第一話
ー/ー「んじゃ、行ってくる」
安全靴を履きながら、台所の方へと声をかける。
いつものルーティンだ。
「は〜い! あんまり無理しないでね〜! えっと、ほら、なんだっけ…… そう! ご安全に!」
「どこでそれ覚えたんだよ! ブルーカラーの仕事なんか、した事無いくせに」
離れた場所からかけられた、妻の言葉に思わず苦笑する。
「あなた電話で、いっつも会社の人に言ってるじゃない? だから真似したの!」
「しっかり聞いてんだな…… 了解。 なら、里美(さとみ)も家で、ご安全になっ! お?茶々丸もご安全に! だよな。ママの事、頼むぞ!」
時刻は、夜の十一時を少し回った所。
玄関まで出迎えに来た飼い犬、シーズーの子である茶々丸(ちゃちゃまる)の身体をワシャワシャと粗く撫で、俺は玄関のドアを開け、まだ、昼の熱気の残る外へと歩き出した。
◇◆
近くに借りている屋外駐車場……と言っても、単なる砂利が敷いてあるだけの場所だが、そこで俺は、自家用車に乗り込む。
気付けば走行距離も、そろそろ8万キロを超えようかという軽自動車。
以前は、片道約五十分の道のりを往復していたのだから、この車にも少し無理をさせている。
「そろそろ車検か……また金、飛んでくわ。 世知辛い世の中だこと。 さて、向かうとしますか!」
シート位置と室内のミラーの確認をして、シートベルトを締める。
エンジンをかけた拍子に、再びバックミラーに写る自らの顔に、思わず声をかけてしまう。
「お前は西条……西条太郎、人間だ! ……うん。 俺は、なんにも変わっちゃいない……」
視線をフロントガラスへと戻し、俺はフットブレーキを解いて、目的地に向けてハンドルを切ると同時に、ゆっくりアクセルを踏み込んだ。
◆◇
車を有料駐車場へと停めた俺は、薄暗い街灯が等間隔に並ぶ道を、一人歩く。
途中から、緩やかな坂道に差し掛かる。
俺は迷わずに、その道を登って行く事約十五分。
静かな物音の中に、徐々に荒くなる自らの息遣いだけが、響く気がした。
鼻腔の奥まで届く、木々の匂いがする空間を抜け、俺は少し開けた場所にたどり着く。
右ポケットからスマホを取り出し、リダイヤル履歴から目当ての番号を探して、通話ボタンをタップする。
(トゥルルルル……トゥルルルル………チャッ)
決まって三度目の呼び出し音の前に出る相手。
「……只今、現着」
「了解した。近くに監視班が……」
「いつも通りいるって事で。 毎度手回しが、行き届いてて、こちとら、感謝感激雨あられってとこですよ」
相手の言葉をさえぎり、俺は皮肉で返す。
妻には伝えていない、本当の……仕事。
これから始まるのは、紛れもない命のやり取り。
憎まれ口の一つも言いたくなる。
「油断は禁物だ。 ……周囲に、一般人の侵入はさせないよう、配置は完了している」
「とかなんとか言って、しっかり空からドローンで録画してんでしょ? ったく、俺にももう少し、組織の事、開示してくれても……」
言葉の途中で、周囲の温度が下がっている事に気付く。
「お出ましみたいです。 それじゃ」
俺は通話をやめ、スマホをポケットへと戻す。
それまで感じていた、太陽からの残り香が消え、自分の呼気から白い物が吐き出される。
目の前に集まる黒い靄(もや)。
俺は右足を少し後ろに引いて、両ひじを曲げ、脇を締めて胸の前で拳を握り込む。
集まり出した靄(もや)は密度を高め、凝縮し……霧散した。
目の前に現れたのは……怪異。
身の丈で言えば、三メートルといった所か。
赤銅色に包まれた体躯(たいく)。
ご丁寧に、鉄で出来たような太い棒まで右手に握っていた。
空想上の鬼。
それが俺の目の前に具現化している。
『我らの贄(にえ)はどこぞ?』
毎回慣れない、頭に直接響く声。
俺は何も答えない。
『約定(やくじょう)の、贄(にえ)はどこぞ……』
こいつら怪異は、いつも同じセリフから伝えてくる。
俺は肩をすくめ、目の前の鬼に対し、言葉を投げつける。
「うるせえチンピラ。 てめぇの惚れた恋女房、はいそうですかと差し出すバカは、いねぇだろうがっ!」
思わず口から出た啖呵(たんか)だが、そのすぐ後、気付かれないように俺は、ゴクリと生唾(なまつば)を飲み込んだ。
『人ごときに……なにが出来ようぞ!』
目の前の鬼が、右手に持った金棒を振り上げ、こちらへと走り出す。
(まずっ!)
想定よりも早い接近。
振り下ろされる金棒を、俺はやっとの思いで右にかわす。
が、鬼も急停止するや、こちらに振り返ると同時に左手を伸ばし、俺の左腕をがっしりとつかむ。
「痛っ! 離せっ! このバカチンがっ!」
俺は動く手足を盲滅法で鬼の腕に叩きつけるが、鬼にはまったく効いてる気配が感じられない。
『所詮(しょせん)、人など我らからすれば塵芥(ちりあくた)……贄(にえ)の在り処(ありか)は、匂いをたどれば済むことよ……人間よ……自らの不明を嘆(なげ)いて、この地で果てよ』
勝利を確信し、下卑た笑みを俺に向ける鬼。
右手の金棒を捨て、鬼は俺の左手にその空いた手を添えて、まるで雑巾を扱うかのごとく、両手につかんだ左手を、前後に絞(しぼ)り上げてきた。
「っ!う……うぅぅぅぁああああああっ!」
(ぶちっ!)
「あああああっ……」
脳天を突き抜け、意識が飛びそうになるほどの激痛が左腕から広がる。
「あああああっ……はあっ、はあっ……」
左腕になんとか目を移すと、左ひじの先が消失している事を知った。
吹き出る鮮血。
視界がチカチカと点滅しているように感じる。心臓の鼓動に合わせて走る痛み。
『どうじゃ……ぬしら人は、我らにとって土塊(つちくれ)程度の存在……慈悲を乞うても許さぬがの……』
完全に自らの優位を確信したが故(ゆえ)の、脳内に響く言葉。
鬼は、俺のちぎり取った左ひじから先を遠くへと投げ捨て、前かがみになって動けない俺の身体を、その両腕で抱き上げ、その胸へと抱きしめた。
「ぐぼぉっ!」
俺の口から吐き出された吐瀉物(としゃぶつ)。 詰まる息。 きしむ骨。
羽交い締めにして、そのまま絶命させるつもりなのは、嫌でもわかる。
だが……こいつは知らない。
俺には、ただの人間には無い奥の手がある。
『ほうれ!この呪縛から……逃れてみよ!ほうれ!」
苦しさの中で見上げた先にある鬼の表情には、愉悦(ゆえつ)さえ浮かんでいる。
「……なぁっ! どうせ死ぬなら、俺を倒す相手の顔くらい……最後に近くで、見せてくれよ……」
俺は最後の願いとばかりに、自分に出来る、精一杯情けない表情を浮かべ、鬼へと声をかけた。
鬼は口から上あごから太い二本の牙を見せ、高らかに笑いながら、羽交い締めを緩め、俺の身体を抱きしめたまま、その顔を俺へと寄せる。
(勝機!)
俺は鬼の鼻先で大口を開けて、その鼻に噛みつき、思い切りかじり取った。
『ぬぅあああああっ!』
叫ぶ鬼の声が闇夜に響く中、俺は口の中の肉片をグチャグチャと咀嚼し、ゴクリとのどを鳴らす。
たまらず抱きしめていた俺を離し、その両腕で、鬼が顔面を押さえだす。
「いだい……このバカ野郎がっ!はあっ、はあっ……こっからは俺の番だ、コラッ!」
俺は鬼の左ふくらはぎを見定めダッシュをかける。
(動きを、止めるっ!)
素早く鬼の足を両腕で抱きしめ、勢いのまま、ふくらはぎへとかぶりつく。
それを手始めに、隙を見つけてはあちこちの部位を、目につく限りがむしゃらに貪(むさぼ)りつく。
その肉の味は……形容しがたい。美味いはずもない。
ただ、いくら怪異の肉を飲み込んだ所で、満感(ぼうまんかん)は無く、軽い胸焼けだけが余韻を残すだけ。
そうしている内に、ふと意識を自分の左腕へと向けると、ちぎり取られたひじから先が、いつの間にか復元している。小さな傷さえ残さずに。
いつの間にか、身体の動きも冴えてくる。
その場で幼児のように暴れる鬼。
その背中に回り込んだ俺は、両手で鬼の左腕へと飛び上がり、なんとか肩へと指先を伸ばして、更に上へとしがみつく。
目の前にある鬼の首。
なんとか振りほどこうと、めったやたらに拳を叩きつけてくるのも構わず、俺は深く深呼吸をして、その首元めがけ、精一杯口を開いて、上下の歯を深く深く突き立てた。
(ファイナル……バイトってか!)
ちぎり取った首元の肉。
鬼から飛び降り、吹き上がる鮮血の中、俺はひざまずく鬼に向かって、声をかけた。
「人の大事なもん狙うなんざ……百年早いんだよっ! 正直、お前の事なんざぁこれっぽっちも食いたくはねぇんだが……これも因果(いんが)だ。 骨一つ残らず頂くわ。 安心しろよ。」
『ぎ……ぎざま……もしや我らと……』
言葉の途中で、俺は鬼の頭を、右足を回して力一杯蹴り飛ばした。
「お前たちなんかと一緒にすんじゃねぇやっ! ったく、これだから怪異なんてのは……とにかく! お前は俺に、これから美味しく……かどうかは別問題だが、いただかれるんだから……覚悟しろよ!」
俺はニヤリと広角をあげ、少し震えたように見える鬼へとゆっくり歩み寄ってゆく。
……最悪のフルコースを片付けた俺は、身体についた怪異の血を見て頭を振りつつ、自家用車のある有料駐車場へと戻った。
車の横には、いつものように黒いスーツとサングラスをした一人の男が立っている。
「……ご苦労様でした」
その男から差し出された、今着ている、汚れた作業着と同一の一揃えと、裸のままの現金三万円。
「命かけてる割には、安くない?おれ、いっつも疑問なんだけど」
「私は、指示された通りの事だけしか出来ませんから……」
俺の苦情に表情も変えず、男が答える。
このやり取りも何回目だろうか。
「んじゃ、帰りますよ?」
黒スーツの男が、黙ってこちらを向いて腰を折る。
俺は車を動かして料金を運転席から支払い、鈍い痛みを抱えたまま帰路に着いた。
◇◆
「着替えよし。匂い消しもブリ撒いた。 コンビニで買ったデザートも……よしっ! って、浮気の偽装工作みたいで、何か後ろめたくなんだよな……」
ブツブツ車内で言いつつ、俺は車から降りて家まで歩く。
途中で着替え、血の匂いを霧散させ、荒れた心を現実に引き戻す為の、儀式となったコンビニでの買い物。
今日は、二つ入ったイチゴのショートケーキだ。
俺がこのような行為を、毎夜おこなっている事を、妻は知らない。
出来れば、ずっと知らないままでいて欲しい。
一緒になる前に、互いの家族と共に出かけた先での、不幸な事故。
両親を亡くし、悲しみに暮れていた日々。
俺はそこで、謎の声によって、この不思議な力を授かった。
怪異を……食い破り、滅する力。
また、それに付随して、自らの肉体が復元する能力。
どうせなら、超絶的な能力を授けてくれれば楽だったのにと、声の主に愚痴の一つも言いたくなるが……
その後、少し間を置いて俺へと接触してきた謎の組織。
未だに不明な点だらけだが、今はこいつらも、大事な収入源だ。
わかっている事は一つだけ。
俺の妻が、不思議なものに狙われている事。
やっと笑顔を見せるようになった妻を、傷つけ、悲しませるものは許さない。
……絶対に。
俺は改めて誓いを胸に刻み、自宅の玄関の鍵を開けた。
「わふっ!」
「お〜!茶々〜!出迎えご苦労様!ママは?」
靴を脱ぎながら茶々丸を撫でる俺に、居間の方から声が届く。
「お帰り〜!今日は何買ってきたの〜!」
「ん? じゃじゃん! イチゴショートなり〜!」
見えてもいないのに、俺は右手に持った小さなビニール袋を、高々とその場で上げた。
「茶々に生クリームあげちゃダメよ〜!」
「わかってるって! な、茶々?」
すでにその場でグルグルと回り始める茶々丸。
「さて、まずは朝の散歩かな?」
朝日の登り始める頃、俺たちの夕刻が始まろうとしていた。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
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