第12話 パドフ大森林
ー/ー パドフ大森林。
ルウシャは農耕と畜産を主な生活の糧としているが、木を用いて作られる家具や木工品もひとつの産業としてルウシャの経済を支えている。この素材となる木材がパドフ大森林に自生するオーク類の樹木であり、滑らかな手触りと柔らかな色味と木目は王国内外で高い評価を得ている。
広大な面積を誇るその大森林の入口付近は柔らかな日光が降り注ぎ、生息する魔物も気性の穏やかなものが多いためにルウシャを拠点とする冒険者には採集や探索、魔物の討伐など多岐にわたる依頼で何度も訪れることになる場所。奥地は陽の光が差さないほどの樹木の密集地帯となり、生息する魔物も特定の縄張りを持つ気性の荒いものもいるため、ルウシャの冒険者にとっては大森林の奥地の依頼を受けることが新人冒険者を卒業するためのひとつの区切りにもなっている。
そんな新人を抜け出そうとしている冒険者達からもたらされた今回の異変にヴィンセントは警戒を隠せないでいた。
大森林に踏み入るのはヴィンセントとその私兵のうちの特に魔物討伐に長けている者が五名ほど、ガルドと謎の魔物の痕跡を確認した上位クラスの冒険者。そしてイヴリンとコリン。わずか十人での大森林探索となった。
当初はもっと大規模な人数の動員と、大森林の一部の樹木を伐採しつつ痕跡を辿るという提案をヴィンセントとガルドがイヴリンに提案したが、それはたった一言、イヴリンの否という言葉で跳ね除けられた。
──人が多ければ多いほど、件の魔物やそれ以外の大森林の魔物を刺激してしまいます。私はそれを望みません。
被害を出さないためにも自分とコリンだけで行くと言い出したイヴリンを二人がかりで説得して、なんとか同行を許可してもらった。
なんともお優しいことで、とガルドが皮肉も込みで露骨に眉をひそめていたのはヴィンセントにもしっかりと見えていた。
だが、その優しさを持つイヴリンだからこそ全身全霊を持って仕えると決めたのだ、と改めてヴィンセントは己の選択を誇った。そして、その優しさが失われてしまわないように矢面に立つ覚悟を決めた。今回の魔物騒動に関してもそうだ。
たとえ己の刃が届かないような強力な魔物であっても。肉の壁くらいにはなってやると、そう固く決意した。
「──確かに、大森林全体が静かすぎるように感じますね」
大森林の奥地へ歩を進めたヴィンセントがこそりと耳打ちする。その言葉に答えるように一歩先を進んでいたイヴリンも頷いた。
「奥地はもっと鳥の声や樹上生活型の魔物の声がしていたと記憶していますが、不自然すぎるくらいに静かですね」
薄暗い森の中をぐるりと見渡しながらイヴリンは隣を歩くコリンに視線を向ける。応接室で謎の毛束を見た時のコリンの反応は明らかに異常だった。そして己の目で視たマナの情報。
あの毛束を見て、イヴリンは決定的に通常の魔物とは「なにか」が違うと判断した。コリンも同様にあの毛の持ち主の異質さを感じ取っていたようで、あの日は一日中イヴリンのローブの袖をつまんで離さなかった。
ただ、何度見ても何がどう違うのか、そこまでは判然としなかった。あまり遭遇したことのない状況に、焦っていたかもしれないなと今更ながらに思う。
「この先が例の痕跡を発見した場所です」
周囲を警戒しつつ一行を先導していた冒険者が声を上げる。慎重に進んでいた一行に緊張感が走り、同行しているヴィンセントの兵のうち何人かはいつでも動き出せるようにと僅かに身を低くする。ヴィンセントやガルドもそれぞれの武器を抜き、周囲を睨みつけるように警戒したが、その警戒は必要ないとでも言うようにイヴリンとコリンはするりと一行を追い抜いて先へと進んだ。
「い、イヴリン様……!」
ヴィンセントの慌てたような声を聞きながらコリンは横を歩くイヴリンをそろりと見上げる。先導の冒険者が示した地点へまっすぐに視線を向けていて、なにかを感じ取っていることが読み取れる。
普段は柔らかく微笑んでいるイヴリンの笑みのない真剣な眼差しがコリンはとても好きだ。いつも優しく生命を慈しむイヴリンの魔女としての本質を垣間見たような気持ちになって、誇らしい。
ぼくのご主人様は、ほんとうにすごいんだ。
それを直接目にしてもらえる機会が目の前に転がっている。それを感じられて嬉しい。
だからこそ、ご主人様が魔女としてのお仕事を全うできるように。ぼくがおそばにいて、守らないと。ぼくはご主人様のゴーレムだから。
そう強く決意して、コリンはいつも肩から提げている大きな鞄の肩紐をぎゅっと握った。
魔物の痕跡が残されていたところは少々開けていて、周囲の巨木には並行に走った爪痕やガルドがイヴリンに見せた体毛がそこかしこに散らばり、襲われたであろう魔物の死骸が転がっていた。
「こりゃあ……」
ガルドが苦々しい顔をして周囲を見渡す。
「前回来たときにはこの死骸はありませんでした」
冒険者が魔物の死骸の近くにしゃがみ込み、死骸の調査を開始する。
「──酷い状態だ。食らうためではなくただただ狩った、というような……」
冒険者の周囲に兵士を配置して不測の事態にも対応できるようにと指示を出したヴィンセントが同じように魔物の死骸を覗き込んだ。
イヴリンとコリンは魔物の死骸からは離れた位置で周囲の爪痕や落ちている毛を調べる。
「爪痕が随分深いね。縄張りを示すとかそういったものならもっと浅いと思うけれど」
「四足の……魔物でしょうか」
「そうだね。爪痕の特徴を考えてもそうだと思うけれど……ただ……」
巨木に走っている爪痕を撫でながらイヴリンは考え込む。周囲の巨木に目を走らせれば、そこかしこに残されている爪痕。四本のものであったり、三本のものであったり、角度や爪痕のブレなど。
不揃いすぎる。と直感的にイヴリンは感じていた。それと同時に感じる歪な魔力の残滓。
「魔女さんよ、どうだ」
ガルドがざくざくと雑草を踏みしめてイヴリンとコリンに近寄ってくる。多数の爪痕と落ちている毛に明らかな異常を感じているようで、僅かに冷や汗をかいていた。
「……当初は幻獣種かと思っていましたが、そうではないようです。幻獣種であればこの程度で済むはずがありませんから。ただ、通常の魔物でないことも確かです」
「ってことは上位種か」
「……私も実際に見てみなければ確証が持てません。あまり決めつけて動くことはできないかと……」
イヴリンがそこまで話した瞬間。周囲の空気が一変した。
突如として鳥のけたたましい鳴き声が響き渡り、それに呼応するように生ぬるい風が大森林の奥地から流れ込んでくる。その場の全員が警戒を顕にしているなかで、コリンだけは足元から這い上がってくるぞわぞわとした感覚に息を呑んでいた。
ぼくは、この感覚を知っている。ご主人様に助けて貰う前、誰かと叫び続けていたあの頃に感じたもの。
死の臭い。死の感覚。
思わず肩をすぼめてしまい、一歩後ろに後退る。その瞬間にコリンの横をはらりと一枚の葉が落ちた。
その動きに目を取られて意識が一瞬葉に向く。
はらりと落ちる葉の向こう側に見えた巨木の幹に、張り付くようにしてこちらを睨みつけている狼のような姿の魔物。鋭い爪が巨木にめり込んで、四肢に力がぐっと込められている。
「ご主人さ──」
コリンが言葉を発するよりも早く、魔物が猛然と飛びかかってくる。
鋭い爪が、鋭い牙が。コリンの目の前に迫っていた。
ルウシャは農耕と畜産を主な生活の糧としているが、木を用いて作られる家具や木工品もひとつの産業としてルウシャの経済を支えている。この素材となる木材がパドフ大森林に自生するオーク類の樹木であり、滑らかな手触りと柔らかな色味と木目は王国内外で高い評価を得ている。
広大な面積を誇るその大森林の入口付近は柔らかな日光が降り注ぎ、生息する魔物も気性の穏やかなものが多いためにルウシャを拠点とする冒険者には採集や探索、魔物の討伐など多岐にわたる依頼で何度も訪れることになる場所。奥地は陽の光が差さないほどの樹木の密集地帯となり、生息する魔物も特定の縄張りを持つ気性の荒いものもいるため、ルウシャの冒険者にとっては大森林の奥地の依頼を受けることが新人冒険者を卒業するためのひとつの区切りにもなっている。
そんな新人を抜け出そうとしている冒険者達からもたらされた今回の異変にヴィンセントは警戒を隠せないでいた。
大森林に踏み入るのはヴィンセントとその私兵のうちの特に魔物討伐に長けている者が五名ほど、ガルドと謎の魔物の痕跡を確認した上位クラスの冒険者。そしてイヴリンとコリン。わずか十人での大森林探索となった。
当初はもっと大規模な人数の動員と、大森林の一部の樹木を伐採しつつ痕跡を辿るという提案をヴィンセントとガルドがイヴリンに提案したが、それはたった一言、イヴリンの否という言葉で跳ね除けられた。
──人が多ければ多いほど、件の魔物やそれ以外の大森林の魔物を刺激してしまいます。私はそれを望みません。
被害を出さないためにも自分とコリンだけで行くと言い出したイヴリンを二人がかりで説得して、なんとか同行を許可してもらった。
なんともお優しいことで、とガルドが皮肉も込みで露骨に眉をひそめていたのはヴィンセントにもしっかりと見えていた。
だが、その優しさを持つイヴリンだからこそ全身全霊を持って仕えると決めたのだ、と改めてヴィンセントは己の選択を誇った。そして、その優しさが失われてしまわないように矢面に立つ覚悟を決めた。今回の魔物騒動に関してもそうだ。
たとえ己の刃が届かないような強力な魔物であっても。肉の壁くらいにはなってやると、そう固く決意した。
「──確かに、大森林全体が静かすぎるように感じますね」
大森林の奥地へ歩を進めたヴィンセントがこそりと耳打ちする。その言葉に答えるように一歩先を進んでいたイヴリンも頷いた。
「奥地はもっと鳥の声や樹上生活型の魔物の声がしていたと記憶していますが、不自然すぎるくらいに静かですね」
薄暗い森の中をぐるりと見渡しながらイヴリンは隣を歩くコリンに視線を向ける。応接室で謎の毛束を見た時のコリンの反応は明らかに異常だった。そして己の目で視たマナの情報。
あの毛束を見て、イヴリンは決定的に通常の魔物とは「なにか」が違うと判断した。コリンも同様にあの毛の持ち主の異質さを感じ取っていたようで、あの日は一日中イヴリンのローブの袖をつまんで離さなかった。
ただ、何度見ても何がどう違うのか、そこまでは判然としなかった。あまり遭遇したことのない状況に、焦っていたかもしれないなと今更ながらに思う。
「この先が例の痕跡を発見した場所です」
周囲を警戒しつつ一行を先導していた冒険者が声を上げる。慎重に進んでいた一行に緊張感が走り、同行しているヴィンセントの兵のうち何人かはいつでも動き出せるようにと僅かに身を低くする。ヴィンセントやガルドもそれぞれの武器を抜き、周囲を睨みつけるように警戒したが、その警戒は必要ないとでも言うようにイヴリンとコリンはするりと一行を追い抜いて先へと進んだ。
「い、イヴリン様……!」
ヴィンセントの慌てたような声を聞きながらコリンは横を歩くイヴリンをそろりと見上げる。先導の冒険者が示した地点へまっすぐに視線を向けていて、なにかを感じ取っていることが読み取れる。
普段は柔らかく微笑んでいるイヴリンの笑みのない真剣な眼差しがコリンはとても好きだ。いつも優しく生命を慈しむイヴリンの魔女としての本質を垣間見たような気持ちになって、誇らしい。
ぼくのご主人様は、ほんとうにすごいんだ。
それを直接目にしてもらえる機会が目の前に転がっている。それを感じられて嬉しい。
だからこそ、ご主人様が魔女としてのお仕事を全うできるように。ぼくがおそばにいて、守らないと。ぼくはご主人様のゴーレムだから。
そう強く決意して、コリンはいつも肩から提げている大きな鞄の肩紐をぎゅっと握った。
魔物の痕跡が残されていたところは少々開けていて、周囲の巨木には並行に走った爪痕やガルドがイヴリンに見せた体毛がそこかしこに散らばり、襲われたであろう魔物の死骸が転がっていた。
「こりゃあ……」
ガルドが苦々しい顔をして周囲を見渡す。
「前回来たときにはこの死骸はありませんでした」
冒険者が魔物の死骸の近くにしゃがみ込み、死骸の調査を開始する。
「──酷い状態だ。食らうためではなくただただ狩った、というような……」
冒険者の周囲に兵士を配置して不測の事態にも対応できるようにと指示を出したヴィンセントが同じように魔物の死骸を覗き込んだ。
イヴリンとコリンは魔物の死骸からは離れた位置で周囲の爪痕や落ちている毛を調べる。
「爪痕が随分深いね。縄張りを示すとかそういったものならもっと浅いと思うけれど」
「四足の……魔物でしょうか」
「そうだね。爪痕の特徴を考えてもそうだと思うけれど……ただ……」
巨木に走っている爪痕を撫でながらイヴリンは考え込む。周囲の巨木に目を走らせれば、そこかしこに残されている爪痕。四本のものであったり、三本のものであったり、角度や爪痕のブレなど。
不揃いすぎる。と直感的にイヴリンは感じていた。それと同時に感じる歪な魔力の残滓。
「魔女さんよ、どうだ」
ガルドがざくざくと雑草を踏みしめてイヴリンとコリンに近寄ってくる。多数の爪痕と落ちている毛に明らかな異常を感じているようで、僅かに冷や汗をかいていた。
「……当初は幻獣種かと思っていましたが、そうではないようです。幻獣種であればこの程度で済むはずがありませんから。ただ、通常の魔物でないことも確かです」
「ってことは上位種か」
「……私も実際に見てみなければ確証が持てません。あまり決めつけて動くことはできないかと……」
イヴリンがそこまで話した瞬間。周囲の空気が一変した。
突如として鳥のけたたましい鳴き声が響き渡り、それに呼応するように生ぬるい風が大森林の奥地から流れ込んでくる。その場の全員が警戒を顕にしているなかで、コリンだけは足元から這い上がってくるぞわぞわとした感覚に息を呑んでいた。
ぼくは、この感覚を知っている。ご主人様に助けて貰う前、誰かと叫び続けていたあの頃に感じたもの。
死の臭い。死の感覚。
思わず肩をすぼめてしまい、一歩後ろに後退る。その瞬間にコリンの横をはらりと一枚の葉が落ちた。
その動きに目を取られて意識が一瞬葉に向く。
はらりと落ちる葉の向こう側に見えた巨木の幹に、張り付くようにしてこちらを睨みつけている狼のような姿の魔物。鋭い爪が巨木にめり込んで、四肢に力がぐっと込められている。
「ご主人さ──」
コリンが言葉を発するよりも早く、魔物が猛然と飛びかかってくる。
鋭い爪が、鋭い牙が。コリンの目の前に迫っていた。
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