第22話 ごめんなさい
ー/ー 悪意を持って送り込まれた。なんとも不穏なイヴリンの語り草に表情を険しくしたのはヴィンセントだった。
「悪意、とは王国に対してでしょうか。それとも、イヴリン様に対してでしょうか」
ヴィンセントの問いかけにイヴリンは静かに頭を左右に振る。仔狼の頭を撫でながら、イヴリンは体を起こした。ソファに腰掛け直したイヴリンの膝の上に仔狼が再びのしかかる。イヴリンが仔狼の耳の後ろを掻いてやれば、ソファからはみ出している太い尻尾が嬉しそうにぱたぱたと揺れた。
「まだ悪意とも決まったわけではありません。ですが……この子のことや、その前のコリンのこともあります。しばらくは警戒するに越したことはないかと思っています」
イヴリンの言葉にその場の全員の視線がコリンに注がれる。
「ぼ……ぼく、ですか……?」
「そういやおちび、誘拐されたんだってな。誰の差し金かはわかったのか」
ガルドがヴィンセントに視線を向ける。その視線を受けたヴィンセントは腕を組んで難しそうな表情を浮かべた。
「誰も何も知らないのだそうだ。確かに大地の魔女の側仕え……コリン君の誘拐と、コリン君を使ってイヴリン様を害するという依頼は受けたらしい。だが、その依頼人の姿は見ていないのだと」
「どういうこった」
「顔を見せずに一方的に依頼を伝え、毒の塗られたナイフと前金を渡されたと話している。成功報酬は前金の百倍。王国銀紙幣にして百枚分だったそうだ」
ヴィンセントが背後に控える兵士に視線を向ける。その視線を受けた兵士の一人が壊れたおもちゃのように首を縦に振った。
コリンが救出された日の深夜。イヴリンは中にごく少量の液体が入った一本の小瓶を持ってヴィンセントの邸宅を訪れた。そして地下牢で待っていたヴィンセントと兵士に対して、それはそれは満面の笑みを向けて小瓶を手渡したのだった。
──こちら、私の手持ちの中で一番強力な自白剤です。一滴で十分です。
半信半疑で一滴。たったの一滴を無理やり開かせた口に落とした。
効果は覿面すぎるほどだった。一を聞けば百で返ってくる。それほどまでに強力だった。その薬の強力さを目の前で見ていた兵士が、恐怖とも憐憫ともつかない表情を浮かべて首を縦に振っていた。
「銀紙幣百枚とはまたどこの大貴族様か国王様か……景気の良いこった」
茶化すようなガルドの口ぶりにヴィンセントが眉間に皺を刻む。
「コリンの件とこの子の件は関連性があるのかないのか……それはまだなんとも言えません。ですが、同じようなことが再び起きてはいけませんので……辺境伯と兵士の皆さんにはルウシャとその周辺地域の警備の強化、冒険者組合には依頼内容や依頼人の精査をしていただきたいと思います。新しくルウシャに訪れた冒険者や行商人などに関しても身分証や冒険者タグ、商いの許可証の確認の徹底をお願いします」
全員が頷くのに、時間はいらなかった。
*
その後、イヴリンは自身の性別のことについては絶対に口外しないという約束を取り付け、小さな緑色の魔石があしらわれたブローチを全員に渡した。今回の大森林での魔物騒動に際して、魔女であるイヴリンに協力した事による感謝の証。そして、秘密を知る者ということでもあるために特殊な魔法の回路が刻まれているものだった。
簡単にイヴリンの秘密を口外してしまわないように、イヴリンの加護とも言うべき守護の魔法。他者からの悪意ある魔法を跳ね返す魔力が込められている魔石。
このブローチを受け取ったヴィンセントはイヴリンの加護、というだけで咽び泣いてしまいそうなほど感極まっていた。
全員が全員、話さずにいるという保証はなかった。魔石にもっと複雑な回路を刻み、そもそもイヴリンの話をしようという気が起きないように抑制をかけることもできた。けれどそれをせずにイヴリンは目の前の協力者を信じた。
自分から信じなければ、誰からも信じてはもらえない。
それはかつての師の元で、命の尊さの次にイヴリンが学んだことだったから。
*
客人が全員イヴリンの邸宅から帰った後。コリンは仔狼にぐしゃぐしゃにされたイヴリンの髪を丁寧に梳かしていた。イヴリンの髪をぐしゃぐしゃにした張本人である仔狼は部屋の一角に用意された柔らかな毛布の上で丸まってぐっすりと眠っている。
イヴリンの髪を梳かしながら、コリンはずっと一つのことを考える。
ぼくが勝手なことをしなければ、ご主人様の性別のことを知る人は増えなかったのに。
それは大森林から帰ってきてからずっとコリンの胸のうちに抱えていたこと。きゅ、とイヴリンの髪を握ると、僅かに頭を引っ張られたのか、イヴリンが振り返った。
「コリン?」
「あ、す、すみません……ご主人様……」
明らかにいつものコリンとは違うことを察してイヴリンは優しく微笑む。そうしてコリンをそっと抱き寄せて、自らの膝の上に座らせた。
「コリン。どうしたの」
両腕でしっかりと抱きしめられて、頭を優しく撫でられて。優しい口調がいつもと全く変わらないイヴリンのもので、コリンは消えてしまいたくなる。
「……ご主人様……」
「なぁに」
「……ごめんなさい……」
「謝らなくていいんだよ」
「ぼくが、勝手なことをしなかったら……ご主人様が……男のひとだってこと、知られなかったのに……」
「勝手なことじゃないよ」
イヴリンの言葉にコリンは身じろいでイヴリンと向き合う。優しい蜂蜜色の瞳が柔らかく細められながらコリンを見つめていた。
「コリンがあの子の声を聞いていなければ、あの子は討伐されていた。そうなっていたら、私もきっと後悔していたよ」
「……」
「コリン。誇ってほしいな。コリンは自分の意志で、こうしたい、こうしてほしいって言えたんだよ。これまで頑張って感情を学んできて、どんどんそれを言葉にできているんだよ」
「でも、でも……ご主人様がお怪我をして……」
「魔女の体は頑丈だから」
それはいつも徹夜を咎められたイヴリンが使う言い訳。けれど、今はそれがどうしようもないほど優しい許しのようにコリンには思えた。
呼吸ができなくなりそうなほどコリンの胸が締め付けられる。頭で考えるよりも先に、イヴリンの首に抱きついて、堰を切ったように謝罪を繰り返した。
「ごめんなさい、ごめんなさい……!ご主人様……!」
「いいんだよ。コリンが無事でよかった」
「ぼく、ぼく……ごめんなさい……!」
首にしがみついているコリンを抱きしめて、イヴリンはコリンの背中を優しく一定の間隔でとんとんと叩く。
「コリン。私のコリン……私の可愛い子。ずっとずっと……私の傍にいてね」
ごめんなさい、と言い続けるコリンの声にかき消されるほどの小さな声で呟く。コリンの肩口に頬擦りをして、イヴリンはそっと目を閉じた。
「悪意、とは王国に対してでしょうか。それとも、イヴリン様に対してでしょうか」
ヴィンセントの問いかけにイヴリンは静かに頭を左右に振る。仔狼の頭を撫でながら、イヴリンは体を起こした。ソファに腰掛け直したイヴリンの膝の上に仔狼が再びのしかかる。イヴリンが仔狼の耳の後ろを掻いてやれば、ソファからはみ出している太い尻尾が嬉しそうにぱたぱたと揺れた。
「まだ悪意とも決まったわけではありません。ですが……この子のことや、その前のコリンのこともあります。しばらくは警戒するに越したことはないかと思っています」
イヴリンの言葉にその場の全員の視線がコリンに注がれる。
「ぼ……ぼく、ですか……?」
「そういやおちび、誘拐されたんだってな。誰の差し金かはわかったのか」
ガルドがヴィンセントに視線を向ける。その視線を受けたヴィンセントは腕を組んで難しそうな表情を浮かべた。
「誰も何も知らないのだそうだ。確かに大地の魔女の側仕え……コリン君の誘拐と、コリン君を使ってイヴリン様を害するという依頼は受けたらしい。だが、その依頼人の姿は見ていないのだと」
「どういうこった」
「顔を見せずに一方的に依頼を伝え、毒の塗られたナイフと前金を渡されたと話している。成功報酬は前金の百倍。王国銀紙幣にして百枚分だったそうだ」
ヴィンセントが背後に控える兵士に視線を向ける。その視線を受けた兵士の一人が壊れたおもちゃのように首を縦に振った。
コリンが救出された日の深夜。イヴリンは中にごく少量の液体が入った一本の小瓶を持ってヴィンセントの邸宅を訪れた。そして地下牢で待っていたヴィンセントと兵士に対して、それはそれは満面の笑みを向けて小瓶を手渡したのだった。
──こちら、私の手持ちの中で一番強力な自白剤です。一滴で十分です。
半信半疑で一滴。たったの一滴を無理やり開かせた口に落とした。
効果は覿面すぎるほどだった。一を聞けば百で返ってくる。それほどまでに強力だった。その薬の強力さを目の前で見ていた兵士が、恐怖とも憐憫ともつかない表情を浮かべて首を縦に振っていた。
「銀紙幣百枚とはまたどこの大貴族様か国王様か……景気の良いこった」
茶化すようなガルドの口ぶりにヴィンセントが眉間に皺を刻む。
「コリンの件とこの子の件は関連性があるのかないのか……それはまだなんとも言えません。ですが、同じようなことが再び起きてはいけませんので……辺境伯と兵士の皆さんにはルウシャとその周辺地域の警備の強化、冒険者組合には依頼内容や依頼人の精査をしていただきたいと思います。新しくルウシャに訪れた冒険者や行商人などに関しても身分証や冒険者タグ、商いの許可証の確認の徹底をお願いします」
全員が頷くのに、時間はいらなかった。
*
その後、イヴリンは自身の性別のことについては絶対に口外しないという約束を取り付け、小さな緑色の魔石があしらわれたブローチを全員に渡した。今回の大森林での魔物騒動に際して、魔女であるイヴリンに協力した事による感謝の証。そして、秘密を知る者ということでもあるために特殊な魔法の回路が刻まれているものだった。
簡単にイヴリンの秘密を口外してしまわないように、イヴリンの加護とも言うべき守護の魔法。他者からの悪意ある魔法を跳ね返す魔力が込められている魔石。
このブローチを受け取ったヴィンセントはイヴリンの加護、というだけで咽び泣いてしまいそうなほど感極まっていた。
全員が全員、話さずにいるという保証はなかった。魔石にもっと複雑な回路を刻み、そもそもイヴリンの話をしようという気が起きないように抑制をかけることもできた。けれどそれをせずにイヴリンは目の前の協力者を信じた。
自分から信じなければ、誰からも信じてはもらえない。
それはかつての師の元で、命の尊さの次にイヴリンが学んだことだったから。
*
客人が全員イヴリンの邸宅から帰った後。コリンは仔狼にぐしゃぐしゃにされたイヴリンの髪を丁寧に梳かしていた。イヴリンの髪をぐしゃぐしゃにした張本人である仔狼は部屋の一角に用意された柔らかな毛布の上で丸まってぐっすりと眠っている。
イヴリンの髪を梳かしながら、コリンはずっと一つのことを考える。
ぼくが勝手なことをしなければ、ご主人様の性別のことを知る人は増えなかったのに。
それは大森林から帰ってきてからずっとコリンの胸のうちに抱えていたこと。きゅ、とイヴリンの髪を握ると、僅かに頭を引っ張られたのか、イヴリンが振り返った。
「コリン?」
「あ、す、すみません……ご主人様……」
明らかにいつものコリンとは違うことを察してイヴリンは優しく微笑む。そうしてコリンをそっと抱き寄せて、自らの膝の上に座らせた。
「コリン。どうしたの」
両腕でしっかりと抱きしめられて、頭を優しく撫でられて。優しい口調がいつもと全く変わらないイヴリンのもので、コリンは消えてしまいたくなる。
「……ご主人様……」
「なぁに」
「……ごめんなさい……」
「謝らなくていいんだよ」
「ぼくが、勝手なことをしなかったら……ご主人様が……男のひとだってこと、知られなかったのに……」
「勝手なことじゃないよ」
イヴリンの言葉にコリンは身じろいでイヴリンと向き合う。優しい蜂蜜色の瞳が柔らかく細められながらコリンを見つめていた。
「コリンがあの子の声を聞いていなければ、あの子は討伐されていた。そうなっていたら、私もきっと後悔していたよ」
「……」
「コリン。誇ってほしいな。コリンは自分の意志で、こうしたい、こうしてほしいって言えたんだよ。これまで頑張って感情を学んできて、どんどんそれを言葉にできているんだよ」
「でも、でも……ご主人様がお怪我をして……」
「魔女の体は頑丈だから」
それはいつも徹夜を咎められたイヴリンが使う言い訳。けれど、今はそれがどうしようもないほど優しい許しのようにコリンには思えた。
呼吸ができなくなりそうなほどコリンの胸が締め付けられる。頭で考えるよりも先に、イヴリンの首に抱きついて、堰を切ったように謝罪を繰り返した。
「ごめんなさい、ごめんなさい……!ご主人様……!」
「いいんだよ。コリンが無事でよかった」
「ぼく、ぼく……ごめんなさい……!」
首にしがみついているコリンを抱きしめて、イヴリンはコリンの背中を優しく一定の間隔でとんとんと叩く。
「コリン。私のコリン……私の可愛い子。ずっとずっと……私の傍にいてね」
ごめんなさい、と言い続けるコリンの声にかき消されるほどの小さな声で呟く。コリンの肩口に頬擦りをして、イヴリンはそっと目を閉じた。
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