冬は、君に近づく言い訳になる
ー/ー「律音さん、外見て」
蒼の声で窓の外へ視線を向ける。
部屋から漏れた明かりが、暗闇の中にふわりと舞い落ちる小さな白い羽のようなものを映し出していた。
「雪……か」
「寒いはずだよね」
次々と落ちてくる雪の欠片を飽きることもなくずっと見つめる横顔が、ひどく幼い。
まるで無垢な少年のようだと思った。
「そうだな。暦の上では『大寒』だから」
「大寒?」
「冬の寒さの底のことだ。これが過ぎると立春……冬のうちに止まっていたものが、ゆっくり動き出し始める季節に変っていく。とは言っても、まだまだ寒いだろう」
「ふふっ……春、待ち遠しいね。あ……でも、俺は冬も好きだよ」
そう言って蒼は淡くはにかんだ。
「だって、律音さんの傍に行く理由、探さなくて済むから」
すっと肩を寄せ、静かに目を閉じる。
冬はどの季節よりも、誰かの温もりを恋しくさせてやまない。愛おしい人の温度が欲しいと思うし、触れ合った手が冷たかったのなら温めたくなる。
「……律音さん」
蒼が呼ぶ声はとても小さい。
少し伏せた瞼が、躊躇うように揺れて。
目が合った、その瞬間。
このままでは、触れてしまう──。
だが、もう一歩近づいている自分に気づく。
判断が遅れるのは、いつもこの距離だ。
あの目に囚われて一度触れてしまえば、もう『触れなかった自分』には戻れない。
その予感だけが、やけに鮮明だった。
「っ──!」
思わず律音が手を差し込む。
制されて蒼の動きが止まると、きょとんとした顔が間近にあった。
間一髪だった。
ゆっくりと息を吐きながら、手を下ろして行く。心臓が痛いくらいに早鐘を打っている。
「……しちゃダメ?」
小首を傾げながら、見つめ返してくる蒼は少し寂しそうだった。
「いや……」
ダメと言うわけではない。
──違う。
何と言えばいいんだろう。
「そうじゃないなら、いいんだよね?」
降ろしかけていた手に蒼の手が添えられる。
「待て……っ! 落ち着け」
本当に落ち着かなければいけないのは、自分の方なのかもしれない。
そして、何度も自問自答する。
これでいいのか、と。
「──したい。律音さんと、キスしたい」
ああ──そんな目で見てくれるな。
俺だって本当は、君に触れたいんだ。
だが、それで本当にいいのか、迷っている。
君が本当に望んでいるのか。
今、そうすることが正解なのか。
そのスレートブルーの瞳を見ていると──分からなくなる。
自分の気持ちの方が、蒼よりも先に行ってしまっているんじゃないかと、不安になる。
──君を傷つけたくない。
だから、ブレーキを踏んでしまう。
でも、ブレーキを踏むことが返って君を傷つけるのか?
正解なんて、いつも所在不明だ。
それでも立ち止まらずいられない。
「……律音さんは、俺のこと嫌い?」
真っ直ぐに見つめられて、そんな風に問いかけられても、すぐには答えられなかった。
嫌いなわけが、ない。
その気持ちさえ、伝えることを躊躇う。
蒼を愛おしいと思うのに、言えずにいる自分がひどくもどかしかった。
「……困ったな。勝てそうにない」
ぼそりと言葉が漏れる。
思ったことを言葉にする勇気が眩しい。
気持ちを差し出しても恐れない姿勢に、これからもずっと負け続けるのだろうと、観念するように律音は静かに肩を下ろした。
「えっ……?」
予想外の回答に驚いて目をぱちぱちさせている蒼を見て、律音は少し首を傾げる。
「いや。君の熱量には、降参するしかないなと思ってね」
髪を耳に掛けるように指を這わせると、途端に蒼の頬がじゅわっと赤くなった。
「……攻めてくると思っていると、ほら……すぐにそうやって、ちょっと引いて。──俺のことを惑わす」
頭をゆっくり撫でると、それをしっかりと感じ取ろうとするようにそっと瞼を下ろす。
その睫毛は微かに震えて揺れていた。
「君のその緩急の使い方、ずるいな……」
優しくそっと蒼の唇に触れる。
気づいた時にはもう離れてしまっているほど短かったのに、深く沈み込むような余韻だけが残った。
「ずるいのは、律音さんの方じゃん……」
離れ難いと言うように、蒼は絞り出すような声で呟く。
むくれたように膨らんだ頬が、視界の下の方から覗いて見えた。
「俺が?」
そう尋ねると、蒼は律音をぎゅっと抱きしめる。少し苦しかったが、その力強さにどこか安心する自分がいた。
「そうだよ! ちゃんと、俺からしたかったのに。先、越しちゃうんだもん……! ずるい、ずるいよ!」
怒っているのか、それとも拗ねているのか。
どちらにしてもその態度には、肩を揺らして笑うしかなかった。
「熱量には負けるけど、そこは譲るつもりはないよ」
静かに零す律音の言葉を受けて、困ったように眉をさげると「な、なにそれ……歳上の余裕……?」とこちらを覗き込んでくる。
ほんの僅かな間に、様々な変化を見せるその表情をまじまじと見つめて、律音は目を細めた。
蒼がこうして見せてくれるものは、面白いや楽しいの域をとっくに越えている。
ふんわりとした温かなものが、ただただ、胸を撫でていく。
その余韻の中でこぼれ落ちる言葉は、自分でも驚くくらい柔らかい。
「どうかな。でも、君より少しだけ、長く生きている自覚はあるよ」
「っ……! もう! 次は手加減しないからねっ! 覚悟しててよね!」
「……お手並み拝見、だな」
窓の外には音もなく雪が積もっていく。
しかし、窓に近いところだけ、ふと漏れ出すものに触れてゆるりと溶け出して行く。
部屋の中は、一足早い春のように優しかった。
蒼の声で窓の外へ視線を向ける。
部屋から漏れた明かりが、暗闇の中にふわりと舞い落ちる小さな白い羽のようなものを映し出していた。
「雪……か」
「寒いはずだよね」
次々と落ちてくる雪の欠片を飽きることもなくずっと見つめる横顔が、ひどく幼い。
まるで無垢な少年のようだと思った。
「そうだな。暦の上では『大寒』だから」
「大寒?」
「冬の寒さの底のことだ。これが過ぎると立春……冬のうちに止まっていたものが、ゆっくり動き出し始める季節に変っていく。とは言っても、まだまだ寒いだろう」
「ふふっ……春、待ち遠しいね。あ……でも、俺は冬も好きだよ」
そう言って蒼は淡くはにかんだ。
「だって、律音さんの傍に行く理由、探さなくて済むから」
すっと肩を寄せ、静かに目を閉じる。
冬はどの季節よりも、誰かの温もりを恋しくさせてやまない。愛おしい人の温度が欲しいと思うし、触れ合った手が冷たかったのなら温めたくなる。
「……律音さん」
蒼が呼ぶ声はとても小さい。
少し伏せた瞼が、躊躇うように揺れて。
目が合った、その瞬間。
このままでは、触れてしまう──。
だが、もう一歩近づいている自分に気づく。
判断が遅れるのは、いつもこの距離だ。
あの目に囚われて一度触れてしまえば、もう『触れなかった自分』には戻れない。
その予感だけが、やけに鮮明だった。
「っ──!」
思わず律音が手を差し込む。
制されて蒼の動きが止まると、きょとんとした顔が間近にあった。
間一髪だった。
ゆっくりと息を吐きながら、手を下ろして行く。心臓が痛いくらいに早鐘を打っている。
「……しちゃダメ?」
小首を傾げながら、見つめ返してくる蒼は少し寂しそうだった。
「いや……」
ダメと言うわけではない。
──違う。
何と言えばいいんだろう。
「そうじゃないなら、いいんだよね?」
降ろしかけていた手に蒼の手が添えられる。
「待て……っ! 落ち着け」
本当に落ち着かなければいけないのは、自分の方なのかもしれない。
そして、何度も自問自答する。
これでいいのか、と。
「──したい。律音さんと、キスしたい」
ああ──そんな目で見てくれるな。
俺だって本当は、君に触れたいんだ。
だが、それで本当にいいのか、迷っている。
君が本当に望んでいるのか。
今、そうすることが正解なのか。
そのスレートブルーの瞳を見ていると──分からなくなる。
自分の気持ちの方が、蒼よりも先に行ってしまっているんじゃないかと、不安になる。
──君を傷つけたくない。
だから、ブレーキを踏んでしまう。
でも、ブレーキを踏むことが返って君を傷つけるのか?
正解なんて、いつも所在不明だ。
それでも立ち止まらずいられない。
「……律音さんは、俺のこと嫌い?」
真っ直ぐに見つめられて、そんな風に問いかけられても、すぐには答えられなかった。
嫌いなわけが、ない。
その気持ちさえ、伝えることを躊躇う。
蒼を愛おしいと思うのに、言えずにいる自分がひどくもどかしかった。
「……困ったな。勝てそうにない」
ぼそりと言葉が漏れる。
思ったことを言葉にする勇気が眩しい。
気持ちを差し出しても恐れない姿勢に、これからもずっと負け続けるのだろうと、観念するように律音は静かに肩を下ろした。
「えっ……?」
予想外の回答に驚いて目をぱちぱちさせている蒼を見て、律音は少し首を傾げる。
「いや。君の熱量には、降参するしかないなと思ってね」
髪を耳に掛けるように指を這わせると、途端に蒼の頬がじゅわっと赤くなった。
「……攻めてくると思っていると、ほら……すぐにそうやって、ちょっと引いて。──俺のことを惑わす」
頭をゆっくり撫でると、それをしっかりと感じ取ろうとするようにそっと瞼を下ろす。
その睫毛は微かに震えて揺れていた。
「君のその緩急の使い方、ずるいな……」
優しくそっと蒼の唇に触れる。
気づいた時にはもう離れてしまっているほど短かったのに、深く沈み込むような余韻だけが残った。
「ずるいのは、律音さんの方じゃん……」
離れ難いと言うように、蒼は絞り出すような声で呟く。
むくれたように膨らんだ頬が、視界の下の方から覗いて見えた。
「俺が?」
そう尋ねると、蒼は律音をぎゅっと抱きしめる。少し苦しかったが、その力強さにどこか安心する自分がいた。
「そうだよ! ちゃんと、俺からしたかったのに。先、越しちゃうんだもん……! ずるい、ずるいよ!」
怒っているのか、それとも拗ねているのか。
どちらにしてもその態度には、肩を揺らして笑うしかなかった。
「熱量には負けるけど、そこは譲るつもりはないよ」
静かに零す律音の言葉を受けて、困ったように眉をさげると「な、なにそれ……歳上の余裕……?」とこちらを覗き込んでくる。
ほんの僅かな間に、様々な変化を見せるその表情をまじまじと見つめて、律音は目を細めた。
蒼がこうして見せてくれるものは、面白いや楽しいの域をとっくに越えている。
ふんわりとした温かなものが、ただただ、胸を撫でていく。
その余韻の中でこぼれ落ちる言葉は、自分でも驚くくらい柔らかい。
「どうかな。でも、君より少しだけ、長く生きている自覚はあるよ」
「っ……! もう! 次は手加減しないからねっ! 覚悟しててよね!」
「……お手並み拝見、だな」
窓の外には音もなく雪が積もっていく。
しかし、窓に近いところだけ、ふと漏れ出すものに触れてゆるりと溶け出して行く。
部屋の中は、一足早い春のように優しかった。
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