母が家に来た友人に打ち明けて諌められているのを、ドアの影から覗いて耳にしたこともあった。
 彼女は出産を機に職を辞したという。所謂「専業主婦」というものか。


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    ◇  ◇  ◇
 母が来て、慌ただしく帰って行ったあと。
 部活の練習に行く以外、航は他に誰かと遊ぶ予定などもないのかと申し訳なく感じるほどに、瑛璃との時間を作ってくれていた。
 悪いと思っている気持ちも事実だ。
 しかし、わかってはいてもつい甘えてしまう。今だけなのだから。何も気づかない、裏読みできない鈍い子だと呆れられても構わなかった。
 夕方、ノックの音に声を返しながらドアまで歩き開けると、両手にアイスクリームを持った航が立っていた。
 髪が濡れているのは、部活の練習で汗をかいたため帰宅してシャワーを浴びたのだろう。それが彼の習慣だ。
「俺の部屋で一緒に食わない?」
 笑顔の誘いに迷わず首肯して、瑛璃は彼の部屋へ共に向かった。
「瑛璃ちゃん、いつもストロベリーだったよね? もしチョコのがよかったら俺はどっちでもいいよ?」
「いいの。これはストロベリーが一番好き」
 ベッドの下の床に二人並んで腰を下ろし、話しながらフレーバー違いの冷菓をそれぞれスプーンで掬って口に運ぶ。
 食べ終えて空いたカップを彼の分も纏めて机の上に置き、瑛璃は元通り航の隣に座り直した。
「俺、叔母さんが、……瑛璃ちゃんがあんな、お父さんにひどい目に合ってるなんて全然知らなかった。知ってても何もできないけど、俺は……!」
 会話が途切れた間隙を突くように、航が声を絞り出す。
「私はパパに、……父、に叩かれたことはないの。いっつもママが助けてくれてた。パパが部屋に入って来たら『出て行け』って目配せしてくれたり、だから──」
 瑛璃はむしろ、心傷めてくれる彼に申し訳ない思いが強かった。
 それ以上に己が耐え難く卑怯な人間だと感じてしまう。
 実際、瑛璃に物理的な被害が及んだことはあまりない。
 なにか投げつけられるにしても、殴られるにしても。
 母が必ず盾になってくれていたからだ。
 瑛璃は母を犠牲にしてのうのうと暮らしていた。
 今なら少しはわかる気がする。悩んでいたのは確かでも、母に比べれば瑛璃の苦痛など取るに足りないものだったのではないか。
 瑛璃さえいなければ、母はいつでも逃げられた筈だ。離婚まで行かなくとも、一時的に家を出て父と距離を取ることは難しくない。ひとりなら。
 それでも彼女は、絶えず瑛璃のことを考えてくれていた。
「だから! そういうのがもうおかしいだろ! その分叔母さんがやられてたんだよな!? あ、瑛璃ちゃんの身代わりになったとかどうこうじゃない。それは気にすることじゃない!」
 従兄には、瑛璃が口籠った理由も伝わっているようだ。
「そんな、女の人、奥さんとか子どもに暴力振るうなんてサイテーだ! 生きてる価値ねえ!」
「わ、たるく……」
 ずっと誰かにそう言って欲しかったのかもしれない。
 母も瑛璃も何も悪くない。耐え忍ぶ必要などどこにもないのだと。
 しかし、他人の前では父の家族に対する振る舞いを暴露しても、話半分にさえ聞いてもらえなかっただろう。
 瑛璃なら「大人はいろいろあって大変なのよ。あなたは悪く取るかもしれないけど、親は子どものこと考えてるの」などと窘められるのが関の山だ。
 母の場合、さらに状況は厳しかったのではないか。むしろ我儘で片付けられてしまいかねない。
「優しくていい旦那さんじゃない〜」
「贅沢よね。あなたバリバリ働いてて、家のこときちんとできてないんでしょ? そりゃあ旦那さんも不満あるわよ」
 実際に小学生の頃だったろうか、母が家に来た友人に打ち明けて諌められているのを、ドアの影から覗いて耳にしたこともあった。
 彼女は出産を機に職を辞したという。所謂「専業主婦」というものか。