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【2】

ー/ー



「貴幸さんの言うとおり、私の家で『母ちゃん』なんて言葉を使わないのは間違いないわ。テレビくらいでしか聞いたことない。だから、──その、言葉は悪いけどそういう家で生まれて、今の両親に引き取られたんじゃないのかな、って」
「さっきは両親の名前だ、ってだけで頭がいっぱいになっちゃったんだけど。特別養子縁組? っていうの? 本当の親とは完全に縁が切れて、新しい親の子どもになるってテレビで観たことあるわ。私もそれってことはないかしら」
 ふと思いついて告げた藍に、貴幸は静かに首を振った。

「実際に確かめるまでは、って黙ってたけど、その場合も『養子縁組』の文字はなくても民法第何条~みたいに書かれててわかるらしいよ」
 藍が思い当たる程度のことは、貴幸も想定して調べていてくれたらしい。
 役所に来る前に、彼がスマートフォンを触っていたのはこのためだったのだろうと今になって気づいた。

「でも、もしかしたら何か方法があるのかもしれない。貴幸さんのお家もそうだけど、お金も、──そういう普通じゃ無理な力みたいなのもあるんじゃないかと」
 往生際悪く言葉を重ねる藍に、貴幸は少し呆れたように返して来た。

「藍、そこまで行ったらもう妄想の世界だよ。なんとか自分の思い付きに現実を当て嵌めようとしてるみたいだ。誰が産んだかとか、戸籍の記載まで歪める権力なんてないんじゃないかな」
 反論はしないものの、藍が完全に納得してはいないのも承知なのか。貴幸は仕方なさそうに話を続ける。

「えーと、あくまでも仮定として聞いて欲しいんだけど。もし君が、お父さんがその、外で作った子どもだとして、引き取るなら生まれてすぐじゃないかな?」
「……あ」
「自分たちの子として育てるつもりがあったのなら、言葉が話せるようになるまで産みの母親の元にそのままなんて考えられない。興味がないならお金で片付けて放っておくんじゃないか? ……くれぐれも藍のお父さんを貶める意図はないからね」
 遠慮がちに、時々口籠りながらも貴幸が話す内容は、藍にもすんなりと理解できた。
 先ほど藍自身が口にしたように、相手が階層の違う家の人間だとしたら、確かに無策で放置しておくとは思えない。

「その通り、だと思う。もしお母さまに子どもができなくて、お父さまが他所の女の人とって話ならすぐに取り上げる筈だわ。最初からそのつもりなんだろうし」
「……こういうのってどうすべきか、何が正しいかの問題じゃないからさ。でもシンプルに考えたらそうなんじゃないかな」
 跡継ぎが目的なのだから、まったく関係のない他人の子を養子にするくらいなら、血縁的に親戚から貰うことを考えるのではないか。
 だからこそ貴幸も、最初から「藍の父の婚外子」を想定して話したのだろう。

 そもそも落ち着いて思い返せば、家には藍が生まれてすぐからの写真があるのだ。その時点で「生後間もなく引き取った」のでなければ、藍の仮説は成り立たない。
 解決したとは到底言えないものの、とりあえず藍もこれ以上突飛な空想に固執するつもりはなくなった。


    ◇  ◇  ◇
 今日、貴幸と約束して会った本来の目的は、藍の母方の祖母が暮らすホームを二人で訪れることだった。
 区役所を経由したことで想定より遅くはなってしまったが、祖母には明確な時間は告げていないので問題はない。

「おばあちゃま、こんにちは。なかなか来られなくてごめんね」
「いいのよ、来てくれて嬉しいわ」
 広々とした居室に通されて挨拶した藍に祖母は喜びを表していたが、斜め後ろに立つ貴幸を見て不安そうな表情を浮かべた。

「……その方はどなた?」
柏木(かしわぎ) 貴幸さんよ。私、来年大学卒業したらこの人と結婚するの。以前お話してたでしょ? お式に来てもらえるといいんだけど。どちらにしても一度会ってもらおうと思って」
「だめよ、紫子。あなたは俊博さんと結婚するんですから! ごめんなさいね、紫子。お父さまのためにお願い……」
 藍の説明を聞いた祖母は、いきなり取り乱して声を上げたかと思うと俯いて詫びる言葉を繰り返す。

「どうしたの? 私は藍よ、お母さまじゃな──」
 わけもわからずに否定し掛けた藍を、貴幸が肩に手を置いて止めた。咄嗟に見上げた彼は、神妙な表情で首を左右に振っている。

「すみません、今日は失礼しますね」
 貴幸は祖母に暇を告げて、藍の手を引いて部屋を出る。案内してくれたスタッフに声を掛けて祖母の後を頼み、二人でその場を離れた。



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「貴幸さんの言うとおり、私の家で『母ちゃん』なんて言葉を使わないのは間違いないわ。テレビくらいでしか聞いたことない。だから、──その、言葉は悪いけどそういう家で生まれて、今の両親に引き取られたんじゃないのかな、って」
「さっきは両親の名前だ、ってだけで頭がいっぱいになっちゃったんだけど。特別養子縁組? っていうの? 本当の親とは完全に縁が切れて、新しい親の子どもになるってテレビで観たことあるわ。私もそれってことはないかしら」
 ふと思いついて告げた藍に、貴幸は静かに首を振った。
「実際に確かめるまでは、って黙ってたけど、その場合も『養子縁組』の文字はなくても民法第何条~みたいに書かれててわかるらしいよ」
 藍が思い当たる程度のことは、貴幸も想定して調べていてくれたらしい。
 役所に来る前に、彼がスマートフォンを触っていたのはこのためだったのだろうと今になって気づいた。
「でも、もしかしたら何か方法があるのかもしれない。貴幸さんのお家もそうだけど、お金も、──そういう普通じゃ無理な力みたいなのもあるんじゃないかと」
 往生際悪く言葉を重ねる藍に、貴幸は少し呆れたように返して来た。
「藍、そこまで行ったらもう妄想の世界だよ。なんとか自分の思い付きに現実を当て嵌めようとしてるみたいだ。誰が産んだかとか、戸籍の記載まで歪める権力なんてないんじゃないかな」
 反論はしないものの、藍が完全に納得してはいないのも承知なのか。貴幸は仕方なさそうに話を続ける。
「えーと、あくまでも仮定として聞いて欲しいんだけど。もし君が、お父さんがその、外で作った子どもだとして、引き取るなら生まれてすぐじゃないかな?」
「……あ」
「自分たちの子として育てるつもりがあったのなら、言葉が話せるようになるまで産みの母親の元にそのままなんて考えられない。興味がないならお金で片付けて放っておくんじゃないか? ……くれぐれも藍のお父さんを貶める意図はないからね」
 遠慮がちに、時々口籠りながらも貴幸が話す内容は、藍にもすんなりと理解できた。
 先ほど藍自身が口にしたように、相手が階層の違う家の人間だとしたら、確かに無策で放置しておくとは思えない。
「その通り、だと思う。もしお母さまに子どもができなくて、お父さまが他所の女の人とって話ならすぐに取り上げる筈だわ。最初からそのつもりなんだろうし」
「……こういうのってどうすべきか、何が正しいかの問題じゃないからさ。でもシンプルに考えたらそうなんじゃないかな」
 跡継ぎが目的なのだから、まったく関係のない他人の子を養子にするくらいなら、血縁的に親戚から貰うことを考えるのではないか。
 だからこそ貴幸も、最初から「藍の父の婚外子」を想定して話したのだろう。
 そもそも落ち着いて思い返せば、家には藍が生まれてすぐからの写真があるのだ。その時点で「生後間もなく引き取った」のでなければ、藍の仮説は成り立たない。
 解決したとは到底言えないものの、とりあえず藍もこれ以上突飛な空想に固執するつもりはなくなった。
    ◇  ◇  ◇
 今日、貴幸と約束して会った本来の目的は、藍の母方の祖母が暮らすホームを二人で訪れることだった。
 区役所を経由したことで想定より遅くはなってしまったが、祖母には明確な時間は告げていないので問題はない。
「おばあちゃま、こんにちは。なかなか来られなくてごめんね」
「いいのよ、来てくれて嬉しいわ」
 広々とした居室に通されて挨拶した藍に祖母は喜びを表していたが、斜め後ろに立つ貴幸を見て不安そうな表情を浮かべた。
「……その方はどなた?」
「|柏木《かしわぎ》 貴幸さんよ。私、来年大学卒業したらこの人と結婚するの。以前お話してたでしょ? お式に来てもらえるといいんだけど。どちらにしても一度会ってもらおうと思って」
「だめよ、紫子。あなたは俊博さんと結婚するんですから! ごめんなさいね、紫子。お父さまのためにお願い……」
 藍の説明を聞いた祖母は、いきなり取り乱して声を上げたかと思うと俯いて詫びる言葉を繰り返す。
「どうしたの? 私は藍よ、お母さまじゃな──」
 わけもわからずに否定し掛けた藍を、貴幸が肩に手を置いて止めた。咄嗟に見上げた彼は、神妙な表情で首を左右に振っている。
「すみません、今日は失礼しますね」
 貴幸は祖母に暇を告げて、藍の手を引いて部屋を出る。案内してくれたスタッフに声を掛けて祖母の後を頼み、二人でその場を離れた。