192. 妖精たちのダンス

ー/ー



 今まで見た高層建築など、五階建てがせいぜいだった。

 それでも「高い」と思っていた。人間の技術の限界だと、信じていた。石を積み、木を組み、人の手で築き上げられるのはそこまでだと。

 しかし――この塔は、そんな常識を嘲笑うかのように、遥か高みに達している。

「こ、これは一体……?」

 レスター三世は、かすれた声でミーシャに尋ねた。自分の声が震えているのが分かった。六十年間、王として威厳を保ち続けてきた声が、今は子供のように頼りない。

「ここが我が王国の中枢、アルカナタワーですわ」

 ミーシャは、誇らしげに微笑んだ。

「三百階建てで、高さ一キロ。王宮も兼ねておりますの」

「さ、三百……階……!?」

 レスター三世は、口をあんぐりと開けた。

 三百階。

 高さ一キロ。

 その数字が、頭の中で意味を成さなかった。

 キロという単位が建物の高さを表しているという事実が、どうしても理解できなかった。

 あまりにも、途方もない。

 自分の王宮は、五階建てだ。それでも、王国中で最も高い建物だった。民は王宮を見上げ、その威容に畏敬の念を抱いた。王の住まう場所として、これ以上の高さは不要だと、誰もが信じていた。

 しかしこの塔は――その六十倍の高さがあるというのか。

 レスター三世は、めまいを覚えた。

 足元がふらつく。地面が揺れているような錯覚に襲われた。いや、揺れているのは地面ではない。自分の常識、自分の世界観、自分の人生そのものが、根底から揺さぶられているのだ。

 実はこの湖も、この塔も、すべてが精巧な幻なのではないか。目が覚めれば、自分は王宮のベッドで、いつもの朝を迎えているのではないか?

 レスター三世はそんな妄想にすがりたくなっていた。

 しかし――吹き抜ける風は本物だし、花の香りも本物だった。そもそもこんな常識を突き抜けた夢など自分には見ることもできないだろう。

 現実の方が、夢よりも途方もないのだ。


       ◇


「こちらをお掛けくださいませ」

 ミーシャが、何かを差し出した。

 黒縁の眼鏡だった。

「こ、これは?」

 レスター三世は、怪訝そうに眼鏡を受け取った。レンズは透明で、一見すると何の変哲もない老眼鏡のような、素朴な見た目だ。

「これをおかけになると、我が王国の本当の姿が見えますの。ふふっ」

 そう言いながら、ミーシャ自身も銀縁の小さな眼鏡をかけた。その瞬間、彼女の表情がふわりと和らいだ。まるで、懐かしい故郷の景色を見ているかのような表情だった。

「本当の……姿?」

 訝しく思いながらも、レスター三世は眼鏡のツルを開く。

 本当の姿とは、どういう意味だ。今見えているこの光景が、すでに十分すぎるほど圧倒的ではないか。これ以上、何を見せようというのだ。

 半信半疑で、眼鏡をかけた。

 その瞬間――。

「はへぇっ!?」

 レスター三世は、驚愕のあまり奇妙な声を上げた。

 六十年の人生で、一度も出したことのない声だった。王としての威厳も、貴族としての品格もすべてが吹き飛んで、純粋な驚きだけがそこにあった。

 世界が、一変していた。

 無数の花びらが、宙を舞っている。

 桜のような、薔薇のような、いや、どの花とも違う。見たこともない色とりどりの花弁が、風に乗って踊っていた。ピンク、白、淡い紫、透き通るような青……。それらが光を纏いながら、螺旋を描いてくるくると舞い上がっていく。

 美しい、という言葉では足りなかった。

 神々しい、という言葉すら足りなかった。

 これは――天界の光景だ。

 そして――。

 レスター三世は、自分の目を疑った。

 美しい妖精たちが、空を飛んでいる。

 透き通った羽を持つ、ハトほどの小さな存在。彼女たちの羽は蝶のようでもあり、蜻蛉のようでもあり、そのどちらとも違っていた。光を透かすたびに虹色に輝き、空気そのものが色づいているように見えた。

 妖精たちは、きらきらと光の粉を撒き散らしながら、楽しそうに宙を舞っていた。

 笑い声が聞こえる。

 鈴を転がすような、小さく愛らしい笑い声が。

 白い巨塔も、姿を変えていた。

 激しいオーラを放ちながら、青白い炎に包まれている。しかしその炎は熱くはなく、むしろ神聖な光のように感じられた。まるで塔全体が生きているかのように、炎は脈動し、ゆっくりと呼吸していた。

 そして――音楽が始まった。

 どこからともなく響いてくる、聞いたこともない旋律。

 今まで聞いたどれとも違う、軽快で、華やかで、心が弾むような不思議な音楽だった。

 その音に合わせて、妖精たちがダンスを披露する。

 くるくると回り、手を取り合い、笑い声を響かせながら。まるでレスター三世の到着を祝っているかのように、華やかな歓迎の舞を踊っていた。

「な、なんと……」

 レスター三世は、呆然と立ち尽くした。

 足が地面に根を張ったように動かない。目は妖精たちを追い、耳は天上の音楽を拾い、鼻は花の香りを嗅ぎ、肌は不思議な温かさを感じている。五感のすべてが、この異常な光景に圧倒されていた。

 と、一匹の妖精が、ひらりと彼のそばに寄ってきた。



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 今まで見た高層建築など、五階建てがせいぜいだった。
 それでも「高い」と思っていた。人間の技術の限界だと、信じていた。石を積み、木を組み、人の手で築き上げられるのはそこまでだと。
 しかし――この塔は、そんな常識を嘲笑うかのように、遥か高みに達している。
「こ、これは一体……?」
 レスター三世は、かすれた声でミーシャに尋ねた。自分の声が震えているのが分かった。六十年間、王として威厳を保ち続けてきた声が、今は子供のように頼りない。
「ここが我が王国の中枢、アルカナタワーですわ」
 ミーシャは、誇らしげに微笑んだ。
「三百階建てで、高さ一キロ。王宮も兼ねておりますの」
「さ、三百……階……!?」
 レスター三世は、口をあんぐりと開けた。
 三百階。
 高さ一キロ。
 その数字が、頭の中で意味を成さなかった。
 キロという単位が建物の高さを表しているという事実が、どうしても理解できなかった。
 あまりにも、途方もない。
 自分の王宮は、五階建てだ。それでも、王国中で最も高い建物だった。民は王宮を見上げ、その威容に畏敬の念を抱いた。王の住まう場所として、これ以上の高さは不要だと、誰もが信じていた。
 しかしこの塔は――その六十倍の高さがあるというのか。
 レスター三世は、めまいを覚えた。
 足元がふらつく。地面が揺れているような錯覚に襲われた。いや、揺れているのは地面ではない。自分の常識、自分の世界観、自分の人生そのものが、根底から揺さぶられているのだ。
 実はこの湖も、この塔も、すべてが精巧な幻なのではないか。目が覚めれば、自分は王宮のベッドで、いつもの朝を迎えているのではないか?
 レスター三世はそんな妄想にすがりたくなっていた。
 しかし――吹き抜ける風は本物だし、花の香りも本物だった。そもそもこんな常識を突き抜けた夢など自分には見ることもできないだろう。
 現実の方が、夢よりも途方もないのだ。
       ◇
「こちらをお掛けくださいませ」
 ミーシャが、何かを差し出した。
 黒縁の眼鏡だった。
「こ、これは?」
 レスター三世は、怪訝そうに眼鏡を受け取った。レンズは透明で、一見すると何の変哲もない老眼鏡のような、素朴な見た目だ。
「これをおかけになると、我が王国の本当の姿が見えますの。ふふっ」
 そう言いながら、ミーシャ自身も銀縁の小さな眼鏡をかけた。その瞬間、彼女の表情がふわりと和らいだ。まるで、懐かしい故郷の景色を見ているかのような表情だった。
「本当の……姿?」
 訝しく思いながらも、レスター三世は眼鏡のツルを開く。
 本当の姿とは、どういう意味だ。今見えているこの光景が、すでに十分すぎるほど圧倒的ではないか。これ以上、何を見せようというのだ。
 半信半疑で、眼鏡をかけた。
 その瞬間――。
「はへぇっ!?」
 レスター三世は、驚愕のあまり奇妙な声を上げた。
 六十年の人生で、一度も出したことのない声だった。王としての威厳も、貴族としての品格もすべてが吹き飛んで、純粋な驚きだけがそこにあった。
 世界が、一変していた。
 無数の花びらが、宙を舞っている。
 桜のような、薔薇のような、いや、どの花とも違う。見たこともない色とりどりの花弁が、風に乗って踊っていた。ピンク、白、淡い紫、透き通るような青……。それらが光を纏いながら、螺旋を描いてくるくると舞い上がっていく。
 美しい、という言葉では足りなかった。
 神々しい、という言葉すら足りなかった。
 これは――天界の光景だ。
 そして――。
 レスター三世は、自分の目を疑った。
 美しい妖精たちが、空を飛んでいる。
 透き通った羽を持つ、ハトほどの小さな存在。彼女たちの羽は蝶のようでもあり、蜻蛉のようでもあり、そのどちらとも違っていた。光を透かすたびに虹色に輝き、空気そのものが色づいているように見えた。
 妖精たちは、きらきらと光の粉を撒き散らしながら、楽しそうに宙を舞っていた。
 笑い声が聞こえる。
 鈴を転がすような、小さく愛らしい笑い声が。
 白い巨塔も、姿を変えていた。
 激しいオーラを放ちながら、青白い炎に包まれている。しかしその炎は熱くはなく、むしろ神聖な光のように感じられた。まるで塔全体が生きているかのように、炎は脈動し、ゆっくりと呼吸していた。
 そして――音楽が始まった。
 どこからともなく響いてくる、聞いたこともない旋律。
 今まで聞いたどれとも違う、軽快で、華やかで、心が弾むような不思議な音楽だった。
 その音に合わせて、妖精たちがダンスを披露する。
 くるくると回り、手を取り合い、笑い声を響かせながら。まるでレスター三世の到着を祝っているかのように、華やかな歓迎の舞を踊っていた。
「な、なんと……」
 レスター三世は、呆然と立ち尽くした。
 足が地面に根を張ったように動かない。目は妖精たちを追い、耳は天上の音楽を拾い、鼻は花の香りを嗅ぎ、肌は不思議な温かさを感じている。五感のすべてが、この異常な光景に圧倒されていた。
 と、一匹の妖精が、ひらりと彼のそばに寄ってきた。