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第15話 ローブの下

ー/ー



 目の前の光景がゆっくりと流れていく。目の前いっぱいに広がっている白のローブと、新緑のまっすぐな髪。そしてその向こうに見える魔物の鋭い爪。
 
 その爪が、迷いなく振り下ろされて。
 
 尻餅をついたコリンの目の前でイヴリンの体が揺らぐ。倒れないようにと地面を踏みしめているイヴリンの背中を見て、コリンの背筋に薄ら寒いものが走る。
 
「イヴリン様!!」
 
 ヴィンセントの絶叫にも近い声が響く。
 
「ご……ご主人様……っ……!」
 
 うそ。うそ。うそ。
 ちがう、違うんです。ぼくは、ご主人様を危険な目に遭わせたかったわけじゃなくて。あの子が苦しんでたから助けたくて。
 
「──コリン、怪我は?」
「え……あ……ない、です……」
「そう……よかった。──この靄は屍石由来のものです。近付くのは危険ですので皆さんは近寄らないように」
 
 コリンを振り返ることなくイヴリンは一つ息をつき、指示を飛ばす。その声になんの感情も読み取れなくて、コリンはどんどんと思考が混乱していく。
 
 どうしよう、どうしよう。
 ご主人様を怒らせてしまった。危険な目に遭わせてしまった。
 ぼくは、ご主人様の使い魔で、ゴーレムで、ご主人様を守ることが役目なのに。
 ご主人様に守ってもらうなんて、使い魔失格で。
 
 ぐちゃぐちゃになった思考がまとめられずに、コリンはその場に座り込んだままになる。その小さな体の脇に両手を挟み込んで抱き上げたのはガルド。
 
「無茶しやがって!」
「ぅ……あ……ごめ、なさ……っ」
 
 どうしよう。みんな怒っている。コリンの思考はその一点に支配される。ガルドがコリンを冒険者の近くに下ろすが、膝に力が入らなくてすぐにへたり込んでしまう。
 
「大丈夫か」
 
 ボウガンを抱えたまま冒険者がコリンの傍に膝をついて背中をさする。
 
「どうしよう……ご主人様、ご主人様……っ」
 
 コリンが体を丸めて膝に顔を埋める。髪を両手でくしゃりと握り、目をぎゅっと瞑る。
 
「お、おい……」
「なにかの見間違いか……?」
「魔女様、だよな……?」
 
 兵士たちの動揺したような声がコリンの耳に届く。その声に反射的に顔を上げたコリンの目に飛び込んできたものは。
 
 右腕で太い蔦を操り魔物の攻撃を防ぎつつじわじわと距離を離すイヴリン。大きく右腕を振り抜いた瞬間にイヴリンの体の正面が目に入る。不意の攻撃で負傷した右腕とは別に、コリンを庇った際に受けたであろう爪の傷跡が左肩に走っていて、それよりも広い範囲のローブやその下の衣服が爪によって引き裂かれている。
 
 顕になっている胸元には、女性の膨らみは存在していない。
 明らかにそうではないと分かる、薄い胸板が引き裂かれた衣服の間から覗いていた。
 
「あ……ぁ、やだ、ご主人さ、ま……」
 
 コリンの小さな体が震える。きつく目を閉じて、頭を抱えて、再び体を丸める。
 どうしよう、どうしよう、どうしよう。その言葉だけが延々とコリンの頭の中にこだまする。

 *
 
 ぼくのご主人様は、魔女。
 アルドゥイン王国の繁栄を支える、四人の魔女のひとり。
 枯れてしまいそうだったぼくの声を聞いて、拾い上げて、助けてくれたひと。
 いつだって優しく微笑んでいて、頭を撫でてくれて、たくさんの事を教えてくれる。
 でも。
 ご主人様は──男。
 世界のどこを見てもありえないはずの、男の魔法使い、男の魔女。
 このことはぜったいに、知られてはいけなかったのに。

 *
 
 体を丸めて震えているコリンの傍に冒険者のものとは別の気配がひとつ増える。コリンの小さな体が抱きしめられて、頭がくしゃりと撫でられた。
 
「コリン君、落ち着くんだ」
「バルト、ロメオ……辺境伯……」
「あの魔物になにか感じるところがあったのだろう?君は無謀なことをする子ではない」
 
 コリンが恐る恐る視線を上げると、ヴィンセントと視線がかち合う。夜空を思わせる濃紺の瞳にはコリンを責める意思は感じられず、ただただコリンを案ずる色だけが浮かんでいた。それでもなお震えているコリンの体を少しでも落ち着けようと、ヴィンセントは優しく背中を撫でる。
 
「あ……っ、あの子……黒い靄に、囲まれて……やだよって、苦しいよって……助けて、って……言ってて……ぼく、助けたくて……っ」
 
 言葉に詰まりながらも話すコリンを急かすことなくヴィンセントは頷いて話を聞いていた。ヴィンセントの耳にはそのような叫びは聞こえてこなかった。
 
 コリン君にのみ聞こえていたという魔物の声。そして魔物の額に撃ち込まれているという屍石を転用した魔石。何者かの手が入って自我を失っているということは、望まぬ変質であることだろう。
 
 そこまで考えて、ヴィンセントはそろりと魔物に視線を向ける。魔物は一行への意識は一切なく、イヴリンだけを執拗に狙い続けていた。であれば、もう少しコリンから話を聞けるのではないかと再びコリンに視線を戻す。
 
「……コリン君。君の聞いた声は私には聞こえなかった。恐らくは他の者達も、イヴリン様にも。だが、私は君が嘘をつくような子ではないということも知っているつもりだ。……本当に、そう言っていたんだね?」
 
 ヴィンセントの問いかけに、コリンはうつむきながら頷く。小さな体はまだ震えが収まりそうにない。
 恐らくは勝手に行動してしまったことよりも、勝手な行動の結果イヴリンを危険に晒し、かつ秘しておかなければならないものを晒してしまったことに対してとてつもない罪悪感を抱いているのだろう。そうヴィンセントは結論づけた。
 
 ヴィンセントはイヴリンの性別を知っている。辺境伯となってイヴリンの目となり手足となる事を誓ってからしばしの時間が経過した時に、あなたの誠意に報いるために、と明かされた。
 
 本来ならば誰にも知られてはいけないはずの機密ともいうべき情報。それが明かされてしまったことを心の底から恐れている。恐らくは、絶望とも言えるほどに深い恐怖。
 きっと、この小さな体には受け止めきれないのだろう。
 
 コリンの背中を撫でながら、ヴィンセントはコリンの震えが治まるのを待った。


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 目の前の光景がゆっくりと流れていく。目の前いっぱいに広がっている白のローブと、新緑のまっすぐな髪。そしてその向こうに見える魔物の鋭い爪。
 その爪が、迷いなく振り下ろされて。
 尻餅をついたコリンの目の前でイヴリンの体が揺らぐ。倒れないようにと地面を踏みしめているイヴリンの背中を見て、コリンの背筋に薄ら寒いものが走る。
「イヴリン様!!」
 ヴィンセントの絶叫にも近い声が響く。
「ご……ご主人様……っ……!」
 うそ。うそ。うそ。
 ちがう、違うんです。ぼくは、ご主人様を危険な目に遭わせたかったわけじゃなくて。あの子が苦しんでたから助けたくて。
「──コリン、怪我は?」
「え……あ……ない、です……」
「そう……よかった。──この靄は屍石由来のものです。近付くのは危険ですので皆さんは近寄らないように」
 コリンを振り返ることなくイヴリンは一つ息をつき、指示を飛ばす。その声になんの感情も読み取れなくて、コリンはどんどんと思考が混乱していく。
 どうしよう、どうしよう。
 ご主人様を怒らせてしまった。危険な目に遭わせてしまった。
 ぼくは、ご主人様の使い魔で、ゴーレムで、ご主人様を守ることが役目なのに。
 ご主人様に守ってもらうなんて、使い魔失格で。
 ぐちゃぐちゃになった思考がまとめられずに、コリンはその場に座り込んだままになる。その小さな体の脇に両手を挟み込んで抱き上げたのはガルド。
「無茶しやがって!」
「ぅ……あ……ごめ、なさ……っ」
 どうしよう。みんな怒っている。コリンの思考はその一点に支配される。ガルドがコリンを冒険者の近くに下ろすが、膝に力が入らなくてすぐにへたり込んでしまう。
「大丈夫か」
 ボウガンを抱えたまま冒険者がコリンの傍に膝をついて背中をさする。
「どうしよう……ご主人様、ご主人様……っ」
 コリンが体を丸めて膝に顔を埋める。髪を両手でくしゃりと握り、目をぎゅっと瞑る。
「お、おい……」
「なにかの見間違いか……?」
「魔女様、だよな……?」
 兵士たちの動揺したような声がコリンの耳に届く。その声に反射的に顔を上げたコリンの目に飛び込んできたものは。
 右腕で太い蔦を操り魔物の攻撃を防ぎつつじわじわと距離を離すイヴリン。大きく右腕を振り抜いた瞬間にイヴリンの体の正面が目に入る。不意の攻撃で負傷した右腕とは別に、コリンを庇った際に受けたであろう爪の傷跡が左肩に走っていて、それよりも広い範囲のローブやその下の衣服が爪によって引き裂かれている。
 顕になっている胸元には、女性の膨らみは存在していない。
 明らかにそうではないと分かる、薄い胸板が引き裂かれた衣服の間から覗いていた。
「あ……ぁ、やだ、ご主人さ、ま……」
 コリンの小さな体が震える。きつく目を閉じて、頭を抱えて、再び体を丸める。
 どうしよう、どうしよう、どうしよう。その言葉だけが延々とコリンの頭の中にこだまする。
 *
 ぼくのご主人様は、魔女。
 アルドゥイン王国の繁栄を支える、四人の魔女のひとり。
 枯れてしまいそうだったぼくの声を聞いて、拾い上げて、助けてくれたひと。
 いつだって優しく微笑んでいて、頭を撫でてくれて、たくさんの事を教えてくれる。
 でも。
 ご主人様は──男。
 世界のどこを見てもありえないはずの、男の魔法使い、男の魔女。
 このことはぜったいに、知られてはいけなかったのに。
 *
 体を丸めて震えているコリンの傍に冒険者のものとは別の気配がひとつ増える。コリンの小さな体が抱きしめられて、頭がくしゃりと撫でられた。
「コリン君、落ち着くんだ」
「バルト、ロメオ……辺境伯……」
「あの魔物になにか感じるところがあったのだろう?君は無謀なことをする子ではない」
 コリンが恐る恐る視線を上げると、ヴィンセントと視線がかち合う。夜空を思わせる濃紺の瞳にはコリンを責める意思は感じられず、ただただコリンを案ずる色だけが浮かんでいた。それでもなお震えているコリンの体を少しでも落ち着けようと、ヴィンセントは優しく背中を撫でる。
「あ……っ、あの子……黒い靄に、囲まれて……やだよって、苦しいよって……助けて、って……言ってて……ぼく、助けたくて……っ」
 言葉に詰まりながらも話すコリンを急かすことなくヴィンセントは頷いて話を聞いていた。ヴィンセントの耳にはそのような叫びは聞こえてこなかった。
 コリン君にのみ聞こえていたという魔物の声。そして魔物の額に撃ち込まれているという屍石を転用した魔石。何者かの手が入って自我を失っているということは、望まぬ変質であることだろう。
 そこまで考えて、ヴィンセントはそろりと魔物に視線を向ける。魔物は一行への意識は一切なく、イヴリンだけを執拗に狙い続けていた。であれば、もう少しコリンから話を聞けるのではないかと再びコリンに視線を戻す。
「……コリン君。君の聞いた声は私には聞こえなかった。恐らくは他の者達も、イヴリン様にも。だが、私は君が嘘をつくような子ではないということも知っているつもりだ。……本当に、そう言っていたんだね?」
 ヴィンセントの問いかけに、コリンはうつむきながら頷く。小さな体はまだ震えが収まりそうにない。
 恐らくは勝手に行動してしまったことよりも、勝手な行動の結果イヴリンを危険に晒し、かつ秘しておかなければならないものを晒してしまったことに対してとてつもない罪悪感を抱いているのだろう。そうヴィンセントは結論づけた。
 ヴィンセントはイヴリンの性別を知っている。辺境伯となってイヴリンの目となり手足となる事を誓ってからしばしの時間が経過した時に、あなたの誠意に報いるために、と明かされた。
 本来ならば誰にも知られてはいけないはずの機密ともいうべき情報。それが明かされてしまったことを心の底から恐れている。恐らくは、絶望とも言えるほどに深い恐怖。
 きっと、この小さな体には受け止めきれないのだろう。
 コリンの背中を撫でながら、ヴィンセントはコリンの震えが治まるのを待った。