第13話 狼型の魔物
ー/ー 巨木から飛びかかってきた狼型の魔物の爪がコリンの眼前に迫る。黒黒と光る鋭い爪がコリンの顔面にめり込もうかという瞬間に、魔物がコリンの眼前から横薙ぎに吹き飛ばされた。吹き飛ばされた魔物が近くの巨木に叩きつけられ、苦悶の声を上げる。
コリンの傍には地面から生えた一本の蔦。コリンが拐われた時に小屋の扉近くにいた男を吹き飛ばしたときのものと同じもので、イヴリンの魔力によって地面から伸び、イヴリンの意思に合わせて動く蔦。
「コリン君!」
「コリン、怪我は?」
「あ……ありません、ご主人様」
「うん、よかった。……危ないね、あの子は」
反射的に頭を押さえていたコリンをイヴリンが優しく撫でる。離れた位置から声を上げていたヴィンセントは二人の様子に安堵の息を漏らした。
突然の魔物の襲撃に一行はイヴリンと魔物との間に立ちふさがり、武器を手に臨戦態勢を取る。だが、全員の胸中は一つになっていたことだろう。
気配がまるで読めなかった。
魔物討伐に長けている者、冒険者としての経歴を積んだ者、それぞれの矜持に僅かな傷を与えた魔物は叩きつけられた巨木の根元で立ち上がり、ごわごわとした暗い土色の毛を逆立てて牙を見せて威嚇している。姿勢も低くしていて、一行が僅かな身動きをすれば即座に飛びかかれるようにと四肢に力を込めている。
均衡を破ったのは、魔物だった。全身に溜めた力を解放して一行に襲いかかる。
と思われたが、魔物は一行を大きく飛び越えてそのままイヴリンへと飛びかかり、鋭い牙と爪をイヴリンに向ける。
襲いかかってくる魔物に対して微動だにしていないイヴリンの眼前にコリンが躍り出て、鞄から菱形の石を取り出して魔物に向けてかざす。石が発光した瞬間、石を中心として魔物を阻む不可視の壁が展開されて魔物を跳ね返した。
コリンが手にしていたのは、イヴリンが持ち出すようにと指示していた結界の魔石。結界というよりは防御壁を展開するものだが、物理攻撃のみならず魔女による魔法の影響なども跳ね返すことができるもの。
その防御壁に跳ね返された魔物は敵意を剥き出しにして何度も吠え、再び姿勢を低くする。その様子を見たコリンが再び石をぎゅっと握った瞬間に、手の中の石がぱきりと軽い音を立てた。
「え……」
コリンが思わず手の中の石を見つめる。透き通った緑色の菱形の石が濁って真っ二つに割れている。
ご主人様の魔石が、たった一回で。
「ご、ご主人様……魔石が……」
「……ちょっと、読み違えていたかな」
魔石。魔女がマナの伝導率の高い鉱石あるいは宝石に魔力で回路を刻み込み、刻み込まれた魔法を発動するための魔法道具。魔法使いが作成する魔法石よりも遥かに強力なもので、耐久度も桁違いのもの。
それが、たった一回。たった一回の魔物の攻撃を弾いただけで破壊されてしまった。その事実はイヴリンに眼前の魔物の脅威度を再認識させるには十分だった。
それと同時に、魔物の姿を捉えた瞬間に理解した。
これは、普通ではない。と。
低い唸り声を上げている魔物に兵士や冒険者が武器を振りかざして攻撃を試みる。だが魔物はその攻撃を意に介していないように避け、周囲の巨木を蹴り縦横無尽に跳ね回り再びイヴリンに向かって飛びかかった。
「こいつ……!」
「魔女様に近付けるな!」
兵士達の怒号が響く中、コリンは鞄からもうひとつ、念の為にと持ち出していた同じ効果の魔石を取り出してかざす。再び魔物の攻撃は防がれた。防がれたが、不可視の壁に阻まれている魔物は先程とは違って跳ね返されることなく壁に乗り上げたまま大きく咆哮する。突如として魔物の周囲に黒黒とした靄が現れ、コリンが魔石によって展開している不可視の壁が押し返される。
「う、嘘……」
押し負ける。
コリンが思わず漏らした瞬間、手の中の魔石と不可視の壁が同時に砕け散った。コリンの足元に着地した魔物はそのままコリンに突進し、コリンを吹き飛ばす。背後の巨木に叩きつけられたコリンの息がつまり、視界が僅かにぼやけた。
「コリン君!」
剣を携えたヴィンセントがコリンに駆け寄り、小さな体を抱き起こす。
「コリン君、大丈夫か」
「は……っ、はい……」
「何なんだ、あの魔物は……!」
コリンを抱き起こす間にもヴィンセントの視線は魔物に向けられ、冷や汗を滲ませていた。眼前の魔物は魔石を一度で破壊するほどの力の持ち主。加えてイヴリンだけを狙い、他の面々には目もくれない。全てが、ヴィンセントの知らない魔物の行動だった。
黒黒とした靄を纏った魔物がイヴリンに相対して唸り声を上げようとした瞬間、魔物の周囲に突如として蔦が複数本生えて四肢や胴体、首に絡まりその体を拘束した。
魔物は苦悶の声を上げなからも身を捩ってもがいており、拘束されているはずだというのに攻撃をためらわれるほどの殺気を纏っている。その様子に兵士の一人がごくりと生唾を飲み込んだ。
「──額かな?その力はどこで与えられたものかな」
ざく、とイヴリンが一歩魔物に歩み寄る。その行動にその場の全員の表情が強張った。
「イヴリン様!」
「ご主人様……!」
ヴィンセントとコリンの声が同時に上がる。その言葉にも歩みを止めないイヴリンは一歩一歩ゆっくりと魔物に歩み寄った。
魔物の周囲に立ち込めている靄がイヴリンの足元にも広がるほど距離が近付いてようやくイヴリンは歩みを止めた。そうして魔物に対して悲痛な表情を浮かべる。周囲の者たちには蔦の拘束に激しく抵抗し、唸り声を上げている魔物とイヴリンの対比は妙にちぐはぐに映ったことだろう。
「……なんて、おぞましいものを……」
その言葉に全員の頭に疑問符が浮かぶ。
「おぞましい、ってぇのはどういう意味だ」
怪訝そうな表情を浮かべたガルドが警戒態勢を解くことなくイヴリンに問いかける。イヴリンもまた魔物から目を離さずに答えた。
「……この子は何者かの手によって在りようを歪められています。額に、魔石が埋め込まれています。それも、この魔石は……」
イヴリンがそこまで話した瞬間、魔物がひときわ大きな咆哮を上げる。イヴリンの肌に確かに感じられる魔力の流れ。魔物を中心として渦を巻く黒い靄。
「いけない──」
イヴリンの言葉と、壁となる蔦が地面から生えるよりも僅かに早く。魔物の咆哮に合わせて黒い靄が刃のようにイヴリンに襲いかかった。刃はいとも簡単に魔物を拘束していた蔦を切り裂き、咄嗟に蔦の防御壁を展開するためにかざしていたイヴリンの右腕に裂傷を与えた。イヴリンが常に身に纏っている白いローブに鮮血がにじみ、怪我をしたことが誰の目にも明らかになる。
「ご主人様……!」
コリンの悲痛な声が辺りにこだまする。その声に弾かれたようにヴィンセントやガルド、兵士達、冒険者が魔物に攻撃を仕掛けるが、魔物の周囲の靄による刃が彼らを阻む。それどころか靄の刃は彼らの体にも少しずつ裂傷を刻んだ。冒険者が携えていたボウガンを撃ち込むが、それも靄に阻まれる。
目の前にいるのに、近づくことも許されない。
これは、自分達の手には余る存在だ。
彼らの中に言いようのない無力感がじわじわと侵食していく。そして、その感情に引きずられるかのように少しずつ攻撃の手数と意思が削られる。
攻撃の手が緩んだことを察知した魔物が再びイヴリンに襲いかかろうとイヴリンに向き直った瞬間。
コリンに襲いかかる直前に与えられた攻撃とは比べ物にならないほどの強烈な一撃が、魔物に襲いかかった。
イヴリンの足元から生えている蔦は先程靄の刃で切り裂かれたものとは明らかに太さが違い、蔦というよりも木の根、という方が正しいほどの太さを持っていた。
ギャン、という悲鳴のような鳴き声を上げて巨木に叩きつけられた魔物がよろめいて立ち上がる。体をぶるぶると震わせている魔物の周囲に存在していた靄が晴れていく。
その瞬間に、魔物の目に宿っていた狂気的な光も僅かに晴れたようにコリンには見えた。
コリンの傍には地面から生えた一本の蔦。コリンが拐われた時に小屋の扉近くにいた男を吹き飛ばしたときのものと同じもので、イヴリンの魔力によって地面から伸び、イヴリンの意思に合わせて動く蔦。
「コリン君!」
「コリン、怪我は?」
「あ……ありません、ご主人様」
「うん、よかった。……危ないね、あの子は」
反射的に頭を押さえていたコリンをイヴリンが優しく撫でる。離れた位置から声を上げていたヴィンセントは二人の様子に安堵の息を漏らした。
突然の魔物の襲撃に一行はイヴリンと魔物との間に立ちふさがり、武器を手に臨戦態勢を取る。だが、全員の胸中は一つになっていたことだろう。
気配がまるで読めなかった。
魔物討伐に長けている者、冒険者としての経歴を積んだ者、それぞれの矜持に僅かな傷を与えた魔物は叩きつけられた巨木の根元で立ち上がり、ごわごわとした暗い土色の毛を逆立てて牙を見せて威嚇している。姿勢も低くしていて、一行が僅かな身動きをすれば即座に飛びかかれるようにと四肢に力を込めている。
均衡を破ったのは、魔物だった。全身に溜めた力を解放して一行に襲いかかる。
と思われたが、魔物は一行を大きく飛び越えてそのままイヴリンへと飛びかかり、鋭い牙と爪をイヴリンに向ける。
襲いかかってくる魔物に対して微動だにしていないイヴリンの眼前にコリンが躍り出て、鞄から菱形の石を取り出して魔物に向けてかざす。石が発光した瞬間、石を中心として魔物を阻む不可視の壁が展開されて魔物を跳ね返した。
コリンが手にしていたのは、イヴリンが持ち出すようにと指示していた結界の魔石。結界というよりは防御壁を展開するものだが、物理攻撃のみならず魔女による魔法の影響なども跳ね返すことができるもの。
その防御壁に跳ね返された魔物は敵意を剥き出しにして何度も吠え、再び姿勢を低くする。その様子を見たコリンが再び石をぎゅっと握った瞬間に、手の中の石がぱきりと軽い音を立てた。
「え……」
コリンが思わず手の中の石を見つめる。透き通った緑色の菱形の石が濁って真っ二つに割れている。
ご主人様の魔石が、たった一回で。
「ご、ご主人様……魔石が……」
「……ちょっと、読み違えていたかな」
魔石。魔女がマナの伝導率の高い鉱石あるいは宝石に魔力で回路を刻み込み、刻み込まれた魔法を発動するための魔法道具。魔法使いが作成する魔法石よりも遥かに強力なもので、耐久度も桁違いのもの。
それが、たった一回。たった一回の魔物の攻撃を弾いただけで破壊されてしまった。その事実はイヴリンに眼前の魔物の脅威度を再認識させるには十分だった。
それと同時に、魔物の姿を捉えた瞬間に理解した。
これは、普通ではない。と。
低い唸り声を上げている魔物に兵士や冒険者が武器を振りかざして攻撃を試みる。だが魔物はその攻撃を意に介していないように避け、周囲の巨木を蹴り縦横無尽に跳ね回り再びイヴリンに向かって飛びかかった。
「こいつ……!」
「魔女様に近付けるな!」
兵士達の怒号が響く中、コリンは鞄からもうひとつ、念の為にと持ち出していた同じ効果の魔石を取り出してかざす。再び魔物の攻撃は防がれた。防がれたが、不可視の壁に阻まれている魔物は先程とは違って跳ね返されることなく壁に乗り上げたまま大きく咆哮する。突如として魔物の周囲に黒黒とした靄が現れ、コリンが魔石によって展開している不可視の壁が押し返される。
「う、嘘……」
押し負ける。
コリンが思わず漏らした瞬間、手の中の魔石と不可視の壁が同時に砕け散った。コリンの足元に着地した魔物はそのままコリンに突進し、コリンを吹き飛ばす。背後の巨木に叩きつけられたコリンの息がつまり、視界が僅かにぼやけた。
「コリン君!」
剣を携えたヴィンセントがコリンに駆け寄り、小さな体を抱き起こす。
「コリン君、大丈夫か」
「は……っ、はい……」
「何なんだ、あの魔物は……!」
コリンを抱き起こす間にもヴィンセントの視線は魔物に向けられ、冷や汗を滲ませていた。眼前の魔物は魔石を一度で破壊するほどの力の持ち主。加えてイヴリンだけを狙い、他の面々には目もくれない。全てが、ヴィンセントの知らない魔物の行動だった。
黒黒とした靄を纏った魔物がイヴリンに相対して唸り声を上げようとした瞬間、魔物の周囲に突如として蔦が複数本生えて四肢や胴体、首に絡まりその体を拘束した。
魔物は苦悶の声を上げなからも身を捩ってもがいており、拘束されているはずだというのに攻撃をためらわれるほどの殺気を纏っている。その様子に兵士の一人がごくりと生唾を飲み込んだ。
「──額かな?その力はどこで与えられたものかな」
ざく、とイヴリンが一歩魔物に歩み寄る。その行動にその場の全員の表情が強張った。
「イヴリン様!」
「ご主人様……!」
ヴィンセントとコリンの声が同時に上がる。その言葉にも歩みを止めないイヴリンは一歩一歩ゆっくりと魔物に歩み寄った。
魔物の周囲に立ち込めている靄がイヴリンの足元にも広がるほど距離が近付いてようやくイヴリンは歩みを止めた。そうして魔物に対して悲痛な表情を浮かべる。周囲の者たちには蔦の拘束に激しく抵抗し、唸り声を上げている魔物とイヴリンの対比は妙にちぐはぐに映ったことだろう。
「……なんて、おぞましいものを……」
その言葉に全員の頭に疑問符が浮かぶ。
「おぞましい、ってぇのはどういう意味だ」
怪訝そうな表情を浮かべたガルドが警戒態勢を解くことなくイヴリンに問いかける。イヴリンもまた魔物から目を離さずに答えた。
「……この子は何者かの手によって在りようを歪められています。額に、魔石が埋め込まれています。それも、この魔石は……」
イヴリンがそこまで話した瞬間、魔物がひときわ大きな咆哮を上げる。イヴリンの肌に確かに感じられる魔力の流れ。魔物を中心として渦を巻く黒い靄。
「いけない──」
イヴリンの言葉と、壁となる蔦が地面から生えるよりも僅かに早く。魔物の咆哮に合わせて黒い靄が刃のようにイヴリンに襲いかかった。刃はいとも簡単に魔物を拘束していた蔦を切り裂き、咄嗟に蔦の防御壁を展開するためにかざしていたイヴリンの右腕に裂傷を与えた。イヴリンが常に身に纏っている白いローブに鮮血がにじみ、怪我をしたことが誰の目にも明らかになる。
「ご主人様……!」
コリンの悲痛な声が辺りにこだまする。その声に弾かれたようにヴィンセントやガルド、兵士達、冒険者が魔物に攻撃を仕掛けるが、魔物の周囲の靄による刃が彼らを阻む。それどころか靄の刃は彼らの体にも少しずつ裂傷を刻んだ。冒険者が携えていたボウガンを撃ち込むが、それも靄に阻まれる。
目の前にいるのに、近づくことも許されない。
これは、自分達の手には余る存在だ。
彼らの中に言いようのない無力感がじわじわと侵食していく。そして、その感情に引きずられるかのように少しずつ攻撃の手数と意思が削られる。
攻撃の手が緩んだことを察知した魔物が再びイヴリンに襲いかかろうとイヴリンに向き直った瞬間。
コリンに襲いかかる直前に与えられた攻撃とは比べ物にならないほどの強烈な一撃が、魔物に襲いかかった。
イヴリンの足元から生えている蔦は先程靄の刃で切り裂かれたものとは明らかに太さが違い、蔦というよりも木の根、という方が正しいほどの太さを持っていた。
ギャン、という悲鳴のような鳴き声を上げて巨木に叩きつけられた魔物がよろめいて立ち上がる。体をぶるぶると震わせている魔物の周囲に存在していた靄が晴れていく。
その瞬間に、魔物の目に宿っていた狂気的な光も僅かに晴れたようにコリンには見えた。
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