第11話 走馬灯は未来から来る
ー/ー 零は死んだ。
少なくとも、そのはずだった。
頭を撃ち抜かれた感触は、まだ残っている。
世界が横へ滑った感触も、床と夜がひっくり返った瞬間も、ちゃんと覚えている。
なのに痛みだけがない。
暗い。
いや、暗いというより、順番がない。
前も後ろもない。
上も下もない。
黒い水の中へ沈んでいるみたいなのに、濡れている感じすらない。
「……死後って、もうちょい整理されてるもんじゃないのか」
呟いた声が、少し遅れて聞こえた。
返事の代わりに、光が一本走った。
青白い線。
いつもの未来線に似ている。
だがこれは、三秒先じゃない。
もっと遠い。
もっと多い。
次の瞬間、それが全部まとめて零の中へ流れ込んできた。
◇
白い病棟。
子供向けの壁画。
剥がれた太陽。
青い鳥。
ひび割れた虹。
ベッドが三つ並んでいる。
一人目。
静かな目の少女。
泣きそうでも、怒っているわけでもない。
ただ、最初から零を知っているみたいに、まっすぐ見ている。
黒いタグ。
細い手首。
`Y-09`
その数字だけが、やけに鮮明だった。
「帰ってきて」
聞こえた気がした。
そこで場面が裂ける。
今度は小さな手だ。
包帯を折って作った、歪な星。
両手で大事そうに握りしめている。
小さい。
軽い。
すぐ壊れそうな子供だ。
その包帯の星が、黒い液でじわじわ濡れていく。
「やめろ」
零は反射で手を伸ばす。
届かない。
次。
強い目の少女がいる。
不機嫌そうな顔。
噛みつくみたいな目つき。
けれど、立つ位置だけはずっと同じだった。
誰かを庇う位置だ。
その肩が裂ける。
腕が灰色の繊維へ変わる。
それでもなお、半歩も退かない。
「来るな」
その声だけが妙に近い。
次。
白い部屋。
観測窓。
ガラス。
拘束具。
壁一面に、数えきれない線が走っている。
QBX。
その文字だけが、白く浮かぶ。
都市の上に線が刺さっている。
道路。
病院。
更新列。
港。
住居区画。
全部に白い線が通っている。
制御しているというより、無理やり縫い止めている。
その何本かが、ぶつりと切れた。
更新端末の前で、人がまとめて崩れる。
列が倒れる。
街灯の下で、身体と影の順番が噛み合わなくなる。
遠くで火が上がる。
灰堂が立っている。
冷たい横顔のまま、燃える区画を見ている。
「切るしかない」
そう言った気がした。
次。
巨大なもの。
人の形ではない。
建物みたいに大きい、肉と繊維とタグの塊。
無数の腕。
無数の口。
助けを求める形のまま固まった手。
中心に、白い冠みたいな骨の輪。
それが脈打つたび、街の未来線がまとめて揺れた。
吐きそうになる。
だが、本当に嫌なのはその奥にいた。
自分だ。
右目だけが妙に明るい。
身体の表面を、タグ文字みたいな光が走っている。
人間の側から半歩落ちたものが、怪物を殴っている。
「やめろ」
零が言う。
だが未来は止まらない。
次。
また白い病棟。
三つの影。
静かな目。
包帯の星。
噛みつくみたいな目つき。
名前が順番なく流れ込む。
ユナ。
ミオ。
サナ。
まだ会っていない。
見たこともない。
なのに、その名前だけが最初から自分の中にあったみたいに馴染んだ。
◇
「零」
そこで、声が混ざった。
未来じゃない。
もっと近い。
もっと切実な声だ。
「零、聞こえる?」
ノアだ。
だが姿は見えない。
声だけが、暗闇の向こうから掠れて届く。
「返事して。死んでる場合じゃない」
「死んでるやつに要求高えな……」
言ったつもりだった。
でも自分の声はどこにも届かない。
別の声が割り込む。
「瞳孔反応、まだ落ち切ってない。脳幹側つなぐわよ」
朱璃だ。
最低な声色のくせに、今は妙に焦っている。
「ノア、固定」
「やってる」
「もっと」
「これ以上やると切れる」
「切れる前に戻せばいいの」
「雑」
「うるさい」
金属音。
血の匂い。
焼けた消毒液の匂い。
世界の端に、現実が戻ってくる。
「……おかしい」
朱璃の声が低くなる。
「入ってるのよ。頭蓋の命中痕はある。なのに弾頭がない」
「見間違いじゃない」
ノアの声が即座に返る。
「レムは撃った。零の頭に当たった」
「当たってるわよ。だから変なの」
少しの沈黙。
その沈黙が、死んだ場所へまで落ちてくる。
「破片もない」
朱璃が言う。
「出口も綺麗じゃない。抜けた感じでもない。命中した結果だけ残って、中身だけ消えてる」
「……QB汚染値」
ノアが何かを見ている。
端末だ。
たぶん、零の波形。
「被弾の瞬間に跳ねてる」
「どれくらい」
「ありえないくらい」
朱璃が、小さく笑った。
あの女が本気で嫌なものを見た時にだけ出す笑い方だ。
「最悪」
「うん」
「零の中のQBウイルスが、被弾の瞬間に緊急作動した可能性がある」
「助けた?」
「守ったか、ずらしたか、喰ったか。どれでも嫌」
「最後の言い方やめて」
「でも好きでしょ、こういうの」
「好きじゃない」
「嘘」
零は暗闇の中で、うんざりした。
死んだあとに聞く会話として、だいぶ質が悪い。
◇
また未来が来る。
今度はもっと近い。
ユナが、病棟の窓辺に立っている。
その横でミオが包帯の星を握っている。
サナだけが前に立って、何かから二人を庇っている。
窓の外は白いのに、床だけが黒い。
その白と黒の境目に、零自身の血が落ちた。
「帰ってきて」
ユナがもう一度言う。
その言葉に押されるみたいに、暗闇が急に狭くなる。
引っ張られる。
落ちるんじゃない。
逆に、どこかへ持ち上げられる。
吐き気。
頭痛。
肺の奥へ無理やり空気が押し込まれる感覚。
「戻る」
ノアの声。
「朱璃」
「分かってる」
白い光が裂けた。
◇
零は咳き込んだ。
空気が肺に入る。
それだけで胸が焼けた。
「っ、は……」
「おかえり」
最初に見えたのは、白衣だった。
御厨朱璃。
眼鏡の奥の目が、珍しく笑っていない。
その手には血のついた器具が握られている。
「帰り方が雑」
零が掠れた声で言う。
「死に方も雑だったから、おあいこ」
「よくねえ……」
視界を横へ動かす。
ノアがいた。
左肩に包帯。
脚も止血されている。
顔色は最悪なのに、端末だけは離していない。
「零」
「生きてる?」
「たぶん」
「曖昧」
「お前が言うな」
言った瞬間、後頭部に鈍い痛みが走る。
包帯が巻かれている。
頭の奥がまだ遅れている。
零は顔をしかめた。
「……当たったよな」
朱璃が即答した。
「当たった」
「じゃあ、なんで喋れてる」
「そこを今から私たちも考えるの」
ノアが端末画面を零へ向ける。
「命中痕はある」
「うん」
「でも弾頭がない」
零は数秒、黙った。
「は?」
「破片も薄い」
「抜けた?」
「それにしては出方が変」
朱璃が横から覗き込み、楽しそうでも不機嫌でもない、妙に真面目な顔で言う。
「あなた、頭を撃たれてるのよ。ちゃんと。なのに中に残るはずのものが残ってない」
「意味が分からん」
「こっちも」
零はゆっくり瞬きをした。
その拍子に、また一瞬だけ白い病棟が見えた。
静かな目。
包帯の星。
噛みつくみたいな目つき。
「……ユナ」
口が勝手に動いた。
ノアが顔を上げる。
朱璃の目が細くなる。
「今、何て?」
「ユナ」
零は自分でも分からないまま、続けていた。
「ミオ。サナ」
作業場の空気が、一瞬だけ止まる。
端末のどこにも、まだその名前は出ていない。
それでも零は知っていた。
白い病棟で見た。
未来の中で見た。
ノアが静かに聞く。
「誰」
零は乾いた喉で息をした。
「わからん」
頭痛の奥で、白い壁と黒いタグがまた明滅する。
「でも、あいつらを見た」
朱璃が、ようやくいつもの嫌な笑みを浮かべた。
「いいわね」
「よくない」
「最高の死に損ないじゃない」
「褒め方が最低だな」
「知ってる」
ノアは端末を握ったまま、零を見ていた。
その視線の奥には、安堵と警戒が両方ある。
「走馬灯じゃない」
零が低く言う。
「あれは、未来だ」
白い病棟。
ユナ。
ミオ。
サナ。
そして、頭に当たったはずの弾丸はどこにもない。
零は一度死んだ。
そのあとで、まだ来ていない未来だけを持って帰ってきた。
少なくとも、そのはずだった。
頭を撃ち抜かれた感触は、まだ残っている。
世界が横へ滑った感触も、床と夜がひっくり返った瞬間も、ちゃんと覚えている。
なのに痛みだけがない。
暗い。
いや、暗いというより、順番がない。
前も後ろもない。
上も下もない。
黒い水の中へ沈んでいるみたいなのに、濡れている感じすらない。
「……死後って、もうちょい整理されてるもんじゃないのか」
呟いた声が、少し遅れて聞こえた。
返事の代わりに、光が一本走った。
青白い線。
いつもの未来線に似ている。
だがこれは、三秒先じゃない。
もっと遠い。
もっと多い。
次の瞬間、それが全部まとめて零の中へ流れ込んできた。
◇
白い病棟。
子供向けの壁画。
剥がれた太陽。
青い鳥。
ひび割れた虹。
ベッドが三つ並んでいる。
一人目。
静かな目の少女。
泣きそうでも、怒っているわけでもない。
ただ、最初から零を知っているみたいに、まっすぐ見ている。
黒いタグ。
細い手首。
`Y-09`
その数字だけが、やけに鮮明だった。
「帰ってきて」
聞こえた気がした。
そこで場面が裂ける。
今度は小さな手だ。
包帯を折って作った、歪な星。
両手で大事そうに握りしめている。
小さい。
軽い。
すぐ壊れそうな子供だ。
その包帯の星が、黒い液でじわじわ濡れていく。
「やめろ」
零は反射で手を伸ばす。
届かない。
次。
強い目の少女がいる。
不機嫌そうな顔。
噛みつくみたいな目つき。
けれど、立つ位置だけはずっと同じだった。
誰かを庇う位置だ。
その肩が裂ける。
腕が灰色の繊維へ変わる。
それでもなお、半歩も退かない。
「来るな」
その声だけが妙に近い。
次。
白い部屋。
観測窓。
ガラス。
拘束具。
壁一面に、数えきれない線が走っている。
QBX。
その文字だけが、白く浮かぶ。
都市の上に線が刺さっている。
道路。
病院。
更新列。
港。
住居区画。
全部に白い線が通っている。
制御しているというより、無理やり縫い止めている。
その何本かが、ぶつりと切れた。
更新端末の前で、人がまとめて崩れる。
列が倒れる。
街灯の下で、身体と影の順番が噛み合わなくなる。
遠くで火が上がる。
灰堂が立っている。
冷たい横顔のまま、燃える区画を見ている。
「切るしかない」
そう言った気がした。
次。
巨大なもの。
人の形ではない。
建物みたいに大きい、肉と繊維とタグの塊。
無数の腕。
無数の口。
助けを求める形のまま固まった手。
中心に、白い冠みたいな骨の輪。
それが脈打つたび、街の未来線がまとめて揺れた。
吐きそうになる。
だが、本当に嫌なのはその奥にいた。
自分だ。
右目だけが妙に明るい。
身体の表面を、タグ文字みたいな光が走っている。
人間の側から半歩落ちたものが、怪物を殴っている。
「やめろ」
零が言う。
だが未来は止まらない。
次。
また白い病棟。
三つの影。
静かな目。
包帯の星。
噛みつくみたいな目つき。
名前が順番なく流れ込む。
ユナ。
ミオ。
サナ。
まだ会っていない。
見たこともない。
なのに、その名前だけが最初から自分の中にあったみたいに馴染んだ。
◇
「零」
そこで、声が混ざった。
未来じゃない。
もっと近い。
もっと切実な声だ。
「零、聞こえる?」
ノアだ。
だが姿は見えない。
声だけが、暗闇の向こうから掠れて届く。
「返事して。死んでる場合じゃない」
「死んでるやつに要求高えな……」
言ったつもりだった。
でも自分の声はどこにも届かない。
別の声が割り込む。
「瞳孔反応、まだ落ち切ってない。脳幹側つなぐわよ」
朱璃だ。
最低な声色のくせに、今は妙に焦っている。
「ノア、固定」
「やってる」
「もっと」
「これ以上やると切れる」
「切れる前に戻せばいいの」
「雑」
「うるさい」
金属音。
血の匂い。
焼けた消毒液の匂い。
世界の端に、現実が戻ってくる。
「……おかしい」
朱璃の声が低くなる。
「入ってるのよ。頭蓋の命中痕はある。なのに弾頭がない」
「見間違いじゃない」
ノアの声が即座に返る。
「レムは撃った。零の頭に当たった」
「当たってるわよ。だから変なの」
少しの沈黙。
その沈黙が、死んだ場所へまで落ちてくる。
「破片もない」
朱璃が言う。
「出口も綺麗じゃない。抜けた感じでもない。命中した結果だけ残って、中身だけ消えてる」
「……QB汚染値」
ノアが何かを見ている。
端末だ。
たぶん、零の波形。
「被弾の瞬間に跳ねてる」
「どれくらい」
「ありえないくらい」
朱璃が、小さく笑った。
あの女が本気で嫌なものを見た時にだけ出す笑い方だ。
「最悪」
「うん」
「零の中のQBウイルスが、被弾の瞬間に緊急作動した可能性がある」
「助けた?」
「守ったか、ずらしたか、喰ったか。どれでも嫌」
「最後の言い方やめて」
「でも好きでしょ、こういうの」
「好きじゃない」
「嘘」
零は暗闇の中で、うんざりした。
死んだあとに聞く会話として、だいぶ質が悪い。
◇
また未来が来る。
今度はもっと近い。
ユナが、病棟の窓辺に立っている。
その横でミオが包帯の星を握っている。
サナだけが前に立って、何かから二人を庇っている。
窓の外は白いのに、床だけが黒い。
その白と黒の境目に、零自身の血が落ちた。
「帰ってきて」
ユナがもう一度言う。
その言葉に押されるみたいに、暗闇が急に狭くなる。
引っ張られる。
落ちるんじゃない。
逆に、どこかへ持ち上げられる。
吐き気。
頭痛。
肺の奥へ無理やり空気が押し込まれる感覚。
「戻る」
ノアの声。
「朱璃」
「分かってる」
白い光が裂けた。
◇
零は咳き込んだ。
空気が肺に入る。
それだけで胸が焼けた。
「っ、は……」
「おかえり」
最初に見えたのは、白衣だった。
御厨朱璃。
眼鏡の奥の目が、珍しく笑っていない。
その手には血のついた器具が握られている。
「帰り方が雑」
零が掠れた声で言う。
「死に方も雑だったから、おあいこ」
「よくねえ……」
視界を横へ動かす。
ノアがいた。
左肩に包帯。
脚も止血されている。
顔色は最悪なのに、端末だけは離していない。
「零」
「生きてる?」
「たぶん」
「曖昧」
「お前が言うな」
言った瞬間、後頭部に鈍い痛みが走る。
包帯が巻かれている。
頭の奥がまだ遅れている。
零は顔をしかめた。
「……当たったよな」
朱璃が即答した。
「当たった」
「じゃあ、なんで喋れてる」
「そこを今から私たちも考えるの」
ノアが端末画面を零へ向ける。
「命中痕はある」
「うん」
「でも弾頭がない」
零は数秒、黙った。
「は?」
「破片も薄い」
「抜けた?」
「それにしては出方が変」
朱璃が横から覗き込み、楽しそうでも不機嫌でもない、妙に真面目な顔で言う。
「あなた、頭を撃たれてるのよ。ちゃんと。なのに中に残るはずのものが残ってない」
「意味が分からん」
「こっちも」
零はゆっくり瞬きをした。
その拍子に、また一瞬だけ白い病棟が見えた。
静かな目。
包帯の星。
噛みつくみたいな目つき。
「……ユナ」
口が勝手に動いた。
ノアが顔を上げる。
朱璃の目が細くなる。
「今、何て?」
「ユナ」
零は自分でも分からないまま、続けていた。
「ミオ。サナ」
作業場の空気が、一瞬だけ止まる。
端末のどこにも、まだその名前は出ていない。
それでも零は知っていた。
白い病棟で見た。
未来の中で見た。
ノアが静かに聞く。
「誰」
零は乾いた喉で息をした。
「わからん」
頭痛の奥で、白い壁と黒いタグがまた明滅する。
「でも、あいつらを見た」
朱璃が、ようやくいつもの嫌な笑みを浮かべた。
「いいわね」
「よくない」
「最高の死に損ないじゃない」
「褒め方が最低だな」
「知ってる」
ノアは端末を握ったまま、零を見ていた。
その視線の奥には、安堵と警戒が両方ある。
「走馬灯じゃない」
零が低く言う。
「あれは、未来だ」
白い病棟。
ユナ。
ミオ。
サナ。
そして、頭に当たったはずの弾丸はどこにもない。
零は一度死んだ。
そのあとで、まだ来ていない未来だけを持って帰ってきた。
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