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第04話 更新列

ー/ー



 今回の目的は、`QBX-NULL` と `Y-09`、そして新しく出た `S-08` の出所を、中央医療管理局側から洗うことだった。

 地下保守路で化け物が出た時点で、もう軽度異常案件の延長では済まない。

 しかも違法投与の痕は、表の病院の中から出ている。

 追えなければ、次は処置棟の中でまた誰かが壊れる。

 だから零とノアは、負傷した保守員を連れて第七処置棟へ戻っていた。

 零は腰のPX4の重さを、ノアは肩にかけたPMXの位置を、それぞれ癖みたいに確かめながら歩く。
 戦闘はひとまず終わっている。
 だが、こういう時ほど次はたいてい別の顔で来る。

 白い建物だった。

 相変わらず、正しそうな顔をしている。

 だが正面玄関の前まで来れば、その正しさがどこへ向いているのかはすぐ分かる。

 更新列ができていた。

 ガラス張りのロビーを縦に切るように、人が一列で並んでいる。

 仕事帰りの会社員。
 制服姿の学生。
 買い物袋を提げた母親。
 咳き込んでいる男。
 指先の震えを隠している女。

 みんな左手首を気にしながら、自分の番を待っていた。

 端末へタグをかざす。
 短い穿刺音。
 薬剤注入。
 認証完了。

 それだけで、何事もなかった顔をして次へ進む。

「病院っていうか、給餌場だな」

 零が言う。

「飼育場の方が近い」

 ノアが横で返す。

「言い方」

「事実」

 零は肩を貸していた保守員を見た。

 まだ若い。顔色は悪い。足の裂傷は応急止血しかしていない。

 それでも受付ドローンは、傷ではなくタグへ先に視線を向けた。

『更新未了のため、優先処置対象外です』

「は?」

 零が素で言う。

『更新後、処置列へ並んでください』

「こいつ、さっき地下で死にかけてたんだぞ」

『更新未了のため、優先処置対象外です』

「会話が成立してねえ」

「元から」

 ノアが淡々と言う。

 もうひとりの保守員は、壁際のストレッチャーへ寝かされていた。意識は戻っているが、まだまともに喋れない。

 零は小さく舌打ちした。

 この街は怪我より先に番号を見る。

 番号を通らなければ、血を流していても順番の外だ。

 その時、更新列の中ほどで怒鳴り声が上がった。

「だから先に診ろって言ってんだろ!」

 作業着姿の男が、列から半歩外へ出ていた。
 右手の指がうまく閉じないらしい。
 指先だけが、半拍遅れてぴくぴく動いている。

 だが受付ドローンは男を見ない。
 タグしか見ていない。

『列外行動を検知』
『タグ提示を要請します』

 待合ロビーの空気が、すっと引く。

 誰も止めない。
 誰も一緒に怒鳴らない。
 巻き込まれないように、列だけが半歩ずつ距離を取る。

「景気悪いな」

 零が呟く。

「いつも通り」

 ノアが返す。

 零はその男のところへ歩いた。

「貸せ」

「……機関かよ」

「見れば分かるだろ」

「じゃあ余計に触るな」

「今そういう局面じゃねえんだよ」

 零は男の手首を掴み、タグを無理やり更新端末へ押しつけた。

 認証音。
 緑。

 それだけで頭上の赤い監視ランプが消える。

 男は零の手を振りほどいた。

「触るな」

「礼は?」

「機関にやるもんか」

「だろうな」

 零はそれ以上言わずに戻る。

 背中越しに、処置番号が機械音声で読み上げられた。

 番号を通す。
 人間はその後だ。

 この建物では、その順番だけが絶対らしい。

「今の、ちょっとかっこつけた?」

 ノアが聞く。

「殺すぞ」

「元気でよろしい」

「お前もその返し好きだな」

「使いやすいから」

 灰堂は最上階の管理エリアにいた。

 ガラス壁の前。
 白い光。
 静かなモニタ群。

 この建物の中でいちばん人間らしくない場所に、いちばん似合う男が立っている。

「遅い」

 振り向きもせずに言う。

「負傷者二人連れてきたんだよ」

「処置班へ回した」

「ああ、番号通したらな」

 灰堂はそこで初めて振り向いた。

 黒い制服。
 乱れのない襟元。
 表情の薄い目。

「回収ログを」

 零は黒い端末を机へ置いた。

 ノアは横の補助端末へすでに手を伸ばしている。
 灰堂は止めない。
 止めても、たぶんもう遅いからだ。

 モニタに記録が展開される。

 `Y-09`
 `S-08`
 未登録子供識別コード群。
 旧小児研究棟第七区画。

 そして、途中で何度も削られた搬送経路。

「知ってた顔だな」

 零が言う。

「断片はな」

「みんなその言い方するよな」

「大事な話ほど、現場で全部開くべきではない」

「今もうだいぶ大事だろ」

「まだ管理できる範囲だ」

「その理屈ほんと嫌いだ」

 ノアが画面を送る。

「更新列から外れた患者タグが、また橋にされてる」

「貨物列車だけじゃないのか」

「うん。第七処置棟側でも何件か照会痕がある」

 画面が切り替わる。

 施設コード。
 古い搬送記録。
 小児病棟。
 観察室。
 保護区画。

 そして空欄にされた一画。

「そこ、飛んでるな」

 零が言う。

「消されてる」

 ノアが返す。

「旧小児研究棟第七区画」

 灰堂が平坦に言う。

「記録上は閉鎖済みだ」

「表向きには、だろ」

「理解が早いな」

「お前の言い回しがパターン化してるだけだ」

 零は画面を睨む。

 児童搬送台帳。
 年齢。
 適合率。
 投与履歴。

 その中ほどで、指が止まる。

 `Y-09`

 それだけだ。
 名前はない。
 顔もない。

 なのに、妙に引っかかる。

「零」

 ノアが横から小さく呼ぶ。

「なに」

「顔」

「何だよ」

「うるさい」

「悪口だなそれ」

「考えごとしてる時、わかりやすい」

「お前だけだよ分かるの」

「光栄」

 灰堂が、ほんの少しだけ目を細める。

「旧小児研究棟第七区画を確認する」

「今からか」

「遅いよりましだ」

「お前が言うと腹立つな」

 ロビー側の大型モニタが、一瞬だけ乱れた。

 ノイズ。
 白い線。

 病院案内画面が崩れ、その一秒だけ、別の映像が差し込まれる。

 白い部屋。
 細長いカプセル。
 その前を、小さな影が横切る。

 子供くらいの背丈。

 だが顔までは見えない。

 次の瞬間には、また通常の案内画面へ戻っていた。

「見たか」

 零が言う。

「見た」

 ノアが答える。

「偶然?」

「この街でそれ言うの、だいぶ楽観的」

 零は小さく息を吐いた。

「便利に使うな、その台詞」

「使いやすいから」

 灰堂は後ろの機関兵へ命じる。

「監視系のログ保全を優先しろ」

「人より先に映像かよ」

「映像がなければ、人の数も確定できない」

「それだよ」

 零はガラス越しの更新列を見る。

 誰かが薬を打たれる。
 誰かが番号を通される。
 誰かが白い部屋へ消えていく。

 全部が巨大な機械の中の整列作業みたいだった。

「病院っていうより、選別場だな」

「今さら気づいたか」

 灰堂の返しは平坦だった。

「気づいてたけど、毎回嫌なんだよ」

「感想は記録に残らない」

「そこだよ」

 ノアが端末を閉じる。

「零」

「なんだ」

「今夜、寝る気ある?」

「なくなった」

「よかった」

「どこがだよ」

「話が早い」

 零はようやく少しだけ笑った。

 笑える話ではない。
 だが笑わないと、この白さに飲まれそうだった。

 灰堂が最後に言う。

「出発は一時間後だ。装備を更新しろ」

「仮眠は」

「あると思うか?」

「最近その返しばっかだな」

「質問の質を上げろ」

「ほんと嫌な上司」

「成果で黙らせる」

「だからその言い方なんだよ」

 零は踵を返す。
 ノアも続く。

 エレベータへ向かう途中、ガラス越しにもう一度だけ大型モニタを見る。
 そこにはもう、白い部屋も小さな影も映っていない。

 病院案内だけが、何事もなかった顔で流れていた。

「見せてきたな」

 零が言う。

「うん」

「誘ってる」

「たぶん」

「嫌な感じしかしねえ」

「今さら」

 エレベータの扉が閉まる。

 白い管理棟の下へ。
 閉鎖病棟の方へ。

 まだ顔も知らないはずの番号だけが、頭の奥に残っていた。

 `Y-09`
 `S-08`

 この街が、表に出したがらない名前だった。



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 今回の目的は、`QBX-NULL` と `Y-09`、そして新しく出た `S-08` の出所を、中央医療管理局側から洗うことだった。
 地下保守路で化け物が出た時点で、もう軽度異常案件の延長では済まない。
 しかも違法投与の痕は、表の病院の中から出ている。
 追えなければ、次は処置棟の中でまた誰かが壊れる。
 だから零とノアは、負傷した保守員を連れて第七処置棟へ戻っていた。
 零は腰のPX4の重さを、ノアは肩にかけたPMXの位置を、それぞれ癖みたいに確かめながら歩く。
 戦闘はひとまず終わっている。
 だが、こういう時ほど次はたいてい別の顔で来る。
 白い建物だった。
 相変わらず、正しそうな顔をしている。
 だが正面玄関の前まで来れば、その正しさがどこへ向いているのかはすぐ分かる。
 更新列ができていた。
 ガラス張りのロビーを縦に切るように、人が一列で並んでいる。
 仕事帰りの会社員。
 制服姿の学生。
 買い物袋を提げた母親。
 咳き込んでいる男。
 指先の震えを隠している女。
 みんな左手首を気にしながら、自分の番を待っていた。
 端末へタグをかざす。
 短い穿刺音。
 薬剤注入。
 認証完了。
 それだけで、何事もなかった顔をして次へ進む。
「病院っていうか、給餌場だな」
 零が言う。
「飼育場の方が近い」
 ノアが横で返す。
「言い方」
「事実」
 零は肩を貸していた保守員を見た。
 まだ若い。顔色は悪い。足の裂傷は応急止血しかしていない。
 それでも受付ドローンは、傷ではなくタグへ先に視線を向けた。
『更新未了のため、優先処置対象外です』
「は?」
 零が素で言う。
『更新後、処置列へ並んでください』
「こいつ、さっき地下で死にかけてたんだぞ」
『更新未了のため、優先処置対象外です』
「会話が成立してねえ」
「元から」
 ノアが淡々と言う。
 もうひとりの保守員は、壁際のストレッチャーへ寝かされていた。意識は戻っているが、まだまともに喋れない。
 零は小さく舌打ちした。
 この街は怪我より先に番号を見る。
 番号を通らなければ、血を流していても順番の外だ。
 その時、更新列の中ほどで怒鳴り声が上がった。
「だから先に診ろって言ってんだろ!」
 作業着姿の男が、列から半歩外へ出ていた。
 右手の指がうまく閉じないらしい。
 指先だけが、半拍遅れてぴくぴく動いている。
 だが受付ドローンは男を見ない。
 タグしか見ていない。
『列外行動を検知』
『タグ提示を要請します』
 待合ロビーの空気が、すっと引く。
 誰も止めない。
 誰も一緒に怒鳴らない。
 巻き込まれないように、列だけが半歩ずつ距離を取る。
「景気悪いな」
 零が呟く。
「いつも通り」
 ノアが返す。
 零はその男のところへ歩いた。
「貸せ」
「……機関かよ」
「見れば分かるだろ」
「じゃあ余計に触るな」
「今そういう局面じゃねえんだよ」
 零は男の手首を掴み、タグを無理やり更新端末へ押しつけた。
 認証音。
 緑。
 それだけで頭上の赤い監視ランプが消える。
 男は零の手を振りほどいた。
「触るな」
「礼は?」
「機関にやるもんか」
「だろうな」
 零はそれ以上言わずに戻る。
 背中越しに、処置番号が機械音声で読み上げられた。
 番号を通す。
 人間はその後だ。
 この建物では、その順番だけが絶対らしい。
「今の、ちょっとかっこつけた?」
 ノアが聞く。
「殺すぞ」
「元気でよろしい」
「お前もその返し好きだな」
「使いやすいから」
 灰堂は最上階の管理エリアにいた。
 ガラス壁の前。
 白い光。
 静かなモニタ群。
 この建物の中でいちばん人間らしくない場所に、いちばん似合う男が立っている。
「遅い」
 振り向きもせずに言う。
「負傷者二人連れてきたんだよ」
「処置班へ回した」
「ああ、番号通したらな」
 灰堂はそこで初めて振り向いた。
 黒い制服。
 乱れのない襟元。
 表情の薄い目。
「回収ログを」
 零は黒い端末を机へ置いた。
 ノアは横の補助端末へすでに手を伸ばしている。
 灰堂は止めない。
 止めても、たぶんもう遅いからだ。
 モニタに記録が展開される。
 `Y-09`
 `S-08`
 未登録子供識別コード群。
 旧小児研究棟第七区画。
 そして、途中で何度も削られた搬送経路。
「知ってた顔だな」
 零が言う。
「断片はな」
「みんなその言い方するよな」
「大事な話ほど、現場で全部開くべきではない」
「今もうだいぶ大事だろ」
「まだ管理できる範囲だ」
「その理屈ほんと嫌いだ」
 ノアが画面を送る。
「更新列から外れた患者タグが、また橋にされてる」
「貨物列車だけじゃないのか」
「うん。第七処置棟側でも何件か照会痕がある」
 画面が切り替わる。
 施設コード。
 古い搬送記録。
 小児病棟。
 観察室。
 保護区画。
 そして空欄にされた一画。
「そこ、飛んでるな」
 零が言う。
「消されてる」
 ノアが返す。
「旧小児研究棟第七区画」
 灰堂が平坦に言う。
「記録上は閉鎖済みだ」
「表向きには、だろ」
「理解が早いな」
「お前の言い回しがパターン化してるだけだ」
 零は画面を睨む。
 児童搬送台帳。
 年齢。
 適合率。
 投与履歴。
 その中ほどで、指が止まる。
 `Y-09`
 それだけだ。
 名前はない。
 顔もない。
 なのに、妙に引っかかる。
「零」
 ノアが横から小さく呼ぶ。
「なに」
「顔」
「何だよ」
「うるさい」
「悪口だなそれ」
「考えごとしてる時、わかりやすい」
「お前だけだよ分かるの」
「光栄」
 灰堂が、ほんの少しだけ目を細める。
「旧小児研究棟第七区画を確認する」
「今からか」
「遅いよりましだ」
「お前が言うと腹立つな」
 ロビー側の大型モニタが、一瞬だけ乱れた。
 ノイズ。
 白い線。
 病院案内画面が崩れ、その一秒だけ、別の映像が差し込まれる。
 白い部屋。
 細長いカプセル。
 その前を、小さな影が横切る。
 子供くらいの背丈。
 だが顔までは見えない。
 次の瞬間には、また通常の案内画面へ戻っていた。
「見たか」
 零が言う。
「見た」
 ノアが答える。
「偶然?」
「この街でそれ言うの、だいぶ楽観的」
 零は小さく息を吐いた。
「便利に使うな、その台詞」
「使いやすいから」
 灰堂は後ろの機関兵へ命じる。
「監視系のログ保全を優先しろ」
「人より先に映像かよ」
「映像がなければ、人の数も確定できない」
「それだよ」
 零はガラス越しの更新列を見る。
 誰かが薬を打たれる。
 誰かが番号を通される。
 誰かが白い部屋へ消えていく。
 全部が巨大な機械の中の整列作業みたいだった。
「病院っていうより、選別場だな」
「今さら気づいたか」
 灰堂の返しは平坦だった。
「気づいてたけど、毎回嫌なんだよ」
「感想は記録に残らない」
「そこだよ」
 ノアが端末を閉じる。
「零」
「なんだ」
「今夜、寝る気ある?」
「なくなった」
「よかった」
「どこがだよ」
「話が早い」
 零はようやく少しだけ笑った。
 笑える話ではない。
 だが笑わないと、この白さに飲まれそうだった。
 灰堂が最後に言う。
「出発は一時間後だ。装備を更新しろ」
「仮眠は」
「あると思うか?」
「最近その返しばっかだな」
「質問の質を上げろ」
「ほんと嫌な上司」
「成果で黙らせる」
「だからその言い方なんだよ」
 零は踵を返す。
 ノアも続く。
 エレベータへ向かう途中、ガラス越しにもう一度だけ大型モニタを見る。
 そこにはもう、白い部屋も小さな影も映っていない。
 病院案内だけが、何事もなかった顔で流れていた。
「見せてきたな」
 零が言う。
「うん」
「誘ってる」
「たぶん」
「嫌な感じしかしねえ」
「今さら」
 エレベータの扉が閉まる。
 白い管理棟の下へ。
 閉鎖病棟の方へ。
 まだ顔も知らないはずの番号だけが、頭の奥に残っていた。
 `Y-09`
 `S-08`
 この街が、表に出したがらない名前だった。