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第16話 懇願

ー/ー



 魔物の爪の猛攻を蔦で防ぐ。防ぐ。そしてまた防ぐ。防戦一方になりながらもイヴリンは慎重に魔物を観察していた。
 
 額の魔石。黒い靄。凶暴化。魔力を伴った靄の攻撃。時折正気に戻ったかのように頭を振って苦しむ唸り声。
 再び拘束して、魔石を調べなければ。魔石の出所や誰が作ったのかなども調査が必要だ。
 けれど。そんな悠長なことをしていればあの魔石が魔物の命を吸い尽くしてしまうだろうということも予想はつく。そして、あの魔石を放置し続けていれば魔物だけではなくて、その周囲の植物や大地、他の魔物にとっても屍石としての悪影響が広がり続けることも予見された。
 
 困ったな。それがイヴリンの率直な感想だった。
 
「──どこの誰かはわからないけれど……本当に、おぞましい」
 
 命を弄ぶ行為というものをイヴリンは否定する。生きるために必要な殺生であれば仕方がないと割り切るが、それを超えたものに対しては明確な嫌悪感を覚えた。それはイヴリンの師が毎日のように教え、育んでくれた倫理観。
 
 ──いい?イヴリン。命はとても大切なものなの。ひとつきり。そのひとつきりを失ったらその後は何も残らないの。
 ──今のあなたにはわからなくてもいい。でもいつかきっと、理解できる時が来るわ。
 ──その時に、そのたったひとつを全力で守って、慈しんで。あなたならできる。
 ──死に近いところにいたあなただから、きっとその尊さもわかっているでしょう?
 
 優しい師の言葉が脳裏に響く。
 
 さっきは討伐という意見に頷いたけれど、眼前の魔物はまだ完全に屍石の持つ魔素に呑まれきっていない。どこの誰とも分からない者の魔力に染まりきっていない。苦しみ、もがいていた。
 
 であれば。
 
 操っている蔦に魔力を上乗せして魔物を再び拘束する。太い蔦が魔物の体を締め上げると同時に、蔦を介してイヴリンの魔力が周囲の黒い靄を晴らしていく。靄が晴れるにつれて暴れていた魔物の抵抗がどんどんと小さくなり、一時のような大人しさを再び見せた。
 
「靄が……それに、大人しくなったぞ」
「い、今なら討伐ができるのでは……!」
 
 ヴィンセント配下の兵士達が色めき立つ。その言葉に呼応するようにガルドや冒険者もそれぞれの武器を構える。
 
「魔女さんよ、討伐するが問題ないな?」
 
 しびれを切らしたとばかりにガルドがぶっきらぼうに問いかけるが、イヴリンはそれを首を横に振ることで制した。
 
「おいおい、さっきは討伐だって……」
「そ、そうです魔女様!」
「放置していては危険なのでは……!」
 
 ガルドと兵士達の抗議の声に驚いた魔物がびくりと体を震わせて、蔦で拘束されているにも関わらず後ずさろうとして、悲鳴のような鳴き声を上げる。その悲痛な声に色めき立っていた兵士達も気まずそうに互いの目を見合わせる。
 
 ルウシャに生きる者たちだからこそ、動植物に対して愛情を持っている。ここまで悲痛な叫び声を上げられて、でも危険だからと簡単に切り捨てる気持ちがすぐに湧いてこないのだ。兵士としては致命的だと誰もが思いつつも、命を慈しむイヴリンやルウシャの人々を見てきたからこその葛藤。
 
「やだ……嫌です、ご主人様……」
 
 そんな時に、小さなコリンの声がよく響いた。その場の全員の視線がコリンに向けられる。コリンは相変わらずヴィンセントに背を擦られていて、体を小さくして頭を抱えながら震えていた。
 
「……コリン。聞いてもいい?」
 
 イヴリンの問いかけにコリンは震えながら頷く。
 
「やだ、って思ったのはどうして?」
 
 魔物と攻防を繰り広げていた時の厳しい表情ではなくて、常日頃浮かべているような穏やかな微笑みを浮かべたイヴリンが柔らかな声色で問いかけた。その声にコリンの震えが少しだけ小さくなる。
 
「そ……その子、やだって……苦しいって……助けてって、言ってます……ご主人様……っ、助けて……ください……」
 
 その言葉に沈黙が流れる。全員が近くの者と視線を交わし合い、懐疑的な表情を浮かべていた。
 
「か……っ、勝手なことして……お怪我させて……ごめんなさい……っ、ご主人様……ぼくは、ぼくは……どんなお仕置きも……受けますから……っ……その子を、助けて……」
 
 頭を抱えたまま、震えながらコリンは必死に懇願する。ずっと背中を撫でていたヴィンセントの目には憐憫の表情が浮かんでいる。
 さく、さく、とコリンの目の前まで歩み寄る足音にコリンの肩が大きく跳ねる。
 
 わがままを言っていることはわかっている。もしかしたら助けられないほど弱っているかもしれない。それに、こんな身勝手をしておいて使い魔として傍に置き続けてもらえるかもわからない。
 
 様々な考えがコリンの頭の中でいくつもいくつも浮かんでくる。体の震えが止まらない。
 その震える体をなだめるように、イヴリンはそっとコリンを抱きしめた。
 
「ご、しゅじん……さま……」
「教えてくれてありがとう、コリン。優しい子だね」
 
 イヴリンがコリンの頭を優しく撫でる。優しい声も、頭を撫でる力加減も、いつものイヴリンと全く同じものでコリンの震えが徐々に落ち着いていく。そして、頭を抱えていた腕を解放して、イヴリンの背中に腕を回してしがみついた。
 
「苦しんでいるんだね、あの子は」
 
 頷く。
 
「助けて、って言っていたんだね」
 
 頷く。
 
「──うん、じゃあ……助けてあげないとね」
 
 恐る恐る顔を上げたコリンの視界に映ったのは、いつもと変わらず柔らかく微笑むイヴリンだった。


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 魔物の爪の猛攻を蔦で防ぐ。防ぐ。そしてまた防ぐ。防戦一方になりながらもイヴリンは慎重に魔物を観察していた。
 額の魔石。黒い靄。凶暴化。魔力を伴った靄の攻撃。時折正気に戻ったかのように頭を振って苦しむ唸り声。
 再び拘束して、魔石を調べなければ。魔石の出所や誰が作ったのかなども調査が必要だ。
 けれど。そんな悠長なことをしていればあの魔石が魔物の命を吸い尽くしてしまうだろうということも予想はつく。そして、あの魔石を放置し続けていれば魔物だけではなくて、その周囲の植物や大地、他の魔物にとっても屍石としての悪影響が広がり続けることも予見された。
 困ったな。それがイヴリンの率直な感想だった。
「──どこの誰かはわからないけれど……本当に、おぞましい」
 命を弄ぶ行為というものをイヴリンは否定する。生きるために必要な殺生であれば仕方がないと割り切るが、それを超えたものに対しては明確な嫌悪感を覚えた。それはイヴリンの師が毎日のように教え、育んでくれた倫理観。
 ──いい?イヴリン。命はとても大切なものなの。ひとつきり。そのひとつきりを失ったらその後は何も残らないの。
 ──今のあなたにはわからなくてもいい。でもいつかきっと、理解できる時が来るわ。
 ──その時に、そのたったひとつを全力で守って、慈しんで。あなたならできる。
 ──死に近いところにいたあなただから、きっとその尊さもわかっているでしょう?
 優しい師の言葉が脳裏に響く。
 さっきは討伐という意見に頷いたけれど、眼前の魔物はまだ完全に屍石の持つ魔素に呑まれきっていない。どこの誰とも分からない者の魔力に染まりきっていない。苦しみ、もがいていた。
 であれば。
 操っている蔦に魔力を上乗せして魔物を再び拘束する。太い蔦が魔物の体を締め上げると同時に、蔦を介してイヴリンの魔力が周囲の黒い靄を晴らしていく。靄が晴れるにつれて暴れていた魔物の抵抗がどんどんと小さくなり、一時のような大人しさを再び見せた。
「靄が……それに、大人しくなったぞ」
「い、今なら討伐ができるのでは……!」
 ヴィンセント配下の兵士達が色めき立つ。その言葉に呼応するようにガルドや冒険者もそれぞれの武器を構える。
「魔女さんよ、討伐するが問題ないな?」
 しびれを切らしたとばかりにガルドがぶっきらぼうに問いかけるが、イヴリンはそれを首を横に振ることで制した。
「おいおい、さっきは討伐だって……」
「そ、そうです魔女様!」
「放置していては危険なのでは……!」
 ガルドと兵士達の抗議の声に驚いた魔物がびくりと体を震わせて、蔦で拘束されているにも関わらず後ずさろうとして、悲鳴のような鳴き声を上げる。その悲痛な声に色めき立っていた兵士達も気まずそうに互いの目を見合わせる。
 ルウシャに生きる者たちだからこそ、動植物に対して愛情を持っている。ここまで悲痛な叫び声を上げられて、でも危険だからと簡単に切り捨てる気持ちがすぐに湧いてこないのだ。兵士としては致命的だと誰もが思いつつも、命を慈しむイヴリンやルウシャの人々を見てきたからこその葛藤。
「やだ……嫌です、ご主人様……」
 そんな時に、小さなコリンの声がよく響いた。その場の全員の視線がコリンに向けられる。コリンは相変わらずヴィンセントに背を擦られていて、体を小さくして頭を抱えながら震えていた。
「……コリン。聞いてもいい?」
 イヴリンの問いかけにコリンは震えながら頷く。
「やだ、って思ったのはどうして?」
 魔物と攻防を繰り広げていた時の厳しい表情ではなくて、常日頃浮かべているような穏やかな微笑みを浮かべたイヴリンが柔らかな声色で問いかけた。その声にコリンの震えが少しだけ小さくなる。
「そ……その子、やだって……苦しいって……助けてって、言ってます……ご主人様……っ、助けて……ください……」
 その言葉に沈黙が流れる。全員が近くの者と視線を交わし合い、懐疑的な表情を浮かべていた。
「か……っ、勝手なことして……お怪我させて……ごめんなさい……っ、ご主人様……ぼくは、ぼくは……どんなお仕置きも……受けますから……っ……その子を、助けて……」
 頭を抱えたまま、震えながらコリンは必死に懇願する。ずっと背中を撫でていたヴィンセントの目には憐憫の表情が浮かんでいる。
 さく、さく、とコリンの目の前まで歩み寄る足音にコリンの肩が大きく跳ねる。
 わがままを言っていることはわかっている。もしかしたら助けられないほど弱っているかもしれない。それに、こんな身勝手をしておいて使い魔として傍に置き続けてもらえるかもわからない。
 様々な考えがコリンの頭の中でいくつもいくつも浮かんでくる。体の震えが止まらない。
 その震える体をなだめるように、イヴリンはそっとコリンを抱きしめた。
「ご、しゅじん……さま……」
「教えてくれてありがとう、コリン。優しい子だね」
 イヴリンがコリンの頭を優しく撫でる。優しい声も、頭を撫でる力加減も、いつものイヴリンと全く同じものでコリンの震えが徐々に落ち着いていく。そして、頭を抱えていた腕を解放して、イヴリンの背中に腕を回してしがみついた。
「苦しんでいるんだね、あの子は」
 頷く。
「助けて、って言っていたんだね」
 頷く。
「──うん、じゃあ……助けてあげないとね」
 恐る恐る顔を上げたコリンの視界に映ったのは、いつもと変わらず柔らかく微笑むイヴリンだった。