癒やしの魔女の息子は違和感をだく
ー/ー とある国にある厳かな神殿には今日も人が並んでいた。
彼らのお目当ては1人。"触れるだけで治る"と噂されている、旅の聖女に会うためだ。
「次の方、どうぞ」
静かな声が響く。同時に男がおずおずと動いた。
シスターと同じ服の女――セレーネの前に木こりが座る。腕には深い裂傷があり、当て布は血で汚れていた。
「森で少しやっちまって……」
「はい。少し触りますね」
「い、って……」
ヘトヘトになっている木こりは、利き腕を大けがしたショックで憔悴している。セレーネがそっと傷口にさわると痛みで木こりが顔をしかめた。
ほんの一瞬、ほのかな光が滲む。
「おお……!」
裂けていた皮膚がゆっくり閉じていくのを感じた木こりが息を呑む。
瞬きの間に、痛みが消えていたからだ。
「さすが奇跡を起こす聖女さま……」
「そんな、ただの薬師ですよ。無理はなさらないでくださいね。薬もお渡しします」
「ありがとうございます」
セレーネは小さく首を振ると手早く薬包紙を羊皮紙で包み、木こりに手渡す。崇めるように感謝を伝えながら去って行く木こりを見送ると、ふたたび次の患者を呼んだ。
その隅で小さな手が忙しなく動いている。黒髪の少年――ノクス。セレーネの息子は、ポーションを入れる瓶を並べ替えては首を傾げていた。
「ちがう……」
高さを揃え、間隔を均一にし、少しでもズレていると感じれば直している。乳鉢や薬研の場所もノクスの思うがまま動かされていた。
「ノクス」
ふとかけられた低い声にノクスが振り返る。すぐにむうっと唇を突き出した。
「勝手に触るなと言っただろう」
「ちゃんとやってるもん」
「そういう問題か?」
しゃがみこんでノクスを覗き込み、柔らかな頬をつつく男にノクスは言い返す。イヤイヤと首を振って指を追い払ったノクスは父親――レグルスをキッと睨んだ。
「ママは良いよって言う」
「言わない」
レグルスの即答に、ノクスは少しうつむいてから再び父を見上げる。
「言うもん」
レグルスはわずかに口元を緩めてノクスを撫でた。それ以上はなにも言わないことに決めたのか、膝に頬杖をついて息子を温かく見守る。
ぷくぷくの頬をたわむれにつついてノクスに嫌がられたり、落としそうになった道具を巻いているマフラーで受け止めたりとセレーネの道具で遊んでいるのを見つめていたレグルスはふと視線を神殿の外へ向けた。人の流れや足音、気配が慌ただしい。
――ふむ。
レグルスが目を細め、ノクスに隠れるよう言いつけて立ち上がった。
そのとき。
「誰か! 来てくれ!」
外から若い男性の悲鳴が響く。レグルスがセレーネへと目を走らせると、とすん、と小さな重みがしがみついてきた。ノクスがレグルスの足に頬をくっつけ、不安そうに瞳を揺らす。
「大丈夫だから隠れていなさい。パパとママが助けてくるから」
レグルスが安心させるようにほほえんで背中を押した。ノクスが物陰に隠れたところを見届けてから足早に神殿の外へ出て周囲を見渡す。
獣のような唸り声をあげて抑え付けられている男がいた。目は血走り、よだれにまみれた口元からはチラチラと牙のような歯が見える。――悪魔病だと誰かが叫んだ。
「もうダメだ……」
「誰か純銀のものは持っていないか? せめて楽にしてやろう」
「ううっ……」
泣き崩れる女は男の妻のようで、しきりに男の名前を叫んで近付こうとしては民衆に止められている。
ノクスは心を支配する恐怖で固まりながらも、恐ろしげに歪む大人を見ていた。
神殿から助祭が1人飛び出してきた。純銀のナイフを包んでいた布を不慣れな手つきでゆっくりひらいている。
耳障りな叫び声をあげる悪魔病の男以外は静まりかえるなかで、しずしずと近付いていく人影があった。
セレーネである。
「その方をお離しくださいませ」
「近付くな! 危ない!」
「わたくしは大丈夫です。ほかの方は念の為、近付かぬように」
おろおろとしている助祭の隣を通り、唖然としながらも見守る村民の前で、セレーネは拳を振り上げながら向かってくる男の目の前に手を掲げた。ほんの一瞬、まばゆい光がほとばしる。
あまりのまぶしさに目をつむっていた村民たちが次に見たのは、倒れ伏す男とセレーネだった。
「もう大丈夫です。目を覚ませば元の方に戻られていますよ。悪魔は去りました」
ほほえむセレーネの言葉ではじかれたように男の妻が飛び出してくる。うつぶせに倒れる男の背にすがりながら涙で濡れた顔をし、セレーネへ感謝を伝えた。
「ありがとう! ありがとうございます、聖女さま! このご恩は一生忘れません!」
村民たちは目を見ひらいたまま、この光景が夢ではなかろうかと頬をつねっている。そしてこれが現実のことだと気付くやあちこちから誰かの叫び声や笑いが響いた。
神殿のなかからひっそりと見ていたノクスは母を誇らしく思い、同時に首を傾げる。
「なおった……でも、あのおじさん、」
「……ちがう?」
ノクスの瞳に映る男は、穏やかな顔をしている。違和感をいだいたのか小さく首を傾げた。
そんな騒動の夜、3人は神殿の一室を借りて遅めの食事をしていた。旅の道中でもらった黒いパンと、神殿が民へ配っている質素なスープだけの食卓である。
「今日も人が多かったわね。レグルス、ごめんなさい。私のワガママで……」
「いい。お前の好きなようにするといい。何かあれば俺が追い払うだけだ」
「ありがとう。ノクスもごめんね、……ノクス?」
白布を脱いだセレーネがパンをちぎってスープに浸す。日持ちがするようカチカチに固められたパンは、スープで柔らかくしないと食べられない。
常に不機嫌そうな表情のレグルスにほほえんだセレーネが息子にも声をかけると、ノクスは食事に手を付けずジッとパンを見つめていた。
レグルスが切り分けた黒パンは形が少し歪んでいて、それが気になるのかグニグニと整える。ノクスの力では歪んだパンは戻らず、不満そうに眉をひそめた。
「ノクス」
レグルスが静かに息子を見つめる。
「なに? パパ」
「食べなさい」
「ノクス、ママがちぎってあげようか? スープが冷めると美味しくないよ」
セレーネたちと比べて全然食べていないノクスは、母に向かって「やってぇ」と甘えた声でおねだりをした。
ちぎられたパンを見てようやく満足して食べ始めたノクスを、セレーネとレグルスは愛おしそうに見つめながら互いに笑っていた。
翌日のことである。いつもと変わらず、神殿で怪我人を治していたセレーネを眺めていたノクスとレグルスが遊んでいたとき、突如として目深にフードを被った黒衣の者たちが押し入ってきた。異様な集団に村の男たちがいきり立ちつかみかかろうとする者もいたが、突き飛ばすようにして押し退けセレーネを目掛ける。
「見つけたぞ。エクレルムの『癒やし』の魔女」
低く絞り出すように男が叫び、驚いて棒立ちになっているセレーネへ腕を伸ばした。
「貴様を粛正することでエクレルムの平穏は保たれる!」
「我らが友人たるエクレルムの一族の汚点。魔女の風上にも置けぬ忌まわしき存在めが。死して詫びよ!」
フードが風ではためき、血走った目が露わになる。
理解が追いついたのか悲鳴をあげたセレーネの細い手首が、へし折られんばかりの怪力でつかまれた。
「雷よ!」
「アァアアッ!」
同時にセレーネからバチバチという音と焦げるような臭い匂いが漂う。
物陰から見ていたノクスは、ぐったりして動かない母を助けようと物陰から飛び出した。黒衣の者たちが取り出していた不気味に光るナイフからセレーネを守るようにして、母の胸にすがりつく。
「なんだ? このガキ……」
「構うな。面倒ならそのガキごと貫いてしまえばいいだけのことだ」
トクントクンと小さく聞こえる懐かしい音を拾いながら、ノクスはギュッと目をつむった。パパ、とか細い声でレグルスを呼びながら。
「おい」
黒衣の者たちが高々とナイフを掲げ、強く握り直したところでふと呼びかけられた。セレーネの手首をつかんでいた者が苛立ち紛れに振り返ると――視界の端で血しぶきがあがった。
断末魔さえあげることを許されずビクビクと痙攣しながら絶命する黒衣の者たち。その首に刺さっている巨大な剣の持ち主へと視線を向けると、不機嫌そうに顔をしかめながらマフラーに手をかけるレグルスがいた。
「俺の女に手を出して、ただで済むと思うな」
「まさか忌まわしい『異端の魔女』に男がいたとはな。ガキもこさえていたとは驚きだ。……おっと、動くなよ。即効性の毒でガキもろともだぜ」
すでに黒衣の者は、セレーネの手首をつかんでいる1人だけだ。全員がその場で血だまりに沈んでいる。全員をほふった巨大な剣に変化していたマフラーは赤く染まり、禍々しく最後の1人を狙っていた。
毒剣をノクスへ向ける黒衣の者はレグルスを脅しながらも逃げるために周囲へ目を走らせる。レグルスには刹那のときがあれば充分であると知らずに、神殿の奥の方へと。
「滅ぼせ、カース」
決着はわずか、瞬きのあいだについた。
大剣となったマフラーは黒衣の者の首をざっくりと切り落とし、簡単に命を奪ったからだ。
「あ、あなたがたは……彼女が『魔女』だと……?」
「……世話になった。掃除を丸投げしてすまないがよろしく頼む。そいつらは魔素を溜め込んでいるから浄化しないとアンデッドになる。そのあとは家畜の餌にしてしまっていい」
いまだに目を覚まさないセレーネを、ノクスごと抱き上げたレグルスはマフラーを器用に操って薬師道具を亜空間へ放り込むと助祭を一瞥する。
唖然とする村人は口々に「魔女……」「まさかあの人が……?」と囁きあっていた。
「……セレーネが魔女なら、お前たちはいままで治してもらった恩を忘れて石を投げるのか。まあ、どちらでもいい。俺たちはすぐにここを出て行く」
ひっそり後ろ手に石ころを持っていた村民はぎくりと肩を跳ねさせたが、レグルスには気に留めることなく神殿を出て行く。
☆
セレーネが目を覚ましたのは神殿がある村を出て半日後、すでに日が落ちきった頃合いだった。ノクスはセレーネの胸ですやすやと気持ちよさそうに熟睡していて、レグルスはたき火に枝を放り込んでいた。
「ルグ……? ここは……?」
「起きたかシラ。ノクスはしっかりしがみついて離れなかったからそのままそこで寝かせているぞ」
ノクスを落とさないよう注意しながら身を起こしたセレーネに、レグルスは神殿で起きたことを漏らさず伝える。黒衣の者たちがノクスごとセレーネを殺そうとしていたと知るや、青ざめた顔で息子を抱きしめた。
「物陰に隠れていなさいといつも言っているのに……可愛いノクス、無事で良かった」
「俺とお前の子だぞ。無鉄砲なのは俺たち譲りに決まっているだろうよ。それにシラ、お前を助けようとノクスは飛び出したんだ。あいつら如きに後れを取るな」
「ごめんなさい、ルグ。咄嗟のことで反応できなくて……もっと気をつけるわ」
そばへ寄ったレグルスの胸に頭を預けたセレーネは目を細める。パチパチと火の粉が弾ける音以外、虫の声や木の葉の話し声が聞こえない空間で、静かに一粒の涙を流した。
「ノクスがエクレルムの血を引いていると知ったら……こんな母から産まれたくなかったと幻滅するかしら」
「それ以前に魔女の家系だと知ったら、なんて思うと胸が張り裂けそうなの。魔女の母親なんていらないと言われたら……私、きっと立ち直れない」
いちど涙を流すと止まらなくなりボロボロと真珠のように大きな粒がセレーネの頬を濡らす。
「それだけじゃないの。今回は良かったけれど、エクレルムにノクスのことが知られたら今度はこの子を狙ってくるはずよ。ノクスが殺されるなんて考えただけで、もう……っ」
言葉にならないらしいセレーネは喘ぐように呼吸をし、眠るノクスを抱きしめた。
落ち着かせるように背中を撫でたレグルスは不機嫌そうな表情を和らげると、セレーネを逞しい腕で包み込む。
「すべて壊す」
「お前とノクス以外のすべてを。だからセレーネは笑っていろ」
「それにノクスは幻滅したりなどしない。セレーネのことを母親と慕い、愛しているノクスが『魔女の母などいらない』なんて言うはずがないだろうが」
レグルスの厚い胸板で熱を感じていたセレーネはそっと抱擁から離れると、うるんだ瞳で夫を見つめた。赤みを帯びた目元に涙で濡れた唇が煽情的で、レグルスは思わずゴクリと生唾を飲み込む。
「ほんとう? レグルス……」
「ああ。もっともそんなふざけた口を利くことは許さないが」
骨張った手がセレーネの頬を撫で、後頭部へと滑った。
ノクスを抱いているセレーネが恥じらったように頬を染め、そっと目を閉じる。
カサついた唇が柔らかなそれに重なり、次いでぬろりと出てきた舌が唇を割り入ろうとした、そのとき。
「うぅん……ママ……?」
もぞもぞとまぶたをこすりながら欠伸をするノクス。
咄嗟に飛び退いたレグルスと、真っ赤になりながら口元を拭うセレーネを見て不思議そうにしていたノクスだったが、眠る前のことを思い出したのかだんだんと涙が盛り上がる。
「ママぁ! うわぁあん! ママぁ~っ!」
「ああ、ノクス。可愛い子。心配させてごめんね」
首にかじりついてわんわんと泣くノクスを強く抱きしめたセレーネは、「ありがとう」と「大丈夫よ」を繰り返した。
翌朝、日が昇り、セレーネたちは仲良く手を繋ぎながら次の街を目指し始める。そこでもセレーネは薬師として人々を治し、ノクスはセレーネの仕事道具を並べ直し、レグルスは家族を見守りながら村を外敵から守り……と日々を過ごしていた。
ノクスは今日も道具を並べ直す。位置を、あいだを微調整しては気難しそうにムッと唇を突き出した。どうしてもノクスの気が済まず延々と道具をいじっている。
セレーネが人を治すときと同じだった。綺麗に治しているのに、ノクスにはどこかが違って見えるのだ。
――どうして、こんなにちがうのに。
――なおしても、なおしても、おかしいのかな。
ノクスには正解が分からなかった。
しかし。
「まあ、いっか」
ノクスは笑う。
セレーネの仕事ぶりに目を輝かせながら、レグルスに見守られて今日もほんのわずかに歪む道具たちを直していた。
彼らのお目当ては1人。"触れるだけで治る"と噂されている、旅の聖女に会うためだ。
「次の方、どうぞ」
静かな声が響く。同時に男がおずおずと動いた。
シスターと同じ服の女――セレーネの前に木こりが座る。腕には深い裂傷があり、当て布は血で汚れていた。
「森で少しやっちまって……」
「はい。少し触りますね」
「い、って……」
ヘトヘトになっている木こりは、利き腕を大けがしたショックで憔悴している。セレーネがそっと傷口にさわると痛みで木こりが顔をしかめた。
ほんの一瞬、ほのかな光が滲む。
「おお……!」
裂けていた皮膚がゆっくり閉じていくのを感じた木こりが息を呑む。
瞬きの間に、痛みが消えていたからだ。
「さすが奇跡を起こす聖女さま……」
「そんな、ただの薬師ですよ。無理はなさらないでくださいね。薬もお渡しします」
「ありがとうございます」
セレーネは小さく首を振ると手早く薬包紙を羊皮紙で包み、木こりに手渡す。崇めるように感謝を伝えながら去って行く木こりを見送ると、ふたたび次の患者を呼んだ。
その隅で小さな手が忙しなく動いている。黒髪の少年――ノクス。セレーネの息子は、ポーションを入れる瓶を並べ替えては首を傾げていた。
「ちがう……」
高さを揃え、間隔を均一にし、少しでもズレていると感じれば直している。乳鉢や薬研の場所もノクスの思うがまま動かされていた。
「ノクス」
ふとかけられた低い声にノクスが振り返る。すぐにむうっと唇を突き出した。
「勝手に触るなと言っただろう」
「ちゃんとやってるもん」
「そういう問題か?」
しゃがみこんでノクスを覗き込み、柔らかな頬をつつく男にノクスは言い返す。イヤイヤと首を振って指を追い払ったノクスは父親――レグルスをキッと睨んだ。
「ママは良いよって言う」
「言わない」
レグルスの即答に、ノクスは少しうつむいてから再び父を見上げる。
「言うもん」
レグルスはわずかに口元を緩めてノクスを撫でた。それ以上はなにも言わないことに決めたのか、膝に頬杖をついて息子を温かく見守る。
ぷくぷくの頬をたわむれにつついてノクスに嫌がられたり、落としそうになった道具を巻いているマフラーで受け止めたりとセレーネの道具で遊んでいるのを見つめていたレグルスはふと視線を神殿の外へ向けた。人の流れや足音、気配が慌ただしい。
――ふむ。
レグルスが目を細め、ノクスに隠れるよう言いつけて立ち上がった。
そのとき。
「誰か! 来てくれ!」
外から若い男性の悲鳴が響く。レグルスがセレーネへと目を走らせると、とすん、と小さな重みがしがみついてきた。ノクスがレグルスの足に頬をくっつけ、不安そうに瞳を揺らす。
「大丈夫だから隠れていなさい。パパとママが助けてくるから」
レグルスが安心させるようにほほえんで背中を押した。ノクスが物陰に隠れたところを見届けてから足早に神殿の外へ出て周囲を見渡す。
獣のような唸り声をあげて抑え付けられている男がいた。目は血走り、よだれにまみれた口元からはチラチラと牙のような歯が見える。――悪魔病だと誰かが叫んだ。
「もうダメだ……」
「誰か純銀のものは持っていないか? せめて楽にしてやろう」
「ううっ……」
泣き崩れる女は男の妻のようで、しきりに男の名前を叫んで近付こうとしては民衆に止められている。
ノクスは心を支配する恐怖で固まりながらも、恐ろしげに歪む大人を見ていた。
神殿から助祭が1人飛び出してきた。純銀のナイフを包んでいた布を不慣れな手つきでゆっくりひらいている。
耳障りな叫び声をあげる悪魔病の男以外は静まりかえるなかで、しずしずと近付いていく人影があった。
セレーネである。
「その方をお離しくださいませ」
「近付くな! 危ない!」
「わたくしは大丈夫です。ほかの方は念の為、近付かぬように」
おろおろとしている助祭の隣を通り、唖然としながらも見守る村民の前で、セレーネは拳を振り上げながら向かってくる男の目の前に手を掲げた。ほんの一瞬、まばゆい光がほとばしる。
あまりのまぶしさに目をつむっていた村民たちが次に見たのは、倒れ伏す男とセレーネだった。
「もう大丈夫です。目を覚ませば元の方に戻られていますよ。悪魔は去りました」
ほほえむセレーネの言葉ではじかれたように男の妻が飛び出してくる。うつぶせに倒れる男の背にすがりながら涙で濡れた顔をし、セレーネへ感謝を伝えた。
「ありがとう! ありがとうございます、聖女さま! このご恩は一生忘れません!」
村民たちは目を見ひらいたまま、この光景が夢ではなかろうかと頬をつねっている。そしてこれが現実のことだと気付くやあちこちから誰かの叫び声や笑いが響いた。
神殿のなかからひっそりと見ていたノクスは母を誇らしく思い、同時に首を傾げる。
「なおった……でも、あのおじさん、」
「……ちがう?」
ノクスの瞳に映る男は、穏やかな顔をしている。違和感をいだいたのか小さく首を傾げた。
そんな騒動の夜、3人は神殿の一室を借りて遅めの食事をしていた。旅の道中でもらった黒いパンと、神殿が民へ配っている質素なスープだけの食卓である。
「今日も人が多かったわね。レグルス、ごめんなさい。私のワガママで……」
「いい。お前の好きなようにするといい。何かあれば俺が追い払うだけだ」
「ありがとう。ノクスもごめんね、……ノクス?」
白布を脱いだセレーネがパンをちぎってスープに浸す。日持ちがするようカチカチに固められたパンは、スープで柔らかくしないと食べられない。
常に不機嫌そうな表情のレグルスにほほえんだセレーネが息子にも声をかけると、ノクスは食事に手を付けずジッとパンを見つめていた。
レグルスが切り分けた黒パンは形が少し歪んでいて、それが気になるのかグニグニと整える。ノクスの力では歪んだパンは戻らず、不満そうに眉をひそめた。
「ノクス」
レグルスが静かに息子を見つめる。
「なに? パパ」
「食べなさい」
「ノクス、ママがちぎってあげようか? スープが冷めると美味しくないよ」
セレーネたちと比べて全然食べていないノクスは、母に向かって「やってぇ」と甘えた声でおねだりをした。
ちぎられたパンを見てようやく満足して食べ始めたノクスを、セレーネとレグルスは愛おしそうに見つめながら互いに笑っていた。
翌日のことである。いつもと変わらず、神殿で怪我人を治していたセレーネを眺めていたノクスとレグルスが遊んでいたとき、突如として目深にフードを被った黒衣の者たちが押し入ってきた。異様な集団に村の男たちがいきり立ちつかみかかろうとする者もいたが、突き飛ばすようにして押し退けセレーネを目掛ける。
「見つけたぞ。エクレルムの『癒やし』の魔女」
低く絞り出すように男が叫び、驚いて棒立ちになっているセレーネへ腕を伸ばした。
「貴様を粛正することでエクレルムの平穏は保たれる!」
「我らが友人たるエクレルムの一族の汚点。魔女の風上にも置けぬ忌まわしき存在めが。死して詫びよ!」
フードが風ではためき、血走った目が露わになる。
理解が追いついたのか悲鳴をあげたセレーネの細い手首が、へし折られんばかりの怪力でつかまれた。
「雷よ!」
「アァアアッ!」
同時にセレーネからバチバチという音と焦げるような臭い匂いが漂う。
物陰から見ていたノクスは、ぐったりして動かない母を助けようと物陰から飛び出した。黒衣の者たちが取り出していた不気味に光るナイフからセレーネを守るようにして、母の胸にすがりつく。
「なんだ? このガキ……」
「構うな。面倒ならそのガキごと貫いてしまえばいいだけのことだ」
トクントクンと小さく聞こえる懐かしい音を拾いながら、ノクスはギュッと目をつむった。パパ、とか細い声でレグルスを呼びながら。
「おい」
黒衣の者たちが高々とナイフを掲げ、強く握り直したところでふと呼びかけられた。セレーネの手首をつかんでいた者が苛立ち紛れに振り返ると――視界の端で血しぶきがあがった。
断末魔さえあげることを許されずビクビクと痙攣しながら絶命する黒衣の者たち。その首に刺さっている巨大な剣の持ち主へと視線を向けると、不機嫌そうに顔をしかめながらマフラーに手をかけるレグルスがいた。
「俺の女に手を出して、ただで済むと思うな」
「まさか忌まわしい『異端の魔女』に男がいたとはな。ガキもこさえていたとは驚きだ。……おっと、動くなよ。即効性の毒でガキもろともだぜ」
すでに黒衣の者は、セレーネの手首をつかんでいる1人だけだ。全員がその場で血だまりに沈んでいる。全員をほふった巨大な剣に変化していたマフラーは赤く染まり、禍々しく最後の1人を狙っていた。
毒剣をノクスへ向ける黒衣の者はレグルスを脅しながらも逃げるために周囲へ目を走らせる。レグルスには刹那のときがあれば充分であると知らずに、神殿の奥の方へと。
「滅ぼせ、カース」
決着はわずか、瞬きのあいだについた。
大剣となったマフラーは黒衣の者の首をざっくりと切り落とし、簡単に命を奪ったからだ。
「あ、あなたがたは……彼女が『魔女』だと……?」
「……世話になった。掃除を丸投げしてすまないがよろしく頼む。そいつらは魔素を溜め込んでいるから浄化しないとアンデッドになる。そのあとは家畜の餌にしてしまっていい」
いまだに目を覚まさないセレーネを、ノクスごと抱き上げたレグルスはマフラーを器用に操って薬師道具を亜空間へ放り込むと助祭を一瞥する。
唖然とする村人は口々に「魔女……」「まさかあの人が……?」と囁きあっていた。
「……セレーネが魔女なら、お前たちはいままで治してもらった恩を忘れて石を投げるのか。まあ、どちらでもいい。俺たちはすぐにここを出て行く」
ひっそり後ろ手に石ころを持っていた村民はぎくりと肩を跳ねさせたが、レグルスには気に留めることなく神殿を出て行く。
☆
セレーネが目を覚ましたのは神殿がある村を出て半日後、すでに日が落ちきった頃合いだった。ノクスはセレーネの胸ですやすやと気持ちよさそうに熟睡していて、レグルスはたき火に枝を放り込んでいた。
「ルグ……? ここは……?」
「起きたかシラ。ノクスはしっかりしがみついて離れなかったからそのままそこで寝かせているぞ」
ノクスを落とさないよう注意しながら身を起こしたセレーネに、レグルスは神殿で起きたことを漏らさず伝える。黒衣の者たちがノクスごとセレーネを殺そうとしていたと知るや、青ざめた顔で息子を抱きしめた。
「物陰に隠れていなさいといつも言っているのに……可愛いノクス、無事で良かった」
「俺とお前の子だぞ。無鉄砲なのは俺たち譲りに決まっているだろうよ。それにシラ、お前を助けようとノクスは飛び出したんだ。あいつら如きに後れを取るな」
「ごめんなさい、ルグ。咄嗟のことで反応できなくて……もっと気をつけるわ」
そばへ寄ったレグルスの胸に頭を預けたセレーネは目を細める。パチパチと火の粉が弾ける音以外、虫の声や木の葉の話し声が聞こえない空間で、静かに一粒の涙を流した。
「ノクスがエクレルムの血を引いていると知ったら……こんな母から産まれたくなかったと幻滅するかしら」
「それ以前に魔女の家系だと知ったら、なんて思うと胸が張り裂けそうなの。魔女の母親なんていらないと言われたら……私、きっと立ち直れない」
いちど涙を流すと止まらなくなりボロボロと真珠のように大きな粒がセレーネの頬を濡らす。
「それだけじゃないの。今回は良かったけれど、エクレルムにノクスのことが知られたら今度はこの子を狙ってくるはずよ。ノクスが殺されるなんて考えただけで、もう……っ」
言葉にならないらしいセレーネは喘ぐように呼吸をし、眠るノクスを抱きしめた。
落ち着かせるように背中を撫でたレグルスは不機嫌そうな表情を和らげると、セレーネを逞しい腕で包み込む。
「すべて壊す」
「お前とノクス以外のすべてを。だからセレーネは笑っていろ」
「それにノクスは幻滅したりなどしない。セレーネのことを母親と慕い、愛しているノクスが『魔女の母などいらない』なんて言うはずがないだろうが」
レグルスの厚い胸板で熱を感じていたセレーネはそっと抱擁から離れると、うるんだ瞳で夫を見つめた。赤みを帯びた目元に涙で濡れた唇が煽情的で、レグルスは思わずゴクリと生唾を飲み込む。
「ほんとう? レグルス……」
「ああ。もっともそんなふざけた口を利くことは許さないが」
骨張った手がセレーネの頬を撫で、後頭部へと滑った。
ノクスを抱いているセレーネが恥じらったように頬を染め、そっと目を閉じる。
カサついた唇が柔らかなそれに重なり、次いでぬろりと出てきた舌が唇を割り入ろうとした、そのとき。
「うぅん……ママ……?」
もぞもぞとまぶたをこすりながら欠伸をするノクス。
咄嗟に飛び退いたレグルスと、真っ赤になりながら口元を拭うセレーネを見て不思議そうにしていたノクスだったが、眠る前のことを思い出したのかだんだんと涙が盛り上がる。
「ママぁ! うわぁあん! ママぁ~っ!」
「ああ、ノクス。可愛い子。心配させてごめんね」
首にかじりついてわんわんと泣くノクスを強く抱きしめたセレーネは、「ありがとう」と「大丈夫よ」を繰り返した。
翌朝、日が昇り、セレーネたちは仲良く手を繋ぎながら次の街を目指し始める。そこでもセレーネは薬師として人々を治し、ノクスはセレーネの仕事道具を並べ直し、レグルスは家族を見守りながら村を外敵から守り……と日々を過ごしていた。
ノクスは今日も道具を並べ直す。位置を、あいだを微調整しては気難しそうにムッと唇を突き出した。どうしてもノクスの気が済まず延々と道具をいじっている。
セレーネが人を治すときと同じだった。綺麗に治しているのに、ノクスにはどこかが違って見えるのだ。
――どうして、こんなにちがうのに。
――なおしても、なおしても、おかしいのかな。
ノクスには正解が分からなかった。
しかし。
「まあ、いっか」
ノクスは笑う。
セレーネの仕事ぶりに目を輝かせながら、レグルスに見守られて今日もほんのわずかに歪む道具たちを直していた。
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