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最接近4日後 ロングテールバイク入手

ー/ー



小学校の様子がはっきりわかる距離まで来た時、ユウゴとユズは思わず足を止めた。

正門だった場所には、瓦礫と歪んだ鉄の門が横倒しになっている。
校庭を囲んでいたフェンスは、まるで巨大な波に押し流されたように波打ち、支柱のほとんどが根元から倒れていた。
その向こうに見える校舎は、一階部分が潰れ、右側に大きく傾いている。

「…そんな…」
ユズが小さくつぶやいた。
ユウゴは言葉が出なかった。
だが、ここまで来た以上、進むしかない。
二人は倒れたフェンスを慎重に踏み越え、校舎の裏にある体育館へ向かって歩き出した。

校庭は、砂埃と校舎の外壁だったと思われる瓦礫で覆われていた。
人の気配が全くない。
ユズが不安そうにユウゴの袖をつまむ。

「佐野くん…なんか…変だよ…」

ユウゴも同じことを感じていた。
静かすぎる。
避難所なら、誰かの声が聞こえるはずだ。
泣き声でも、話し声でも、物音でも。
胸の奥に、冷たいものがゆっくりと湧き上がる。
「…行こう。
 体育館…見れば分かる」

二人は自然と小走りになった。
今にも崩れそうな校舎の脇を抜ける。

そこにあったのは、ユウゴが知っている体育館ではなかった。
大きく歪み、壁と屋根の一部が崩れ落ちて、あばら骨のような鉄骨がむき出しになっている。
入り口にあったはずの両開きの扉に至っては、元々そこには何もなかったかのように、ぽっかりと四角い大口が空いている。

ユズが息を呑む。
「…うそ…
 ここ…避難所だったのに…」

ユウゴは声が出なかった。
いつかの避難訓練で、小谷先生が言っていた。
『小学校の校舎は頑丈だから、どこよりも安全なんだ。
 何かあった時は、ここに避難するようにな』

ユウゴは声を絞り出す。
「中に…母さんが…誰かいるかもしれない…」

震える足を、無理やり踏み出す。
その手首をユズが掴んだ。
「だめ!」
ユズの鋭い声が制す。

「さっきの地震、分かるでしょ…?
 また揺れたら、この体育館…絶対に崩れちゃうよ…!」

ユウゴが振り返ると、意外にも毅然とした光が宿ったユズの視線とぶつかった。

「でも…中に誰かいたら…!」

「いないよ。
 いたとしても…佐野くんまで潰れたら、意味ないよ…!」
掴まれた手首に、力が籠められる。
ユウゴはもう一度、体育館のぽっかりと空いた入り口を見る。
一度入ったら二度と出て来られない、“死の口”のように見えた。

「…分かった。中には入らない。
 でも、中に人がいないか、確認はしようよ」

ユズはほっと息をつき、小さく頷く。
二人は、並んで体育館の入り口の前に立った。

ユウゴは息を吸い込み、できるだけ大きな声を出した。
「誰かあ!いませんかあ!!」

ユズも続けて叫んだ。
「誰かあ!!お母さあん!!」

声は、崩壊した体育館の中へ吸い込まれていく。
しばらく待ったが、返事も物音もしない。
崩落して壁のない体育館に吹き付けた風が、入り口から抜けて二人の頬を撫でていく。

「…やっぱり、誰もいない…」
ユズは唇を噛み、涙をこらえるように目を伏せた。
消え入りそうな声で、言葉を続ける。
「きっと、ここが危なくなったから、みんなで違う場所に避難したんだよ」

ユウゴは拳を握りしめ、崩れた体育館を見つめた。
ここに来れば、母さんに会えると思っていた。
だがその希望は、静まり返った体育館の前で音もなく崩れ落ちた。

微かに生ぬるい風が、またユウゴの頬を撫でる。

―異臭がする。

ユウゴは隣のユズを振り返る。
ユズもユウゴを見つめていた。その眼からは先ほどの毅然とした光は消え、恐怖が浮かんでいた。
「貝塚…なんか、臭いが…」

「…」

「生きてる人は、いないかもしれない。でも…」
「止めて…」
ユウゴが思いついてしまったことを、否定するようにユズが頭を左右に振る。
恐らく二人とも、同じことを考えている。
生き残り、動ける人間はここを去った。
怪我や病気で動けなかった人間だけが残り、そして今、この避難所に生きている人間は、いない。
ユウゴの中で、直感が確信に変わり、背筋に寒気が走る。

「きっと…母さんも、貝塚のおばさんも、ここにはいない。
 別の避難所だ」
ユウゴは自分に言い聞かせるように言い、半歩下がる。
ユズも入り口に目をやりながら、後ずさる。
「行こう、佐野くん…
 別の避難所に、行ってみようよ」

どちらからともなく踵を返し、逃げるように校庭に出る。

体育館から漂う異臭に耐えきれず、二人は校庭の端まで戻ってきた。
ユウゴは胸を押さえ、心臓を落ちつけようとする。
あの臭いが何を意味するのか、もう考えたくなかった。
ユズが両手で自分を抱きしめるようにしながら、小さく言う。
「ここから一番近いのは、隣の学区の中学校だと思う。
 でも、歩いてたら時間が…」

ユズは、空を仰ぐ。
ここに来るまでは白く濁っていた空が、今は全体が真っ赤に染まっている。
「多分、夕日なんだと思う。
 高いところまで舞い上がった砂埃が、夕日を拡散してるんだよ」

ユウゴがよく分からずに首を傾げると、ユズが慌てて言葉を付け足す。
「ミー散乱って言うらしくて...あっ私も、よく分かってないんだけどねっ」

「産卵…?」
唐突に難解な話になったので、ユウゴはそんな言葉しか返せず、目をそらすように足元の倒れたフェンスへ視線を落とした。
そのままフェンス沿いに視線が滑る。

その時、ユウゴの目が何かを捉えた。
倒れたフェンスの下、砂埃にまみれた何か。
近づいてみると、それは横倒しになった自転車だった。

普通の自転車よりも、後輪がやけに離れた位置についている。
その上に長く大きな荷台が付いており、荷物をたくさん積めそうだ。
フェンスの下敷きになっているが、頑丈そうな太いフレームに歪みや大きな損傷は見られない。
自分が乗っていたマウンテンバイクよりも、遥かに大きな異形の自転車は、手負いの獣の様にも見える。
ユウゴは思わず息を呑んだ。

「これ…!使えるかもしれない…!」

近づいてきたユズが驚いたように目を見開く。
「えっ…壊れてないの?
 鍵は…?」

ユウゴはフェンスを少し持ち上げ、ユズに手伝ってもらいながら、慎重にバイクを引きずり出す。
ギシ…と金属が軋む音がしたが、タイヤは生きている。
チェーンも外れていない。
後輪にワイヤーロックが回してあったが、なぜか鍵が刺さったままだったので、問題なく解錠できた。
二人で協力して、車体を引き起こす。

「…いける。
 空気は少し抜けてるけど…
 まだ走れるぞ、これ」

ユズの顔に、光が射す。
「これがあれば…
 夜になる前に、中学校に行けるかも…!」

ユウゴは頷いた。
二人はしばらく無言でバイクを見つめた。
さっきまで胸に燻っていた絶望が、少しだけ薄れていく。

風が吹き、フェンスがカシャン、と鳴る。
ユズがそっと言った。
「これ、誰のだったんだろう…」

ユウゴにも見当がつかない。
だが少なくとも、持ち主が生きていたとしても、もうこの街にはいない気がした。
そして、このロングテールバイクは、二人にとって切実に“生き延びるための道具”だった。
「使わせてもらおう…
 オレらには必要だよ」

他人の―もしかしたら死者の物を―勝手に使う後ろめたさを振り払うようにユウゴが言うと、ユズも吹っ切るように強く頷く。

ユウゴは登山用リュックからポンチョを引っ張り出すと、荷台の前半分に巻き付けた。
「貝塚はここに座って。
 これで少しはマシになったと思うけど…」

ポンチョを指し示すと、ユズが頷く。
「分かった」

ユウゴはサドルを自分が座れる高さに調整する。クラスの中で身長は大きい方だが、一番下まで下げたサドルでも、“なんとか漕げる”という感じで、まだ高い。
登山用リュックをユズに背負ってもらい、ユウゴはロングテールに跨りハンドルを握りしめた。

「よし、行こう!」
ユウゴがペダルに乗せた足に力を込めると、太いタイヤがゆっくりと回りだす。
二人を乗せたロングテールが、瓦礫の山と化した街へ分け入っていく。


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小学校の様子がはっきりわかる距離まで来た時、ユウゴとユズは思わず足を止めた。
正門だった場所には、瓦礫と歪んだ鉄の門が横倒しになっている。
校庭を囲んでいたフェンスは、まるで巨大な波に押し流されたように波打ち、支柱のほとんどが根元から倒れていた。
その向こうに見える校舎は、一階部分が潰れ、右側に大きく傾いている。
「…そんな…」
ユズが小さくつぶやいた。
ユウゴは言葉が出なかった。
だが、ここまで来た以上、進むしかない。
二人は倒れたフェンスを慎重に踏み越え、校舎の裏にある体育館へ向かって歩き出した。
校庭は、砂埃と校舎の外壁だったと思われる瓦礫で覆われていた。
人の気配が全くない。
ユズが不安そうにユウゴの袖をつまむ。
「佐野くん…なんか…変だよ…」
ユウゴも同じことを感じていた。
静かすぎる。
避難所なら、誰かの声が聞こえるはずだ。
泣き声でも、話し声でも、物音でも。
胸の奥に、冷たいものがゆっくりと湧き上がる。
「…行こう。
 体育館…見れば分かる」
二人は自然と小走りになった。
今にも崩れそうな校舎の脇を抜ける。
そこにあったのは、ユウゴが知っている体育館ではなかった。
大きく歪み、壁と屋根の一部が崩れ落ちて、あばら骨のような鉄骨がむき出しになっている。
入り口にあったはずの両開きの扉に至っては、元々そこには何もなかったかのように、ぽっかりと四角い大口が空いている。
ユズが息を呑む。
「…うそ…
 ここ…避難所だったのに…」
ユウゴは声が出なかった。
いつかの避難訓練で、小谷先生が言っていた。
『小学校の校舎は頑丈だから、どこよりも安全なんだ。
 何かあった時は、ここに避難するようにな』
ユウゴは声を絞り出す。
「中に…母さんが…誰かいるかもしれない…」
震える足を、無理やり踏み出す。
その手首をユズが掴んだ。
「だめ!」
ユズの鋭い声が制す。
「さっきの地震、分かるでしょ…?
 また揺れたら、この体育館…絶対に崩れちゃうよ…!」
ユウゴが振り返ると、意外にも毅然とした光が宿ったユズの視線とぶつかった。
「でも…中に誰かいたら…!」
「いないよ。
 いたとしても…佐野くんまで潰れたら、意味ないよ…!」
掴まれた手首に、力が籠められる。
ユウゴはもう一度、体育館のぽっかりと空いた入り口を見る。
一度入ったら二度と出て来られない、“死の口”のように見えた。
「…分かった。中には入らない。
 でも、中に人がいないか、確認はしようよ」
ユズはほっと息をつき、小さく頷く。
二人は、並んで体育館の入り口の前に立った。
ユウゴは息を吸い込み、できるだけ大きな声を出した。
「誰かあ!いませんかあ!!」
ユズも続けて叫んだ。
「誰かあ!!お母さあん!!」
声は、崩壊した体育館の中へ吸い込まれていく。
しばらく待ったが、返事も物音もしない。
崩落して壁のない体育館に吹き付けた風が、入り口から抜けて二人の頬を撫でていく。
「…やっぱり、誰もいない…」
ユズは唇を噛み、涙をこらえるように目を伏せた。
消え入りそうな声で、言葉を続ける。
「きっと、ここが危なくなったから、みんなで違う場所に避難したんだよ」
ユウゴは拳を握りしめ、崩れた体育館を見つめた。
ここに来れば、母さんに会えると思っていた。
だがその希望は、静まり返った体育館の前で音もなく崩れ落ちた。
微かに生ぬるい風が、またユウゴの頬を撫でる。
―異臭がする。
ユウゴは隣のユズを振り返る。
ユズもユウゴを見つめていた。その眼からは先ほどの毅然とした光は消え、恐怖が浮かんでいた。
「貝塚…なんか、臭いが…」
「…」
「生きてる人は、いないかもしれない。でも…」
「止めて…」
ユウゴが思いついてしまったことを、否定するようにユズが頭を左右に振る。
恐らく二人とも、同じことを考えている。
生き残り、動ける人間はここを去った。
怪我や病気で動けなかった人間だけが残り、そして今、この避難所に生きている人間は、いない。
ユウゴの中で、直感が確信に変わり、背筋に寒気が走る。
「きっと…母さんも、貝塚のおばさんも、ここにはいない。
 別の避難所だ」
ユウゴは自分に言い聞かせるように言い、半歩下がる。
ユズも入り口に目をやりながら、後ずさる。
「行こう、佐野くん…
 別の避難所に、行ってみようよ」
どちらからともなく踵を返し、逃げるように校庭に出る。
体育館から漂う異臭に耐えきれず、二人は校庭の端まで戻ってきた。
ユウゴは胸を押さえ、心臓を落ちつけようとする。
あの臭いが何を意味するのか、もう考えたくなかった。
ユズが両手で自分を抱きしめるようにしながら、小さく言う。
「ここから一番近いのは、隣の学区の中学校だと思う。
 でも、歩いてたら時間が…」
ユズは、空を仰ぐ。
ここに来るまでは白く濁っていた空が、今は全体が真っ赤に染まっている。
「多分、夕日なんだと思う。
 高いところまで舞い上がった砂埃が、夕日を拡散してるんだよ」
ユウゴがよく分からずに首を傾げると、ユズが慌てて言葉を付け足す。
「ミー散乱って言うらしくて...あっ私も、よく分かってないんだけどねっ」
「産卵…?」
唐突に難解な話になったので、ユウゴはそんな言葉しか返せず、目をそらすように足元の倒れたフェンスへ視線を落とした。
そのままフェンス沿いに視線が滑る。
その時、ユウゴの目が何かを捉えた。
倒れたフェンスの下、砂埃にまみれた何か。
近づいてみると、それは横倒しになった自転車だった。
普通の自転車よりも、後輪がやけに離れた位置についている。
その上に長く大きな荷台が付いており、荷物をたくさん積めそうだ。
フェンスの下敷きになっているが、頑丈そうな太いフレームに歪みや大きな損傷は見られない。
自分が乗っていたマウンテンバイクよりも、遥かに大きな異形の自転車は、手負いの獣の様にも見える。
ユウゴは思わず息を呑んだ。
「これ…!使えるかもしれない…!」
近づいてきたユズが驚いたように目を見開く。
「えっ…壊れてないの?
 鍵は…?」
ユウゴはフェンスを少し持ち上げ、ユズに手伝ってもらいながら、慎重にバイクを引きずり出す。
ギシ…と金属が軋む音がしたが、タイヤは生きている。
チェーンも外れていない。
後輪にワイヤーロックが回してあったが、なぜか鍵が刺さったままだったので、問題なく解錠できた。
二人で協力して、車体を引き起こす。
「…いける。
 空気は少し抜けてるけど…
 まだ走れるぞ、これ」
ユズの顔に、光が射す。
「これがあれば…
 夜になる前に、中学校に行けるかも…!」
ユウゴは頷いた。
二人はしばらく無言でバイクを見つめた。
さっきまで胸に燻っていた絶望が、少しだけ薄れていく。
風が吹き、フェンスがカシャン、と鳴る。
ユズがそっと言った。
「これ、誰のだったんだろう…」
ユウゴにも見当がつかない。
だが少なくとも、持ち主が生きていたとしても、もうこの街にはいない気がした。
そして、このロングテールバイクは、二人にとって切実に“生き延びるための道具”だった。
「使わせてもらおう…
 オレらには必要だよ」
他人の―もしかしたら死者の物を―勝手に使う後ろめたさを振り払うようにユウゴが言うと、ユズも吹っ切るように強く頷く。
ユウゴは登山用リュックからポンチョを引っ張り出すと、荷台の前半分に巻き付けた。
「貝塚はここに座って。
 これで少しはマシになったと思うけど…」
ポンチョを指し示すと、ユズが頷く。
「分かった」
ユウゴはサドルを自分が座れる高さに調整する。クラスの中で身長は大きい方だが、一番下まで下げたサドルでも、“なんとか漕げる”という感じで、まだ高い。
登山用リュックをユズに背負ってもらい、ユウゴはロングテールに跨りハンドルを握りしめた。
「よし、行こう!」
ユウゴがペダルに乗せた足に力を込めると、太いタイヤがゆっくりと回りだす。
二人を乗せたロングテールが、瓦礫の山と化した街へ分け入っていく。