胸に灯る
ー/ー この国には、死んだ者を蘇らせる神の力の通り道━━『神道(しんどう)』がある。
神道が太い土地では多くの死者が蘇り、細い土地ではその奇跡はまばらにしか起こらない。
一度死んだ魂は、神の国へと続く魂の川に還る。
神はその川から魂を掬い上げ、気まぐれに人の身体へ返す。
そうして蘇った者は、けして完全な『その人』ではない。
それでも人は、それを救いと呼ぶ。
たとえ、魂の形が変わっていても。
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森の中、一歩踏み出すごとに、枯れた葉や草が乾いた音を立てた。
深くかぶったフラップキャップの下で、男は首元を少し引き寄せる。くたびれた長い外套の裾を、冬の風がかすめていった。
「街まで……あと一息だな」
胸ポケットから取り出したコンパスは、指先にひやりと冷たかった。
男は地図とコンパスを見比べてから、空を見上げる。
太陽はもう、昼過ぎの辺りにあった。
白い息を吐き、男は再び歩き出した。
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森を抜けると、道の先に小さな街が見えてきた。
街の入り口までたどり着くと、門番に「身分証を」と言われた。
男は外套のポケットから、手のひらほどの金属板を出して渡す。
門番はそれを、脇の金属箱の上に置き、「手を」と促す。
男が手袋を脱ぎ、箱の表面に刻まれた手形の上へ手を置くと、身分証が青く光った。
「名は?」
「クロード」
「えらく遠くから来たんだな」
クロードはまぶかに被ったフラップキャップのつばをわずかに持ち上げた。
白銀の髪がのぞき、くすんだ灰色の瞳が影の奥から現れる。
長身痩躯のその姿は、くたびれた長い外套も相まって、いかにも長く旅をしてきた者のものだった。
「故郷を出てから旅をしている」
「そうか。入ってよし」
返された身分証を受け取り、クロードは思い出したように尋ねた。
「術具を直せる店はあるか?」
「ここは術具師の街だからな。色んな店がある。どんな物を直すんだ?」
クロードは腰のポーチから、小さな金属製の道具を取り出して見せた。
それを見た門番は、少し考えてから言った。
「火付けの術具か。こういうのなら、噴水広場の西側に入った先の術具屋かな。値は張るが、腕はいい」
「そうか。行ってみるよ」
クロードは建物の並ぶ方へ歩き出した。
太陽が傾く方角に、温水を湧かせる噴水の広場があった。冬の冷たい空気にさらされ、湯気が絶えず立ちのぼっている。
クロードは広場を見回し、西側の商店が並ぶ方へ進んだ。
パン屋、肉屋、野菜や果物を売る店。さらに進めば、衣料品店や靴屋もある。
クロードは看板を見上げながら歩き、やがて術具屋の前で足を止めた。
扉の脇の表札には、ギルドの紋章と店名が刻まれている。
ドアを開けると、カランカランとベルが鳴った。
店内を見回すと、棚にはさまざまな術具が並べられていた。
安いものでも銀貨五枚以上はする。
クロードは棚の火付けの術具をひとつ手に取り、蓋を開けた。
ぽっと小さな火が灯る。
「いらっしゃい。何かお探しかね?」
店の奥から、店主らしい男がカウンターへ出てきた。
クロードは蓋を閉じ、商品を棚へ戻す。
「あんたが、術具の修理ができると聞いて来た」
「修理か。品による。貸してみろ」
クロードは腰のポーチから火付けの術具を取り出し、店主に渡した。
「えらく古いな。買い替えた方が早いぞ」
店主はそう言いながら眼鏡をかけ、作業台の引き出しから小さな工具を取り出した。
ねじをゆるめ、外側の金属ケースを外す。
中には、透明で丸く平たい赤い石が収まっていた。
店主は置き型のルーペを引き寄せ、石の表面に刻まれた術式を覗き込む。
それを見た店主は、手を留めて首を振った。
「こいつは俺には無理だ」
「直せない?」
クロードは顔を上げた店主に問うた。
「ああ。この術式は、俺の友人の術具師のものだ。俺には扱えん」
「店の品とは違うのか」
「違う。精密な術式なら俺もやる。だが、こんな式を組むのはあいつだけだ。あいつは天才だ」
「そうか……」
店主はカウンターの中から出てくると、棚の品を手で示した。
「俺の作も、なかなかのもんだぞ。どうだ?」
勧められた棚の値札をちらりと見て、クロードは遠慮するように片手を上げた。
「いや、やめておこう。ここの品は、俺には高級品だ」
店主は眉を上げ、それから「ははっ」と笑った。
「これを作った術具師は、もういないのか?」
「……いや。引退したよ」
「そうか」
返された火付けの術具をしばらく見つめ、クロードは踵を返した。
「そいつ、大切な物なのか?」
店主の言葉に、クロードは足を止めて振り返る。
「ああ。そうだ」
店主は腕を組んだまま少し黙り、それから口を開いた。
「出て右へ行くと橋がある。その先にほったて小屋がある。そこへ行け」
「引退してるんだろ?」
「新しい術具を作ってないだけだ」
「そうなのか」
店主は少し難しい顔をして、鼻を鳴らした。
「あいつに会ったら、俺がたまには飲みに行こうと言っていたと伝えてくれないか」
「……分かった」
━━━━━ * * * * * ━━━━━
店主に教えられた通り、クロードは石畳の道を進んだ。
路地では子どもたちが遊び、石畳の上にチョークで絵を描いている。
クロードは足を止め、その絵を見た。
「術具の式か」
「お、兄ちゃん、分かる?」
「さすが術具師の街だな」
「俺、大人になったら術具屋をやるんだ」
「そうか。頑張れ」
頭を撫でられた少年が、嬉しそうに笑う。
「この先の街外れに、すごい術具師がいるんだよ」
「そうか」
「俺、その人に何回も弟子入りを頼んだけど、全然取り合ってくれなかった」
クロードは少し興味を引かれ、少年に目線を合わせるように腰をかがめた。
「引退したと聞いた」
「うん……昔、術具の研究中に爆発が起きて、奥さんと子どもを亡くしたんだって」
うつむいた少年を見つめ、クロードは「そうか……」と呟いた。
「でも、俺、諦めない。絶対弟子入りして、すごい術具を作るんだ」
「……頑張れ」
「うん」
背中に少年の声を残したまま、クロードは街外れを目指して歩き出した。
小さな橋を渡ると石畳は途切れ、砂利道の先に、林を背にした小さな小屋が見えてきた。
「……あれか」
近づくと、小屋の向こうに焼け焦げた家の跡があった。
崩れた木材は黒く煤けたまま、長い間手を入れられた様子もない。
「……」
クロードは視線を小屋へ戻し、ドアを叩いた。
何度か叩いてみたが、返事はない。
「留守か」
手を下ろして辺りを見回した、その時だった。
「誰だ」
後ろから声がした。
振り返ると、がっしりした体つきの背の高い男が、木の陰から姿を現した。
「ここの術具師か? 修理を頼みに来た」
「街の術具屋に言え」
「あんたでないと直せないと言われた」
クロードが腰のポーチから火付けの術具を取り出して見せると、男は無精髭の生えた顎に手をやり、目を細めた。
「……来な」
開けられたドアの向こうへ、クロードは男の後について入った。
小屋の中には、ベッドと煤けたチェスト、作業台があった。暖炉の上には、ガラスの割れた写真立てが置かれている。
クロードは何も言わず、チェストの表面に指を這わせた。指先に煤がつき、黒く汚れる。
「懐かしい…な」
男は火付けの術具を開き、中の透明な赤い石を取り出した。表面に刻まれた術式をランプの光に透かし見て、低く呟く。
「やっぱり、あんたが作ったのか」
「ああ。まだ若造だった頃にな」
「街の術具師は、あんたのことを天才だと言っていた」
男はそこでようやく手を止めた。
クロードを見たあと、視線を外すように足元へ落とす。
「そんなんじゃねぇ」
男は唸るように言った。
赤い石を撫でる指先には、遠い昔の感触がまだ残っているようだった。
「あの頃の俺は……天才だなんだと言われて、いい気になってたんだ」
おぼろげに浮かぶのは、戻らない頃の光景だった。
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林の側の家から、小さな子どもの笑い声が聞こえてくる。
裏庭で洗濯物を干し終えた女が、子どもの手を引いて家の裏手にある工房へ入ってきた。
「おとーちゃん、まだお仕事してるのー?」
無邪気な声に、作業台へ向かっていた若い男が顔を上げる。
子どもはそのまま駆け寄って、男の手元を覗き込んだ。
「こら。危ないぞ」
「だって今日はお昼から山いちごを採りに行こうって約束したじゃん。早く行こうよ」
「ははっ、そうだったな。どれ、ちょっと待ってろ」
男はそう言って、透明な赤い石に術式を刻む手を止め、子どもに笑いかけた。
「あなた、あまり遅くならないようにしてね」
「ああ。分かってるよ」
男は石を作業台のミニチェストにしまい、作業用のエプロンを外した。
山道を、子どもと二人で登っていく。
水音のする岩場の茂みをかき分けると、赤い実がいくつもなっていた。
「すごーい!! いっぱい!!」
「山いちごは、こういう水の湧く場所の近くによく生えるんだ」
「いっぱい摘んで、おかーちゃんにジャム作ってもらうんだー」
「そうだな。たくさん摘んで帰ろう」
「うん!!」
子どもの笑顔に、男もつられるように笑った。
籠いっぱいの山いちごを持ち帰ると、子どもは誇らしげに母親のもとへ駆けていった。
その背を見送り、男は工房へ戻る。
作業台の脇に積み上がった紙の束には、細かな術式がびっしりと書き込まれていた。
それを一枚ずつ見返していた男は、ふと何かを思いついたように、手元の紙へ新たな式を書き足していく。
そうしているうちに日は落ち、工房の中は薄闇に沈んでいった。
それでも男は、術式の研究に没頭し続けていた。
翌日、街へ出た男は、噴水広場に店を出している友人のもとを訪ねた。
「よう。久しぶりだな」
「ああ。新しい術具を作った。鉱山の発破に使える」
男が差し出した筒状の術具を、友人は「ほう」と受け取る。
先端にはめ込まれた石に刻まれた術式を、懐から取り出したルーペで覗き込んだ。
「見たことのない式だな」
「新しく組んだからな」
友人はルーペをしまい、術具を返した。
「本当にお前は天才だな。そのうち大聖堂都市のギルドから声がかかるんじゃないのか?」
「ははっ。お前の術具だって、十分すごいじゃないか」
「俺は、精密な物は作れても、お前みたいに新しいもんを生み出すのは俺には無理だ」
そう言って友人は肩をすくめて首を振る。
「店を構えるんだって?」
「ああ」
友人は照れくさそうに鼻の下をこすった。
「嫁さんももらったことだしな。この術具師の街に根を下ろそうと思ってる」
「そうか」
「ああ」
持って来たいくつかの品を友人に渡し、男はこれまでの売上金を受け取った。
「いつも店に置いてもらって、悪いな」
「いいさ。似たような品ばかり並ぶより、バリエーションがあった方が客も喜ぶ」
友人はそう言って、受け取った品を手慣れた様子で棚へ並べていく。
「じゃあ、また来るよ」
「もう帰るのか。たまには一緒に飲みに行こうぜ」
「ああ、また今度な」
夕食のあと、術式を書きつけたメモを眺めながら、男は「大聖堂都市のギルド……か」と小さく呟いた。
あの大きなギルドの研究員になれれば、潤沢な研究費も、大がかりな実験設備も手に入る。
妻や子どもにも、今よりずっと良い暮らしをさせてやれるはずだ。
「あなた、また仕事のこと考えてるの?」
「ん? ああ」
「本当に研究が好きね」
「これしか取り柄がないからな」
妻は苦笑して、「ま、私はそんなあなただから好きになったんだけどね」と言った。
男が何か返そうとした、その時。
作業台の端で、かちりと何かが噛み合う音がした。
振り向く。
筒状の術具を抱えた子どもが、きょとんとこちらを見ていた。
先端の石が、赤く、脈打つように明滅している。
男の喉が、ひゅっと鳴った。
「それを──」
言い終える前に、妻が駆けた。
子どもを庇うように抱き寄せる、その背が見えた。
閃光。
何もかもが、そこで途切れた。
次に男が見た時、家は全壊し、工房は半ば吹き飛んでいた。
壁は崩れ、梁は折れ、火の粉が静かに落ちてくる。
男の周囲だけを、青白い防御術式が薄く包んでいた。
妻も、子どもも、もう動かなかった。
男だけが、無傷でその場に残されていた。
━━━━━ * * * * * ━━━━━
クロードは男の話を聞きながら、暖炉の上の古い写真立てに目をやった。
「蘇生は……しなかったのか?」
男は苦しそうに眉を寄せた。
「もちろん、すぐに助祭を呼んださ。だが……この土地の神道はもう細い。神の御力(みちから)は、ほとんど届かん」
「……そうか」
男は作業台の上のミニチェストから、透明な赤い石を取り出した。
クロードの火付けの術具に使われていたものと、同じ術式が刻まれている。
「お前さん、なんでこんな古いのを使ってるんだ? 街にもっといい物が売ってただろう」
「それは……」
クロードは作業台の上で解体された火付けの術具を見た。
「旅立つ時に、父親から貰った」
「健在なのか?」
「……一度、蘇生している」
「そうか」
男はその石を術具の金具に留め、ケースを元に戻した。
蓋を閉じ、もう一度開く。ぽっと小さな火が灯る。
「スペアの石だが」
男は火付けの術具をクロードへ放ってよこした。
クロードはそれを受け取り、蓋を開けて火がつくことを確かめる。
「いくらだ?」
「古い……古い石だ。金なぞいらん」
「……じゃ、ありがたく」
クロードはそれを腰のポーチにしまった。
その時、どんどんとドアを叩く音がした。
「ししょー!! 師匠!! いる? パン持ってきたよ!! 開けてよ師匠!!」
街で術式を石畳に描いていた少年の声だった。
「今日こそは俺を弟子にしてよ!! 師匠!!」
威勢のいい声に、男がやれやれと頭を振る。
クロードは口元をわずかにゆるめ、ドアを開けてやると、少年が前のめりで入って来た。
「観念して弟子でも取ったらどうだ?」
「さっきの兄ちゃん!!」
「全く、お前は喧しくて仕方ない」
男はため息をついたが、その顔にはかすかに笑みが浮かんでいた。
「俺の子が育っていれば、ちょうど……こいつくらいだろうな……」
男はチェストを開け、少し小さなエプロンを少年へ放った。
「……え?」
「どうした? 俺の弟子になるんだろう?」
「え……? えっ!?」
目を丸くして立ち尽くす少年を見て、クロードは笑みを深くした。
「ああ、そうだ。街の術具師が、たまには一緒に飲もうと言っていた」
「そうだな。たまにはいいかもな」
「噴水広場の飲み屋に金を預けておく。修理の礼だ。好きなだけ飲んでくれ」
小屋のドアをくぐり、クロードは空を見上げた。
遠くの空は、夕焼けに赤く染まっている。
夕闇が冷たい風を運んできて、首筋を守るように外套の襟を寄せた。
「今日は久しぶりに宿屋に泊まるか」
背後では、騒がしくなった術具師の家から少年のはしゃぐ声が聞こえてくる。
それを背に、クロードはゆっくりと歩き出した。
夕暮れの空へ、白い息がひとつ溶けていった。
━ 終 ━
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