☆
ー/ー 上履きを回収した私は、まっすぐ保健室へと向かう。いつの間にか隣を並走していたゾグワンタに、私は前を向いたまま話しかけた。
「パジャマのポケットがなくなってた。あれってあなたのせい?」
「さあね」
「なにに使うの? あんな小さいポケット」
「別になんでもいいだろう。それより」と、黒猫は続けた。「この先は保健室だ。どこか具合が悪いのかい?」
「そうだね。悪いのかも」と答えて、たどり着いた保健室の扉を叩く。でも、返答はなかった。まだ先生が来ていないのかもしれない。壁にもたれながらうなだれると、ゾグワンタは私の足元に立ち、つんとすました顔で私を見上げた。
「教室へ行くよ、望結」
どうして私の名前を知っているのだろう。魔女だから、全部お見通しなのだろうか。私は投げやりになりながら言った。
「私の席なんて、ないも同然だよ」
「それなら帰るのかい?」
「帰れない。お母さんだってきっと期待してる。このまま通学できるようになってくれたらって望んでいるに決まってる」
ゾグワンタはしばらくの間、かわいらしく小首をかしげていた。やがてするりと私が気にしていることを並べ立てた。
「お前は誰のために学校へ来ているんだ。母親のためか? 違うだろう。やりたいことができると思ったからここを選んだんだ。どうして途中であきらめるのさ。横槍が入ったから? お前の夢とは、そんなもので潰えるほどヤワだったのかい」
「あなたに私のなにがわかるって言うの?」
「あたしは魔女だよ。お前の過去を見ることなどお安い御用なのさ」
ごまかすことさえ辛くて、私は黙り込む。脳裏には、忘れたい過去の出来事が否応なく再生され始めた。
愛莉と私は同じ美術部に入ったことで仲良くなった。クラスメイトではあったけれど、一度も話したことがないくらい接点がなかったのだ。でも一学期が終わる頃には、誰よりも一緒にいる時間が長くなっていたのだった。
夏休み、待ち合わせをしたファストフード店で彼女は私に訊ねた。
「望結は、どうして美術部に入ったの?」
「夢があったから」
「夢?」
「ちょっと長くなるけど、聞いてくれる?」
私は、思い出のなかにあるおばあちゃんの家の庭をキャンバスに残したいことを話した。おばあちゃんと約束したからだ。いつかプレゼントするから、と。
愛莉は涙を浮かべながら耳を傾けていてくれた。恥ずかしくて誰にも打ち明けられなかったから、ものすごく嬉しかった。
なのに彼女は、クラスの女子だけのグループメールに、こう流したのだ。
『自分語り女の相手って、ほんと疲れるよね~』と。
私はあえて返事をしなかった。自分のことだと認めたくなかったからだ。そして、ひたすら夏休みの課題に集中した。
最初に上履きを隠されたのは、九月上旬。初めは、誰かが間違えて取り出してしまい、あわてて隅っこに置いたのだろうと思っていた。でも、同じことが何度か続き、さすがにおかしいと感じ始めた。もしかしたらではなく、私を標的にした嫌がらせが行われているのだということに気が付いた。
真っ先に疑ったのは愛莉だった。一方通行の連絡、夏休みが明けてからのそっけなさが、すべてを物語っているようだった。私も意識的に彼女を避けるようになった。友達は他にもいたし、別に彼女がいなくても平気だと思うようになっていた。
そして十月。梅雨の頃に私が描いた紫陽花の絵が、地域の美術コンクールで入賞すると、愛莉は私をそこにいない人間として扱うようになった。すれ違っても無視。授業で同じグループになっても、絶対に話しかけてこなかった。
疑いが確信に変わった時、事件は起こった。美術準備室に置いていた描きかけのキャンバスがカッターで切り裂かれていたのだ。美術部員のキャンバスは他にもたくさんあったのに、私のものだけ。愛莉が犯人だと思った次の瞬間、過呼吸になって、私はその場にうずくまった。他の美術部員に付き添われながら保健室にたどり着いた。保健の東川先生はひだまりのようにとてもあたたかくて、そのやさしさが胸に染みた。もう学校には来られないと思ったけれど、東川先生がいるから、完全な不登校にはなりきれなかったのだ――。
「堂々としていればいいのさ」と、ゾグワンタがささやいた。「お前は悪くない。いざとなればあたしが魔法でなんとかしてやるから」
「猫連れの生徒なんて見たことないよ」
「心配ご無用。あたしの姿はお前にしか見えない。お守り代わりだと思えばいいのさ」
私は無言のままゾグワンタを見つめた。目も耳も口も垂れ下がった、お世辞にもかわいいとは言えない黒猫。本人曰く、大魔法使いなのだと言う。私は当てが外れてボロボロだった。だからこの際、騙されてもいいような気がした。
「本当にそばにいてくれる? 放課後までずっと?」
「放課後には、保健の東川先生に相談に行くんだろう? 悪魔と契約をしてしまったかもしれないとね」
「悪魔だなんて思ってない。それにもう、相談しなくていいよ……」
私は口のなかでもごもごと答えながら前方に目を向ける。と、そこに、愛莉がいた。愛莉は目を丸くしながらこう言った。
「へえ、学校、来られるんだ」
私は、逃げるようにその場から立ち去った。
「パジャマのポケットがなくなってた。あれってあなたのせい?」
「さあね」
「なにに使うの? あんな小さいポケット」
「別になんでもいいだろう。それより」と、黒猫は続けた。「この先は保健室だ。どこか具合が悪いのかい?」
「そうだね。悪いのかも」と答えて、たどり着いた保健室の扉を叩く。でも、返答はなかった。まだ先生が来ていないのかもしれない。壁にもたれながらうなだれると、ゾグワンタは私の足元に立ち、つんとすました顔で私を見上げた。
「教室へ行くよ、望結」
どうして私の名前を知っているのだろう。魔女だから、全部お見通しなのだろうか。私は投げやりになりながら言った。
「私の席なんて、ないも同然だよ」
「それなら帰るのかい?」
「帰れない。お母さんだってきっと期待してる。このまま通学できるようになってくれたらって望んでいるに決まってる」
ゾグワンタはしばらくの間、かわいらしく小首をかしげていた。やがてするりと私が気にしていることを並べ立てた。
「お前は誰のために学校へ来ているんだ。母親のためか? 違うだろう。やりたいことができると思ったからここを選んだんだ。どうして途中であきらめるのさ。横槍が入ったから? お前の夢とは、そんなもので潰えるほどヤワだったのかい」
「あなたに私のなにがわかるって言うの?」
「あたしは魔女だよ。お前の過去を見ることなどお安い御用なのさ」
ごまかすことさえ辛くて、私は黙り込む。脳裏には、忘れたい過去の出来事が否応なく再生され始めた。
愛莉と私は同じ美術部に入ったことで仲良くなった。クラスメイトではあったけれど、一度も話したことがないくらい接点がなかったのだ。でも一学期が終わる頃には、誰よりも一緒にいる時間が長くなっていたのだった。
夏休み、待ち合わせをしたファストフード店で彼女は私に訊ねた。
「望結は、どうして美術部に入ったの?」
「夢があったから」
「夢?」
「ちょっと長くなるけど、聞いてくれる?」
私は、思い出のなかにあるおばあちゃんの家の庭をキャンバスに残したいことを話した。おばあちゃんと約束したからだ。いつかプレゼントするから、と。
愛莉は涙を浮かべながら耳を傾けていてくれた。恥ずかしくて誰にも打ち明けられなかったから、ものすごく嬉しかった。
なのに彼女は、クラスの女子だけのグループメールに、こう流したのだ。
『自分語り女の相手って、ほんと疲れるよね~』と。
私はあえて返事をしなかった。自分のことだと認めたくなかったからだ。そして、ひたすら夏休みの課題に集中した。
最初に上履きを隠されたのは、九月上旬。初めは、誰かが間違えて取り出してしまい、あわてて隅っこに置いたのだろうと思っていた。でも、同じことが何度か続き、さすがにおかしいと感じ始めた。もしかしたらではなく、私を標的にした嫌がらせが行われているのだということに気が付いた。
真っ先に疑ったのは愛莉だった。一方通行の連絡、夏休みが明けてからのそっけなさが、すべてを物語っているようだった。私も意識的に彼女を避けるようになった。友達は他にもいたし、別に彼女がいなくても平気だと思うようになっていた。
そして十月。梅雨の頃に私が描いた紫陽花の絵が、地域の美術コンクールで入賞すると、愛莉は私をそこにいない人間として扱うようになった。すれ違っても無視。授業で同じグループになっても、絶対に話しかけてこなかった。
疑いが確信に変わった時、事件は起こった。美術準備室に置いていた描きかけのキャンバスがカッターで切り裂かれていたのだ。美術部員のキャンバスは他にもたくさんあったのに、私のものだけ。愛莉が犯人だと思った次の瞬間、過呼吸になって、私はその場にうずくまった。他の美術部員に付き添われながら保健室にたどり着いた。保健の東川先生はひだまりのようにとてもあたたかくて、そのやさしさが胸に染みた。もう学校には来られないと思ったけれど、東川先生がいるから、完全な不登校にはなりきれなかったのだ――。
「堂々としていればいいのさ」と、ゾグワンタがささやいた。「お前は悪くない。いざとなればあたしが魔法でなんとかしてやるから」
「猫連れの生徒なんて見たことないよ」
「心配ご無用。あたしの姿はお前にしか見えない。お守り代わりだと思えばいいのさ」
私は無言のままゾグワンタを見つめた。目も耳も口も垂れ下がった、お世辞にもかわいいとは言えない黒猫。本人曰く、大魔法使いなのだと言う。私は当てが外れてボロボロだった。だからこの際、騙されてもいいような気がした。
「本当にそばにいてくれる? 放課後までずっと?」
「放課後には、保健の東川先生に相談に行くんだろう? 悪魔と契約をしてしまったかもしれないとね」
「悪魔だなんて思ってない。それにもう、相談しなくていいよ……」
私は口のなかでもごもごと答えながら前方に目を向ける。と、そこに、愛莉がいた。愛莉は目を丸くしながらこう言った。
「へえ、学校、来られるんだ」
私は、逃げるようにその場から立ち去った。
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