194. この子に決めた

ー/ー



(なるほど……この子が常に一緒にいてくれる暮らしか……)

 レスター三世はふと考えた。

 王という立場は孤独なものだ。

 誰もが頭を下げ、誰もが言葉を選び、誰もが本心を隠す。六十年間、レスター三世は常に一人だった。妻でさえ「王妃」という仮面を外すことはないのだ。

 しかし、この妖精は違う。

 彼女はレスター三世を王とは見ていない。ただの「面白いおじいさん」くらいにしか思っていないのだろう。だからこそ、こんなにも無邪気に笑いかけてくる。

 それが――どれほど貴重なことか。

 レスター三世は、つい微笑んでしまった。

 六十年ぶりに、心からの笑みを浮かべた気がする。

「ずいぶんと懐かれましたね」

 ミーシャはその変化を見逃さなかった。空色の瞳が、優しく細められる。

「その子にしますか? 他にもいろんなのが居ますが……」

 ミーシャはすっと湖面を指さした。

 レスター三世が視線を向けると――そこには、別の世界が広がっていた。

 湖面をぴょんと飛び上がるイルカのようなエアモンがいた。銀色の体が朝日を受けて輝き、水飛沫がダイヤモンドのように煌めいている。

 首を出してゆったり泳ぐ亀のエアモンもいた。その甲羅には苔のような緑が生え、まるで小さな島が泳いでいるようだった。

 空には、虹色の羽を持つ鳥のエアモンが群れをなして飛んでいる。

「ほへぇ……」

 レスター三世は見回して、思わずため息を漏らした。

 なんという豊かさだろう。

 なんという多様さだろう。

 この世界には、こんなにも沢山の「仲間」がいるのだ。

 足元に視線を落とすと、猫のようなエアモンがすり寄ってきていた。ふわふわの毛並みに、大きな瞳。「ナデテ」と言わんばかりに、レスター三世の足にすりすりと頬を擦り付けている。

 そう、この国はエアモンと共に暮らす国だったのだ。

 人と、人ならざる者が、共に笑い、共に歩む国。

 それは――レスター三世が夢にも思わなかった、新しい形の「共生」だった。

 一通りエアモンを見回して――――。

 レスター三世は、自分の指につかまったままの妖精を見下ろした。

 妖精は不安そうな顔をしている。

 他のエアモンを見つめるレスター三世を見て、「自分は選ばれないのではないか」と心配しているのだろう。その小さな手が、レスター三世の指をぎゅっと握りしめている。

 その仕草が、あまりにも可愛くて――。

 レスター三世の胸に、温かいものが込み上げてきた。

「いや、ワシはこの子がいい」

 迷いなくそう言った。

 その瞬間、妖精の顔がぱあっと輝いた。

 まるで、世界中の幸せを全部集めて、この小さな身体に詰め込んだような笑顔だった。

 小さな手をぱちぱちと叩いて喜び、くるくると宙を舞っている。隠すことを知らない、純粋な歓喜だった。

 レスター三世は、その銀色の髪を優しく撫でて微笑んだ。

 この世界には、もっと美しいエアモンがいるのかもしれない。もっと珍しいエアモン、もっと強いエアモン、もっと役に立つエアモン。

 しかし、そんなものは要らなかった。

 最初に手を伸ばしてくれたのは、この子だった。最初に微笑んでくれたのは、この子だった。

 それだけで、十分だった。

「分かりましたわ。では、契約を……」

 ミーシャは満足そうに頷くと、白魚のような指先を優雅にくるっと回した。

 その動作には、どこか儀式めいた荘厳さがあった。

 すると――。

 妖精とレスター三世の身体が、黄金色の光に包まれた。

「おわぁ!」

 レスター三世は思わず声を上げた。

 妖精は嬉しそうにレスター三世の周りをクルクルと飛びまわる。まるで、「これからずっと一緒だね」と囁くかのように。光の粉を撒き散らしながら、無邪気に踊り続けている。

「これで、契約は完了です。この子はどこまでもついてくるようになりましたわ」

 ミーシャはにっこりとほほ笑んだ。その空色の瞳には、祝福の光が宿っている。

 レスター三世は、妖精を優しく撫でながら、ふと寂しそうな顔をした。

 喜びの中に、一筋の影が差し込んでくる。

「それは嬉しいが……わが国には来てくれんのじゃろう?」

 その問いには、隠しきれない寂寥が滲んでいた。

「そうですね、天蓋(キャノピー)の下にいないと……ですわね」

 ミーシャは少し申し訳なさそうに上空を指さした。

 そこには雲のはるか上、かすんだ宇宙の際に浮かぶ巨大な円がある。黄金の紋章を煌めかせながら、この国の空を覆う天蓋(キャノピー)

 あの下でなければ、エアモンは存在できないのだ。

 正確にいえばAR眼鏡が圏外になって、何も表示されなくなるということなのだが――。

「なるほど……そのためのものじゃったか……」

 レスター三世は天蓋(キャノピー)に煌めく『星に剣』の国章を見つめ、深いため息をついた。

 あの巨大構造物は、ただの威容の象徴ではなかったのだ。

 エアモンなど「もう一つの現実」を支える、根幹の技術だったのだ。




スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む 195. 小さな重み


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



(なるほど……この子が常に一緒にいてくれる暮らしか……)
 レスター三世はふと考えた。
 王という立場は孤独なものだ。
 誰もが頭を下げ、誰もが言葉を選び、誰もが本心を隠す。六十年間、レスター三世は常に一人だった。妻でさえ「王妃」という仮面を外すことはないのだ。
 しかし、この妖精は違う。
 彼女はレスター三世を王とは見ていない。ただの「面白いおじいさん」くらいにしか思っていないのだろう。だからこそ、こんなにも無邪気に笑いかけてくる。
 それが――どれほど貴重なことか。
 レスター三世は、つい微笑んでしまった。
 六十年ぶりに、心からの笑みを浮かべた気がする。
「ずいぶんと懐かれましたね」
 ミーシャはその変化を見逃さなかった。空色の瞳が、優しく細められる。
「その子にしますか? 他にもいろんなのが居ますが……」
 ミーシャはすっと湖面を指さした。
 レスター三世が視線を向けると――そこには、別の世界が広がっていた。
 湖面をぴょんと飛び上がるイルカのようなエアモンがいた。銀色の体が朝日を受けて輝き、水飛沫がダイヤモンドのように煌めいている。
 首を出してゆったり泳ぐ亀のエアモンもいた。その甲羅には苔のような緑が生え、まるで小さな島が泳いでいるようだった。
 空には、虹色の羽を持つ鳥のエアモンが群れをなして飛んでいる。
「ほへぇ……」
 レスター三世は見回して、思わずため息を漏らした。
 なんという豊かさだろう。
 なんという多様さだろう。
 この世界には、こんなにも沢山の「仲間」がいるのだ。
 足元に視線を落とすと、猫のようなエアモンがすり寄ってきていた。ふわふわの毛並みに、大きな瞳。「ナデテ」と言わんばかりに、レスター三世の足にすりすりと頬を擦り付けている。
 そう、この国はエアモンと共に暮らす国だったのだ。
 人と、人ならざる者が、共に笑い、共に歩む国。
 それは――レスター三世が夢にも思わなかった、新しい形の「共生」だった。
 一通りエアモンを見回して――――。
 レスター三世は、自分の指につかまったままの妖精を見下ろした。
 妖精は不安そうな顔をしている。
 他のエアモンを見つめるレスター三世を見て、「自分は選ばれないのではないか」と心配しているのだろう。その小さな手が、レスター三世の指をぎゅっと握りしめている。
 その仕草が、あまりにも可愛くて――。
 レスター三世の胸に、温かいものが込み上げてきた。
「いや、ワシはこの子がいい」
 迷いなくそう言った。
 その瞬間、妖精の顔がぱあっと輝いた。
 まるで、世界中の幸せを全部集めて、この小さな身体に詰め込んだような笑顔だった。
 小さな手をぱちぱちと叩いて喜び、くるくると宙を舞っている。隠すことを知らない、純粋な歓喜だった。
 レスター三世は、その銀色の髪を優しく撫でて微笑んだ。
 この世界には、もっと美しいエアモンがいるのかもしれない。もっと珍しいエアモン、もっと強いエアモン、もっと役に立つエアモン。
 しかし、そんなものは要らなかった。
 最初に手を伸ばしてくれたのは、この子だった。最初に微笑んでくれたのは、この子だった。
 それだけで、十分だった。
「分かりましたわ。では、契約を……」
 ミーシャは満足そうに頷くと、白魚のような指先を優雅にくるっと回した。
 その動作には、どこか儀式めいた荘厳さがあった。
 すると――。
 妖精とレスター三世の身体が、黄金色の光に包まれた。
「おわぁ!」
 レスター三世は思わず声を上げた。
 妖精は嬉しそうにレスター三世の周りをクルクルと飛びまわる。まるで、「これからずっと一緒だね」と囁くかのように。光の粉を撒き散らしながら、無邪気に踊り続けている。
「これで、契約は完了です。この子はどこまでもついてくるようになりましたわ」
 ミーシャはにっこりとほほ笑んだ。その空色の瞳には、祝福の光が宿っている。
 レスター三世は、妖精を優しく撫でながら、ふと寂しそうな顔をした。
 喜びの中に、一筋の影が差し込んでくる。
「それは嬉しいが……わが国には来てくれんのじゃろう?」
 その問いには、隠しきれない寂寥が滲んでいた。
「そうですね、|天蓋《キャノピー》の下にいないと……ですわね」
 ミーシャは少し申し訳なさそうに上空を指さした。
 そこには雲のはるか上、かすんだ宇宙の際に浮かぶ巨大な円がある。黄金の紋章を煌めかせながら、この国の空を覆う|天蓋《キャノピー》。
 あの下でなければ、エアモンは存在できないのだ。
 正確にいえばAR眼鏡が圏外になって、何も表示されなくなるということなのだが――。
「なるほど……そのためのものじゃったか……」
 レスター三世は|天蓋《キャノピー》に煌めく『星に剣』の国章を見つめ、深いため息をついた。
 あの巨大構造物は、ただの威容の象徴ではなかったのだ。
 エアモンなど「もう一つの現実」を支える、根幹の技術だったのだ。